≡福島お達者くらぶだより≡
2015年 7月 1日発行 通算 第76号
【予告】 今年の秋(11月)からミーティング室を変更します
この会報の前号でもお知らせしましたが、今ミーティングを行っているゼミナール室が使えないことが多くなったので、まだ数ヶ月先からですが、この際、思い切って場所を換えることにしました。新しい場所は県立医大の8号館(看護学部棟)4階のS413とS430室です。8号館(看護学部棟)は県立医大の建物群の中の西の端で、すぐ前が駐車場ですから、車で来られる方は便利になるかと思います。
部屋を移るのは、十分に周知の時間を置くために、今年(2015年)の11月からです。
部屋が移ったことを知らずに来ても大丈夫なように、玄関・エレベータ・今までのゼミナール室などにポスターを貼るようにしますので、失念していても心配せずに来てください。
お達者くらぶのミーティングは最初は付属病院のカンファレンス室で行っていたのですが、20年前から今の第3・4ゼミナール室で行ってきました。ほんの短期間、本人ミーティングだけ平日の夜に福島学院大学の駅前キャンパスで行うことを試しましたが、参加者は少なく、やはりゼミナール室で家族と並行の週末のミーティングに戻しました。
ところが近年、そのゼミナール室が医学部学生の定員増とカリキュラムの変化で使えないことが多くなったので、また別の場所に移すことにしたのです。医学部の定員は、2年前の卒業生までは1学年80人だったものが、福島県の医師が元々不足していたところに大震災などでさらに少なくなってしまったこともあって、現在は130人になっています。その上に、臨床実習に入る前に基本的な手技や医療面接の実習をすませておくことが求められて、ゼミナール室がそれらに使われることが多くなってしまったのです。
新しい看護学部棟の部屋も、県立医大の入学試験の時にはすべて使えなくなります。来年の3月がそれにぶつかりますので、その来年3月だけは蓬莱学習センターで行います。医大からは歩いても行けるくらいの距離にある公共施設ですが、いずれ詳しく案内します。
その後の不自由
上岡陽江(かみおかはるえ)さんと大嶋栄子さんの二人が書かれた『その後の不自由』(医学書院2010年)という本を読みました。上岡陽江さんは薬物依存からの回復を図っている人たちの施設「ダルク女性ハウス」の代表ですが、自身がアルコール依存、薬物依存、そして摂食障害から回復された方で、精神保健福祉士の資格を取得されています。一方の大嶋栄子さんは社会福祉の大学院を終えられ、精神科ソーシャルワーカーとして働いた後、被害体験を持つ女性の福祉的支援のためのNPO法人を立ち上げ、札幌でそのための施設を運営されています。その施設のためにダルク女性ハウスでの実践を学びに行った、その経験で得たことを上岡さん自身が得てきたこととともにまとめたのがこの本です。
この本に主として登場してくる当事者の人たちは薬物依存や理不尽な暴力の被害者なので、摂食障害に苦しむ(苦しんできた)お達者くらぶのメンバーの人たちとは違うところもありますが、それでも同じように依存症に苦しむことになった、そのようなものを抱えてしまった人たちに伝えたい言葉がたくさんありました。それをこの号で紹介したいと思います。
ちなみに、『その後の不自由』という題名は、依存を起こす薬物は(一番弱いだろうアルコールでも)脳も体も傷めてしまうために使っている限り生き延びられず、回復のためには止めるほかない、しかし薬物は強烈な誘惑力があって止めるのはきわめて困難だし、長年の使用によって止めた後にもさまざまな社会的な困難や身体症状に遭遇する、そのような不自由を抱えて生きなければならないことを意味しています。そのあたりは「食べ吐きしてでも生き延びよう」と言える摂食障害と違うところがあるのですが、そんな薬物依存の人たちの過酷な状況の中でもこの本には希望が見える、そのような中に摂食障害の人たちにも伝えたい言葉が散らばっていたのです。
『その後の不自由』の中にあった文章(摂食障害の人ように少し変えています)
東北地方で摂食障害の子どもを持つお母さんたちとミーティングをしていると、特徴的なのは、自分の両親や、夫のおじいちゃんやおばあちゃんを大切にするのが当たり前とされていることです。すると、“いい嫁”をやりたい人ほど自分の子どもたちには我慢させて、夫の家族や親戚に尽くす。そんなふうに真面目に嫁をやり過ぎたら突然子どもが摂食障害になってしまった、というケースが多いのです。
振り返ってみれば、いつだって家に来ている義兄や義姉の子どもたちは大切にするけれども、自分の子には「我慢しなさい」みたいなことをずっと言ってきた。そういう一見、親戚と仲よくしあっているような家族の中で自分の子は二の次になってくる。その子たちは自分のことはずっと我慢し、絶えず人のことを優先するという形で育つのですが、高校、短大、大学を出たあたりからだんだんと身動きがとれなくなってしまう。
お母さんたちは、「自分が我慢しているから、子どもにはちゃんとやってあげていた」とか、「子どもには衣食住で苦労させたことがない」と言います。でも、基本のところに行き過ぎた我慢がありますからね。
回復というのは、他人を優先していたことが「自分を真ん中にして考える」ことへと変わっていくことです。特にボーダーラインとよばれる境界性パーソナリティ障害の人ほど他人を中心にしています。彼らは自分中心の極みのように思われていますよね。でも違うんです。真ん中に「自分」じゃなくて「他人」がいる人たちなのです。
真ん中に「私」がいて、そのまわりに私を助けてくれるような形で、父や母やきょうだいがいる。次に祖父、祖母、イトコたちがいて、その次に、友達や、近所のおじさんおばさんたちがいる。こんなふうにやんわりと自分のまわりに応援団のようなものを持っているのが、“そこそこ健康な家族”ではないかと思います。つまり真ん中の「私」が幾重にも守られている。
このようにして、「私」®「父、母、兄弟」®「祖父、祖母、イトコ」という《順番》が大切だということがわかってきました。そしてそれぞれの間の《境界線》も相当大切だということもわかってきました。しかし、依存症を持つメンバーの話を聞いていると、この順番と境界線がごちゃごちゃなんですね。
境界線を壊されて育った子どもは何を考え、どういうふうに感じるようになるか。
お父さんがアルコールで問題があるとか、お母さんがいつも怒っているとか、いろいろな問題があったとき、子どもは幼ければ幼いほど「自分のせいだ」と考えてしまいます。
六歳くらいまでの子どもはそうですよね。地震や戦争が起きたときにも「自分が悪かったから地震が起きたんだ」とか、「戦争でお父さんが亡くなったのも自分のせいだ」みたいに、自分中心の考え方しかできないと児童心理学で説明されています。そして、その子たちは家族の中で調整役と緩和役をずっと担っているので、「私が頑張らないと家族が壊れちゃう」と思うわけです。
こうして家族の中の緊張感や、両親の問題を背負ってしまいます。
しかし本当は、そんなものは子どもが背負うものではないですよね。お父さんのアルコールの問題や両親の不和、お母さんの不幸などもその子のせいではまったくないのだけれど、それは子どもにはわからない。一人の子どもが背負うべき責任の範囲を超えて背負っていく。
お父さんとお母さんの問題を自分のものとして背負っているので、いつもお父さんとお母さんの痛みも感じている。そうすると、やがてそれが自分の痛みなのか、お父さんお母さんの痛みなのかがわからなくなるんです。
このことを自助グループで言うと、みんな「そうそう」と共感しますね。そういう区別のつかなさみたいなものが、大人になってもずっとある。
すると子どもはこう感じるようになる。「これだけ背負っているのだから、私の痛みも誰かに背負って欲しい」と。
「大問題」⇔「中問題」⇔「小問題」⇔「大不満」⇔「中不満」⇔「小不満」
依存症の人たちが最初に治療の場にあらわれるのは、圧倒されるような大問題をかかえた状態のときです。問題がからみきった状態。食べ吐きしていて、リストカットもして、オーバードーズして、自殺未遂をして、人によっては借金があるのにブランドものを買いあさることもやめられない・・・。こんな状態のときに医師や看護師など、いろんな人に出会うわけですよね。ここから他人への信頼感の基礎をつくっていく。
問題を起こしながらも治療者が変わらずいてくれて、自助グループで新しい仲間と新たな関係を結べてくると、徐々に信頼関係が積み重なる。すると大問題だったものが中問題くらいに小さくなって、リストカットの回数が減ったりする。さらに小問題くらいに進むと、まだときどきリストカットはしているし、ときどき誰かと喧嘩してしまったりするけれど、もう危険なオーバードーズや自殺未遂はしないという段階になります。
ところが、です。信頼関係がだんだんたまってきたところで、なぜか「大きな不満」が出てくるのです。例えば主治医のことを信頼できるようになったとか、職場に少し話がわかる人が出てきたとか、そんな安心感みたいなものが出てくると、なぜかすごい怒りがわいてくる。まわりの人はもちろん、本人自身も驚いちゃうんですね。よくなってきたにもかかわらず、ものすごい怒りみたいなものに駆り立てられて、何もかも許せないみたいな気持ちが出てくるのですから。
「回復していくときに怒りが出てきて、それを取り扱うのに困る」という話は、摂食障害の人からもよく聞きます。実はボーダーラインの人たちにとって、この大不満から中不満くらいの位置が、「回復」といえる場所なのです。中不満から小不満と順調によくなって、もう問題のない平安な日々がやってくるような回復像を描きたいところですが、実はそうはならない。信頼関係もできて、よくなってくるんだけど、そうしたら不満ばっかり言うようになる。それが回復像なのです。
この大不満のとき、治療者は攻撃されます。嫌味もいっぱい言われますし、突然来なくなったりする。そして、大問題へ逆戻りして問題を起こす。「不満」の方へ降りてきてはまた「問題」へ戻るということを、何度も何度も繰り返します。
ただそれでもなお、治療者との関係は切れていない。自助グループには通っていて、信頼できる人との関係は壊さずに続いている。そうするとまた信頼感が砂のようにたまっていって、以前はすごい戻り方をして大問題まで行ってしまっていたのが、今は小問題程度に小刻みに行ったり来たりするようになる。
どうもこの、小問題と大不満のあいだに、“壁”があるような気がするんです。それは何なのか。そこの壁で、「世界は私を受け入れているんだろうか」「自分は人に受け入れられているんだろうか」という問いが生まれているような気がします。
「不満」から「問題」に逆戻りするときや、ふたたび自殺未遂したりオーバードーズしたり、大問題を起こしてしまうときというのは、この「世界から受け入れられていない」ことを感じるときだと思うのです。
本当は自分の心が、まわりに対して開いたり閉じたりしているんですが、自分にとっては、まわりが遠のいていくように感じられる。だからみんなには繰り返し教えています。「仲よくしていた人が、近づいたり遠ざかったりしているみたいに感じるけど、本当は同じ距離にいるんだよ」って。「遠ざかったと思えるけれど、本当はフラッシュバックしているんだよ」って。
「受け入れられてない」という感じにときおり襲われても、そんなにメチャクチャに行動化せずに人との関係性を壊さないでいられて、そこそこ続けていられる。私たちの回復とはそこなのだろうと思います。
特に女性の依存症者を考えた時に、「これができるようになったら回復」というものをあげてみました。
まず、自分の言葉で話せるようになること。「お父さんが」とか「彼が」とか「誰かが」ではなく、「私が」としゃべれるようになることです。
次に、自分の都合「も」優先できるようになること。相手の都合だけを優先するのではなくて、交渉するということです。依存症の人たちって、その行動をしていない時は常に相手の都合を優先して暮らしているんです。しかしそのうちやっていられなくなって、突然キレて、自分の都合を申し立てるようなことをして驚かれたりする。このあたりを知らない人から見れば、「依存症の人は自分の都合だけ優先する」みたいに思われてしまう。
ボーダーラインの人もみんなそうだと思うのですが、あるとき急にガッと文句を言うみたいなことをやるので、まわりからはトラブルに見えるのです。本人からしてみれば、もともとは引いているんです。あんなに自己主張が激しいように見えて、「実はその前にNOが言えていない」ということが多いんではないでしょうか。
以上、『その後の不自由』からここを読んでもらえたら、と思うところを転載させてもらいました(上岡陽江さん、大嶋栄子さん、勝手に使ってしまいましたが、許してください)。いかがだったでしょうか。みんな、自分にとっての大事な人の《順番》をよく考えてみて、そしてごちゃごちゃだったそれぞれの間の《境界線》を大切にして行けばと思います。それが回復へと導いてくれる成長だと思います。