福島お達者くらぶだより

2015 1 1日発行 通算 74

 

明けましておめでとうございます

 新しい年の始まりを、皆様はどのようにお迎えでしょうか。この号では前号からの続きとして、日本摂食障害学会での自助グループについてのパネルディスカッションについて報告します。

 その前に、メンバーのある人からもらった手紙に、ぜひみんなにも伝えたい素敵な言葉があったので紹介します。まだ食べ吐きはしているかもしれないし、痩せ願望、そして何よりも完璧主義を強く持ち続けていると感じられる人ですが、自分の未来が見えてきているような仕事を続けられるようになってきた中での言葉です。さらに、昨年秋の学会で聞いた上岡陽江さんの言葉も紹介します。

 

おまじないの言葉

 今、病気の真っ最中の頃には考えられなかったくらい、充実した日々を送っています。稚拙な表現ですが、まさに毎日“るんるん、キラキラ”しています。(この言葉は、毎日唱えるおまじないのようなものです。こう思えなくなったときは疲れがたまってきている証拠と考えています。)

 私はもう人との衝突を怖がらなくなりました。その先に見える新しい関係性を築ける自信ができたから。

 家族との関係も、本当にゆっくりと良いものに育っていく印象があります。たとえその一時衝突したとしても、家族のきずなは長い時間をかけて熟成していくもの。今はそう思っています。

 

どうですか、皆様も“るんるん、キラキラ”しているかどうか、そう思えない時には心に疲れが溜まっているのだ、心を休ませてやらなければならないのだ、と考えてください。

 

ダルク女性ハウス 上岡陽江さんの言葉

 ダルクは薬物依存の人たちが薬物を止めて回復を図るために共同生活している組織で、今は全国のほとんどの県にできていますが、大部分は男性のための施設で、女性のための施設は少数しかありません。その女性のためのダルクを最初に立ち上げた上岡陽江さんが話されたことは前前号で紹介しましたが、また学会(昨年11月に鳥取で行われた日本嗜癖行動学会)で話されていたことの中に皆様にぜひ紹介しておきたい言葉がありましたので、いくつか挙げておきたいと思います。

 

「当事者も支援者も、根っこから変えないとダメだと思っている。しかし、根っこから変えるのではなくて、いま持っているもので生き延びることが大事。いま持っているものを使ってどう生き延びるか。それには『何を持ってる?』と問い、それを一緒に考え、探す。何が好きか執拗に尋ねて、見つかったものを大切なアイテムとして取っておく。」

「生き延びるのに社会の規範は関係ない。水商売でも、場合によってはアルコール、薬物でも。(それらを利用して生き延びないと、死んでしまっては回復―生きててよかったと思える人生―もない。)」

「孤立している人は、自分が孤立しているとわかっていない。そうでなくなって初めて孤立していたことを知る。支援が先に来ないと、自分が困っていることに気づかない。支援して、気づいてもらって、相談に乗る。」

 

皆様も、自分がいま持っているもので生き延びましょう。少なくとも、ふつうの人なら放り出してしまうような凄まじい苦しさを自分に引き受けて、なお生きることを模索するすごい強さを持っています。他の人たちが見過ごすようなわずかな空気に気づく鋭さを持ち、それを見過ごせずに(あるいは気づかないふりをして生きることを許せずに)自分に引き受ける誠実さも持っています。そんな、素晴らしい人だから苦しんでいることに気づいてください。自分を変える必要なんてないです。

 

自助グループ活動の現状と今後

 前号で昨年秋の日本摂食障害学会で見聞きしてきたことを報告し、最後に自助グループ活動について、この題名のパネルディスカッションが行われたこと、およびそのパネルの意味や目的について書きましたが、その中で具体的に出てきたことを今回の報告としたいと思います。

 

 このプログラムでパネリストとして自分たちの経験とそこから考える事を発表してくれたのは、リボンの会(松山)、Peerful(松本)、あかりプロジェクト(金沢)、そしてママラボ(大阪:子どものいる人たちの会)の運営者の人たちでした。その話を、磯野真穂さん(文化人類学の立場から摂食障害を見てきている研究者です)が指定討論者としてうまく総括してくれました。(私は予定した時間どおりに進行するように気を配ったのですが、みんなきちんと準備をしてくれて時間オーバーする人は誰もおらず、十分なディスカッションの時間も持てて、司会者として非常にうれしく思いました。)

 

 福島お達者くらぶは私たち援助職のスタッフが世話をしていますから自助グループではありませんが(分類するならサポートグループということになります)、自助グループの精神を大事にして22年間をやってきました。それで、その自助グループについてパネルディスカッションでの話題を紹介したいと思います。

 

 自助グループの運営者は、自分が摂食障害に苦しんでいる中で仲間の存在に救われて、自分の町には自助グループがなかった(ママラボの場合は子どもを抱えた母親である自分たちに適したグループがなかった)のを何とかしたいとグループを立ち上げてきた人たちです。そのグループを一人か、あるいはごく少数の仲間で支えてきている、それは孤独な仕事で、仲間との連携が必要だと、それを様々に模索していることなど、そこで考えてきたことが正直に語られました。

 

 ある人が印象的な言葉にしていたのですが、グループの運営者として自分は、グループを私物化したりコントロール欲求の対象にせずに、脇役に徹する、という役割を意識している、ということです。しかし、無報酬であり、その中で自分の生活を守らなければならないし、運営者自身のライフスタイルの変化にどう対応していくか、というような難しい課題を抱えています。

 しかも、その人たちは援助の専門職ではないのに、切羽詰まった人たちやその家族から病気についての相談を受けることもあります。そのような難しい役目を、地方都市ではたった一人で背負わなければならない場合も多く、圧倒的にマンパワーと資金が不足する中で、どうやって持続可能な自助活動を構築するか、それがこのパネルディスカッションの主たるテーマでした。

 あるグループは、このような自助活動が苦しんでいる仲間に手を差し出す公共サービスになり得るかを問い、そのためには収益を上げていく柱が育たないといけないと様々に試行錯誤しているけれど、思うようには行かない、しかし何とか連携を広げていることを報告していました。この点に関して、厚生労働省で構想されている摂食障害センターにピアサポート(ピアは仲間という意味です)の機能も持たせて欲しい、という希望を多くのグループ運営者が持っています。

 

 そのようなパネリストの人たちの発表を受けて、指定討論者として磯野真穂さんがうまくまとめてくれました。

 進歩した医療を持ってしても提供できないものがあって、全ての病気に自助グループがある、そこで持続可能な自助活動とはどうあるべきなのかを考えなければなりません。そこに外部資金を頼っても、数年以上は続きません。それでは持続して活動しているグループにはどのようなものがあるかというと、次の3つのタイプです。

 一つはアルコール依存症の人たちのAAを典型とする、自分たち自身のほんの僅かの寄付金で維持するグループです(私は当事者以外も参加してよいオープンミーティングに何度も参加したことがありますが、回す献金袋に当事者以外には絶対に寄付を入れさせてくれません)。

 次は、北海道浦河町のべてるの家のように、自ら収益事業を展開するものです。

 もう一つは、年会費を取る会員制の組織です。

いずれも、参加することでプラス・アルファがあることが必要で、それは医療でできなかったものが得られることです。それをどのように保証しながら持続を考えていくか、それぞれのグループに特徴的な運営が必要になっていくのでしょう。

 

 最後に、磯野さんは面白い解析をしていました。このパネルディスカッションでパネリストの発表資料にあった言葉を全部リストアップしてその頻度を調べてみると、誰の発表の中にも「病気」を連想させる言葉が全く出てこなかったのです。そして最頻出の言葉は「つながる」「つながり」だったとのこと、お互いのつながり、医療や行政とのつながりなど、方向はいろいろだけれど、それが一番求められていることなのだろうと思われます。

 磯野さんは、摂食障害には身体と心の二つの要素が最も密着して絡んでいて、このような病気は他にない、と指摘していました。私もそれは意識していて、その意味で最も現代を象徴する病気だと思っています。今この病気で苦しんでいる人は、自分は時代の最先端を生きているのだと、誇りを持ってよいのかもしれません。「そんなことを言って、この苦しさをどうしてくれるのだ」と言われてしまうことを承知の上での言葉ですが。

 

 それにしても、地方都市ではグループの活動を一人で背負わなければならないために維持できずにいた1990年代からすると、それを一人でも背負ってやっていっている人材が出てきている、それはそのように成長した人たちが生まれてきているのだと言えると思います。ネット上では自分が回復してきたやり方を絶対視して仲間を集めるような人たちがいろいろといます。しかし、そのようなサイトにアクセスする人たちをグループと呼べるかどうかは疑問で、自分の居場所を感じて回復に本当に役立つ活動になってはいかないと感じます。現実社会の中で活動していけるには、自助活動とはどうあらねばならないのだと、先人の知恵を学習していける柔軟さも持っている人でないと難しいでしょう。

 実は、7年ほど前の摂食障害学会では、この学会の中心的な医師の一人が「アルコール依存症では回復に自助グループが大切な役割を果たすが、摂食障害の自助グループは代表者が未熟で、役に立たない」といくつかのグループの名前を挙げて話したので、私(香山)はそれに噛みついて、「摂食障害の苦しみを医療が救い得ていない人も多いが、中に自助グループで心を落ち着けることができて生き延びた人たちもたくさんいる現実を見るべきだろう。時代は変わっているのだ。」と発言し、そのことをテーマにした論文にはさらに「未熟だというなら、その成熟に手を貸すのも専門家の責任ではないか」と書いたことがあります。それから数年経って、この学会で自助グループ活動が正式のプログラムとして取り上げられるまでに自助グループをめぐる状況は変わってきているのですが、昨年の学会でも7年前に発言した先生が「摂食障害の自助グループは未熟」と、全く同じことを言って、がっかりしました。

 一方で、やはり学会の中心的な先生が、「未熟」と発言した人に対して「どうしてあんな風に見てしまうのでしょうね、あんなこと言わなきゃいいのに」と言ってくれて、この先生は摂食障害でも思春期のひどく痩せて命が危ないような人の身体治療を専門にしている人なのに、ちゃんと自助グループの精神的な意味を知ってくれていることにうれしく感じました。それに、このパネルディスカッションで話してくれた人たちは全員、それぞれに与えられた時間をきちんと守ってわかりやすい発表をしてくれた(誰一人延長しませんでした)、それは成熟した人が出てきている証ではないかと思います。

 

 自助活動の持つ力について、薬物依存については行政も認めるようになってきています。いろいろなところでダルクの力を借りますし、薬家連(全国薬物依存症者家族連合会)の提言が政策に影響を与えたりしています。引きこもりについても、家族会連合会の地道な活動が国レベルでも地方でも行政を動かしています。摂食障害についても、自助グループの活動が苦しんでいる人たちの回復の力になるだけでなく、(国の医療費の削減にも大きく役立つのですから)そのように役所の認識を変えていくためには、自助グループの連合体が必要なのではないかと思います。しかし、自助グループというのは本来は自分たち自身のための活動で、自分たちの場所を守ろうと仲間で力を出し合うもの、誰かを救うためではない、という大前提に立ち返ることを促す声もあります。いずれにしても、孤立しがちな地方のグループとしては、緩やかに連携できる場がほしいと思います。