福島お達者くらぶだより

2014 10 1日発行 通算 73

 

秋になりました

 福島市でも気温が37度を超す日が何日も続いた夏の暑い日も、全国のいろいろなところで洪水・土砂崩れを起こした雨の続いた日々も、さわやかな秋晴れが何日かあると忘れてしまいますね。今、毎日が食べ吐きの人も、生き延びてさえいれば、きっとそれを忘れて毎日の生活に没頭する、そんな日が必ず来ます。お達者くらぶを巣立っていったたくさんの人たちの例がそれを教えてくれます。みんな、生き延びましょうね。

 そんな秋の始まりの頃、私(香山)は9月中頃の週末に大阪で行われた日本摂食障害学会学術集会に参加してきました。そのために9月のミーティングを欠席させてもらったのですが、欠席は7年ぶりのことで、その7年前はやはり学会出張だったのですが、その時はミーティングまでに飛んで帰るつもりだったのが、深い霧のために飛行機が飛ばなくて間に合わなくなったのでした。これから当分は欠席の予定はなく、ちゃんと出席させてもらいたいと思います。

 ちなみに、私は飛行機が大嫌いで、九州の学会でも列車で行くのですが、やむを得ず飛行機に乗る時は前もって短時間作用の抗不安薬をのむか、長時間の時は酔い止め(8時間くらい効きます)をのんで寝てしまいます。しかし7年前の時は1時間ちょっとのフライトだったのでのまなかったら、悪天候で揺れて気分が悪くなり、つらかったのでした。

 9月の学会はミーティングを休んで参加したのですから、そこで見聞きしてきたことをいくつか報告しておきたいと思います。

 

摂食障害学会で:認知行動療法

 今回の日本摂食障害学会は日本認知療法学会と合同開催だったこともあって、プログラムには認知行動療法に関係する発表がたくさんありました。今、精神科領域では世界的に認知行動療法がはやりで(うつ病などにも導入されています)、アメリカの摂食障害治療施設ではほとんどがこの治療法を採用していると、以前から聞いていました。アメリカでは効果があると証明された治療法しか使ってはいけないという縛りが強く、認知行動療法はその数少ないエビデンスのある治療法であるためもあるのですが。しかし、これは一つの治療方法に過ぎず、この方法にこだわって心の中に潜むものに切り込むことをしない治療者(特に心理士)も多くなっているのじゃないかと、私は危惧を覚えています。その治療者たちは、心の中に切り込んでいくと治療者も力を試されてしまってすごくたいへんで、時間もかかり、それを避けようとする思いもどこかに混じっているかもしれません。

 今回の学会では初めての試みとして学会の場での事例の詳細な検討が行われ、その一つとして、「イメージ書き換え技法により過去の記憶への介入を試みた過食症の認知行動療法の一例」という報告がありました。患者さんが語る過去の記憶の意味を面接の話し合いの中で書き換えていこうとする治療法である程度よくなった人の例ですが、アドバイザーに指名されていた心理士(東京女子医大病院の患者さんの家族会を担当している私も親しい方です)は次のようにコメントしていました。

「語られた記憶は表面に出ているものに過ぎず、その心の奥に潜む本人も意識から消しているものに切り込んでいかなければならないのではないか。また、もっとお母さんとの関係にも切り込み、お母さんを治療に巻き込んでいく必要もあるのではないか。」

 私もそのとおりと思います。さらにそこで私が手を挙げて発言したのは次のようなことでした。

「私は本来は脳科学の研究者だったが、その分野の動物での研究で、恐怖の記憶は読み出されるたびに不安定になり、その度に再固定されることが示されている(註:一時的な記憶が永続する記憶に変化していく過程を「固定」と言います)。その記憶が読み出されたときに、救いようのない状況だと恐怖が強まって再固定され、それが繰り返されるとPTSDに発展してしまうだろう。一方、安心できる状況で記憶が再現されると、恐怖が少し弱まった形で再固定され、それを繰り返していくと恐怖に縛られることが少なくなっていく。それがカウンセリングの意味であり、そのことをよく踏まえた上で行われて、はじめてどの技法も意味を持つのではないか。」

 この学会に出席している人たちのほとんどは脳科学の知識はなく、特に心理士の人たちはカウンセリングなどのセラピーの意味を説明できる科学的な根拠があることに感銘を表明してくれました。

 

摂食障害学会で:薬を使わない医師

 もう一つ詳細な事例の検討が行われたのは、国府台病院(千葉県市川市にある元の国立精神神経センター付属病院で、摂食障害治療のセンター的な存在です)の心療内科の先生が報告された「自主性を尊重する治療方針で改善傾向にある拒食症」でした。(たぶん本人の思いよりもお母さんの考えが強く作用して)転医を繰り返していたのだけれど、何度目かの入院でやっと本人が抗うつ薬の服用を納得して認めるまで(生命の危険を乗り切る治療はしたけれど)薬は一切投与しなかったとのことでした。たくさんの患者さんが集まる病院でそのように粘り強くかかわる医師がいるのだ、ということに感動しました。

 この患者さんは休学中の専門学校生で、まだ完全によくなってはいないのだけれど、本人の意識がずいぶん変わってきている、もう少しのところまで来ていて、最後の入院では復学するために体重を増やすことを認めるようになった、とのことです。その入院時に本人は「(11くらいだった)BMI13.1まで上昇したら退院する」と表明していて、その数値はBMI12台では様々な身体問題を伴うことが多いという症例報告などを自分で調べて言っていたのかと思われます。

 ところがこの患者さんが、BMI12.5くらいになったところで退院させろと主張するようになって、医師としては当初の予定どおりに13まで上がってからの退院にしたい、しかし「自分で決めた目標を達成しないで退院することは認められない」と言っても受け入れてくれない、それに対して何と言えばよいのだろう、と会場に投げかけられました。

 そこで私は手を挙げて、次のような私の考えを発言しました。

「私なら『あなたのその意欲は認めるけれど、あなたの心の中ではその思いと葛藤している不安も強く、その不安がBMIの数字になっている、体がまだ待ちなさいと止めているのですよ』と言うだろうと思います。」

この考えはその先生に納得していただけて、逆に私もその自分の考えに納得できました。

 

自助グループ活動の現状と今後

 さて、今回の学会で私の一番大きな役目は「自助グループ活動の現状と今後の課題」と題されたパネルディスカッションの司会でした。このパネルの意味や目的について私が最初にほんの短く5分だけ話した、それを書いておきます。

 

 この自助活動についてのパネルディスカッションを始めるに当たって、パネリストの方々のお話に入る前に、司会役の私の方からこのパネルの意味や目的について、ほんの短くお話しさせていただきます。

 摂食障害は、拒食でも過食でも、アルコール依存と同じように依存症として捉えるべきところがあります。依存症というのは、快楽や利益をもたらすある種の物質や行動がその時の苦しさ、生きづらさをとりあえず生き延びるために利用されて、それがよけいに苦しさを強くする、それを生き延びるためにその物質や行動のますます頼らなければならなくなって、それに溺れてしまうものです。食べることは快楽ですし、食べないことも「自分が誇りを持って生きるためには痩せたからだが必要だ」という考えを刷り込まれてしまっているために、生きるために食べることを拒みます。

 そのように依存症ですから、医療だけでは解決できない面も大きく、そこには自助グループの活動が大きな意味を持ちます。しかし、摂食障害については自助グループを嫌う医療者も多く、この学会でも自助グループ活動はどちらかというと冷たく扱われてきた感じがありました。今回も、この学会の中心的な存在の先生が自助グループに否定的な発言をされました。それでも、それはこの数年で急速に変化してきたと私は感じています。このパネルのように学会の正式のプログラムとして取り上げられるようになったのはこの変化の象徴で、画期的なことだと思います。

 ここに到るには、先を行く人たちの営々たる努力がありました。摂食障害の自助グループの活動は1990年前後から大都会で始まりました。最初はBulimics AnonymousBAとして始まり、世界的な名称に合わせてOvereaters Anonymousと名乗るようになったOAや、独立した自助グループの老舗となった感のあるNABAに集まった人たちは、その後、地元にそれぞれのグループを立ち上げてきました。しかし、1990年代は後半に到っても、自助グループが成立するのは人口100万人規模の大都市だけで、地方都市では維持できなくて閉じてしまうグループが続出していました。

 それが2000年代に入った頃から、人口50万人、さらには30万人規模の地方都市でも定着するようになってきました。しかし、それには非常な苦労がありましたし、まだまだグループが存在しない地方も多く残っています。さらには、思春期の病気と言われた摂食障害が高年齢層にも広がってきた中での新たな取り組みを模索してきたグループもあります。

 このパネルディスカッションでは、そのようなこの10年ほどの間の新しい活動の展開を中心に取り上げ、その苦労やノーハウを共有し、まだまだ自助活動の全くないところにも広げていくきっかけを作れないか、そして孤立してしまいがちな地方都市のグループの連携によって新たな展開を模索したい、というようなところに主眼を置いて企画されました。

 先ほども言いましたように、1990年頃からなかなか理解の得られない中で営々と現在につないでくれてきた方々への敬意を払いながら、ここでお話しいただくのは地方都市を拠点として活動しているグループの代表者、そして子どもを持つ母親のグループの方々です。一人12分という短い時間で申し訳ないですが、そのお話を聞かせていただいたあと、摂食障害を文化人類学の立場から研究してこられている方にこの状況などについてまとめていただき、お集まりの方々との意見交換も行いたいと思います。

 

 そこでこのパネルディスカッションでどのような発表やディスカッションが行われたか、それはまた次号で報告したいと思います。