≡福島お達者くらぶだより≡
2013年 10月 1日発行 通算 第69号
まず、もう一度、確認のお知らせです。
家族ミーティング場所の変更のお知らせ
(10月でなく来月ですが)今年の11月と12月はいつものゼミナール室(5階)が学生の実習のために使わせてもらえません。それで、11月と12月だけは家族ミーティングの場所が変わり、同じ建物の2階の第5講義室で行います。当日は迷うことのないように、エレベーターのところや5階のゼミナール室前などにポスターを貼るようにします。
もちろん、いつものように本人も参加OKです。
(昨年まではこのようなときに4階のゼミナール室を使わせてもらっていました。ところが、県立医大・医学部の学生数が増えて、4階のゼミナール室も実習に使わなければならなくなったのだそうです(医学部の今年の卒業生は80人だったのに、東北地方の医師不足に震災が加わっての毎年の定員増で、今年の入学者は135人です)。
来年1月からの本人ミーティングのお知らせ
本人ミーティングは第2火曜日の夜に福島学院大学(駅前キャンパス)で行っていますが、参加者が少ないままで経過しています。それで、これをどうしたらよいかを皆様に問いかけたところ、何人もの方から「以前のように、第2土曜日がよい」との意見をいただきました。
ということで、本人ミーティングを以前と同じ第2土曜日(午後2時から)県立医大のゼミナール室に戻します。この変更の周知の時間をおくためと、上に書くように11月と12月はゼミナール室を使えないこともあって、この変更は来年1月のミーティングから実施することにします。また以前と同じ家族との並行ミーティングになります。ご承知置き下さい。
「信じない」が根を張っている 香山雪彦
過食症の人たちの中には、家族や手を差し出してくれた人に怒りをぶつけて責める、時には何時間も責めまくる人がいます。その人たちだって救われたいし、救いの手がほしいのに、なぜわざと嫌われるようなことをしたりするのでしょうか。それも、一番大切な、愛して欲しい人に。
過食でしか自分の苦しさを訴えられず、それでしか生き延びて来れなかった人は、子どもの頃、ただまわりの人たちが穏やかに幸せに過ごせるようにと、ずっと自分の思いを殺して生きてきた人たちが多いと思います。だから、そのような怒りという形であっても、自分の思いを外に出すことができるようになったことは大事なことだと思います。
けど、その人のためと思ってやっているのに責められるのはつらいです。そんなつらい毎日を送っている、責められる方の立場の人たちに対して伝えたいことを書きます。
手をさしのべる人が、いくら善意であっても、それがその人を何とかしてあげようとして、ああしなさい、こうしなさいと指導、コントロールしようとするものだったら、絶対に受け入れてくれないのは仕方ありません。何しろ過食の人たちはみんな、自分が誰かに支配されてしまい、自分の存在が失われることに強い恐怖感を持っているからです。
しかし、ただただその人に寄り添いたいという気持ちもなかなか通じません。なぜなら、安心して暮らしていられない子ども時代を過ごしたり、愛しているし愛してほしい気持ちを受け取ってもらえないことが続いたりしたために、意識に登らない奥の方で心には「信じない」という禁止が頑強に根を張ってしまっていることが多いからです。
その人たちは差し出された手が本当のものなのかどうか簡単には信じられず、裏切られることがないか試し続けるほかないのです。試すために、親や援助者をわざと怒らせることもします。それは「こんな自分でも愛してほしい」という信号なのだけれど、それを理解できるだけの寛容さが手を差しのべる方に要求されるのは、なかなかつらいものです。それに耐えて、長い時間をかけるほかありません。しかし、時間をかければ、必ず通じます。その時間が年単位になるとしても。
それでは、傷つき続けて「人の言うことなんて信じられない、絶対に信じてやるものか」と思っている人たちに、「こんな自分でも愛してくれている、受け入れてくれる人がいる」とどうしたらわかってもらえるでしょうか。
傷ついた心を癒すことのできるのは、結局、人と人とのあたたかい心の触れあいしかないと思います。心の傷をかかえても生きていけるようになるためには、そのようなあたたかい触れ合いによって、「自分はここにいていい人間なのだ、ありのままの自分で受け入れられているのだ」と感じられる場所や人間関係を、たとえすぐには信じてもらえなくても、それを何度も何度も積み重ねていく以外にありません。一回だけの経験で変われるほど人の心は柔なものではないからです。しかし、その安心の感覚を何度も、何年も積み重ねていけば、必ず変わっていけます。それは、日本語の言語中枢が出来上がってしまってから習う英語は一回勉強しても話せないけれど練習を重ねれば話せるようになるのと同じで、出来上がった心(性格)を学習でカバーしていって、実質的に変えられるのです。
それなら、その(どうあるべき存在ではなく)ありのままの自分が受け入れられていると感じられる、あたたかい心の触れあいをどのようにしたら感じてもらえるか、ということを考えなければなりません。
そこで話がずれますが、自殺のことを考えたいと思います。自殺する人のうち、中高年は圧倒的に男性に多い(うつ病や治らない病気を苦にした自殺は別にしてですが)。なぜでしょうか。それは、その世代が若かった時代の文化のなせることです。例えばずいぶん昔、男の象徴のような三船敏郎という有名な俳優が出てきて「男は黙って**ビール」とビールビンをどんとテーブルにおくコマーシャルがありました(**は北国の町の名前です)。もうちょっと最近にも、やはり男のあこがれである高倉健が出てきて、ぼそっと一言、「不器用ですから・・・」と言うコマーシャルもありました(これは誰もそれが何のコマーシャルだったか覚えていないから、コマーシャルとすれば失敗でしょう)。そんなコマーシャルに象徴されるように、昔から男はべらべらしゃべらないものだと刷り込まれてしまっていて、自分の苦しさを誰にも伝えられずに、黙って死を選ぶしかなくなるからです。
一方、女性はだいたいにおいておしゃべりで、友達と1時間でも2時間でもしゃべり続け、そこで「そうだよね、そうだよね」と感情を共有してもらえるから、死なずにすみ、生きていけるのです。しかし、感情の共有よりももっと強く生きていく力になり得るのは物語の共有です。
物語の共有とはどういうことでしょうか。例えば2005年に公開された「Always三丁目の夕日」という昭和30年代を描いた映画にあった場面ですが、売れない小説家が飲み屋の女の人に惚れて、想いを伝えるのに指輪を贈ろうとします。しかしお金がないから、指輪の箱だけ贈ります。「小説が売れたら中身を贈るから」という意味です。その女の人は開けて中身がないのを見て箱を返し、手を差し出して「その指輪をはめてよ」と言います。そこで男は(本当はない)指輪をつまみ上げて、初めて女の人の手に触れてその指に指輪をはめてやる(ふりをする)、そうすると女の人はその仮想の指輪を電灯にかざして「まあ、きれい」と言うのです。その二人には間違いなく一つの物語が共有されました。
そのように物語を共有してくれる人がいたら、人は生きていけます。感情の共有でもいいけれど、できたら物語を共有する人がほしい。それには、指輪の箱などに込めた思いは受け取ってもらえるとは限らず、それどころか「馬鹿にしないで」と突き返されるのが落ちでしょうから、ふつうは言葉が必要です。しかし、その言葉というのは「うざい」とか「きもい」といった自分の気分を吐き出すためだけの言葉ではだめで、自分の心の中にあることを、たとえそれは切れ切れの思いでも、それをつなぎ合わせて物語として話さなければなりません。
けれど、過食症などに苦しむ人たちにとって、その物語は生きてきた中で安心を得られず傷ついてきた歴史ですから、自分で記憶から消して意識に上らないようにしているかもしれないし、記憶にはあってもそれが思い出されるたびによけいにつらくなるから、とても話せないことが多いでしょう。周りの人たちも、「いつまでもそんなことにこだわっていずに、忘れてしまいなさい」と言うだろうと思います。しかし、忘れられるのは言葉にできる記憶だけで、言葉にならない恐怖や不安の感情の記憶は決して消えずに心を縛り続けるから、それが甦っても大丈夫なようにきちんと処理するためには、その傷の歴史を言葉にするほかないのです。その言葉をつなぎ合わせて、自分の生きてきた歴史の物語として話さなければいけないのです。
そうだとしたら、手を差しのべる人の方は、そんなことをどうしたら話してもらえるようになるでしょうか。それには、この人には話しても大丈夫だという安心できる人間関係が必要です。その安心感はありのままの自分が受け入れられていると感じられるあたたかい心の触れあいでしか育ってこないのだ、とここで堂々巡りの議論になります。この堂々巡りをしながら、ゆっくりと進んでいくほかないのです。
手を差しのべる人は、「なんでいつまでも同じことばっかりやっているのだ、同じことばっかり言うのだ」とうんざりするだろうと思いますが、この堂々巡りを繰り返しながら、安心の体験を何度も何度も積み重ねないと変わっていけないのだ、ということを理解して欲しい。同じことを繰り返していく中で、少しずつ安心を重ねていくことが大事なのだ、それが伝えたいことです。
お達者くらぶの今後について
お達者くらぶが始まった1990年代の初め頃とは摂食障害の姿が大きく変わってきていて、お達者くらぶの意味も変化してきました。それ故、2017年の冬で四半世紀になる、そこまではこのままミーティングを中心に続けることとして、その先をどうするか、今の中心となっているスタッフが高齢化でいずれ引退しなければならない、それを継いでくださる新しいスタッフを求めることも含めて、全く別の形の活動やその組織のあり方を考える必要があります。ともかくも、皆様のご意見を聴かせていただければと思います。