福島お達者くらぶだより

2013 7 1日発行 通算 68

 

急告:8月の本人ミーティング

 813日(火)の本人ミーティングは、会場である福島学院大学・駅前キャンパスの校舎が全館閉鎖となるために、中止とします。ミーティング参加を希望する人は8月10日(土)の家族と合同のミーティングに参加してください。

 

家族ミーティング場所の変更のお知らせ

 まだだいぶんほど先ですが、11月と12月の家族ミーティングの場所が変わります。いつも行っているゼミナール室(5階)が学生の実習のために使わせてもらえないので、この2ヶ月だけは同じ建物の2階の第5講義室で行います。当日は迷うことのないように、エレベーターのところや5階のゼミナール室前などにポスターを貼るようにします。

(以前はこのようなときに4階のゼミナール室を使わせてもらっていました。ところが、県立医大・医学部の学生数が増えて、4階のゼミナール室も実習に使わなければならなくなったのだそうです。)

 

重要なご相談:本人ミーティングについて

 福島お達者くらぶでは毎月定例のミーティングを行っていますが、家族ミーティングの参加者は、数年前に3人くらいまで減少したことがあったけれど、その後は数人以上でだいたい落ち着いていて、最近では10人を超えたこともあります。

 ところが、本人ミーティングは参加者が減少していて、そのために昨年冬から平日の夜に町中の福島学院大学内で行うことにしました。これは、アルコールや他の様々な自助グループが平日の夜にミーティングを行っているのに合わせたもので、本人の年齢が上がってきているから、仕事をしている人たちが参加しやすいのではないかと考えたものです。

 しかし、この平日夜のミーティングに参加する人が半年以上経っても全く増えず、1人だけということもありました。特に、新しく参加した人で繰り返して参加する人が少ないことが目立ちます。これは何とか考えなければいけないかと思い始めています。

 そこで、これを以前どおりの土曜午後の家族と並行してのミーティングに戻すか、あるいは家族と一緒のミーティングに(正式に)統合するのが良いか、など、皆様のご意見を聴かせていただければと思います。

 

お達者くらぶのあり方自体についても意見を

 上記のミーティング参加者の減少は、今のお達者くらぶが重要性を失ってきていることを示しているとも考えられます。お達者くらぶが始まった1990年代の初め頃とは摂食障害の姿が大きく変わってきていて、お達者くらぶの意味も変化し、全く別の形の活動とその組織が必要になっているのかもしれません。

 それ故、(今すぐではありませんが)設立から四半世紀となる2017年の冬でお達者くらぶの毎月のミーティングを中心とした活動を閉じることにし、それに代わるべき活動の仕方を考え始めています。今までの中心となってきたスタッフは引退の時期に近づき、そのあとを引き継いでくれるスタッフが若い人たちの中から出てきてくれるか、あるいは別の組織に委ねることができるかなどを見ていかなければならないのですが。

 たとえば、ミーティングはネット上のグループのオフ会のように、集まってみたいと思う人たちが、随時それ相当の数になったときに呼びかけて集まってみる、というようなことなど、時代に即したやり方はあるでしょう。今までやってきたように、決まった日時に決まったところに行けば必ず仲間に会える、スタッフにも会えるという、信頼感は何事にも代えがたいとは思っているのですが。

 このお達者くらぶの存在自体についても、ご意見を聞かせていただければと思います。

 

 

放射能汚染避難者のアルコール・ギャンブルの問題

(香山の最近の論文から抜粋して書き直しました)

 福島県では、放射能汚染のために強制的に故郷を離れて避難させられてきた人たちが多数おられます。その人たち、特に高齢の人たちは、避難先で自分に適する仕事を得ることは難しいし、孤立してしまう借り上げ住宅だけでなく集合的な仮設住宅でも、近所や知り合いのコミュニティは崩壊していてお茶に集まる場所も得にくく、何もすることのない時間ばかりがある人たちがたくさん出てきてしまいました。

 それを少しでも補うために、避難者の世話に当たる生活支援相談員の人たちはいろいろな集会やお茶のサロンの開催を企画し、避難先の市町村の生活支援相談員の人たちもそれに協力しています。しかし、そのようにしても未来の展望が開けないことには変わりなく、その中でとりあえずの賠償金を手にしても、生活の再建はおろか、その日をどう過ごすのかも考えられない人は多く、朝から出かけるべき仕事・場所を失った人たちでパチンコ屋と、夕方からは飲み屋が栄える状況となっています(その飲み屋が栄える状況は終息してきているという話も聞くのですが)。

 アルコール消費量が増えているとも聞いており、必然的にアルコール依存症、ギャンブル依存症の人たちが増えてきていると推察され、関係者の多くがそのことを指摘しています。ギャンブルにのめり込む人の場合、賠償金が出ているためにつぎ込む金額が多く、勝ったときに返ってくる金額も大きいことが報酬効果を強くして、依存を起こしやすいと言っている専門家もいます。パチンコ屋がコミュニティになっていて、「今日はあの人は来ないな」といった会話が交わされるという話も聞いています。

 アルコールに関しても同じように賠償金が関係しますが、例えば漁師を職業としてきた人たちは仕事を終えて陸に上がると飲むのが生活のリズムになっているように、飲むことに寛容な文化の中で暮らしてきて、避難先で仕事がなくても飲むことは生活習慣として続ける人が多いと聞きます。それが依存状態となったり、DV(ドメスティックバイオレンス:家族への暴力で、避難者の場合、相手は高齢の親だったりするとのことです)を伴うようになる事例があり、周りが心配していることを巡回する生活支援相談員の人たちが伝え聞いて支援の手を差し出したいと考えても、本人も家族も家庭内の問題には触れて欲しくなくて扉を閉ざす人たちが多いとのことです。

 そのようなアルコールや家族関係が絡む問題には、まわりの人や生活支援相談員の人たちが手を差し出そうとしても、どうするのがよいかわからないと訴えられることが、支援員の連絡会に出席しているとよくあります。

 しかし、実際に依存症が増えているのか、正確な統計はないばかりか、調べようもない状況です。東北地方で唯一のアルコール病棟を持つ東北会病院(仙台市)の石川達院長がAA(Alcoholics Anonymous無名のアルコール依存者の会)日本ゼネラルサービス主催の市民フォーラム(大震災から約1年半後の201210月に仙台で行われました)での講演で話されていたところでは、震災前から断酒している人で飲酒に戻ってしまった人はほとんどいないとのことでした。

 一方で、震災から2年経ったところでの生活支援相談員の人たちの連絡会では、「賠償金を酒、パチンコで使い切ったという金銭問題の相談が増えてきた」と具体的に聞くようになってきました。実際に、本人も「酒を止めたい」と言うので精神科病院に入院させたのだけれど、日中に外出して飲んで帰ってくるために退院させられたという例が報告されましたが、そうなると生活支援相談員も保健師もお手上げで、仮設住宅の知り合いの人たちからお金を借りて飲むようになったのに対し、ただ周りの人たちに「お金を貸すことは本人のためにならないから貸さないように」と伝えているだけということです。その支援員の話では、そのような人たちはもともとアルコールの問題を抱えていた人たちだということです。

 また、仮設や借り上げ住宅で孤独死した人のお葬式では「あの人はアルコールの問題があった」と周りの人たちが話すのを耳にする、とも聞きました。元々はアルコールの問題があっても地域の中でカバーされていたのでしょうが、このように孤立とアルコールが絡むと、支援はきわめて困難となってしまいます。

 ギャンブル依存者についても、溺れている人を見るという報告はたくさんあるのですが、依存症者が増えているかどうか、正確な統計は見ていません。GA(Gamblers Anonymous)福島グループで尋ねたところ、避難者をうかがわせる問い合わせはあったけれど、実際にミーティングには来ていないとのことでした。一方、GA仙台グループのメンバーに取材したレポートでは、以前はミーティングに来ていた人で震災後ぱたっと来なくなった人が十数人いて、そのうちにはスリップした人がいるのではないかとのことです。

 そのように自助グループに来なくなる人たちがいるけれども、新たに自発的に自助グループに来るようになる避難者はほとんどいないと想像されます。あるAAグループのオープンスピーカーズミーティングで、元々アルコールの問題を抱えていたけれど震災後に連続飲酒になったことを話していた人が複数おられたのですが(1人は上記の生活支援相談員の話に出てきたのと同じ病院を退院させられていたそうです)、その人たちは家族や親しい人が福島県で唯一アルコール依存を中心に置いているクリニックにつなげ、その医師が依存症プログラムとAAへの参加を働きかけたことで、断酒を続けられているのです。専門家が強力に導かないと自助グループに参加することはないだろうと思われます。

 そのようなアルコール依存やギャンブル依存の問題は、本来、県の精神保健福祉センターと各地域の保健福祉事務所が担当すべき問題かと思います。しかし、(20126月時点のことですが)福島県精神保健福祉センターに併設された心のケアセンターは自殺の危険性をかかえた緊急を要する人たちへの対応で精一杯であり、保健福祉事務所も各市町村の保健師も障害を抱えた高齢者や母子などもともとの業務で精一杯で、なかなか依存症の問題まで手を出せないことが多いと、それらの分野の担当者から聞かされました。ある町の保健師が、多数の住民と一緒に避難した先で、町の正規職員として過剰な仕事を求められ、応えられないと苛立つ避難者に責められて辞めてしまった例もあります(この保健師の方は一時期お達者くらぶのスタッフをしてくれていたのですが、避難で続けられなくなったのが残念でした)。

 それならどうするか、宮城県には東北会病院があり、岩手県は国立のアルコールセンターである久里浜病院が支援しているとうわさに聞きましたが、アルコール医療などの体制が全く十分でない福島県には支援もないし、福島県の精神科医療が浜通りの相馬・双葉地方の壊滅状態となった一般的な精神医療にどのように対応するかで精一杯であることもあって、糸口が見えません。そのような中で、AA田村グループが相馬・南相馬で臨時のミーティングを企画していたりして、自助グループにつなぎ、そこに参加し続けるようにしていくことしか有効な手段はないと考えます。実際にAAミーティングに参加することで飲酒を止められている人たちがおられることが、小さいながらも光です。