≡福島お達者くらぶだより≡
2013年1月1日発行 通算 第66号
あけましておめでとうございます。皆様はどのように新年をお迎えでしょうか。
この号はメールマガジンに姿を変えて最初のお達者くらぶだよりです。携帯で受け取る人も多いので、アドレスを登録されたメンバーの方たちには元旦の朝に3つに分割して送らせていただきました。それでも長すぎて容量を超え、途中までしか届かなかったという人もおられたので、次号からはもっと短く分割して送りたいと思います。
編集する身としては、今までは紙面の4ページをうまく埋めないと形にならないというプレッシャーがあったのですが、メールマガジンならどれくらいの量になってもかまわないから、気分はだいぶん楽です。
また、今までのお達者くらぶだよりは封筒詰めやラベル貼りの仕事があったために、スタッフが集まるミーティングの日に発行していました。これからはいつ発行してもかまわないことになります。それでこの号は元旦の発行です。今後は一応3ヶ月毎くらいにと思っていますが、それ以外にも発行するかもしれません。
この形になっても、やっぱり皆様からのメイルや手紙を載せて配信していきたいので、これからもいろいろと言葉を寄せてください。
20周年記念パーティー報告
福島お達者くらぶは1992年秋の設立から20年になるのを記念して、10周年の時以来のパーティーを行いました。ほとんどの設立当時のスタッフや、初期に毎回ミーティングに来て司会し本人ミーティングのあり方を教えてくれたNABAのももえさんたちも来てくれ、さらにはその当時のメンバーや10年以上前のメンバーなども来られて、企画したスタッフとしては懐かしく、歴史を強く感じました。
ちなみに、場所は県立医大の学生食堂で、ここを使ったのは管理している県庁消費組合に頼むと食べ物・飲み物だけでなく準備から後片付けまで全部やってもらえるという楽さのためです。何人分を用意しますかと尋ねられて、予測を付けるのが難しかったのですが、とりあえず30人分と頼んでおいたら、参加者はぴったり30人でした。そのようなことは担当者(香山)だけの個人的な事情に過ぎませんが、長年の経験の蓄積を感じました。
最も印象的だったのは、この1年くらいに新しく参加するようになった人たちと古くからのメンバーの人たちが、初めて顔を合わせる人たちだのに、あちらでもこちらでも全く違和感のない雰囲気で会話されていたことです。これは見ていてうれしく、お達者くらぶはこのような場なのだと、心があたたかくなりました。
初めての平日夜のミーティング
以前よりお伝えしていましたように、12月から本人ミーティングが第2火曜日の夜に町中の福島学院大学駅前キャンパスで行われることになり、その最初のミーティングが12月11日に行われました。
どのようなことになるのか自然の成り行きを見守りたくて、事務局としては特別に個人的に参加を呼びかけたりしなかったのですが、やっぱりこのミーティングはまだ十分に浸透していないみたいで、参加者は3人だけ、それも初めての参加が2人で、以前から来ている人は1人だけでした。ただ、このところこのミーティングについての問い合わせは少し多くなっている感じで、今までとは違った状況の人たちに興味を持ってもらえているのかもしれません。
土曜日のミーティングに親しんできた人たちは、スケジュールの立て方などに慣れていなくて戸惑いがあるかも知れませんが、どんなところか一度見ておいてもらえたらと思いますので、ぜひ参加してください。このままミーティングが消滅してしまわないように、と私たちも願っていますので。
部屋は福島学院大学の心理臨床相談センターに来る子どもたちのプレイセラピーの部屋で、周りには遊び道具や箱庭療法のフィギャーがたくさんおかれていたりします。その部屋のカーペットの上に座り込んで、子供用のちゃぶ台のような小さな丸テーブルを囲んでのミーティングです。スタッフは七海さんが来てくれて、今までどおりのやり方で行われました。
ついでながら、同じ時間帯に近くの部屋ではヨガ教室も行われていました。これは医大の精神科の教授を20年ほど前に定年退職された熊代先生(だからもう80歳代半ばですが、お元気です)が主催されているもので、こちらの参加者は圧倒的に中年以後のおばさんたちでした。
第2土曜日のミーティング
家族ミーティングは今までどおり、第2土曜日に医大のゼミナール室で行われます。お伝えしているように、こちらには本人も参加してよいことにしたので、12月のミーティングには1人参加されました。実はその前の11月のミーティングにも、ずっとずっと昔にミーティングに来られていた本人の方が20周年パーティーに来るついでに家族ミーティングの方を希望して参加されました。この時は遅れて来られたために、その意向を聞いて家族会の方への出席を認めたのではなく、いつの間に座っておられたような感じだったのですが、その人も家族の方たちも特に違和感はなかったようです。
12月のミーティングでは、本人の方はそのお母さんも参加されていて、お母さんが話されるときには自発的に「退席します」と部屋を出られたのですが、お母さんが話されたのはその人が部屋に帰ってきてからで、お母さんは別に話しにくいことはないと言われていました。
このように本人が出てもよい家族会にしてみようと思ったのにはいろいろな事情・理由があります。
一つは、本人の人たちの中には平日夜のミーティングに参加するのは困難な人たちがおられるからです。土曜日なら来ることができる、その人たちの場所があるのがよいに違いありません。
昨年の1月のミーティングの経験もあります。このときは大学入試センター試験のために医大全体が閉鎖されて、お達者くらぶの歴史で初めて中止にするかという議論もあったときに、「20年間、一度も欠けることなくやってきた」と言えなくなるのは残念と、近くのレストラン(風の谷)で行うことにしました。そこでは一つのコーナーしか借りられず、本人・家族一緒のミーティングにする他なかったのですが、そのとき来られた本人も家族もふだん聞けない話を聞けてよかった、と満足されました。
また、私の親しい秋田大学の保健学科の先生が世話をされている秋田の“Dream Net”というミーティングは、本人だけでは人数が少なく、家族も一緒に入ってやっているけれど、特に困ったことはないと聞いていました(こちらは本人の会に家族も入っている、というものですが)。
もう一つは他の家族会の経験を聞いていることです。それは精神科医の渡邉直樹先生が中心的な世話をされている「食行動異常研究会Part-U」という東京の会で、それは本来は家族の会なのですが、月に1回、「当事者・親・兄弟姉妹の会」という名前の、本人も出てよい(兄弟姉妹の出席も推奨する)集まりを行っています。そこでは親と本人の衝突があったり喧嘩になったこともあるとのことですが、逆にそれが本音でのぶつかり合いを促進して、繰り返して参加するとよい方に転じていく、とのことです。
ちなみに、その渡邉直樹先生は最近、摂食障害本人として活発に活動されている野村佳絵子さん(京都の自助グループ「かなりあしょっぷ」代表)と二人で、『つなぐ・つながる摂食障害――当事者、家族、そしてあなたのために』(法律文化社、2012年11月30日発行、2400円)という本を発行されました。医師が書く本に本人も関与してきた本は今までもありますが、対等の立場で一緒に作った本というのは初めてでしょうか。
ということで、これからも第2土曜日の医大でのミーティングは本人も入ってよい形でやっていきたいと思います。これは、今までどおりに「家族ミーティング」として本人もそこに加わってよいことにするのか、それともミーティング自体の名称を変える方がよいのか、様子を見ながら考えていきますが、皆様も意見を寄せていただければと思います。