福島お達者くらぶだより
第62号 2012年 1月 14日 発行
お達者くらぶだより第62号をお届けします。
いろいろな情報を届けたいと思います
20周年記念パーティーの予告
お達者くらぶは「福島摂食障害者の会」という名前で発足したのが1992年の秋、それからまもなく会の名前を何とかしたいという声が起こって、「お達者くらぶ」とその当時参加していた若いメンバーたちによって名付けられました。その創設から、色々と試行錯誤を繰り返したけれど、何度かミーティングをセミナーで置き換えたのを含めれば、月一のプログラムは一度も欠かすことなく活動を続けてきて、今、20年目に入っています。
それが今年の11月でちょうど満20年になる、その日(11月10日)に通常のミーティングが終わったあとに、記念のパーティーを行いたいと計画しています。転勤などで福島を離れたりしている歴代のスタッフの人たちも来てくれると思います。以前にミーティングに来ていたお達者くらぶOG・OBの人たち、家族の人たちは、懐かしい顔と会えるかもしれませんから、ぜひその日を空けておいて、参加してください。
現在ミーティングに参加している現役の人たちも、回復した人たちに会える、その人たちと話せる機会になるのじゃないかと思いますから、ふだんのミーティングの日と様子が違うだろうけれど、ぜひパーティーにも参加を予定しておいてください。
この日にはお達者くらぶがモデルにさせていただいたNABAからも、最初の数年間は毎月ミーティングに来てくれていたモモエさんたちが駆けつけてくれます。その他にも、初めて福島に行ってみたい、ミーティングやパーティーに参加してみたいと言っている全国の自助グループの人たちがいて、懐かしい人たちだけでなく、ふだん会えないような人たちとも言葉を交わせるのじゃないかと思います。
パーティーは通常のミーティングが終わってから夕方に行いますが、場所などは決まりましたらすぐにまたホームページやお達者くらぶだよりで連絡いたします。
福島医学会 特別賞を受賞します
福島医学会は福島県立医科大学を中心に福島県内の医学関係者が集まって、研究発表の場である学術集会を開催したり、論文やさまざまな学術情報を掲載する「福島医学雑誌」と「Fukushima
Journal of Medical Science」という和文・英文の学術雑誌を発行する団体です。その学術活動の一つとして、福島医学会は毎年、その研究が医学や医療の進歩・発展に大きく寄与した人を表彰しています。
さらに、医学の研究ではないけれど、健康や福祉の増進に寄与したと考えられる社会活動などを特別賞として表彰してきました。今までにその表彰を団体として受けてきたのは、「パンダハウス」や「志らぎく会」などです。その活動は皆様にも知っておいていただければと思い、参考までに紹介させていただきます(この原稿を書いている香山は志らぎく会の会員であり、またパンダハウスのサポート会員にもなっています)。
パンダハウスは福島県立医大病院に入院している子どもや大きな手術を受ける患者さんの家族が宿泊したり休息をとったりする場所をごく低費用で提供する施設(県立医大病院に近い蓬莱団地にあるふつうの一戸建ての家のような建物)です。その運営をサポートする会員の寄付やバザーなどで維持されていますが、たくさんの人たちに感謝されてきたこの施設の世話をしている「パンダハウスを育てる会」(昨年NPO法人になりました)の活動が高く評価され、特別賞を与えられたものです。
志らぎく会は自分の死後に遺体を学生の解剖実習などに提供する意思を持った人たちの会です。昔はどの医科大学でも実習用の遺体を集めるのに非常に苦労していた時代がありましたが、今は福島ではこの志らぎく会を通じて十分な数の遺体が提供されるようになっています。それは単に数だけの問題ではなく、自分の遺体を提供するという尊い意思が学生諸君の教育にも大きな意味を持っていて、県立医大の学生諸君は感謝の念を持って実習に当たっている、それに対する医学関係者の敬意と感謝をこの特別賞は意味しているのだと感じられます。
そして、それらに並ぶ賞を今年は福島お達者くらぶがいただけることになりました。お達者くらぶの活動を知った県立医大の木村純子先生(薬理学講座教授)が精神科教授の丹羽真一先生と相談して推薦してくださり、福島医学会幹事会で決定されて、この受賞となりました。
授賞式は1月末頃に行われますが、その式典では受賞記念講演が行われ、代表して香山が(15分ほどですが)福島お達者くらぶの持っている意味やここまでの歴史を話すことになっています。その原稿はこのお達者くらぶだよりの次号でご紹介したいと思っています。
NABA全国大会の報告 香山雪彦
去る11月の最後の週末に、NABA(東京をベースに活発に活動している摂食障害の自助グループ、お達者くらぶ発足時にはスタッフが見学に行ったりしてモデルにさせてもらいました)が、「摂食障害だよ!全員集合」とのかけ声で全国の自助グループに呼びかけて、全国大会を開催しました。ファイザーという製薬会社の財団から助成をもらって企画したもので、参加した自助グループの代表者の人たちには旅費・宿泊費が援助されました。
福島お達者くらぶにもその参加案内が来ていて、数年以上前からミーティングに来ていて歴史や現在の状況をわかっている3人ほどの人に参加しませんかと尋ねたのですが、当日は別の用事があって都合が付かなかったり、行くと言っていた人が直前になってひどい風邪を引いて断念したりで、全国から来たグループの人たちの並ぶグループ名の中に福島お達者くらぶがなかったのはちょっと残念でした。
ちなみに会場は新宿から2駅ほど外に出たところにある国立オリンピック記念青少年センターという大規模な施設の大きな会議用(?)の部屋で、主たる催しだった土曜の午後には、ぐるっと楕円形に作ったテーブルの環にグループの人たちが座り、その外側を囲むテーブルにゲストや一般の人たちが座る、その外側にも椅子が環状にたくさん置かれていたのですが、さすが東京、たくさんの人が詰めかけ、NABAのスタッフの人たちもそれだけの人が集まるのは予想外だったとのこと、何度も隣の部屋からいすを運び入れていて、何百人かの人でぎっしりとなりました。自助グループとは直接の関係のない人たちもどこかでこの催しを知って集まってきたのです。
その土曜の午後には信田さよ子さん(臨床心理士・原宿カウンセリングセンター所長)と、生野照子さん(医師・浪速生野病院心身医療科部長)が講演され、さらに数人の自助グループメンバーが加わってシンポジウムが行われました。
信田さんは口では「私は摂食障害の人たちが嫌いです」などと言ったりしながら、このようなNABA主催の催しなどにはいつでも積極的に協力されている方です。講演でも(想像するにたぶんカウンセリングの場でも)突き放すような言葉と口調で話されることも多いのですが、その心の内側では、人(特に弱い立場の人)の心を傷つけるさまざまな状況の被害者となっている人たちへの強い想いを燃えたぎらせておられる方です。主催者NABAの人たちもそれを知っているからいつも頼りにしているのでしょう。
逆に生野さんは、「摂食障害の人がかわいくて仕方ない」「摂食障害で何が悪いねん」などと、いつも熱い大阪弁で話されます。大阪の釜ヶ崎という日雇い労働者の町のすぐ近くの病院で、大学(神戸女学院大学という関西で一番のお嬢様大学です)の先生をしている時に育てた臨床心理士たちを率いて、「診断書を書くより、申請書を書く方が多いねん」などとぼやいたりもしながら、摂食障害を一番の専門として活動されています。(この信田さんと生野さんの講演内容については次号以降に紹介させていただきます。)
その講演のあとには、今はさまざまな状況にいる自助グループのメンバーの人たちが(信田さん、生野さんを加えて)司会者の投げかける質問に対して考えを述べるシンポジウムがありました。さらに会場の人たちが発言する時間が持たれ、できるだけたくさんの人が話せるように1人は1分と決められていましたが、たくさんの人が一生懸命話していました。最後にみんなで平安の祈りを唱えてメインの行事は終わりました。
その夜は7時から、全国の自助グループの人たちが泊まり込みで来ている、その50人ほどの人たちだけの集まりでした(私・香山はNABAの友人として参加するようにと招請されていましたので、そこにも参加しました)。フルーツバスケットという椅子取りゲームのような遊びでみんなの気分をほぐしたあと、通常と同じように言いっぱなし聞きっぱなしのミーティングでした。人数が多いから一人3分と決められていたのに、みんな全然かまわずに話し続けたりして、司会者も止めなかったから、最後の方はもう時間が少なくなって一人1分なり、本当はもう建物から出なければならない10時になってやっと後片付けが始まるような状態でした。
そのあとも一晩中でも話していてよい畳敷きのかなり広い一部屋が宿泊施設に用意されていて、私も真夜中過ぎまで話していました。次の日の日曜日も夕方までプログラムがあったのですが、午前中は女性メンバー限定のミーティングで、私はたくさんの仕事に追われていたので、その日の午後のプログラムの参加はあきらめて帰ってきました。
全国大会の意義について
この全国大会が開催された意義について考えているところを書きたいと思います。
各種の依存症に苦しむ人たちの回復を図るためには自助グループへの参加が強い力になることはよく知られており、それぞれの依存症についてのグループ活動が展開されるようになっています。その中でもアルコール依存症の自助グループであるAA(Alcoholics
Anonymous)や断酒会については、全国のグループの連携や、そこへの専門職の人たちの参与があって、強力な組織が形成されています。
しかし、摂食障害の自助グループについては、特に地方都市ではこの数年になってようやく根付いてきたグループが多く、どこにどのようなグループが活動しているかの情報も十分に行き渡っていない状態です。そのためもあって全国レベルのつながりがないまま、各地のグループがばらばらに活動している状態が続いています。全国に展開しているOA(Overeaters
Anonymous)を名乗るグループでも地方によって活動の実態は相当に異なっているようであり、強い統一感のあるものではないように感じられます。
この状態では、各グループの中心的な立場にいる人たちは、グループの維持にかかる苦労やストレスを共有してもらえる場がなく、燃え尽きそうな思いを抱えながら活動している場合も多いことを見聞きしていて、実際に10年くらい前までは、地方のグループのほとんどは立ち上げた人が燃え尽きて消滅していました。この数年やっと各地の地方都市にも自助グループが根付き始めたのですが、その自助グループが活動を続けられるためには、中心的な人たちが集まってお互いに苦労を分かち合う場、そのような全国連携がほしいと考える人たちも多くなってきました。
実はそのような場になることが期待されている場がありました。それは日本摂食障害ネットワークという組織が開催してきた摂食障害フェスティバルです。これは2001年から毎年秋に大阪近辺で開かれてきたのですが、次第に全国から自助グループの中心的な人たちが集まるようになってきて、そこがその人たちの自助グループのような雰囲気になっていました。
しかし、援助職の側は少数の例外的な医師を除いて大阪周辺の人たちの参加にとどまって広がらず、資金面での苦しさも強くなっていって主催者たちが燃え尽きそうになり、ついに一昨年、記念の第10回となるべきフェスティバルは開催されませんでした。
その組織は、摂食障害の医療を担うセンターを作り、その中に専門職だけでなくもっと広い範囲の人たちが集まれる日本摂食障害協会といった名称の組織を作ることなどへと衣替えが図られているのですが、その組織をとりあえず仮にでも立ち上げて開催するのじゃないかとうわさに聞いていた集会が大震災の影響などで当分は見込みが立たない状態になってしまいました。
一昨年、上記のようにフェスティバルが開催されないことが明らかになったとき、いち早くそのことを知った香山はフェスティバルで知り合いになっていた全国の自助グループの代表者の人たちにそのことを連絡したところ、その人たちは大きなショックを受け、一昨年秋に東京で行われた日本摂食障害学会の際に集まってどうしたものかを話し合いました(香山は成り行き上その相談役とでもいうような立場でその話し合いに加わりました)。
その結果、とりあえず自助グループどうしのネットワークをネット上に立ち上げること、フェスティバルに代わる集まりをどこかで開催できないかを探ることなどが決まり、松本(長野県)の自助グループであるピアや、金沢(石川県)から始まったグループ・あかりプロジェクトなどが積極的に動き始めました。その動きは、しかし、自助グループの人たちだけではうまく統合できなかったり、そのまま尻すぼみになってしまうのではないかと危惧するところもあります。
そこで、そのような連携はどのように組織し、そこに私のような援助の専門職はどう関わり、どう支援するのがよいのかを探ることを、私は新しく就任した福島学院大学での当面の研究課題として活動を始めました。それは私が中心になってまとめたいというのでは全くなくて、中心になるのはあくまでも自助グループの人たちだけれど、私のように医師の側の事情を少しは理解していたり全国レベルの学会を主催したりした経験を役立ててもらえないか、という思いです。
そのために私は自助グループに出向いて代表者の人たちと意見を交換したり、大阪でフェスティバルの中心だった生野照子先生のお話を聞いたりしてきました。ここに報告したNABA全国大会も私は企画の段階から相談を受けたりして参加を招請されていたのだけれど、この研究の一環として大学からの出張費で参加して、NABAのスタッフの人たちの意見を聞く時間を少し(真夜中近くに)とってもらいました。
今回の全国大会は、NABAがもともと関係のあったグループだけでなく広く全国に呼びかけて行われたもので、自助グループの連携に大きな意味があったと思います。ただ、これは助成を受けて行われたもので、毎年のように開催することは出来ません。出来たらこのような集まりを定期的に開催するにはどうしたらよいか、もっと医師の側を含めていろいろな人たちと意見交換していく必要があります。特に日本摂食障害学会が中心になって運動している医療施設「摂食障害センター」の構想がどうなるかを見る必要もあるでしょう。私は今までの仕事が定年退職となった年齢で、新しくはじめた仕事は忙しいし、いつまでがんばって動けるかわかりませんが、あせらずに見ていきたいと思います
後藤 恵 先生の講演から (香山雪彦)
後藤 恵 先生は、東京の成増厚生病院というアルコール依存を中心とする依存症専門の病院の診療部長として、摂食障害についても自助活動の支援なども含めて深い愛情を持って診療に当たってくださっている先生です。
その先生がアルコール関係の会の講演に招かれて福島に来られたときの講演をお聴きしたときに、皆様にも紹介したい言葉がたくさん出てきました。アルコールを摂食に置き換えればそのまま過食症に当てはまることがたくさんあったのです。それを紹介します。
大切なことを決めるのに、迷わない人はいない。
飲むか飲まないかはアルコール依存の人たちにとってきわめて大きな問題で、そんな重大な問題に当たって迷わない人はいない、迷うのがふつうです。そこでは「やめたい」「飲みたい」という両価性を、本人の価値観にしたがって解決する必要があるのです。その際、本人に決定権があることを強調して、そのように伝える必要があります。なにしろ、本人こそが自分のアルコール依存症の専門家なのですから。
治療者はその両価性の一方の肩(ふつうは止める方でしょう)を持ってはいけません。それをすると、それに反発して反対側の行動へと導いてしまうことにもなるからです。そこでは、例えば飲酒のよい点をあげてもらうことも必要です。そうしていきながら、なりたかった自分と、実際の自分を、自分で比較してもらうようにすることが大事だと思います。
そこで治療者は何よりも寄り添う気持ちを持って、その生きてきた姿への共感を態度に出して示すことが大切です。
そうして、「自分には力があるのだ」という感覚が育つように援助するべきです。患者さん自身が変わっていく自分について話しをするように導いてあげられればと思っています。
酒をやめるのは最終目標ではなく、それは人生の通過点である。
(このことについてはこれ以上のメモが残っていないので、ここからは香山の補足です。)
それじゃ何が目標なのかは言われたのか言われなかったのか覚えてないのですが、それはそこから先の自分の人生をしっかりと幸せに生きることでしょう。
過食でも、「この過食さえ止まれば・・・」と考える人は多いですが、それを止めるのは目的でなく、その先に自分が生きたい世界を作っていく、そのステップなのだと考えなければならないのです。実際、過食が止まったら自分が何をしていいのか戸惑ってしまう人たちもたくさんいます。そのためによけいに苦しくなってしまう人もいます。
(もう少し香山の補足です。)
共感ということに関しては、数年前にセミナーの講演に来ていただいた大河原昌夫先生も、「一人の摂食障害の人に出会い、もっと話しを聞きたいと思い、共感する衝動を直感できなければ、治療を引き受けるのはどうかと思う。」と本に書かれていることと共通しているでしょう。大河原先生はさらに「摂食障害の相手を好きになっていない治療者の多いことに違和感を感じる」とのこと、私は皆様が大好きです。
福島お達者くらぶ連絡先
お達者くらぶの連絡先は次の通りです。
電話:070-6622-8026(お達者くらぶ専用)
メイル:y-kayama@fmu.ac.jp
郵便:960-8505福島市本町2-10
福島学院大学駅前キャンパス 香山研究室気付
電話は呼び出し音が20秒鳴っても出ないときには留守電(伝言メモ)につながり、「はい、福島お達者くらぶです。今、出られませんので、メッセージをどうぞ。」との音声が流れます。録音可能なメッセージは約15秒以内です。それも、4件までしか録音できません。留守電を聞いて、必要な場合にはこちらから電話しますが、この専用電話はほぼ着信専用なので(この電話からかけられるのはあらかじめ指定した3つの電話番号だけという契約になっています)、別の番号の電話からになります。
何故こんな制限の強い電話をお達者くらぶ事務局として使っているかというと、料金が圧倒的に安いからです。こちらからかけることがないから基本料金だけですが、一月に1000円以下ですんでいます。
連絡はなるべく手紙かメイルでいただけたらと思いますが、お達者くらぶやミーティングについての問い合わせなどは遠慮なく電話してください。初めてで様子がわからない方もどうぞ電話してください。香山は会議や講義で不在になっていることもあるので、一回でつながらなくてもめげずに、何度もかけてください。
ただし、個々の問題についての相談には応じられません。それは、全く同じように見える人でも、例えば抱きとめてあげるのか、逆に突き放してただ見守ってあげるのがよいのか、人によっても、その人の時期によっても、全く違った対応が必要になることが多く、それは長い時間をかけて何度も何度もお話を聞かないと判断できないことで、電話では責任ある対応ができないからです。ご理解ください。
お達者くらぶやミーティングについての案内は、様々な情報とともに、ホームページに出ています。アドレス: http://www.geocities.jp/fotassya/
すごくきれいなページですし、メッセージや過去のお達者くらぶだよりなども出ていますので、ぜひ開いてみてください。