〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉

40号 2006 7月 8 発行

 

お達者くらぶだより第40号をお届けします。

 この会報を編集している香山です。お達者くらぶだよりがこれで40号ということは、ほぼ3ヶ月毎に発行してきていますから、10年経ったということになりました。この10年、やっと発行したと思ったらすぐに次の号をどうするかに頭を悩ませることが多く、原稿集めにいつも苦労してきました。自分で書いた原稿で埋めることも多く、時にはいい加減な内容の時もあったと自分でも感じるときがあり、全く申し訳なかったと思います。

しかし、このたよりが届くと、まだお達者くらぶが続いているのを知って安心していただいたり、ミーティングに出ていたのはずいぶん昔でそれから長い時間がたったのをしみじみと思い出してもらえたり、皆さんからの手紙などに共感して励まされたのを手紙で知らせてくれる人たちがいて、何とか続けてきました。

 この間、お達者くらぶの性格はずいぶんと変化してきました。それは自然の流れの中で起こってきたことで、スタッフはどのような会にすべきだと誘導は全くしていません。それが世のニーズに沿うことだろうと考えます。しかし、何度か危機的状況も経てきました。そして今また、ミーティングは大きな曲がり角に来ている感じもあって、前号にも少しそのようなことについて書かれたお手紙を載せましたが、この号でもそのようなことに触れたお手紙を中心に編集してみました。もちろん、お手紙はここに乗せていいと言っていただいたものです。内容の流れをわかりやすくするために少し編集することも許していただきました。とにかくお読みいただければと思います。

 

 

2年半ぶりにセミナーを開催します

 福島お達者くらぶは1992年に創設されて以来、数年ごとに公開のセミナーを開催してきましたが、今年の秋にまた開催したいと計画しています。日時と場所は下に書くとおりです。

過去のセミナーのことはお達者くらぶだより32号(20047月発行)に報告してありますが、今回も援助職の専門家の講演と、本人および家族の方からのメッセージを予定しています。きっと内容の充実したセミナーになると思いますので、できるだけ時間をあけておいて、参加していただければと思います。

 

 

福島お達者くらぶ主催 第5回摂食障害セミナー(第1報)

 

このセミナーは、拒食症・過食症などの摂食障害に苦しむ人たちとその家族のグループである福島お達者くらぶが、この病気(??)の本当の姿を知ってもらい、これが決して精神的に異常だから起こるものではないし、決して治らないものでもないことを伝えるために、公開で開催するものです。

 

日時: 200611 4日(土曜) 午後1時〜4時半頃

場所: 福島県立医大 臨床第2講義室(いずれ詳しく案内します)

 

プログラム1:基調講演

              「家族への希望と哀しみ〜摂食障害の経験から」(仮題)

               講師: 大河原昌夫

                            精神科医 住吉病院(甲府市)副院長

                            著書:家族への希望と哀しみ:摂食障害とアルコール依存症の経験

 

プログラム2:体験談

              体験談1:摂食障害に苦しむ本人

              体験談2:摂食障害に苦しんだ方の家族の方

              会場からの声(聞いていて発言したくなった方)

 

 

ななみさんとのメイルと手紙の交換

 

2006-4-8メイル受信:香山先生へ)

夜遅くにメール連絡することをお許しください。    

最近、私はお達者くらぶミーティングに参加するといつも疲れを感じていました。物理的に遠いと感じているからだとばかり思っていたのですが、今日家についてから気付いたことがありました。それはお達者くらぶには必ずひとりスタッフさんがいる、ことで、私の攻撃したい気持ちがうずく、ということです。係の方がどうこうというのではなくて、本人以外の人が同じ空間にいること、そして母親と同じくらいの方というだけで、私はその方に向かってメッセージを投げ掛けている自分に気付きました。だからいつも疲れてしまうところがあるのかなと。

私は別のミーティングにも出ているのですが、そこでは仲間に対して語ることをするのに、お達者くらぶでは親には期待しないほうがいい、というような、どちらかと言えば親に対して反攻的な、攻撃性をおびたようなメッセージをしてしまいます。それはスタッフの方がいるからというよりは私自身の問題、課題なのだけれど、完全な本人のみの空間ではないような感覚を私はもっているのだなぁと、今日気付きました。これは私だけの感覚なのだろうか。

仲間にきいたところ、父に対して不信感がある子はもしスタッフの方が男性だったら居心地悪いかもということでした。それで少し納得がいきました。

ありがとうございましたm(__)m

 

2006-4-10メイルで:お達者くらぶミーティングについて)

 メイルを読ませてもらうのが月曜日になってしまいました。お達者くらぶのミーティングについて書いてくれて、ありがとう。お達者くらぶのミーティングがかかえている問題は私たちも繰り返し検討していて、あるところで本人たちだけにまかせてスタッフは入らないようにすることも考えました。しかし、私たちもお達者くらぶに対するニーズを知っておく必要があり、また、この数年ではたった1回だけですが話が危険な方に展開したので介入が必要だったことがあって、スタッフが入るようにしています。

 さらに、あなたもわかると思うけれど、グループを本人たちだけで維持していくのには相当な努力が必要で、それにはそれなりの年を重ねた意識の高い人たちが必要となるのに対し、ただ自分の問題だけで精一杯の人たちがとりあえずたどり着く場所として、自分では何もしなくてもそこに行けばいつも行われているという、お達者くらぶのような場所も意味があると思っています。自分たちのグループを自分たちで作っていきたいという人たちの自助グループと共存していければ、というのが私たちの願いでもあります。

1990年代に福島県でもいくつかのグループが立ち上げられたけど、時代が早すぎたのか個人が燃えつきたりして閉じられた中で、大都会は別として地方にはほとんど根づくことのなかったグループを十数年前から続けてこられたのは、スタッフがそれなりに努力してきたからだと思っています。とは言え、今はあなたが参加しているお達者くらぶ以外のミーティングも続いているように時代は変わってきていて、お達者くらぶを今後どうするかについて、スタッフも真剣に検討を続けています。その検討にあなたのメイルも参考にさせてもらいます。ありがとう。それじゃまた。 香山

 

2006-4-13手紙受け取り)

こんにちは! ミーティングについての返信メール、本当にありがとうございました。

 メールがすぐに返ってこなくても、すぐに返事がほしかったわけではなくて、ただ私が感じた事を伝えたい(聞いてほしい)と思ってメールしましたので、月曜日に返事が来て、しかも分かりやすく書かれてあって、びっくりした位でした。

 私が出ているもう一つのミーティングではいろいろな係が決められていて、最近ようやくあまり係を兼ねなくてよい人数が集まれる状態になっています。このミーティングを立ち上げた仲間は本当にすごいと思います。大変だっただろうなと。

 自助グループの存続には先生がおっしゃる様に多少努力が必要になって、仲間の中には存続の不安を持っていた子もいます。私は会場さえあれば大丈夫だろう…くらいにしか思っていなかったので、「存続不安がある」ことを伝えられた時にびっくりした、のも正直な気持ちでした。(びっくりしたのは、仲間が係を一生懸命やってくれていたことを知らずに、私があまりにも、係をすることに責任を感じていなかったからだと思います。)ここにはアルコール等の他の自助グループもあり、他のグループにも参加している仲間もいて、私の参加している以外のグループには先行く仲間がいるのに対して、私たちのところにはいない…ことも 不安材料のひとつだったようです。

 私たちのところは20代〜30代という若い仲間のグループになっていて、ステップを踏んでいる仲間(ベテラン)がいません。それは確かにここにいて治るのだろうか…という不安を持ってもおかしくないというか、安心感を持てない気持ちもよくわかるし、私もそうでした。

 ただ、この1年 決まって参加している仲間数人はそれぞれが成長しているのも、感じられる様になりました。1回来てもうやめる ではなくて続けて通ってみることの大切さを実感しているところです。(グループ全体が成長しているので、その中にいると、時に成長は止まって見えますが。)

 お達者くらぶは私が初めて参加したグループでもあって、本当にお達者くらぶがあって良かったと思うし、これからもあってくれたらうれしいです。特に、親のミーティングというのはお達者くらぶでないと(リーダー的存在、まとめてくれる存在がいるグループでないと)成り立たないのではないか…と思います。

 1度、話が危険な方に展開したとのことで、やはりそんな時は第三者の目(視点)は必要だろうと思います。特に、毎週行われているグループと違って、月に1度のミーティング内でゴタゴタしてしまうと、一つの自助グループを離れるだけではなく、自助活動そのものからも離れてしまう可能性は高いと思いますし。そして、本当に自分が何もしなくても、そこに行けば必ず行われているミーティング、温かい場所があることは、本当に助かります。

 それから、親自身がそういう場を必要としていただろうと思うし、今もそうだけれど、以前(まだ親と一緒にミーティングに行っていた時に)、親自身がミーティングに出席した日はニコニコ(スッキリ)して帰ってくる姿を見て、それだけで肩の荷が軽くなるような、安心するような感覚を持ちました。(変わる必要があるのは私じゃない!親自身だ!と思っていたので、ミーティングに足を運んでくれていたことはうれしかったのです。)そして、ニコニコしている姿を見れてうれしい、という気持ちだけではなく、私もスッキリしてみたいと感じ始め、今私が行っているグループにも行ってみようという気持ちも生まれたのです。

 自助グループを成り立たせるのは ひとすじ縄ではいかない事もなんとなく感じています。ミーティングだけするのであればすぐに出来るとは思うけれど、境界線がしっかり出来上がっていないのも特徴の私たちにとっては、フェローシップの時間の使い方、また、連絡先を教えてもよいかどうか…などという調節の仕方(他人との距離の取り方)等で問題が起きたり悩むことがあったりしてしまうのも事実です。(ただ、最近はそういう事をメンバーひとりひとりが乗り越える力がついてきているような気もします。)

 本当に、地方では自助グループが根づきにくいですよね…。地方ならではの(特有の?)うわさ話にもなりかねないし、遠くの(誰も私の名前を知らない)自助グループになら行けそうな気もする…という事もありますし。

 私はもう一つ参加しているところがクローズドで本人のみのグループだから、それに慣れたこともあって、今回の違和感に気付けたのだと思います。つまり私が“オープン”に慣れていないということだと思います。

 ただ、何回かお達者に行っていますが(初めて行ったのは9年前)スタッフの存在は常に気にしていたように、今、思います。何かの資料にするために話を聞いているのだろうか?という疑問があって。

 というのは、私が18歳で初めて神経科の先生のところに行った時に、ただでさえ、「何で自分がこの科にかかる必要があるの!」とショックと否認、怒り、不安があったのに、医大の学生(しかも皆男性で同年代の人たち)5〜6人が単位の為なのか何なのか、メモをとりながら、私の診察の見学(私としては見学された気分でした)をした…という経験があったので、実験台!? という怒りと恐怖があったからです。私はつらくてつらくて、涙を流し、鼻も出て、「ティッシュを下さい!」と言って、はずかしいけど、涙も鼻も出るというそんな状態で、学生にメモをとられながら診察したという経験があるから余計そんな風に感じてしまうのでしょうが。

 そしてメールでも伝えたように、私は母に対して強い憎しみ(強い悲しみ)を持っていたので、母と同年代のように思われるスタッフさんに無意識にメッセージを投げていたのだと今回ようやく気付きました。それはお達者くらぶの場に限らず、“母親”という存在そのものに対して、特に子供を苦しめるような子育てをしている親に対しては、フツフツと沸き上がってくる「伝えたい!できれば一言、言いたい!」くらいの衝動に駆られることはたびたびありました。今は境界線を引くように心掛けているし、そういう衝動にまかせて発した言葉は相手を傷つけることもわかってはいるので、なるべくひと呼吸おいてから、それから言葉にするようにしています(伝える場があったり、相手がメッセージを受け取ろうという姿勢の時には)。なので、スタッフさんがいることが悪いのではなくて、いることで(特に母親のようなスタッフさんだから)意識してしまう私の方に課題があることが分かっただけのことです。

 もし、出来ることなら、スタッフさんが部屋にいる理由(意味?)か、それでなければ、スタッフさんがいるけれども気にしないでOKですとか、安全ですなどという説明があるといいなぁ〜とは思います。

 最近、手紙を書こう書こうと思いながらも、手紙にする程のことではないのではないか?とか、書くまでのエネルギーがなかったり、先延ばしにしたりなどと、なかなか書くことができずにいたのですが、良い機会なので手紙にしてみました。いつも乱筆で申し訳ありません。

P.S. お体に気をつけて下さいネ!さらなるご活躍(ご多幸の方がよいのかなぁ〜)を心よりお祈りしています。また連絡させて下さいね。

 そう言えば最近 母や父に「ありがとう」が言える様になりました。

 

2006-4-13手紙で:たっぷりの手紙、ありがとう)

 たっぷりと内容のある手紙をありがとう。スタッフのいる意味について、何かの資料にするのだろうかといった疑問が生じることは、私たちも知らないわけではないのだけれど、あなたの書いているように、ちゃんと説明する必要がありますね。特に僕は家族ミーティングで話を聞きながらメモをとっていくので、本人ミーティングよりもっと研究材料に使われると思われかねないですよね。そこでメモをとるのは、ただ聞き流さないためと、経過を理解しやすくするためで、決して論文などに使うことはないのですが。

 僕たちはミーティングで聞いたことを論文などに使うときは、必ずその旨を当人に伝えて許可をもらうことにしています。そして、家族ミーティングでは折にふれてこのことを説明していますが、そういえばこの最近はその説明をしばらく忘れていたことをあなたの手紙で思い出しました。来月またちゃんと伝えます。

 あなたがミーティングに来たのは9年前とのこと、僕は5年くらいかと思っていたので、驚きました。そのくらい長いと、ミーティングの性格がだいぶん変わってきているのに気付いているでしょうね。

 まず変わったのは、昔は中学生や高校生がいっぱいいたのに、今は10代の人は一人もいないことです。時に来ても、20代半ば過ぎくらいが中心の雰囲気が合わないのでしょうね、すぐに来なくなるようです。若い過食の人がいないわけではないのに、これは何が変わったのでしょうか。僕たちはそのことを一生懸命考えています。一番は、食べ吐きなんか当たり前のようになって、自分だけがおかしいのだと思って隠す必要がなくなって、すがりつくような思いでミーティングにたどり着く必要がなくなってきたのでしょう。

 リストカットだって同じで、今は隠さない人たちも出てきています。そのように、食べ吐きやリスカをしていたって、特に仲間に出会って苦しさを隠す必要のない安心を感じたりすることに対するニーズが大きく減少しているのだろうと思います。となると、お達者くらぶだって自助グループだって、この先どうなっていくのでしょうね。それを僕たちは真剣に考えているのです。結論は急がないけれど。まあ、また秋くらいにセミナーをやろうと思っていて、そうすれば参加者がまた少し増えるかもしれません。

 大学病院の診察は、特に偉い先生の時にはどうしても学生の教育を兼ねなければいけない場合もあって、患者さんにはつらいですね。けど、そのようなときには患者さんに対するいたわりと謝りの気持ちを込めて状況を説明し、協力をお願いする必要がありますよね。そのような配慮は少しずつ進歩しているのだけれど、忙しさに追いまくられてつい忘れがちになります。僕も学生たちの授業の場で折にふれて伝えるように努力しましょう。

 手紙を読ませてもらって、メイルで返そうと思って250文字(このフォーマットでは6行)単位で書いてきたのだけれど、あなたがたくさんのことを書いてくれたので、僕も結構たくさん書いて、これだけの量を携帯のメイルで出したのでは前後のつながりもわかりにくくなるだろうから、手紙で出すことにしました。ようやく桜が咲き始めました。今から次々と花が咲いていきます。季節を楽しんでください。それじゃまた。

2006413日       香山雪彦

 

2006-4-17手紙受け取り)

 お手紙ありがとうございました。この前の手紙は夜、横になって思いつくままに書いてしまったので、まとまりがなかったかと思います。それでも、ずっと手紙を書きたい、書いて気持ちの整理をしたいと思っていたのがようやく形になっただけですっきりしました。

 また手紙を書かせていただくのは、「完璧に考えをまとめてから」形にしようと先延ばししないためです。いくつかお返事したいことが今あったのもありましたし。

 返事をしたかったこと ひとつめ。

若い人が20代半ば〜過ぎくらいの雰囲気になじめないからか来なくなってしまうことについて。 私は9年前に感じたことを思い出しました。まず、年上の人たちの中で同時に2つのことを感じました。ひとつは安心感。「まだ若いから大丈夫だ」、とか、大丈夫だよと(先行く)仲間から声をかけてもらえたことで、ひとりじゃないんだなぁ〜と、ほっとできました。

 そしてもうひとつは、「私はここに長居したくない、今のうちに早くよくなって、年を重ねる前にここから抜け出したい。20代後半までそんな(こんな)苦しみからさよならしてやる」という気持ちでした。

 下線のふたつの気持ちは、今思えば傲慢そのものだと思います。(結果的にまだ苦しみの中にいますし。)どこか、若い時(何年か前のことですが)は“ひとりで頑張って治せる”と思っていたことは確かだし、自助グループの意味(価値)も今より浅いところでしか分かり得ませんでした。

 苦しみさえ分かってもらえて、今までのこと、今のこと、これからのことを話せればそれでよいと思っていました。そうやって思いつくまま自分を表現していけたら、人を許せるようになって、うらみ憎しみも消えていくと思っていました。

 今は、意識して“棚おろし”をすることの大切さを感じているのです。生き方の棚おろし。そしてそれを仲間に聞いてもらうこと。

 そうすることで、自分にこんな欠点があって不十分な存在なのかと知り、それを知ることで、相手を許せるようになるのです。(なった、という方がいいのかな。)

 人は弱くて欠点だらけ。それは私も同じことだった。嫌いな人、苦手な人は、自分が出来ないことをスルリと出来てしまう人だったり、本当は自分と同じだから嫌だったりもする… そんな事が少しずつ気付けるようになるのですね…。棚おろしはある先生に勧められました。

 私は男性がどうしても許せない!! と言った時、その先生が 棚おろしをすると少し見方が変わるよと教えてくれました。疑いを持ちながら(こんなに男性が許せないのに、棚おろしくらいで変わるものかというような)も、少しずつしてみたら、だめな自分、弱い自分が見えてきて、それでも(だめな自分、弱い自分でも)いいんだなぁ〜と受け入れられるようになってから、他人をも許せるようになってきました。

 話がズレてしまいました…。リストカットは今本当に多いらしいです。ある高校に勤めていらっしゃる養護の先生が言っています。ファッションのように軽い気持ちでやっているのだろう〜というような本人に対するとらえ方を、周囲の人が持つようになっているからか、本当に苦しいんだ!と必死に訴えなくても、必死に自分に向き合わなくても、他人に「その傷どうしたの?」と聞かれた時に、リストカットのあとだよ〜と言える、それをまわりも「そっかぁ〜」と聞き流してしまう(しまえる)ような状況があるような気もする。。

 それはどういう事なのか(良い風潮なのかどうか)は別として、私はリストカットしないので、しない側からしか見えていないのだけれど、“リストカットをするんだぁ〜”と告白されても、摂食障害と同じく苦しい中での大切な生き延びる手段だから、私はそれ程びっくりしない訳です。理由はともあれ、びっくりしない人が周囲に増えてきているのかな とも思います。

 私が出ている別のミーティングにも新しく参加して1度きりで来なくなってしまう人が多いです。その中で、ある方の例を挙げると、「こんなに悩んでいる人がいるのか〜と思ったらスッキリして(安心感を得た)症状が止まった」という仲間がいます。私もそうでした。それ程の安心感を得られました。幸せで、症状も軽くなりました。

 けれど…… それはハネムーンと同じ。。でした。また苦しくなって、行っても行っても満足感が得られない時期がしばらく続きました。“続けて行ってみる”ことの意味、大切さを私は先生からの手紙で教えてもらえたから、とりあえず、行ってみる、行き続けてみることが出来ました。

 行き続けてみることの意味を 知識、情報としてだけでも知っていることは大きいことかも知れません。自助グループに何で私が行かないとならないのか?という怒りや、否認が、心のどこかで必ず(大なり小なり)みんなもっていると思うので(自助グループに行くのは時に嫌なのです。向き合いたくない時があるのですよね…。)、自助グループの効き目を体で感じるようになる前に離れる… ということはあり得そうです。でも私は、先行く仲間の方に「どこへ行ってしまったの?」と意識が向きます。

P.S. 結局またまとまりもなく、流れのままに書いてしまいました。とりあえず、書いてみたことを、とりあえずポストにだしてしまいます。

 

2006-4-17メイルで:手紙をありがとう;続きです)

 またまた手紙をありがとう。このところえらく忙しいのと、今日は体調が少し悪いのとで、うまく言葉が出てこなくて、ちょっと素っ気ない事務的な手紙という感じになるかもしれませんが、ごめんなさい。このところ何度かもらったメイルや手紙(もちろん今回のも)と、それに対して僕が書いたことは、お達者くらぶミーティングにかかわる重要な問題点をたくさん含んでいると感じます。それで、それらをお達者くらぶだよりに載せさせてもらえないかと考えています。

ただ、もらったメイルや手紙のままでは不都合なところもいろいろあります。そのあたりは僕の方で編集させてもらえたらと思っています。編集した結果はあなたに見てもらってそれでいいかどうかを尋ねます。そのあたりについて、返事をもらえたらうれしいです。(特に、他のミーティングのことはどのくらいのところまで書いていいのか、判断は難しいのですが、できるだけ名前は出さず、名前はなくても分かりそうなところは全部削除して出さないようにしようと思っています。)今日はこれだけでごめんなさい。またそのうちに。香山

 

2006-4-17メイル受信:こんばんは(^-^))

みんなに伝えるため用、の文章にはしていなかったので、そのような返事が返ってきたことには驚きました。なので、編集は大変かもしれませんが、例え表現が変わったとしても、順序が入れ替わったとしても、どんな形になっても私は構いません。もし使えるところがあれば使ってください(o^o^o) もう少し人に伝えるための文章にするのだった…とか、まだ伝えたいことが他にある気がする…とか、あるけれどうれしいです。どうぞそうしてください(^-^)

 

2006-5-5

 いただいたお手紙などをお達者くらぶだより用にワープロに打ち込んでいると、2通目のお手紙にはまともに答えていないことが分かりました。ごめんなさい。完璧な手紙なんて書こうとすると絶対にいつまでも書けないから、とりあえず思いついたことを書くことでいいのです。迷ったら、書いたものをポストに捨てるくらいのつもりで。

 傲慢だったこと、棚おろしのこと、そうだよね、そうだよねと頷きながら読ませてもらいました。リストカットする人のことは、私もようやく分かってきていたとおりのことが書かれていて、私のとらえ方が間違っていないことを納得しました。

 お達者くらぶミーティングでも、もう来なくなってしまった人たちの多くは、まだ完全に問題が解決されていなくても、とりあえずは何とか生きられるようになって、そうすると現実の仕事などが忙しくなって心もそちらに向かうことが多くなって、ミーティングから足が遠のくことが多いのじゃないかと思います。それはそれでいいのじゃないかとも思います。生きられてさえいれば、“日にち薬”の言葉のように、時間は薬として作用しますから。

 

 

講演会のご案内

《お達者くらぶメンバーの方から、仲間で自主的に講演会を催したいのだけれど、その案内をお達者くらぶだよりに載せてもらえないかと依頼されましたので、以下にそれを載せます。》

 

テーマ:「家族の外側へ〜アディクションからの回復」

内容: 摂食障害、リストカット、ギャンブル、アルコール、薬物、引きこもり、

ニート等の依存症に苦しむ方への回復者からのメッセージ

 講師:  一生(こん いっしょう)さん

 場所: 郡山市中央公民館

 日時: 10月1日(日曜)

     詳細は決まりしだい http://blog.goo.ne.jp/tukitukienen で公開します。

 

講師の今一生さんは音楽制作などを手掛けるフリーライター&エディター、作詞家で、また「生きちゃってるし、死なないし」など多くの本の著者です。テレクラ依存で苦しんだ経験談を交え、生きづらさを解消し、生きている実感を得るにはどうすればいいのかについてお話しいただきます。

参考:今一生さんのホームページアドレス http://www.createmedia.co.jp/index.html

 

 

福島お達者くらぶ連絡先

960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座 香山雪彦

電話(直通):024-547-1134  FAX024-548-2571 メイル:y-kayama@fmu.ac.jp

お達者くらぶやミーティングについての案内はホームページに出ています。アドレスは長いので、Googleやヤフーで「福島お達者くらぶ」を検索するのが便利です。