〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉

38号 2006 1 14 発行

 

お達者くらぶだより第38号をお届けします。

 この号では、12月のミーティングの時に行われたクリスマスパーティーのことと、昨年秋に仙台で行われた日本嗜癖行動学会のことを報告させていただきます。嗜癖行動学会というのは変な名前の学会ですが、トラウマに基づく苦しさに由来するさまざまな依存症などが主たるテーマとなっている学会です。

ちょっと脱線しますが、その「トラウマ」という言葉は、もともとは外科の用語で、ただ外傷(けが、きず)を意味するものでした。例えば、19915月に福島市に外国人がはじめて100人近くも集まったInternational Neurotrauma Symposiumという国際学会が行われたのですが、このとき集まったのはNeurotrauma(神経外傷)という脳や脊髄の外傷を扱う脳神経外科などの専門家たちでした。

その「トラウマ」という言葉が最近では心の傷の意味で使われることが多くなってきて、ジュディス・ハーマンという精神科医が、統合失調症やうつ病を中心としてきた従来からの精神医学の中に、心の傷に基づく苦しさを訴える人たちを一つの大きな領域として主張した有名な本は、心という言葉を使わず、Trauma and Recoveryという題名でした。しかし、その本を翻訳した中井久夫先生は、Traumaをただ外傷と翻訳したのではわかりにくいからと、「心的外傷と回復」という題名にしたように、外科の外傷と区別したい時には心的外傷を言います。

中井久夫先生は、もう数年前に大学を退官されましたが、統合失調症の大家として非常に有名な方です。心的外傷という従来の精神医学の枠組みからはずれた分野の本を、オーソドックスな精神科を代表するようなその中井先生が翻訳されたことは大きなことだったと思います。その本を翻訳されたのは、神戸大学の教授をされていた時に阪神大震災が起こり、その救援チームの中心になることになって、自分にはトラウマの観点が不足していたと感じたからだと、後書きに書いておられます。その翻訳にあたっては、ふだん使い慣れていなかった言葉について、自分よりはるかに若いけれど犯罪被害者救済の中心として活動されていた小西聖子(こにし たかこ)先生に教えを請われたとのことで、本当にえらい人は謙虚に誰にでも教えを請うことができるのだ、ということにも感銘を受けました。

 

 

お達者くらぶクリスマスパーティー

 12月のミーティングでは、2年ぶりにクリスマスパーティーが行われました。これは、11月の本人ミーティングの時に、今年はクリスマスパーティーをやろうということに、急に話が出たものです。1ヶ月しか時間がありませんでしたから、このことをメンバー全員にお知らせする余裕がなく、とりあえずこの2年間で2回以上出席された人たち(本人)に手紙で連絡させていただきました。手紙の内容は次の通りです。

 

福島お達者くらぶメンバーの皆様

 寒くなってきました。つい外に出るのがおっくうになったりする季節でしょうか。夜などは、外に出ると思わず立てた襟元を合わせたくなりますが、空気が澄んで、今、地球に接近している火星が愛おしくなるほど赤く真上に輝いています。晴れた夜にはぜひ見上げてみてください

 11月のミーティングの時に参加されていた本人の人たちの中で、次の12月のミーティングではクリスマスパーティーをやりたいねという話が出て、それじゃやろうということになりました。参加する本人たちでやろうということですが、その案内を出すのだけはスタッフの方で協力させてもらうことにして、この手紙を出しています。

もうすぐのことだから大々的な準備は困難だし、メンバー全員に呼びかけるのも難しく、この手紙は福島お達者くらぶミーティングに最近の2年間で2回以上参加された方々に送っています。

 都合のつく人はぜひ集まってみませんか。形式張ったものじゃなくて、いつもよりちょっとだけ華やかな会になればと思いますので、気楽に来てください。

 それじゃお待ちしています。

 

というわけで、案内しなかった皆様、ごめんなさい。しばらくミーティングに行ってないけれど、そんなパーティーをやるならぜひとも行きたいという方はその旨を連絡してください。次から、必ず連絡します。(連絡先はこの会報の一番最後に書いてあるところです。)

 パーティーを具体的にどうするかは、2年前にやったのを参考にして準備しました。といっても、大々的なことをしたのではなく、部屋を飾り付けたのと、ケーキとお菓子とミカンと飲み物を用意しただけです。それらをきれいなビニールの袋に一人分ずつ詰めて配りました。飾り付けは本人の方の部屋だけでしたが、ケーキ・お菓子・ミカンは家族の方にも出しました。(お裾分けみたいな感じもします。)

 部屋の飾り付けは写真を見てください(カラーにできなくて、ごめんなさい)。使ったものは100円ショップで買いました。今はいろいろこのような道具を手に入れやすくなって、なかなかいいと思いました。(これを書いている香山は昔の人間で、どこにどんなものを売っているのか知らず、若い人たちにはかないません。)ちょっとだけ早い目に出てきて、机の上に立ったり脚立によじ登ったりして貼り付けました。入り口も写真のように金色の鎖のアーチをつけてちょっとだけ華やかにし、毎月出している看板もちょっと飾りを加えました。

 ケーキは、参加者が何人いるかわからないからプチケーキにしました。人数が多くても大丈夫、少なければ2つずつにしたらいいし、ミーティングでは食べない人も持って帰りやすいでしょうから、そうしたのです。12種類みんな違ったもので、どれを選ぶか迷った人もいたのじゃないかと思います。

 というふうに用意したのですが、ミーティングの当日は、朝はただの雨だったのですが、9時過ぎから少しずつ雪が混じりだし、一時は前も見にくいようなひどい雪になって、福島盆地よりも一段高いところにある医大ではあっという間に真っ白になってしまいました。予約していたケーキをとりに行かなければと11時くらいに出ると、4号線に出たとたんに車はのろのろ運転の渋滞、これは困ったとすぐに側道に入って、車がすれ違うのが難しいくらいの地元の人しか知らない裏道を下りました。しかし、ちょうど1週間前にかなりの雪が降ってほとんどの人はタイヤ交換済みだったのでしょう、帰りの上り坂は普通に走れました。

 それでもこの突然の雪で、参加者はだいぶん減るだろうなと思わざるを得ませんでした。実際そのとおりになって、残念だけれど行けませんというメイルが何人か入ったし、本人の参加者は5人だけでした。山を越えて来なければならない人たちはとても無理だったし、天気には勝てないですね。それでも、もう1年以上も参加していなかった人も来たり、そうするとちょっと違う雰囲気の話が出たりしたそうで、ミーティングとしてはよかったと思います。

 今後もまたこんなパーティーをするかどうかは、参加している人たちの考えにまかせたいと思います。だいぶん以前には毎年パーティーをやっていたことがあったのですが、参加しなければいけないというプレッシャーがあって苦しく感じる人たちが増えてきたので、やめました。2年前も、今回も、メンバーの方から話が出たものです。今後も、スタッフの方からやろうとはあまり誘いませんが、やりたいということになったらしっかりと協力しますので、積極的にみんなで話してみてください。

 

 

 

(写真:省略)

 

 

 


日本嗜癖行動学会の報告:「家庭内の暴力」について    (香山雪彦)

 日本嗜癖行動学会というのは、良くも悪しくもカリスマ的な精神科医である斎藤 学(さいとう さとる)先生を中心とする、こぢんまりとした学会です。私(香山)は、この学会が発行する「アディクションと家族」という雑誌を定期購読しようと思って、その雑誌が無料配布される学会員の年会費がその購読料とさほど違わなかったのでこの学会のメンバーとなりました。会員には医師だけでなく、さまざまな援助職の人たちや、社会学者がいます。

 その嗜癖行動学会に、私も学会員になったからには毎年1回行われる学会に出席して演題を発表したり、その雑誌に論文やエッセイや書評を書いたりするようになりました。その学会で仲よくなった新潟県の中垣内正和(なかがいと まさかず)先生が学会長をされた時には、私にワークショップの特別講演をさせてもらえて(お達者くらぶのスタッフとして見てきたこと、考えてきたことを中心にして話しました)、それがきっかけになってこの学会の理事にも指名されました。

 というようなことはさておき、昨年の学会は1021日(金)と22日(土)に仙台で行われました。(20日の夜には前夜祭 市民公開講座として作家としても有名ななだいなだ先生が「アルコール医療ことはじめ」という講演をされたのですが、私は夕方まで会津での仕事が入っていて、残念ながら行けませんでした。)仙台はすぐ近くですから(バスで行くと、福島からの往復で1100円ですみます。福島駅−医大と片道100円ほどしか違わなくて腹立たしいのですが。)私も参加して、いろいろな話を聞いてきました。

学会の1日目は学会員の研究発表でした。学会の発表というと、私の本職である基礎医学系の学会では1演題15分(発表時間10分に討論時間5分)くらい、臨床医学系の学会ではもっと短くて6〜8分+2分くらいのことが多いのですが、この学会は20分発表に10分討論と、それぞれの演題に十分な時間がとられています。それだけ長いために、逆に時間を気にせずにもっと長く話してしまう方もおられます。私は「摂食障害と薬物依存の共通点と圧倒的な違いについて」という演題を発表しました。これは、ちょうど1年前のお達者くらぶだよりに茨城ダルクという薬物依存の人たちの団体の本を紹介した記事を書いた、それを基にしてもう少し考察を加えたものです。私は欲張りで、許された時間の中でできるだけたくさんのことを話したいと思うため、きちんと話す原稿を書くのですが、この時もちゃんと原稿を書いていったために、ちょうど20分きっかりで話しました。

 

学会2日目午前には「家庭内の暴力−この10年をふりかえる」という公開のシンポジウムが行われました。ここからはそれについて報告させていただきます。

 仙台でこの学会が開かれるのはこれで2回目で、前回はちょうど10年前の1995年だったそうです。その10年前の学会でのメインテーマは「なぐる人、逃げる人」で、その頃はまだあまり社会的には大きな話題になっていなかったドメスティック・バイオレンスを正面から取り上げた、先進的な企画だったということです。「十年、一昔」という、ちょうどその10年が経ったところでまた仙台で学会が行われたので、今回の学会のメインテーマは「暴力問題〜この10年をふりかえる〜過去・現在・未来…」とされ、公開シンポジウムも「家庭内の暴力−この10年をふりかえる」という題名で、ドメスティック・バイオレンスが取り上げられたのです。

 ちなみに、2日目の午後には「加害者と被害者の物語」という題名の斎藤学先生の講演が行われ、これも学会の流れからしてドメスティック・バイオレンスを中心に話されるのかと思っていたのですが、それと関係なくはないけれど、性暴力が中心的テーマでした。

 ドメスティック(domestic)というのは、飛行機についていえば国際線に対する国内線のことをいいますが、ふつうに使う時は「家庭内の」という意味です。バイオレンス(violence)は暴力ですから、ドメスティック・バイオレンスを直訳すると家庭内暴力ということになりますが、日本では「家庭内暴力」というと引きこもりの子供(特に男の子供)が家の中で暴れることをいうようになっていましたから、それと区別するために英語をそのままカタカナ表記して使う、あるいはその頭文字をとってDVというようになりました。このシンポジウムの題名は、ドメスティック・バイオレンスとしたのでは長くなりすぎるのと、児童虐待にも話をつなぐために、「家庭内の暴力」と、間に「の」を入れたのかと思います。

ドメスティック・バイオレンスとは夫婦、あるいはそれに類するカップルの間の暴力のことで、女性から男性への暴力がないわけではないけれど、普通は夫から妻への暴力です。男性ホルモンであるテストステロンはタンパク質合成を促進する作用がありますから、平均的に見ると女性よりも男性の方が体が大きく、筋力も強くなります。だから腕力の強い夫の方が殴る人、妻の方が殴られる人になるのです。(またまた余計なことですが、スポーツ選手が使うことを禁じられている筋肉増強剤は基本的に男性ホルモンです。そのタンパク質合成促進作用は強く性ホルモンとしての作用は弱いように少し変化させた薬剤を使っていますが、性ホルモン作用を完全になくすことはできずに残っていて、それゆえ女性が使うと非常に危険です。男性が使うのも危険で、男性ホルモンが過剰になりますから精巣が怠けて、精子形成が悪くなって不妊を起こします。)

なぜ殴るかというと、心にたまる不安や怒りをうまく外に出せないように育った人は、蓄積していく不安・怒りのために自分をますます小さな存在のように思いこむようになり、その分、プライドが傷つきやすくなります。その場合、他の人をコントロール(支配)する力があることを見せつけることでプライドを回復し、自分の存在を保とうとすることになりがちです。人を支配するのに最も手っ取り早いのは、自分より弱い人を見つけて力を見せつけることで、そのために殴るのです。(いじめも同じようにして起こるのでしょう。)

これもシンポジウムの話からはずれますが、最近までドメスティック・バイオレンスというと、ほとんどは長く一緒に暮らしてきた夫婦の間の問題でした。ところが最近になって、結婚はおろか、付き合いだしてほんの数ヶ月くらいにしかならないような若いカップルの間でも同じ問題が起こることが増えてきています。若い社会人や大学生だけでなく、高校生や、中には中学生でもこの問題が生じることがあって、それをデートDVと呼ぶことも提唱されています。若い人たちはこれからどう生きるのかという不安を抱えていることが多いですから、その不安を受け止めてくれる人がいないと、ついこうなりがちなのかもしれません。相手の携帯の通話先やメイルをチェックしたりするのは不安ゆえに相手を支配しようとする第一歩で、この状態くらいの時に周りの大人(親や学校の先生)がうまくその不安を受け止めてあげられればデートDVにならずにすむのではないかと思います。

 

 さて、話を今回のシンポジウムに戻します。近年になって、一緒に暮らしている相手を殴ること、ドメスティック・バイオレンスは、単なる夫婦げんかではなく、殴られる人のプライドや生きる力をさらに奪い、その人の価値や尊厳を侵す犯罪だということが社会的に少しずつ認知されるようになってきました。それが法律にも規定されて数年経ったところで、これまでの経過や今の状況をよく見直してみよう、というのがこのシンポジウムの目的でしょう。

 このシンポジウムの最初には、今回のコーディネーターで司会者を務められた信田さよ子さん(臨床心理士で、原宿カウンセリングセンターの所長をされています)が、この10年の経過の総括とこのシンポジウムの意味を話されました。前回ここで学会が行われた1995年というのは、神戸の大震災や地下鉄サリン事件という日本社会にとってものすごく大きな事件が相次いだ年でしたが、この年はドメスティック・バイオレンスに関して非常に大きなエポックであった国際婦人年で、北京でその大きな集会があって日本からもたくさんの女性が参加し、そこからいろいろな動きが始まった、そんな記念すべき年だったのだと、強調されました。

 その10年前の学会のテーマは上に書いたように「なぐる人、逃げる人」だったのですが、そのころは、逃げても行くところがなく、結局、家に戻るほかないことが多かった、ということです。たしかに、入院が必要なくらい、あるいは殺されそうなくらいに暴力を受けても、それは夫婦げんかと見なされ、警察は民事不介入が原則で、助けてもらえない時代でした。また、別れることを考えて家庭裁判所に訴えても、社会的にりっぱな立場にいる人たちが務める調停員に「がまんが必要」とか「あなたにも悪いところがあるのじゃないの」とか言われて(説教されて?)、理解してくれる人のいないことに絶望を深めることも多かったと思います。殴られる人が逃げようにも、それを可能にする社会資源が全くないに近い状態だったのです。

 しかし、不十分さを指摘されるところもあるけれど、ともかくもドメスティック・バイオレンスの法律ができて(並行して児童虐待防止の法律もできて)、時代は変わってきています。家庭内であっても、暴力は犯罪であると認識されるようになってきた、それが一番大切なところではないかと思います。この法律ができて間もなくのころ、会津で妻を殴った夫が逮捕されたことが報道され、その意識変化が大都会だけでなく田舎にも及び始めていることを感じました。それはまだ法律を守る立場の人の意識で、それが殴る方の人にも及ぶにはまだまだ時間がかかるかもしれませんが、まちがいなく社会は動き出しているのだと思います。

 この法律のないころは、各県の福祉事務所はドメスティック・バイオレンスの被害者にお金を出すという考え方はなかったけれど、法律ができて、今は生活保護を受けやすくなり、(このすぐあとに書く)シェルターの家賃も生活保護から出すことができるようになった、そんな変化も起こってきています。

 ドメスティック・バイオレンスの状態から逃れる人が安全に駆け込める場所(シェルター)も、少しずつ整備されるようになってきています。福島県でも、婦人相談所が改組された「女性のための相談支援センター」が2年前からそのシェルターとしても機能するようになりました。ほとんどの自治体の例に漏れず、福島県も財政状況は厳しさを極めてきていて、県の組織ではいかなる建物も新しく建てることが許されていません。(例えば、私のいる県立医大でも、昭和28年(1953年)に建てられた看護婦寮から転用された木造の学生寮がいまだにそのまま使われています。火事になれば2分で全部燃え落ちると言われているような状態で建て替えたいのだけれど、県が許してくれないのです。)そのような中で「女性のための相談支援センター」だけが新築を認められたのも、意識の変化の表れかもしれません。

 そのシェルターは、特に東京などの大都会では大部分が民間の施設で、その設立、運営、維持には関係する人たちの並大抵ならぬ努力が払われてきています。そのシェルターを立ち上げ、ドメスティック・バイオレンス被害者の支援に大きな力を注いでこられた平川和子さんがシンポジストとして話されました。

 平川さんが東京でシェルターを立ち上げられて9年、ということは、この10年の経過の本当に早いところで立ち上げられたわけです。やれるかどうかわからなかったけれど、「作ります」と宣言して自らを奮い立たせ、こんな仕事に必要なものはネットワークとフットワークと話された、そのさまざまな職種の人たちとのネットワークを最大に利用し、フットワークで走り回って、会う人ごとに「お金をください」と言って回ったということです。そうしたら本当にくれる人もいて、いろいろなものをもらったけれど、その最大のものは家で、それが最初のシェルターになったのだそうです。この9年間に350人の利用者がいて、それぞれがいろいろな物語を抱えている、そんな過去の物語を紡ぎ、さらには未来の話を紡ぐ、シェルターはその物語ることの安全を保証する「繭」であると考えている、そんなお話しでした。

 2番目のシンポジストとして話された坂上香さんは、大学の教員でもあるけれど、映像制作者として紹介されました。アメリカのアリゾナ・ニューメキシコ・カリフォルニアという南西部の州で暴力加害者の更生プログラムを展開しているアミティ(Amity:ラテン語で友愛、友情を意味する言葉)を取材した映画やTVのドキュメンタリー番組などを制作して来られたのです。アミティの活動は州政府やさまざまな団体からの援助によってサポートされているのですが、独自の施設を持つと同時に刑務所の中でのグループワークも行っており、またプログラムを終了して社会復帰した人たちのサポートも行っています。このシンポジウムでもそのアミティのことを中心に話されました。「殴る人もかつては逃げる人だった」、すなわち暴力加害者も子供のころ被害者だった、そのような同じ体験を持つ人たちがお互いの物語を語る中で、自分の物語を語ることができるようになっていくことで人は変われるのだ、ということがお話しの中心でした。罪を犯した人に対する厳罰化に社会は動いていますが、それでは解決しないことが多い、「変われる」ということを前提とした制度が必要だ、と訴えられます。変わるためにはサポートが必要ですが、経済的な面を見ても、アミティのプログラムを経た人の再犯率はそうでない人の半分以下になる、それで十分採算は合うはずです。人的なサポートは、自分のことを語れるようになった人が新たなスタッフになっていくという、治療や処遇という上下関係ではない、自助的なシステムで運営されている、特に刑務所内での活動では、凶悪犯罪で終身刑の受刑者たちがデモンストレーターとして活躍しているということでした。

 このような加害者プログラムは本当に効果があるのか?という会場からの質問がありました。それに対しては、「このアミティはアメリカに400くらいもある治療的コミュニティ(共同体と訳するのでしょうか?)の一つだけれど、他の組織とずいぶん違ったやり方をしていて、その人の被害体験を徹底的に話させて、そこからスタッフが責めるなどして加害体験を自覚させる。この場合、3ヶ月以下のプログラムは効果がないけれど、アミティは1年半(の十分に効果のあるプログラム)で、しかし予算が半年のものに削られてきている。」という答でした。

 もう一人のシンポジストとして話された人は、「依存症で虐待ママ」であると自分を紹介され、その子供を殴るという加害者の側からの話をたくさんされました。長女が生まれて3日目からもう殴っていた、子供を殴っている時は「誰か通報して!!」と思いながら殴っていたが、しかし通報されたらもうこれで子供に会えなくなる、という思いもあったということです。「Loving-mother’s group」という子供を愛したいけれど愛せない、愛し方がわからない人たちのグループをやっているけれど、最近、言いっぱなし・聞きっぱなしでは足りないなぁ、回復のためのプログラムがあればいいなぁ、と感じるようになっている、だからアミティのような施設がほしいけれど、日本にはなくて、それならば作りたいけれど、なかなかたいへんで、ここは平川さんのように「作ります」と宣言すべきなのかもしれないけれどなかなか、といったことを話されていました。

この加害者として話された人は暴力の被害者でもあったし、アミティについても話されたように、加害者と被害者は一方的にどちらかということはなく、世代連鎖の中でどちらの顔も持つことになります。平川さんは「ドメスティック・バイオレンスの被害者は、シェルターにつながらなかったら被害者の顔をずっと続けていられただろう。しかし、その人はまた加害者でもあることを知って苦しんでもらうプログラムも必要なのだ。」と話されました。

 このように少しずつ考えられてきている加害者プログラムについて、東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一先生が会場から手を挙げて、「暴力については、アルコールのように『また飲んじゃいました』ではすまない。またやったら罰せられるのだということが明確にされていなければならない。被害者救済のことを常に念頭に置いた加害者プログラムでなければならない。」と発言されました。日本でも、内閣府が(ドメスティック・バイオレンス事例の)加害者プログラムを作ったのだそうです。しかし、それは有効に機能しているとは言えない、けれどもそれを途切れさせないために、原宿ではサービスとして加害者プログラムを行っている、と信田さんは言われました。

 家庭内の暴力、虐待関係の法律はまだまだ不十分なものだけれども、それでもその法律ができたこと自体は前進だと、このシンポジウムの中心になった援助関係の人たちは考えています。それをさらによいものにしていく努力と共に、その精神を具体的に生かしていけるさまざまなプログラムを整備し、それを実施していけるスタッフを増やしていく必要があるのだと感じたこのシンポジウムでした。

 

 

福島お達者くらぶの連絡先

 福島お達者くらぶは会長や代表者をおいていません。明確な事務局もおいておらず、スタッフがそれぞれの状況に応じて分担してミーティングやその他の活動の運営を行っています。(その運営の形は自助グループ的だとも言えそうです。)しかし、連絡先だけはきちんと明示しておかなければ困ります。現在、連絡先は次のとおり香山の所にしています。

 

960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座 香山雪彦

電話(直通):024-547-1134  FAX024-548-2571 メイル:y-kayama@fmu.ac.jp

 

連絡はなるべく手紙かメイルでいただけたらと思いますが、お達者くらぶやミーティングについての問い合わせなどは遠慮なく電話していただいてけっこうです。初めてで様子がわからない方もどうぞ電話してください。香山は会議や講義で不在になっていることもあるので、一回でつながらなくてもめげずに何度もかけてください。夕方5時以後も、9時くらいまでいることが多いと思います(不在のこともありますが)。

ただし、個々の問題についての相談には応じられません。それは、全く同じように見える人でも、例えば抱き留めてあげるのか、逆に突き放してあげる方がよいのかなど、人によっても、その人の時期によっても、全く違った対応が必要になることが多く、それは長い時間をかけて何度も何度もお話を聞かないと判断できないことで、電話では責任ある対応ができないからです。お達者くらぶは相談の場所ではないことは、ミーティングについても同じです。ご理解下さい。

お達者くらぶやミーティングについての案内はホームページに出ています。アドレスはGoogleやヤフーで「福島お達者くらぶ」を検索するのが便利です。メッセージや寄せ書きなども出ていますので、ぜひ見てみてください。