〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第37号 2005年
10月 8日 発行
お達者くらぶだより第37号をお届けします。
この号では、9月末に大阪で行われた摂食障害フェスティバルに参加して見てきたことなどを報告します。また、この会報を編集している香山が3年前にNABA(日本アノレキシア・ブリミア協会)の依頼を受けてダイヤルQ2テレフォンメッセージを4回連続で吹きこんだ、第3回目、第4回目に話した内容を載せます。(第1回目、第2回目に話したことは前号に載せました。)
急告:前号を読んだ皆様に
上に書きましたように、この前の号とこの号には、NABAダイヤルQ2テレフォンメッセージに吹きこんだ香山の話の原稿を載せています。前号のその紹介のところにNABA事務局の電話とファックスの番号を書いたのですが、これは私の不注意なミスで、NABA事務局は電話番号などを非公開としていることに注意を払わないままに載せてしまいました。(NABAの皆様、ごめんなさい。)前号を読まれた皆様は、その電話・ファックス番号は非公開のものであることに留意していただき、他の人に伝えたりしないようにお願いいたします。(香山雪彦)
第5回
摂食障害フェスティバルの報告 香山雪彦
摂食障害ネットワークとフェスティバル
日本摂食障害ネットワークという組織が主催する摂食障害フェスティバルも、今年で5回目になりました。昨年は京都で行われましたが、それ以外の4回は大阪で、今回も大阪駅から歩いて10分以内くらいの毎日新聞ビル地下のホールをメイン会場に、9月25日(日曜)の午前10時から午後5時まで行われました。会場の周辺は、昔は貨物駅の近くで倉庫などが並んでいましたが、再開発が行われて、新しい大きなビルばかりが並び、だいぶん昔(もう20年以上前になります)6年間も大阪駅を通って通勤していた私には、全く知らない町になっていました。
このフェスティバルがずっと大阪周辺で行われてきたのは、これだけの行事を行うためにはかなりのマンパワーが必要ですが、ネットワークの中心になっている生野照子先生が神戸女学院大学の教授をされていて、そのゼミの何人もの大学院生たちが、「かなりあしょっぷ」という京都・大阪・滋賀にわたる自助グループの人たちとともに、その中心的なパワーとなり、フェスティバルの実行を担ってきたからです。その大学院生にはいろいろな方がおられ、中には20歳代の子供が3人もいるようなかなりの年の人も頑張っておられました。また、中学生の頃に福島お達者くらぶのミーティングに来られていた元メンバーの方もおられました。そのような人が私たちの所から育ってくれたのは、本当にうれしいことです。さらに、学部学生の人たちもたくさん手伝いに来てくれていました。
ちょっとフェスティバルの報告からはずれますが、生野照子先生は、今の専門はと言うと心療内科ということになるだろうかと思いますが、もともとは大阪市立大学病院で小児科の講師をされていました。そのころから摂食障害に積極的に関わっておられた、と言うよりそれを専門にされていて、生野先生の大きな功績はなによりも家族会を早くから立ち上げられていたことだと思います。その「あゆみの会」と名付けられた会は今も続いています。(さらについでに、だいぶん前になりますが、福島県立医大の学生で、最後まで学生寮に住んでいたバンカラな男(医大の学生寮は男子寮ですが、昭和28年に建築された非常に古くて汚い木造の長屋で、こぎれいな生活をしたい男はとても住めません)が、卒業の時に生野先生にあこがれて大阪市立大学の小児科に行ったのを印象深く覚えています。)
今年のプログラム
今年のフェスティバルのメインテーマは「家族――それぞれの物語」で、そのテーマを中心にした3つのシンポジウムがプログラムの中心でした。そのシンポジウムについてはあとで紹介します。
それ以外に、例年通りに様々なプログラムが組まれていて、ダンスセラピー、アロマセラピー、オルゴールセラピー、カラーセラピー、タッチヒーリング(レイキ)、気功などのコーナーが設けられ、それぞれの分野の専門家たちが希望する人たちにその指導をしていました。それらがメインホールの通路につながる3つのロビーで1時間半ずつ行われたのですが、私はそれらをゆっくりと見ている余裕がなかったので詳しいことはわかりません。(それらの一部については昨年のフェスティバルに参加した美瑛さんが1年前のこの会報に紹介してくれました。)さらにそれらに加えて、午後の後半にはフリースペース、オープンカフェ、おしゃべりルームといった、気軽に参加できていろいろ話したりできる場所も作られました。
例年通りにポスター展示のコーナーも設けられ、今年は受付のすぐ前にボードが用意されました。どこに貼るかはいつも早い者勝ちなので、私は9月のミーティングに参加していた人たち(本人)が大きなピンクの画用紙に書いてくれていた寄せ書きと、毎月のミーティングで書いてホームページに乗せている寄せ書きをプリントしてたくさん貼った同じ大きさの画用紙(これはあるメンバーの人が用意してくれました)を並べて貼れるように、朝、早い目に会場に行きました。それで、一番いいと思う場所に貼ったのですが、今年はお達者くらぶ以外に大きなポスターを貼ったのは福井の家族会(バンビの会)だけで、ちょっと拍子抜けしました。しかし、私たちも福島で頑張っていますよという、お達者くらぶの大いなるアピールになったと思います。
ミニ相談コーナー
また、昨年と同じように、ミニ相談コーナーが設けられました。これは、本当のカウンセリングのように深く話を聞くものではなく、医師やカウンセラーのところにどうしても行くことができないでいる人たちに、そんなところに行くのは怖いことではないのだとわかってもらい、その上でちょっとでも安心を得てもらえればと企画されているものです。医師や心理士や福祉、栄養関係の専門家が一人10分ずつの相談にあたるのですが、受付で誰に相談したいかを、希望する時間枠を決めて早いもの順で登録していきます。
私もこのコーナーの担当を依頼され、6人の人の相談を受けました。たった10分(そのあとのまとめの時間を削っても、せいぜい12−3分)ですから、もちろん十分に話せずに不満が残ることもありましたが、それくらいの時間でも「それでいいのですよ」と言ってあげることができて、お互いに(相談に来た人だけでなく、私も)心が温たかくなることもたくさんありました。それだけ、ずっと思い詰めていた心を抱えて、自分自身でほとんど答にたどり着いているのだけれども、それでいいのかどうしても自信が持てずに悩んできていた人たちが多いのだと感じます。
シンポジウムでは
(シンポジウム1)上に書いたように、今年のフェスティバルのメインテーマは「家族――それぞれの物語」でしたが、午前中に行われた最初のシンポジウムは「本人の声」というタイトルで、4人の本人の人たちが話されました。私は他のことに忙しくて聴けなかったのですが、聴いた人から聞かせてもらったところでは、話した人たちはみんな10年以上経過しているらしいベテランの人たちで、一番苦しいところは抜けたかと思われ、みんな前向きで、娘に聴かせたかったと言っていたお母さんもおられたそうです。その中のある人は、おっとりした外見からは想像されないような、過食以外にもいろんな激しい行動をいっぱいしてきて、お父さんが大嫌いでずっと殺したいと思ってきたけれど、今年お父さんが亡くなって、今はもっと孝行すればよかったと、お父さんを許せるようになっていることを話したあと、「誰かに治してもらおうと思っているかぎり治らない」と話された言葉が強く印象に残った、ことでした。
(シンポジウム2)午後の2つのシンポジウムは家族の方が中心で、その最初のシンポジウムでは、子供さんを突然の事故のようにして亡くされた両親の方が、父親、母親それぞれの思いを話されました。私は、たくさんの人たちが聴いているこのような会で家族の方が話されるのを、いろいろなところで聴いたことがありますが、子供への思いを話すのはほとんどお母さんで、お父さんが出てこられたときはグループの運営といったことを話されることが多かったように記憶しています。しかし、このシンポジウムで話されたご両親は、お母さんだけでなく、お父さんもまた自分自身の子供に対する思いを話されました。父親と母親では社会的な立場も、子供に対する役割も違っていて、当然子供への思いも違っている、その両方の思いが聴けた、貴重なシンポジウムだったと思います。
お父さんは、自分たちの家族が、そしてその中で特に自分が、避けて見ないでいようとしていたものごとと、その中で今思い出す子供さんの姿を、しみじみと抑えた口調で話されました。お母さんのほうは、多分そうしないととても声にして出せなかったのだろう、絞り出し、吐き出すような、しかししっかりと噛みしめながらの口調で話されました。家庭、家族を維持し、介護も役目になっていた中で心にたまる思いを、つい親思いのその子供さんに聞いてもらっていたことや、ようやく自分たちの問題に思い当たって自分たちが変わっていく中で「お母さんが大好きだ」と言ってくれたこと、自分もまた、その時も今も、その子を深く深く愛している、その喪失感からなかなか立ち直れないでいることなど、言葉の一つ一つが聞いている人たちの心に深くしみ通っていって、たくさんの人が涙を押さえながら聴いていました。このシンポジウムについて、「『さあ、いよいよ子どもと、本当の親子が始まるかも知れない』と希望を持ったときに、子どもに先立たれてしまった哀しみ、私はそれを強く感じました。」という感想を書かれた人もいました。
(シンポジウム3)数人の家族の方が話された最後のシンポジウムは、私はその日のうちに福島に帰る必要があって早く出発しなければならなかったために、聴くことができませんでした。しかし、私も(一人遠く離れているので実質的にはあまり役に立っていないのですが)名前を連ねている実行委員にメイリングリストで送られてきた報告では、このシンポジウムの最後の部分の会場(フロア)とのディスカッションでぎくしゃくしたことがあったということでした。問題の発端は「摂食障害は事故と思う」という、フロアからの発言だったそうです。そのあたりを、うまくまとめられなかったことを謝罪する司会者からのメイルを基に、少し報告させていただきます。ものすごく大切な問題が提起されていると感じるのです。
このシンポジウムでは、壇上に上っていた数人の家族の方からのお話しが終わって討論に入ったところで、フロアからある父親の方が「今日、ここに来るまで娘の病気はわがままと思っていた。今日から、自分が変わるように努力したい」との趣旨を発言された、その意見に反論する形で「摂食障害は事故と思う」という発言があったそうです。そこから先、司会者がうまくまとめられずに会場全体でなんだか議論がおかしくなってしまったことを謝りながら、実は自分が感じていたのはこんなことだったのですという、あとで冷静になってからの司会者の言葉をこの後ろに付けます。
私がこの発言に一番感じたのは「冷たさ」でした。子どもを摂食障害にしようと思って育てたのではない、当たり前のことです。しかし、その当たり前すぎることを言い過ぎると、「親子関係、家族になんの問題もなかったのだ、ただの事故だったのだ」と、ある意味で強気というのか、自己の成長、反省を一切拒否する姿勢となってしまいます。
当日も摂食障害の原因探しの話がでました。私は摂食障害の原因、きっかけが何であるにしろ、本人も家族も人間としての成長を考えることなしに病気からの回復もないと思っています。
誰かが悪くてなったのではない――そうかも知れません、しかし、摂食障害の人はどこかで対人関係に苦しんできたことも事実なのです。
そして、私の感じた「冷たさ」とは人間関係そのものを拒否しようとする、子どもからの訴えを「事故」として処理しようとする強引さでした。「悪者探し」を拒否する姿勢がいつの間にか「誰の責任でもない」「責任なんかどこにもない」「単なる事故だったんだ」となり、「事故処理」に向かう恐ろしさを私は感じました。
私が本人であったらどうだろうか、本人でなくとも一人の子どもであったらどうだろうかと考えました。
「摂食障害を事故」と言いきる母の元よりも、たとえ遅れてであってもよい、「自分も変わってみたい」と語る父の家庭の空気を吸いたい。父は間違っているかも知れない、家族の変化が何をもたらすか分からない、それが病気からの回復に直接つながるかは分からない。それでもいい、でも自分の楽な方向に歩みでたい、そう感じるのではないでしょうか。
このように私は感じていました。感じていたにも拘わらず、当日は支離滅裂になってしまいました。お母さんの発言の誤りを正したい、「暗部」をなんとしてでも明らかにしてしまいたいという、私の邪心・傲慢さがあったと思います。「事故」発言のお母さんも私が何を言いたいか、お分かりにならなかったのではないでしょうか。
本当は「事故」と言わざるを得なくなったお母さんの気持ちと経緯を詳しく伺うべきでした。そうでなければ対話も成立のしようがなかったのです。その基本を忘れていました。申し訳ありませんでした。
このシンポジウムについては、他にも引っかかった言葉があったという意見が実行委員会スタッフの反省会で出たようです。時間が押していたために、誰もが気持ちを十分に表現できなかったことがその元になったのだろうと思います。そのような引っかかりを解消して行くには、やはり十分な言葉が必要なのでしょう。その言葉は、親子や夫婦の間でも(近い関係だからこそ、よけいに)必要なのだと思います。
以上、今年の摂食障害フェスティバルの報告です。
香山のNABAテレフォン・メッセージの内容から、その第3回
「脳と心:摂食障害と薬物治療について」
「摂食障害は脳内の伝達物質の異常と聞くけど、それは薬で調節可能?」「可能だとしたら、どんな薬が?」「SSRIとかSNRIとかいうのは、一体、何?」「とにかく、摂食障害は薬で治るの?」「医師から処方されている薬が効いていると思えないのだけど?」「薬を手放せなくなることはない?一生飲み続けるの?副作用・後遺症・子供への影響は?」
今回は、摂食障害に苦しんでいる人たちの多くにとって切実な問題である薬について話したいと思います。一体全体、摂食障害は薬で治るのでしょうか。
私の本職は神経生理学の研究で、摂食障害に対して使われる薬が作用する、まさにその神経系の働きを研究してきましたから、これらの薬がどのようにして効くのかはよく理解しています。ただ、私は臨床の医師として実際にこれらの薬を処方したことはないので、そのへんは親しい精神科の先生たちにふだんから聞いていることを織り込んで答えたいと思います。
精神科の医師でも、薬に対する考え方が大きく異なっている場合が少なくありません。中には、カウンセリングなんぞというヤワなものは意味がない、治療はあくまでも薬だと考えている人も、実際に知っています。私の親しい先生たちは、薬の意味は十分に認めて積極的に使うけれど、摂食障害などの治療の本筋は、カウンセリングや、家族などの対人関係の調整であると考えている人たちです。私もそう考えています。
さて、薬について話す前に、薬が作用する脳は、心とどのような関係にあるのかについて少し話します。神経科学は激しく変貌していて、私は最先端を見ていますが、例えば快感はドーパミンを伝達物質とする神経が働くと生じること、不安や恐怖は扁桃核という部分が働く学習によって生じること、など、心というのは脳の働きそのものであるという証拠が積み重なってきています。ですから、ある種の伝達物質の働き方を変化させる薬物を使えば、心の状態を変化させることができると考えるのは根拠があるわけです。
さて薬ですが、摂食障害に苦しむ人たちによく処方される薬は、抗不安薬・催眠薬や抗うつ薬です。
抗不安薬と催眠薬はガンマアミノ酪酸という、神経細胞の活動を抑制する伝達物質の働きを強める薬です。薬によって、抗不安作用が強いものと、催眠作用が強いものがあります。それらはそのときの不安、イライラ、不眠などの状態を見ながら使い分ければいいのですが、いずれも神経系の抑制を起こしますから、超短時間作用の催眠薬以外は、薬のせいで少しぼーっとすることはあると思います。それが生活に困るくらい強いなら、医師にそう伝えて、量を調節するか、薬を換えてもらうかすればいいでしょう。現在使われているこの種の薬は非常によいもので、副作用はほとんどないし、習慣性もほとんど問題になりません。
抗うつ薬は、セロトニンやノルアドレナリンという伝達物質の作用を止めるためにそれらを取り除くメカニズムがある、その取り除く働きを弱めて、結果としてセロトニンやノルアドレナリンの量を増やすことで作用します。SSRIというのはこのうちのセロトニンの方に特異的に作用する薬、SNRIというのはセロトニンとノルアドレナリンの両方に作用する薬です。いずれも従来の抗うつ薬よりも副作用が少なくて、使いやすくなったものです。
これらの抗うつ薬の類はしばらくのみ続けないと効果が出てこないと思っておく方がよいことを付け加えておきます。
本当のうつ病のときは絶対に抗うつ薬をのまなければなりません。そうではない、いわゆるウツ状態のときにこの種の薬を使うかどうかは、医師の判断しだいと思います。効くか効かないかは個人差も大きく、投与してみて判断するほかありません。SNRIの方はまだ経験が少ないのでコメントしにくいのですが、SSRIはまちがいなくよく効く例がありますし、パニック発作に有効と言われていますから過食衝動にも少しは効くだろうと思われるし、副作用はほとんどないですから、処方されればのんでみればよいと思います。
そのような処方されている薬が効かないと思われるときはどうするか、そんな時には、そのときの状態を正直に医師に伝えることを勧めます。そこで何もしてくれず、よく説明もしてくれない医師なら、見限って別の医師のところに行く方がよいと思います。初めの方で言ったように、医師によって薬に対する考え方は違うし、この病気では医師との相性というものがどうしても強いので、この人に任せてみたいと思う人に出会うまで病院をはしごしてもかまわないと、私は言っておきたいと思います。一人の医師だけであきらめない方がいいです。
実際に薬をのんでいて効いていると感じている人にとっては、それが止められるかどうかは大きな関心事でしょう。回復した人にはわかると思いますが、親でも友達でもカウンセリングの先生でも、ただひたすらすがりついていたような人から、よくなってくると自然に足が遠のきます。それと同じで、薬も自然にのまなくてよくなります。具体的には、自分に自信が持てるようになれば、あるいは、生まれてきてよかった、幸せということがこの自分にもあるのだ、と思えるようになると、だんだんのまなくてよくなるのです。後遺症は特にありません。妊娠初期にのんだときには胎児の奇形が、確率は低いけれど否定しきれない、ということはあります。
最後に、一番大切なことを言います。薬は症状を和らげるためのもので、薬では病気は根本的には治りません。それでも薬を使うのは、それによってちょっとでも楽になり、心に余裕がちょっとでもできることを期待するからです。心の傷に由来する苦しさを癒すことができるのは、人と人との温かい心のふれあい以外にはないと私は強く感じています。その、人と心を通じ合うことのあたたかさを感じられるようになる、話を聞き心から共感してくれる人たちがいるのだとわかるようになるためには、苦しさにのたうち回っている心の中にほんのちょっとの余裕がほしい、それを薬の力を借りて作るのだと考えればよいと思います。
そのあたたかさが感じられるようになれば、自分の心を縛っているきれぎれの思い出を一つの物語に紡ぎあげて話していくことができるようになり、それによってなぜこんなに苦しいのか、この苦しさがどこに由来するのかを理解することができるようになって、回復への道を歩み出すことができるのです。薬は補助手段です。治療の本筋は、心を接することのあたたかさを回復するためのさまざまな活動、例えば自助グループへの参加、そして、苦しさの理由の理解のために、こんがらがった心をちょっと整理してくれるカウンセリングであると、私は強く訴えて、今回はこれくらいで。
香山のNABAテレフォン・メッセージの内容から、その第4回
「摂食障害と心にかかえる不安」
なぜ摂食障害みたいな苦しみをかかえてしまうようになるのでしょう? 普通の人はなぜこんなに苦しまなくてすむのでしょう? なぜ体重にこだわってしまうのでしょう? なぜ昔はこんな事にならなかったのでしょう? 家族の中で何が起こっているの? 母親が悪いの?? 回復に到る鍵はどこに?
私の話はこれが最終回なのですが、今回は本職の神経生理学からちょっと離れて、社会に目を向けたことを話させてもらいたいと、私の方からお願いしました。現代の社会に濃厚にたちこめている空気である不安、安心の反対です、不安について話したいと思います。
拒食症、過食症というのは、食という行動に依存を起こしているのだということは広く理解されるようになってきました。この拒食、過食などの、ある種の行動に依存してしまうことになる、その根元にあるものは「不安」であると私は思っています。
農家の息子は農業を継ぎ、商家の息子は商売を継ぐ、女の子たちはお母さんと同じように嫁に行き子どもを産んでお母さんになる、といった生き方に何の疑問も感じなかった時代にはこのような摂食障害はありませんでした。今は、農業を継いでも、それで食べていけるかどうかわからない。商売もいつ倒産するかわからない。女性にとっても状況はつらくて、女だって仕事を持って自立して生きるべきだと言われ、テレビははつらつと仕事して生きる女性に対する憧れをかき立てる一方、やっぱり女はかわいくなくちゃとか、女は子どもを生んで一人前だよと言う男たちは相変わらず多い。女性たちはそんな相反する2重の縛り、ダブルバインドに苦しみます。
そのように、いま、若い人たちにとっては父親も母親も人生のモデルになりにくい、大きな変革の時代です。そして、自由が拡大されて欲望はふくらませられる一方で、その欲望を自分の能力が保証してくれるかどうか全くわからない、そんな中でどう生きるべきか、どうなら生きられるのかという不安をかかえて現代の人は生きざるをえないのです。バブルの時代はただ眼をつぶって突っ走っていたら何とかなったのですが、バブルがはじけてこの不安は一気に明確になってきました。
若い親たちが不安をかかえていると、その不安は必ず小さい子どもたちに伝わります。親たちはその不安を、言葉にして発することによって、ある程度解消することができます。(アルコールやカラオケだってあります。他にも方法はあって、ある私の友人は、イライラがたまると、わざと酔っぱらって街で弱そうな男に喧嘩をふっかけて殴る、と言っていました。警察に一泊すればおしまいですから。)
しかし、子どもたちは、そんな不安を処理する手段を持っていません。子どもたちがその不安を心にかかえながらも無事に生きていけるのは、母親、父親というしっかり守ってくれる存在を持っているからです。
子どもと公園に遊びに行った時を考えてみてください。2−3歳の子どもは面白そうなものを見つけるとたたたっと走り出し、ふと不安になって振り返ってお母さんの存在を確かめる、そこににこっとほほえんでくれるお母さんを見つければまた安心して走り出す、そのようにして人は育ち、独立していきます。
しかし、お母さんが例えば夫や姑との関係などで苦しんでいたりして、その時に子どもにほほえんであげられなかったらどうでしょうか。言語も行動力も持たない子どもは、かかえた不安をひたすら心の中に押しこめていかざるを得ないでしょう。そして、どんなふうに人を信用してよいかわからないまま、成長して言語能力は発達した後も、その積み重なった不安を言語で表して人に伝えることに、心は自分でストップをかけ、その結果として、それを体や行動で表現せざるを得なくなったものが、この拒食・過食といった行動への依存でないだろうかと私は考えます。
こんなふうに言うと、お母さんたちは自分が悪かったのだとひたすら自分を責めることがあります。しかし、お母さんは自分を責めないでください。悪いのは決して母親だけではないのです。母親をそのような状態に追い込んでいるまわりの家族、その両親など、家族全体のことを考えなければなりません。家族システムの異常状態が問題なのです。
それはどのような異常かは、両親の不和、子どもに対する過剰な厳しさ、特に虐待などの暴力の介在、兄弟姉妹の間の差別、過剰な期待など、家族によってすべて違っています。子どもを愛していても、その愛情が、自分から離れていくようなら知らないわよとただ引き寄せたり、お父さんと別れたいのだけれどあなたのために我慢するわねと言ったり、先回りの心配ばかりして子どもの自由な行動を止めるものだとしたら、やっぱり子どもを不安にします。感受性のすぐれた人ほど、その不安を強く感じとります。
このように、心に不安が蓄積するのは、三つ子の魂百までという、3才頃の最初の(無意識な)独立の衝動が生じた頃の育ち方が一番大きく関係しています。その頃に無条件に世話をうけ甘えさせてもらえる時期を持てないと、人は自分を褒めてあげられない、自分の存在をだめな人間としか評価できないようになります。私達はそのような状態を「自己評価が低い」と表現します。そうなると、親からの本当の独立を促す性衝動の生じる思春期以後、強烈な不安が吹き上げてくるのです。
このように自己評価が低いと、自分は信用できないし、それゆえ他人の評価を過剰に気にするけれど、親をはじめとする他人も信頼できなくなってしまっているから、いきおい試験の点数や、そして体重といった、数字で出てくるものに頼る他はなくなってしまいます。完璧主義もここから出てきます。
このように、自分の苦しさがどこから出てきているのかを理解するところからしか、回復は始まらないと思います。苦しさの根元に自己評価の低さがある、それは自分のせいではなく育ってきた中で植え付けられてしまったものだ、ということをしっかりと認識して、うまくいかないことがあっても、それで自分を責めず、「まあ、いいか」と自分に言ってあげる、それができるようになると回復へ足を進めることができるようになるでしょう。
話したいことはいっぱいあるけれど、どうして時間はこんなに短いのでしょうか。私の話はこれで終わります。聞いていただいてありがとうございました。またいつかどこかで。
福島お達者くらぶの連絡先
福島お達者くらぶは会長や代表者をおいていません。明確な事務局もおいておらず、スタッフがそれぞれの状況に応じて分担してミーティングやその他の活動の運営を行っています。(その運営の形は自助グループ的だとも言えそうです。)しかし、連絡先だけはきちんと明示しておかなければ困ります。現在、連絡先は次のとおり香山の所にしています。
960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座 香山雪彦
電話(直通):024-547-1134 FAX:024-548-2571 メイル:y-kayama@fmu.ac.jp
連絡はなるべく手紙かメイルでいただけたらと思いますが、お達者くらぶやミーティングについての問い合わせなどは遠慮なく電話していただいてけっこうです。初めてで様子がわからない方もどうぞ電話してください。香山は会議や講義で不在になっていることもあるので、一回でつながらなくてもめげずに何度もかけてください。夕方5時以後も、9時くらいまでいると思います。(もちろん不在のこともありますが。)
ただし、個々の問題についての相談には応じられません。それは、全く同じように見える人でも、例えば抱き留めてあげるのか、逆に突き放してあげる方がよいのかなど、人によっても、その人の時期によっても、全く違った対応が必要になることが多く、それは長い時間をかけて何度も何度もお話を聞かないと判断できないことで、電話では責任ある対応ができないからです。お達者くらぶは相談の場所ではないことは、ミーティングについても同じです。ご理解下さい。