〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第36号 2005年 7月 9日 発行
お達者くらぶだより第36号をお届けします。
この号では、私(この会報編集の香山)が3月の末に福井の家族会に招かれて行なった講演を聴いた方からいただいた手紙と、それに対して私が出した手紙を載せています。私の手紙の追伸にありますように、あふれてくる親としての思いをぜひともお達者くらぶの皆様にも読んでいただきたいと思ってこの号への掲載をお願いしたところ、「私の胸の内を書かせてもらった事が、誰かの役に立つのでしたらどうぞ使って下さい。」との返事をいただきました。
もう一つ、最近ミーティングに来ていなかった由美さんから手紙をもらったのですが、それをみんなに近況を知らせるために載せていいですかと尋ねて了承を得ました。
また、私は2002年にNABA(日本アノレキシア・ブリミア協会)に頼まれて、ダイヤルQ2のテレフォン・メッセージを4回連続で吹き込んだことがあった、その時に話した内容の第1回と第2回分を載せます。この内容のコピーライト(著作権)はNABAにあるのだろうと思うのですが、私もこのお達者くらぶだよりを毎号埋めるのにけっこう苦労していて(皆さん、ここに載せていいお手紙なんかをぜひ寄せてください)、載せさせてもらえないかと頼んだところ、まあ、3年くらい経ったからいいだろうと許しを得たのです。(NABAテレフォン・メッセージは0990-511-211をダイヤルすると摂食障害に関係するいろいろな人達のメッセージが聞けるものです。1回にかかる料金は7分くらいの通話料+300円です。毎月内容が変わりますが、1ヶ月の間も曜日によって内容が違い、よくこれだけの内容をそろえられるものだと感心しています。内容を知りたい時にはNABA事務局に連絡してみてください。事務局の電話は03-3302-0710ですが非常にかかりにくいことも多く、そのときはFax 03-5317-5854が確実です。)
今年の摂食障害フェスティバルの案内
摂食障害フェスティバルは、お達者くらぶも会員になっている日本摂食障害ネットワークが主催して、本人も家族も(グループに属する人も属していない人も)さらにいわゆる専門家も対等に集まっていろいろな催しをする、1年に1回のお祭りで、今年で5回目になります。福島からも参加する人があるようになりましたので、今年のフェスティバルの概要をお知らせしておきます。
日時: 2005年9月25日(日曜)
午前10時から午後5時まで
場所: オーバルホール
JR大阪駅西口から西に徒歩5−8分くらいの毎日新聞ビル
今年のメインテーマ: 「家族−それぞれの物語」
メインテーマのシンポジウム以外に、癒しと健康作りのためのさまざまな企画、相談コーナー、おしゃべりタイム、グループ報告、展示・販売コーナーなど、さまざまなことが行われます。興味のある人はホームページhttp://www.ednetwork.jpを見てください。参加費は3000円くらいだと思います。行ってみませんか。
(娘さんを亡くされた家族の方からのお手紙)
突然お手紙を差し上げる失礼をお許しください。
先日、3月26日、福井にて、香山先生の摂食障害についての講演を聴かせていただいた者です。
知り合いの方からの連絡で、私達夫婦で参加させてもらいました。
先生の的確な表現に、ずっしり思い当たる事ばかりで、ただ後悔の涙をこらえるのが、やっとでした。
後のミーティングで、先生や皆さん方のお話を聞きたかったのですが、冷静に、その場に居る自信がなく遠慮しました。
私の娘は、10年間、過食で苦しみ、付随したリストカット、眠剤.安定剤の溜飲、アルコール、携帯、メール、等々に悩まされ、それでも、何とか生きぬいてきました。
この2〜3年、恋人も出来、結婚の話も出て、明るい兆しが見えたかのように思っていた矢先、失恋が引金で、26年の人生の幕を自から閉じてしまいました。
彼と一緒の時は、何も考えず、楽に居れる。
家では、私の居場所がない。
この言葉の意味を真剣に考えましたが、当時は答えが見つかりませんでした。
先生のお話から、今の苦しさや不安や恐怖を忘れるための過食、アルコール・・・・・
正にそういう感じでした。
その原因が親にあるのだろうとは思いながらも、それが親のどこから来るのか、理解出来なかったのです。分からなくても、不安もろとも受け入れてやればよかったのに。
いろいろな問題を抱えている娘に、
「このままではイケナイ!! 早く治そうよ!! 」と常に発していました。
「私の気持は、お母さんには分からない。という事が分かった。」と言ってました。
私自身どう娘に接して、自分がどう生きていけばいいのか分からなくなっていました。
今、娘が残したメッセージが、全て、私にかかってきて、後悔、罪悪感、どうしようもない淋しさの念で、何かに逃れたい気持ちでいっぱいです。
そうなんだという気持ちだけでも受け入れていたら・・・
今になって生前の娘の苦しい気持が理解できました。
罪は罰せられば、少しは和らぐのでしょうか。
娘が亡くなってこの1年間 悩みました。
これまで、関わってきた病院の先生方に足を運びますが、「冷たい言い方だが、本人の自己責任ととりましょう。」とおっしゃいます。私の事を思ってだと思います。
私自身 立っておれなくなったら、どうしたらよかったのか?
娘が亡くなった今も、同じです。
娘の人生を終わらせた罪。やっと歩いているのに谷へ突き落としたようなものです。
香山先生がおっしゃるとおり、命さえあれば、
何とかなったのに。そんな事はないと高をくくって、生き延びる大切さを伝えなかった。
天国にいった日、「少しブラブラして帰るから遅くなる。夕食までには帰るから」と電話。
父親に携帯もとり上げられて、公衆電話からです。
様子がおかしい娘に心配の頂点に達していた私は、それも許さず、すぐ帰って来るように伝えました。伝えたというより怒っていたのだと思います。
その日、彼の所を訪ねていたのですが、何があったのか
親に心配させない為のギリギリの配慮だった電話。「わかった、夕食までには帰っておいでよ。」と言ってやれば・・・・・
ブラブラも許さなかった自分は何様だったのだろう。飲酒運転の心配の前に車の中で逝ってしまって。
今までに入院3回、いろいろな先生、カウンセラーの方にお世話になって来ました。その中で、香山先生の講演が、私には一番届いた感じで、あつかましくもペンを取った次第です。
はじめて講演を聴かせてもらっただけの一聴衆が、こんなお手紙を本当に申し訳ありません。
何か生きる事へのヒントがあれば、教えていただきたく思います。がお忙しいようでしたら構わないで下さい。
胸の内を書かせてもらっただけでも、どれだけかありがたい事です。長々と申し訳ありませんでした。
(私の返信)
お手紙、拝読させていただきました。悲しみ、胸の痛みが、心にせまって伝わってまいります。親から愛されず、子供を愛せずに虐待へとつながっていく人達がいる一方で、子供を心から愛し、子供も親を愛憎入り混じりながらも一番奥底では最も深く愛し、愛されたいと願っている、そうなのにそれをうまく表現できず、どこかでボタンがかけ違っていく、人間とは、中でも一番近しい親子とは、何と難しく、やっかいなものなのでしょうか。
しかし、はっきりしていることがあります。それは、娘さんが願っていたのは両親、特にお母さんを罰することでは絶対にない、ということです。
私も、私のところにずっと手紙をくれていた人を25歳で失ったことがあるます。ある時、ふっと死の方に引き寄せられてしまいました。その、たった数日前にもらった手紙には、お父さんと離婚して出て行ったお母さんに自分は捨てられたという思いが苦しみの一番底にあった人なのに、「お母さんは私よりももっと苦しかったのだということがわかるようになりました。今はお母さんの愛を感じられます。」と書き、さらに「亡くなった友達の△△ちゃんや心から尊敬していた□□先生(診療中に統合失調の患者に刺殺された方です)が私に『○○ちゃんは生きなきゃダメだよ』と言っているので、苦しいけれど私は生きます。」と書いていて、私も「○○ちゃんは、そこにいるだけでみんなにやさしさを与えてあげられる人になっています。僕も生きていて下さいと言います。」と書いた、そのたった数日後でした。何が死の方に招き寄せたのでしょうか。私にだけは伝えておきたいと、お葬式のあとにお酒の力を借りて彼女自身の携帯から伝えてくれたお父さんと、電話で涙を流しあいました。
別の21歳の男性はお父さん、お母さんがミーティングに出て変わってくれたもので、過食嘔吐や暴力で両親を試す必要がなくなり、そうなると一番大きな問題であるこれからどう生きるかという問題に直面して過食嘔吐はよけいに激しくなりましたが、それでもはればれとアルバイトを試しはじめようとしていた、そのやさきに突然心臓停止で亡くなりました。残念です。
そのような人達でも、みんな、両親に同じメッセージを発していたのだと私には感じられます。過食嘔吐などは「私達の家族はどこかおかしいよ、どこかで誰かが無理してるよ。そうじゃなくて、家族のみんなが幸せになろうよ。」というメッセージです。自分でもよくわかっていなくて、言葉にできないから、そんな形のメッセージにしかできないのだけれど。彼(女)らはみんな、残念ながら自分は生きる力を維持できなかったとしても、残したメッセージは、家族のみんなに幸せになってほしいということだと、私には信じられます。お母様たちが、苦しみを罰として感じ続けることが娘さんの心を受けとめることになるのでは絶対にない、これから幸せに生きることこそが娘さんの遺志を継ぐことなのです。
どうぞ心安らかに、娘さんの残されたメッセージに感謝しながら、御自分の人生を幸せに生きていただければと念じております。
それでは、またいつかどこかで。
みんなの幸せを願っていた娘さんに!
あなたの残されたメッセージは私達に届きました。
あなたもどうぞ心安らかに。
福島お達者くらぶスタッフ 香山雪彦
追伸
いただいたお手紙の中にあるれる心情の深さを、もしよろしければ私達、福島お達者くらぶの人達に伝えさせていただければと感じております。お手紙と、私の書きました手紙を、会報である福島お達者くらぶだよりに載せさせていただけないかと思うのです。いかがでしょうか。
まだ他の人に読んでもらうほどには心は落ち着いていません、ということでしたら、どうぞお気がねなくお断り下さい。掲載は了承のお返事をいただいた時にしかしませんので、ご安心下さい。
香山のNABAテレフォン・メッセージの内容から、その第1回
「遺伝と摂食障害」
摂食障害が遺伝するのかどうか、自分の子供にも伝わってしまうのかどうかは、実際に子供を産む可能性のある人たちには心配になることと思います。まず結論を先に言いますと、摂食障害とは限らなくても、何かへの依存を起こしやすいところは伝わるけれど、そうならずにすむことは十分に可能だし、ちゃんと勉強して、なぜ自分がこんな苦しさをかかえてしまったのかを理解すれば、自分の子供がそうならないようにできます。なぜこう言えるかを説明します。
摂食障害に苦しんでいる人たちの本当の病気は、人に気をつかうばっかりで、自分の気持ちを出せないことなのだと言う人もいます。拒食や過食という行動は、その本当の病気に異議を申し立て、その苦しさを外に訴えるための症状に過ぎません。訴えるのならその気持ちを言葉にして訴えたらよさそうなものですが、なぜこんなに苦しいのかわからないから言葉にできず、しかたないから行動で訴えているのです。
そんな苦しさをかかえてしまうことになったのには3つのことが関係します。一つはなんといってもその人の性格ですが、それに加えて2番目は何かきっかけになる事件の体験、もう一つは時代の空気です。そのすべてについて、安心、もしくは逆に不安という言葉がキーワードになります。このキーワードはまたあとで出てきます。
遺伝のことが問題になるのは当然このうちの性格です。性格というのはどのようにしてできあがるのでしょうか。
クローニンジャーという人は人の性格を研究して、それはお互いに独立した7つの要因の組み合わせで作られると結論しました。それを「クローニンジャーの7因子モデル」と言います。そして、一卵性、二卵性の双子を比較することから、その7つの要因の中には、遺伝性の強いものと、環境の中で作られる傾向の強いものとがあることがわかりました。
例えば、新しいものにパッと飛びつきやすいかどうか、損害を避けようとする傾向が強いかどうか、人にほめられたり認められたりしたい気持が強いかどうか、何かにこだわって辛抱強く懸命に続ける傾向が強いかどうか、といった4つの点については、遺伝的な傾向が強いことがわかりました。これらを専門用語では「新奇性追求」、「損害回避」、「報酬依存」、「固執」と表現し、それぞれの得点が高いか低いかは遺伝的に決まる傾向が強いのです。
これは私の専門分野から見ると、脳の中で、伝達物質と呼ばれている一群の物質、中でもドーパミンやセロトニンと名づけられている物質による、神経細胞どうしの情報伝達に関係するさまざまなタンパク質の性質や量が、遺伝子によってコントロールされていることがわかってきていることと対応します。
一方、残る3つの、環境の影響を強く受ける性格要因としては、現実生活を超えた自然や宇宙への関心の強さや、他の人たちとの協調性といったことと並んで、自分という存在や自分のやり方に対する信頼感が高いか低いかがあげられます。この最後のものが摂食障害になるかならないかに一番大事な点で、それを自己志向と言ったり、自己評価と言ったり、自尊感情と言ったりしますが、私の知り合いのある過食症の人は、自己尊重感という言葉が一番自分に合っていると言っていました。このことをもうちょっと詳しく言ってみたいと思います。
拒食や過食の人に残念ながら一番足りないのはこの自己尊重感です。どうしても自分をほめられません。ちょっとしたことでも、「まあ、いいか」とどうしても自分に言ってあげられません。この点が苦しさの一番の根元にあります。なぜこんな事になったのでしょう。
それは、不安に満ちた現代社会の中で、「安心」を得られるような育ち方の子供時代を送ることができず、いつも緊張を強いられる人間関係の中に置かれてきたからです。あるいは、せっかく育った安心を奪われてしまう、大きな傷になる体験をしたからです。それはその人の責任ではありませんから、自分を責めてはいけません。
この自己尊重感の低さは、生きてきた環境の中で育ったもので、だから変えることができます。ただ、「三つ子の魂百まで」と言われるように、小さい子供のころにくらべて、思春期を過ぎると変化は起こりにくくなります。だけどまちがいなく変えられます。ゆっくりと、時間をかけて変えていかなければなりません。
まとめてみますと、性格には遺伝子で決まるような部分もまちがいなくあります。しかし、それだけでは絶対に拒食症、過食症にはなりません。ある性格傾向に自己尊重感の低さが加わったときにはじめてそうなります。だから、その自己尊重感が育つような育て方をしてやれば、子供には伝わらないのです。どうすればそんな育て方ができるか、それは、仲間の話を聴いたり、自分の苦しさが由来するところを仲間の中で話していく中で理解し、そして、仲間に受け入れてもらえたあたたかさが感じられると、自然にわかっていきます。
今日はこれくらいで。
[追加] 摂食障害に一番関係する性格要因は上に書いたように「自己評価」が低くなってしまったことですが、拒食、過食など、どのようなタイプの摂食障害になるかは遺伝的に決まる要因が大きく関係するようです。そのあたりは水島広子さん(精神科医で衆議院議員です)が書かれた「やせ願望の精神病理」(PHP新書No.148。660円と安いけれど、いい本です。)によく書かれています。
香山のNABAテレフォン・メッセージの内容から、その第2回
「脳と心:摂食の調節とその異常」
食べるという、生命維持に欠かせない行動はどのように調節されているのでしょうか。ここではその全部を紹介することはできませんが、その調節機構の重要な点を解説し、なぜその異常が生じるのかにつなげてみたいと思います。
脳を上から見ると表面に出ているのは大脳ですが、そのずっと奥の方、脳底部の脳幹につながるあたりにある視床下部という部分に、摂食中枢と満腹中枢という2つの中枢があって、摂食はそのバランスでもって調節されています。
そこに作用する一番典型的な物質はブドー糖で、活動してブドー糖を消費する、すなわち血糖値が下がってくると摂食中枢が刺激されておなかがすいた・食べたいという衝動が起こり、食べると食べたものが分解・吸収されて血糖値が上がり、そのブドー糖が満腹中枢を刺激して、食べるのをやめます。この血糖値の上昇には食べはじめてから15分以上かかると言われていますので、少ない食べ物で満腹感を得るためには、よくかみながらゆっくりと食べることが重要です。
最近になって、レプチンという脂肪細胞が分泌するホルモンなど、摂食のもっとゆっくりとした調節機構が次々に明らかになってきているのですが、残念ながら時間の関係でここでは説明できません。
いずれにしても摂食は視床下部で調節されています。これは哺乳類ならどの動物にも共通していて、ふつうの動物は完全にこの調節に従って生きています。例えば、ライオンは空腹の時以外には狩りをしませんが、それは資源保護を考えているためではなく、ただ視床下部の命令に従っているだけなのです。
しかし、人間では大脳が非常に発達したために、視床下部の調節系だけでは動けなくなりました。精神的なものの影響が非常に大きくなっているのです。また、仕事をしている人なら昼ご飯は昼休みに食べなければならないといった社会的な束縛も強く、空腹でなくても時間が来れば食べるという、習慣でもって食べるようになったことも見逃せません。摂食中枢や満腹中枢に頼って、おなかが空いたら食べ、いっぱいになったらやめるという生物学的な調節に頼ることができなくなってしまっているのです。
その上に、味付けということが発明されて食べ物がおいしくなり、さらに現代では砂糖を自由に使えるようになったため、食べることが快楽になりました。だから、食べるには困らない先進国では、人々はつい食べ過ぎます。ストレスが強い現代社会では、そのストレスの解消に食べることの快楽が無意識のうちに利用されがちです。
食べすぎると、肥満・動脈硬化・高血圧・糖尿病といった生活習慣病なりますから、私達はどのように、どの程度に食べればよいという学習が必要です。私達の食行動は学習の結果なのです。これが本能行動ではなく、学習行動であるゆえに、生活習慣の中で異常も起こりやすくなります。
特に、拒食症、過食症の人たちの食べない、食べるという行動は、普通の人が美しくなるためにダイエットする、あるいは生命維持や快楽のために食べる、というのと質的に違ったものです。述べてきたように食べることは快楽であり、普通の人は食べることに快感ないしは安心感くらいは持つでしょう。しかし、拒食症の人たちはその快感・安心といったものを拒否してしか生きられない事情があるのです。それは心の底に漂う不安のようなもので、本人もそれが何かはっきり意識できておらず、だから言葉にして訴えることができなくて、自分の命を危うくしかねないような拒食という行動でしか訴えられないのです。
過食症の人たちもその点では同じですが、拒食の人たちとは逆に食べるという行動をとるのは、その行動がその時だけ不安を忘れさせてくれるためです。ある女性は、いま生きているのが怖い、次に息を吸うのも怖い、その怖さは食べ物を詰め込むことでしかやり過ごせないのだ、と言っていました。
拒食症の時は、もう摂食中枢は麻痺していますから空腹感に悩まされることもなく、なぜこんながりがりの体型を理想と思い描くのかは謎が深いのだけれど、そのほっそりとした体に近づいていきますから、周囲の心配をよそに、栄養失調で動けなくなる直前まで、過剰なくらいに活動することも多いのです。
しかし、一転して過食症になると、それは食べたくて食べているのではなく、ただ摂食中枢が過剰に働きだして生じる摂食衝動に突き動かされて食べるのですが、食べるとどうしても体重は増えて理想の体型からはずれる(あるいはそれを恐れる)ために、食べることがより強い罪悪感を伴って落ち込み、拒食の人よりもはるかに強い苦しみの中にのたうち回ることになります。それから逃れるにも食べることしかなく、指をのどにつっこんで戻すことを覚えると、食べ吐きのセットは、疲れて動けなくなるまで続くことにもなります。
快楽であるべきものが不安を一瞬忘れるためだけの行動に転化されてしまって、そのためによけいに苦しくなるという点では、この過食という行動はアルコールや麻薬・覚醒剤などに溺れることと共通するところがあります。さらにはギャンブルの一瞬の興奮に生活のすべてを賭けたり、仕事に忙しくすることで結果として面倒なこと忘れようとする仕事中毒でも同じです。それらは、ある行動に依存し、溺れるのです。
結論としてお伝えしたいことは、摂食調節機構の狂いは心にかかえた不安や苦しさの結果であって、摂食障害の原因ではないことです。その苦しさが変わらないかぎり、何か、例えば趣味を広く持つとかの、ちょっとした工夫で摂食障害がよくなることなんてあり得ないと思います。そんな工夫はないかと考える人には、あなたの心はそんなことくらいで変えられる生っちょろいものですかと尋ねたいくらいです。
なぜ不安が生じ、どうしてそれが依存行動に結びつくのか、なぜそれが摂食行動に出てくるのか、それではどうしたらいいか、話したいことはいっぱいありますが、時間がきてしまいました。今回はこれくらいで。
由美さんからの手紙
香山先生へ
お元気ですか? もう6月ですね。もう今年も半分終わりなんて 信じられません。
私は 元気でやってます。うれしいことに 5月は 1回も過食も 食べ吐きもしませんでした。無理して がんばったわけではありません。我慢もするけど ほんの少しです。以前Dr.に 一生 治らないかもしれないと言われたし 自分でも 長く続いている病気だから 治らないと思ってました。もしかすると ただ今は調子がよいだけで 再発するかも しれません。でも 自分でも なぜか わかりませんが 症状がおさまってます。不思議です。 たぶん すごい 借金したから これ以上 過食不可能だからかも しれません。でも 過食、食べ吐きなしでは 生きられなかった私が なくてもなんとか 生きてます。過食、食べ吐きは 3月9日からしてないので もうすぐ3ヶ月に なります。せっかくだから 記録のばしてやるぞと 思ってます。
入院で太って ダイエットする予定が全然 やってません。毎日 ごはん2合(過食?)を 朝昼晩の3回で食べてます。空腹 我慢できなくて、でも そのかわり おかずを食べません。おかず食べると過食しそうでこわいから。おやつもほとんど食べないです。体重30 kgは あこがれで終わりそうです。
過食しなくなって すごく暇になってしまいました。すると 不安がひどくて 仕方ありません。それで 5月末から 仕事 始めました。といっても 内職ですけど。電気製品(?)の部分 作ってます。細かい仕事で量も多くて 〆切が2日、3日ごとなので 1日 10時間以上 作業してます。単調な作業だけど苦でもなく もくもくやってます。
借金返すのに少しでも たしになればという理由もあります。母が付き2万円ずつ返済してくれていて 申し訳ないです。母は私に生活費も援助してくれているので 母の給料 半分は私のせいでなくなってしまいます。せめて 1万円でも2万円でもいいから 自分で負担したいと思ったのも 働き始めた理由です。もう2度と仕事なんてできないと 思っていたのに 働いている自分自身が 信じられません。ほんの数ヶ月前はひきこもって 過食しまくりとか 寝てばかりだったのに。
食事のこととか 働き始めたこととか なんか 自分が変わって 落ち着かない時もあります。こんなに良くなって(と自分では思ってるだけですが)なんか 話が できすぎみたいで。また ドーンと 落ち込むのかなとも思ったりしてます。まだ自分の新しい状態に慣れてません。夢みたいです。 でも 仕事 始めて良かったです。忙しくて 過食なんかしてる暇ないです。でも 前は 仕事してても過食してて 生活 メチャクチャでした。もし私がよくなってなければ 仕事して忙しくても 寝ないでも過食すると思います。それを やらないでいられるのは 今はいいのでしょう。今のいい状態が 少しでも長く続くように 自分でも努力しようと 前向きなこのごろです。
死ぬことばかり考えていた自分が 今は前向きで それがちょっぴり うれしいです。
では また 作業にもどるので みじかいですが 近況報告です。乱筆ですみません。
お体 大切にして下さい。
福島お達者くらぶの連絡先
福島お達者くらぶは会長や代表者をおいていません。明確な事務局もおいておらず、スタッフがそれぞれの状況に応じて分担してミーティングやその他の活動の運営を行っています。(その運営の形は自助グループ的だとも言えそうです。)しかし、連絡先だけはきちんと明示しておかなければ困ります。現在、連絡先は次のとおり香山の所にしています。
960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座 香山雪彦
電話(直通):024-547-1134 FAX:024-548-2571 メイル:y-kayama@fmu.ac.jp
連絡はなるべく手紙かメイルでいただけたらと思いますが、お達者くらぶやミーティングについての問い合わせなどは遠慮なく電話していただいてけっこうです。初めてで様子がわからない方もどうぞ電話してください。香山は会議や講義で不在になっていることもあるので、一回でつながらなくてもめげずに何度もかけてください。夕方5時以後も、9時くらいまでいると思います。(もちろん不在のこともありますが。)
ただし、個々の問題についての相談には応じられません。それは、全く同じように見える人でも、例えば抱き留めてあげるのか、逆に突き放してあげる方がよいのかなど、人によっても、その人の時期によっても、全く違った対応が必要になることが多く、それは長い時間をかけて何度も何度もお話を聞かないと判断できないことで、電話では責任ある対応ができないからです。お達者くらぶは相談の場所ではないことは、ミーティングについても同じです。ご理解下さい。