〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第34号 2005年 1月 1日 発行
お達者くらぶだより第34号をお届けします。
この号は京都で行われた摂食障害フェスティバルの紹介と、何冊かの本の紹介で構成しました。前前号には昨春の公開セミナーを紹介して、「アンケートに書かれていた具体的な感想については次号に紹介します。」と書いたのだけれど、前号はもらった手紙を載せたらいつもよりも小さい字にしてもそれだけでいっぱいになってしまい、この号もまた急ぐ方がよい記事(と、ついでに書いたこと)でいっぱいになってしまい、アンケートにあった感想についてはまたこの先に送らせていただきます。
急告!! 3月のミーティングは場所が変わります!!
今年の3月のミーティングだけはいつものゼミナール室ではなく、光が丘会館になります。ちょうど県立医大の入学試験の日とぶつかって、全部のゼミナール室が面接試験に使われてしまうためです。本人ミーティングは2階の小会議室もしくは1階の和室、家族ミーティングは2階の大会議室です。当日、玄関前などに案内を出すつもりですが、参加される方は気をつけてお出でください。
摂食障害フェスティバルに参加しました
去る9月23日(秋分の日)に京都で第4回の摂食障害フェスティバルが行われて、福島お達者くらぶからは私(香山)以外にも本人メンバー3人と家族の方1人が参加し、9月のミーティングの時にメンバーの人たちに書いてもらったポスターも展示しました。会場は京都駅の烏丸口(新幹線と反対側の表口で、北を向いています)からすぐ西に2分くらい歩いたところにあるキャンパスプラザ京都という建物でした。これは京都にたくさんある大学の共同利用施設で、その2階と5階でいろいろな企画が行われました。
ポスター展示が行われたのは摂食障害関係の本の即売店やいろいろな団体がごちゃ混ぜに展示物を出したりしている部屋で、その中で、模造紙くらいの大きさの黄色の画用紙2枚いっぱいにいろいろな色のポスカで思い思いのメッセージが書かれたお達者くらぶのポスターは、その彩りもメッセージも、来た人たちに強い印象を与えたようです。昨年のフェスティバルの時のポスターを覚えていた人もいて、「福島の人たちは頑張ってますね」と声をかけてくれたりしました。
そのポスターの前に置いた机の上に、本人向けと家族向けの手帳と、5月に行った公開セミナーの時の資料が余っていたのを何十部か自由に取ってもらえるように置いておいたのですが、全部なくなっていました。
今回のフェスティバルの一番の特徴は、何よりもプログラム作成やシンポジウムで話してもらう人の選定、会場の交渉や設営などの事務の中心になったのが自助グループの人たちだったことです。このフェスティバルを主催するのは日本摂食障害ネットワークという組織で、この組織を立ち上げる中心になったのは大阪市立大学病院の小児科から神戸女学院大学人間科学部へと移られた生野照子先生や関西医科大学の心療内科の先生たちですが、その運営委員会のメンバーに2年前から自助グループの人たちが加わってフェスティバルのプログラム作成にもかかわってきていました。その「かなりあしょっぷ」という自助グループ(京都、大阪、滋賀でミーティングを行っています)が、ついに実行の中心に立つようにもなったのです。
摂食障害本人の人たちがさまざまな行事を主催することは全国でいろいろありますし、そこに援助の立場にある人たちが招かれて参加することもあります。しかし、本人も家族も援助職の人たちもみんな対等に集まる会を本人たちが中心になって主催するというのは画期的なことだと私は感じています。
実は私(香山)はこのネットワーク運営委員会のメンバーなのですが、一人遠く離れているのでフェスティバルに具体的にかかわることが難しく、しかし主催する人たちが燃え尽きたりしないように少し気配りをさせてもらいました。また、フェスティバル当日にはミニ相談コーナーを担当して、6人の人の相談にのりました。一人10分だけなので限られた時間の中で十分に話しを聞くことはできないのだけれど、それでも「それでいいのですよ」と言ってあげたら思わずほほえみがこぼれた人、逆に涙が抑えきれなくなった人たちがいました。その人たちは、自分で必死に生きてきた中でどう生きるべきかもわかってきているのだけれど、それでいいのかどうしても自信が持てないでいる、それをちょっとだけ後押ししてあげられたのだと思います。
さて、今回のフェスティバルに参加しての印象を本人の人が書いてくれましたので、この後に載せます。前号に載せた手紙を書いてくれた美瑛君です。
京都のフェスティバル印象記 美瑛
去年、大阪でのフェスティバルには参加できませんでした。できなかったと言うよりは、参加しなかったと言った方が正しいかもしれません。同じ日にクラブのイベントがあったのです。私はフェスティバルではなく、イベントの方を取りました。それだけ病気と真剣に向き合おうとする気持ちがなかったんだと、今になって思います。今回の京都フェスティバルに参加できた事がうれしいです。
そして、母も参加してくれた事がうれしいです。わざわざ仕事を休んで参加してくれました。しかも、せっかく京都に行くのだからと2泊して観光する事もできました。母は夜勤明けで京都へ直行しました。自分の体調より、母の体調の方が心配で仕方ありませんでした。そんな心配は必要なかったようです。私より母の方がワク×2しているという感じで、新幹線の中でもずーっと喋り続けていました(笑)。
フェスティバルに参加しての感想です。
当日、会場へ行くと大勢の人が受付をしていて驚いてしまいました。予想以上の人達がフェスティバルに参加されていた事がうれしく思いました。摂食障害を理解し、交流を深めようと考え、行動に移せる人達のパワーを感じました。
母は終始、本人や援助者の講演を聞いていました。一方、私は“癒しと健康作りコーナー”に参加しました。アロマテラピー、カラーセラピー、オルゴールセラピー…etc。さまざまなコーナーがある中、私はダンスセラピーと気功を体験してきました。
ダンスセラピーは単にダンスするわけではなく、人と触れ合う事により、心の疲れを取りリラックスするというものでした。(私はフォークダンスやリズムダンスなどをして体を動かすコーナーだと思っていました。)他人と手をつなぐ事から始まり、ちょっとしたゲームをしました。楽しくて、笑顔、笑顔。みんな笑っていました。セラピーの先生は、笑顔を作り出す事もダンスセラピーの目的だとおっしゃっていました。
ゲーム後は、(2人組になり、1人がうつ伏せ、もう1人が寝ている方の背中に触れる)マッサージの様な事をやりました。背中を通して相手の手の温かさ、優しさを感じられました。とても、心が落ち着き、リラックスできて眠くなってしまいました。“気持ちえ〜わ。眠くなってきた〜。”あちらこちらから聞こえてきました。
私は日頃から、人の温もりが恋しく思っていました。淋しい、虚しい、人が恋しい、抱きしめてほしい。心が人を、愛情を、求めているのだと思います。そんな時こそ、ダンスセラピーが役立つと思います。少し、背中を撫でてもらう、優しく押してもらう。これだけでも、充分に心が癒されると思います。
セラピーの先生が“疲れたときに、娘に背中を撫でてもらうのよ、私を癒して〜ってね”とおっしゃっていたのが印象的でした。
気功のコーナーでは、簡単にできる気功を体験してきました。深呼吸をしながら、ゆっくり手を動かすだけで、手のひらがポカポカしてきました。“ゆっくりゆっくり動く手だけに集中してください”との先生の声、その通りに目の前でゆっくり動いている自分の手を見つめました。なんだか、時間の流れまでもが、遅くなり、自然と心が落ち着きました。心と身体は密接につながっていて、心が冷えてしまうと、手や足も冷えてしまうとの事でした。肩凝りや腰痛もストレスなどで、心が硬くなってしまうために起こるのだそうです。体を揺らしたり、手をブラブラさせるだけでも、心がやわらかくなり、リラックスできるらしく、実践したいと思いました。
本人のおしゃべりコーナーにも参加しました。10人くらいとカウンセラーとで丸く円になり、話しをしました。言いっぱなし、聞きっぱなしではなく、ディスカッションの様な形式でした。過食をやめたいと話す人、体型で悩んでいる人…さまざまでした。小さくて眼がクリ×2したかわいらしい女の子(高校生)が涙をこらえながらしゃべっていたのが胸に突き刺さりました。「私は拒食症だったんですが…最近食べ出すと止まらなくて、やめたいのに止まらなくて…辛くて×2本当にしんどいんです… 学校もしんどいけれど、行きたい大学があるから…」と、本当に辛そうに、涙があふれてポロポロと…彼女の気持ちが伝わり私は口びるを噛みしめて泣くのを我慢しました。
兵庫県から参加した大学院生とお友達になり、手紙やメールのやり取りを始めました。彼女は、「もう充分人生まっとうしたから、いつ死んでもいい。とても幸せだ」と言っていました。私もそう思います。自分は色んな苦労や辛さを味わってきたし、色んな経験をしてきた。もう充分生きたと思います。あとは、マイペースでその時、その時を生きていきたいです。今を大切にしたいです。何度も死ぬ事を考えたり、死にたくて仕方なかったけれど、今は生きてきて良かったと思います。最近もというか、毎日、不安との闘いで辛いし、苦しいし…でも生きていたいと思います。乗り越えた時、きっと何か大きなものを手にする事ができると思います。
フェスティバル(本人のおしゃべりコーナー)で私の話に涙してくださった方々がいました。とてもうれしかったです。本当に京都に行って良かったです。たくさんの人と出会う事ができ、とても有意義な一日でした。
引きこもりと薬物依存:グループを取材して書かれた本 香山雪彦
私は最近、偶然の機会にも恵まれて、摂食障害とは違う種類のグループの人たちと知り合う機会がありました。全国引きこもりKHJ親の会と、薬物依存の人たちの茨城ダルクです。その両方から、地方新聞の記者が密着取材して書いた記事を中心としたという共通点のある本をいただきました。前者の方からはできればこの本について広報することを希望する文が添えられていたこともあって、両方を紹介しておきたいと思います。
引きこもりの方の本は、「ルポ ひきこもり 心の叫び 家族の絆」(新井健治、奥山雅久著、2004年8月 埼玉新聞社発行 埼玉新聞社ブックレット、800円)で、著者として名前を連ねている新井さんは埼玉新聞の記者、奥山さんは全国引きこもりKHJ親の会の代表です。新井さんが埼玉県から始まったKHJ親の会やその他の引きこもりについての全国の活動を取材して書いた埼玉新聞の記事が中心となっていて、それに奥山さんが親の会の活動を中心に引きこもりについて考えておられることをまとめた考察が加えられています。
私(香山)はこの親の会を2003年の秋に新潟県の長岡で行われた日本嗜癖行動学会の時に初めて知りました。その学会のワークショップで私は1時間半の時間をもらって「現代社会の象徴としての摂食障害とその地域差」という題名で講演したのですが、その講演を聴いていたKHJ親の会東海支部(なでしこの会)の代表の方から名古屋に講演に来てほしいとの要請を受け(その講演は2004年3月に実現しました)、また、KHJ親の会の奥山代表も紹介を受けていました。しかし、この会が自分の子供が引きこもっていることに苦しんでいる親の人たちの自助グループだということはよくわかりますが、どんな経緯でできた会なのか、どんなことを目指しているのか、といったことについてはよく知らないままでした。それがこの本でよく理解できました。
ちなみに、この会の名前にあるKHJもいったい何の意味なのかを尋ねることもしないままに来ていたのですが、それもこの本でわかりました。それは、長期の引きこもりで起こる可能性のある強迫性障害(K)、被害妄想(H)、人格障害(J)の頭文字だということです。
これを取材したのが埼玉新聞の記者だったというのは、この会が最初に埼玉県で立ち上げられたためです。(現在も本部が埼玉県岩槻市に置かれています。)最初は40人くらいで2000年6月頃から本格的に活動を始め、最初は埼玉県内だけだったけれど、その活動がTVなどで紹介されるとあっという間に参加者がふくらんで全国組織になった、その時期を取材して2001年のはじめから半年間にわたって埼玉新聞に連載された記事がこの本の中心になっています。
この本では取材で聞いた実例をいくつも紹介しながら引きこもりをめぐる状況を解説していますが、その一つの例では、近くの病院では何時間も待った後の2−3分の診察で「変わりないね、薬出しておくね。」という対応しかしてもらえなかったので受診した大学病院で、「あなた、そんなんじゃ、社会に出て働けないでしょ。あなたがそんなんだから、お父さんもお母さんも困っているでしょ。」と説教した精神科医(それも教授)の言葉が紹介されています。「じゃあ、僕はこの病院では直らないということですね。」と本人は怒って出て行き、両親は耳を疑ってあきれ果てた、というのは当然のことかと思います。
けれど、この親の会や「社会的ひきこもり」(PHP新書)を書いた斎藤環先生たちが頑張って、引きこもりが大きな社会問題だと認知される状況に持っていき、厚生労働省もその重大性を認識して引きこもりは行政(保健所など)が扱うことになってマニュアルもできている、そんな中でもこの程度の理解しかできていない医師たちはまだまだたくさんいます。斎藤環先生は、「引きこもりは家族の中では決して解決できない、家族の外からの力が必要だ、それ故、本人が出て来れないならまず親が受診することが大切だ」と主張されていますが、今だに「本人が来ないと診ない」という精神科医はたくさんいて、本人が来れなくても診てくれるかどうかで引きこもりのことを勉強している医師かどうかを見分けることができるのかもしれません。
私(香山)が茨城ダルクを知ったのはもっと偶然でした。私は学校の先生たちの勉強会を中心に講演を依頼されることが増えていて、特に養護の先生が子供たちの苦しさをちょっとでも理解して受け止めてくれたら子供たちはどれだけ楽になるだろうと、都合の着く限り引き受けています。そんな中で昨年は高校生たちへの講演を依頼されることが重なり、私にとっては何百人という高校生に対してどんな話をどんな風にすればいいのか迷ってしまって苦手意識みたいなものもあるのですが、自分に対してチャレンジしたい気持ちもあって引き受けました。そのある高等学校で、私と別の学年への講演に茨城ダルクの代表である岩井喜代仁(いわい きよひろ)さんが招かれていて、ここに紹介する本をいただいたのです。
ダルクというはDrug Addiction Rehabilitation Centerの頭文字をとった薬物依存の人たちのグループで、NA(Narcotics Anonymous:無名の薬物依存者の会)ミーティングにみんなで出席したりしながら共同生活をしている組織です。日本全国に関連施設を含めて30カ所以上ありますが、茨城ダルクはその中でも独自の活動も展開していて、福島県の裏磐梯など北関東から東北地方に兄弟施設を持っていたり、また、岩井さん自身が話したり講師を呼んだりしての勉強会を兼ねた家族会のミーティングを毎月一回、1泊の泊まり込みで開催しており、それが家族の人たちに大きな力になっています。(つい最近12月の家族会には私が呼ばれて話してきました。いただいた本に対してのお礼と、感じるところを書いた手紙を出したところ、逆に講演を頼まれたのです。)
その岩井さんからいただいた本は2冊で、1冊目は「漂流の果てに−茨城ダルク 薬物依存者の回復」(市毛勝三著、茨城ダルクを支援する会発行、1998年、筒井書房、1800円)という本です。市毛さんは茨城県土浦市に本社のある地方紙「常陽新聞」の記者で、茨城ダルクを取材して書いた記事を1997年の1年間、その新聞の1面に断続的に連載して75回に及んだ、それが1冊目の本の中心になっていて、薬物依存の現状、家族の苦悩、ネットワークの模索、回復への過程などを中心に、ダルクの活動を紹介しています。
2冊目の本は「我ら回復の途上にて−茨城ダルクの10年 心の居場所から」(市毛勝三編著、茨城ダルクを支援する会発行、2002年、那珂書房、2000円)です。ここでは茨城ダルクと家族会の紹介の後に、市毛さんと岩井さんに近藤恒夫さん(日本ダルク代表)と水谷修さん(夜間高校の先生をしながら夜の町で若い人たちに話しかけ、メイル相談を受ける「夜回り先生」として有名な方です。その活動が教育委員会の考えるところと合わなかったからか、高校は退職されたということです。)を加えた4人の対談、さらに、茨城ダルクを卒寮していき、今は各地のダルクの施設長をしている人たちが書いた自分の生きてきた道、その人達に岩井さんを加えた対談などが掲載されています。
この2冊の本を読んで私が一番強く感じたのは、薬物依存の厳しさです。私はお達者くらぶでは「食べ吐きしてもいい、リストカットだってかまわない、それで生き延びられるなら、やってでも生き延びよう」と言います。しかし、薬物依存については話は全く別なのです。なぜなら、薬物への依存は必ず体も脳も壊して、生き延びる前に人間をだめにしてしまうからです。
ここに、過食の人たちと、薬物の人たちの大きな違いがあります。過食の人たちでも、食べるのを完全にやめると死にますからある程度は食べなければならない、ここに過食症の人たちのジレンマの苦しさがあります。それに対して、生き延びるためには薬物は絶対にやめなければならない、その原則は単純でわかりやすいのです。しかし、薬の誘惑はものすごく強く、やめることは非常に難しいのです。
当然、家族の対応も違っています。私はお達者くらぶでは家族ミーティングの司会を務めているのですが、家族の人たち、特にお母さんに、娘さんを受け入れてあげてくださいと伝えることが多い。そのお母さんがつらさをかかえていることも多いから、その時はお父さんにお母さんや娘さんを支えてあげてくださいとも伝えます。お達者くらぶではお母さんがお父さんを引っ張ってきて夫婦で出てくる人たちも多いのですが、お父さんが出てくるようになるとお母さんが楽になり、それでお母さんに子供を受け入れる余裕が生まれて、娘さんの回復は確実に進んでいきます。
しかし、この2冊の本で、薬物の場合は家族が本人を絶対に突き放さなければならないことをいやというほど理解させられました。ちょっとでも子供を優しく包もうとすると、その子供は絶対に薬物をやめられないのです。子供の幸せを必死に願い、子供を受け入れてやりたいのに、その全く逆を演じなければならないのです。その意に反して子供を冷たく突き放さなければならない、それだけ家族の方の苦悩も強い、そのつらさは胸が締め付けられるように迫ってきます。
私は脳生理学者ですから、その理由も想像がつきます。脳の中でドーパミンという物質が放出されると快感が起こるのですが、人間は味付けを発明したし我々は砂糖をふんだんに使うことができるから食べることは快感を伴い、その時にドーパミンが出ます。ギャンブルに熱中している時にもドーパミンが放出されます。しかし、食べることやギャンブルによる増加とは比べものにならないくらい圧倒的に多い量のドーパミン放出が覚醒剤などの薬剤により起こると報告されています。
このドーパミン放出量の違いは、現実生活でも大きな違いにつながります。過食もリストカットも、とりあえず生き延びさせてくれる力にはなるけれど、その行動は強い苦痛も伴い、だからやめたいと願う人も多い。それに比べれば、覚醒剤などの薬物は、苦痛はせいぜい注射針の痛みくらいで、非常に強い快感を作ってくれます。だから、覚醒剤の誘惑は圧倒的に強く、どうしても現実の生活の中での苦しさを逃れるために使うことになります。少しでも甘えがあるとそれからは逃れられないでしょう。本人だけでなく、家族の方もまたその甘えを許しては決して薬を絶てない、本当にきびしい世界です。そんなことをこの本で明確に理解しました。
しかし、薬物依存と摂食障害の共通点もあります。その最大のものは「居場所」の感覚の必要なことでしょう。どちらの場合も、自分はここにいていい人間なのだと知ること、それしか回復のきっかけはないと思います。摂食障害の場合は、家族と暮らす家庭がその居場所になってほしい。だけど、それが不可能な薬物依存では、ダルクが単なるミーティングではなくて共同生活をしていること、それは家庭に変わる居場所が必要なのだと考えれば大いに納得できます。何度スリップしても、帰ってくれば問題なく受け入れる、それこそダルクの姿なのでしょう。
お達者くらぶは摂食障害に苦しむ人たちの会です。しかし、摂食障害、同じように拒食症、過食症といっても、みんな違う背景をかかえているだけでなく、その病状(?)もみんな違っていて、引きこもりに近い人もいるし、アルコールや薬物依存に近い(あるいは摂食障害もアルコール・薬物も持っている)人もいるでしょう。過食症とアルコール依存の両方の人でも、過食症に必要なあたたかさと、アルコール依存に必要な厳しさの、どちらの方がより必要かは人によって違っていると感じます。自助グループでも、中心になる人がそのどちらかによって雰囲気が違うみたいで、自分に合う会を見つけられればよいと思います。どちらも必要ならどちらにも出ればよい。そのように雰囲気の違うグループのことが、今回の本でよく理解できました。
大河原昌夫著 「家族への希望と哀しみ」 を読んで 香山雪彦
上に本を紹介しましたので、もう一冊、私が最近読んだ本を紹介します。精神科医の大河原昌夫先生が書かれた「家族への希望と哀しみ」(思想の科学社、2000円+税)です。この本は摂食障害が主たるテーマで、この号で紹介している京都での摂食障害フェスティバルの会場で買いました。
大河原昌夫先生はかなり変わった経歴の方です。年齢は私(香山)とほぼ同じくらいなのですが、通信社の記者として東京本社だけでなく自ら希望して釧路支局にも勤務された後で東京医科歯科大学に入り直され、ストレートにいった人よりは十数年遅れて医師になられました。精神科医になられて福島県(いわき市)の四倉病院などにも勤務されたあと、現在、山梨県甲府市の住吉病院の副院長をされています。そこでアルコール依存症や摂食障害の診療にあたられていますが、摂食障害では「マーサウの会」と名づけられた家族グループミーティングを非常に大切にされています。(マーサウというのは、闘いを嫌い、子供の出自による差別を知らず、大地との共生を伝える北米大陸の先住民ホピ族の守護神だということです。)
私は大河原先生と摂食障害フェスティバルやNABA全国大会など、いろいろな場所でお会いするようになりました。家族会の人達と一緒に来られているのですが、家族の人達に積極的にそのような全国の集まりに出て、自分たちだけでなくいろいろな人達の状況を知り、交流するように促されているのだと思います。初期のフェスティバルではグループ紹介を大河原先生自身でやられていましたが、今回の京都ではもう先生は後ろに引っ込まれて、自助グループのシンポジウムには家族の方が出られていました。そのシンポジウムには同じ甲府の「EDトーク」という本人の自助グループの人もシンポジストとして出ていて、そのグループには大河原先生は直接関係してはおられないようでしたが、強い信頼感を得ておられるようでした。
この本は摂食障害とアルコール依存という二つの病気と、そこに登場せざるを得ない家族のことを主題にしています。病気の解説書ではなくて、大河原先生の病気に対する捉え方や取り組む姿勢が書かれています。それがどんなものか、くどくどと私が解説するよりも、その特徴をよく示す文をいくつか書き抜いてみる方がずっとよくわかると思います。
* 共感という言葉が忘れられかけているように思えてならない。ひとりの摂食障害の人と出会い、「もっと話しを聞きたい」と思い、共感する衝動を直感できなければ、治療を引き受けるのはどうかと思う。
* 摂食障害の症例発表を聞く機会があるが、そんなとき、「どうして?」と違和感を感ずるのは、摂食障害の相手を好きになっていない治療者の多さである。
* 医師である私も、自分の流儀が絶対と思わないように努力している。自分の勤める病院のプログラムが合わない人の存在を絶えず考えるようにしている。
* 私は何よりも治療者の率直な感想が必要だと考えている。なぜなら、率直さを欠いたコミュニケーションの家族が多いからだ。
* 治療者が摂食障害にマイナスイメージを持たず、必ず回復する実感を持っていることは相手に伝わる。
* 精神科の病気はただ治ることが大切なのではなく、いかに安心して治るか、治ったあとの自分の居場所があるかどうかが回復の帰趨を決する。
* 摂食障害は希望の見えない時代の刻印を負っていると思う。摂食障害の背後には痩せていることが自己の価値につながるとの観念がある。なぜ痩せるのかといえば、それ以外に表現方法が見つからなかったからだ。
* 私はある患者が長い食べ吐きの歴史を振り返って「私にとって食べ吐きは自分をもっとも傷つけない方法だった」と語ったのが忘れられない。つまり、拒食や食べ吐きは自己破壊であると同時に自己救済でもあるのだ。
* 人間は諦められる存在である。〈肯定的な諦め〉ともいえようが、自分自身との折り合いでもある。但し、そのときには自分としても出来るだけの努力はしたという感覚が必要である。治療者とはその感覚を共有する人であると思う。
* 「もう治りたい」という必死さも必要である。ここまで来るためにこそ、家族の協力が支えだったのであり、自分と家族の関係を含めた自分の歴史を見直す作業も必要だったのである。自分の歴史を新たな感覚と自分の言葉で語り直す。
* 家族会でときに、本人に何をしてあげたらよいかとの質問を受けるが、私は、むしろ、「嫌なことをしない」ことが先である場合が多いと考えている。何をしてあげるのかというよりも、何をせずに済ませられるかにかかっているのではないか。
* ひとつの家族が挫折しかけたとき、必要なのは、あらたに健康な家族を探し始める作業ではなく、挫折と不完全さを子どもとともに語り合い、許容する姿勢である。多少、不健康でもよい、むしろ不完全さを許容する態度なのだ。
* あとは自然回復力に任せればよいというのが私の基本方針である。相手の回復力を信じ、辛いことは共に考え、悩み、嬉しいことはともに喜ぶ。それでよいのだと考えている。
* 「底付き」とは、誤解されていることがあるので、強くいっておきたいのだが、その人が家庭も仕事も失い、心身共にボロボロになり、ようやく己れの駄目さ加減に気がつくというのではない。そうではなく、「自分は酒をやめても、生きていける。俺は大丈夫なんだ。私は大丈夫なんだ」という自らのうちに底光りがするような、誇りの存在に気がついたときをいう。
ここに書き抜いたのは、私が摂食障害に苦しむ人達やその家族の人達に言ってあげたかった言葉、私が言ってもらいたかった言葉、あるいは私が心にあるけれどうまく言葉に出来なかったものを嫉妬を感じるくらいにうまく表した言葉ばかりです。
摂食障害について書かれているところだけでなく、アルコール依存についてその家族へのアドバイスとして書かれていることも、摂食障害でも共依存関係が強く現れている場合にはそのまま当てはまります。お達者くらぶのメンバーでも特に家族の方々には読んでみられることを私は強く勧めます。
福島お達者くらぶの連絡先
福島お達者くらぶは会長や代表者をおいていません。明確な事務局もおいておらず、スタッフがそれぞれの状況に応じて分担してミーティングやその他の活動の運営を行っています。(その運営の形は自助グループ的だとも言えそうです。)しかし、連絡先だけはきちんと明示しておかなければ困ります。現在、連絡先は次のとおり香山の所にしています。
960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座 香山雪彦
電話(直通):024-547-1134 FAX:024-548-2571 メイル:y-kayama@fmu.ac.jp
連絡はなるべく手紙かメイルでいただけたらと思いますが、お達者くらぶやミーティングについての問い合わせなどは遠慮なく電話していただいてけっこうです。初めてで様子がわからない方もどうぞ電話してください。香山は会議や講義で不在になっていることもあるので、一回でつながらなくてもめげずに何度もかけてください。夕方5時以後も、9時くらいまでいると思います。(もちろん不在のこともありますが。)
ただし、個々の問題についての相談には応じられません。それは、全く同じように見える人でも、例えば抱き留めてあげるのか、逆に突き放してあげる方がよいのかなど、人によっても、その人の時期によっても、全く違った対応が必要になることが多く、それは長い時間をかけて何度も何度もお話を聞かないと判断できないことで、電話では責任ある対応ができないからです。お達者くらぶは相談の場所ではないことは、ミーティングについても同じです。ご理解下さい。