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第32号 2004年 7月 1日 発行
お達者くらぶだより第32号をお届けします。
この会報はこれで32号になりました。32回しか発行していないというのはほんのちょっとのように見えますが、1年に4回ですから、これで8年になったわけです。これはけっこうな年月です。毎号毎号、どうやって8ページの紙面を埋めようか、編集している香山はかなり苦労しています。仕事に追われて直前まで載せるものが何もなかったこともあって、以前に別のところに書いた原稿をちょっと変えて間に合わせたこともありました。できるだけいろんな内容を載せたいので、皆様、ぜひとも原稿を寄せてください。
この号では、5月にお達者くらぶが公開で開催した摂食障害セミナーのことを報告させていただきます。ついでに、今までのセミナーのことも振り返ってみました。
摂食障害セミナー報告 香山雪彦
セミナーの歴史:1・2回目のセミナー
お達者くらぶが公開のセミナーを開催したのはこれが4回目です。
最初は1992年11月の福島お達者くらぶ創設(当時は福島摂食障害者の会という名前だったのですが、これでは・・と、まもなく本人たちによって福島お達者くらぶと命名されました)の記念行事として、9月26日に行われました。このときは私(香山)はまだスタッフになっておらず、グループの発足についても知らなかったので、そのセミナーの詳しい内容などについては知らないのですが、その時の資料を見せてもらうと、医大の精神科(正式には神経精神医学講座)の主催、本多教一・星野仁彦両先生のお世話で自治会館(県庁の隣です)で行われました。基調講演には嗜癖問題臨床研究所(CIAP)原宿相談室カウンセラーの田中ひな子先生が招かれ、3人のNABAメンバーの人たちが体験発表をされています。参加者は70人あまりだったということです。
二回目は3年後の1996年2月に行われ、このときの基調講演は信田さよ子さんに来ていただきました。東京の原宿カウンセリングセンターの所長をされている信田さんのことは著書もたくさんありますから知っておられる方もおられると思いますが、独立の心理カウンセリングの事務所を構えられた草分け的な方です。その時の講演のメモを読み返してみると、今でも私が本人や家族の方に投げかけたい大切な言葉がいっぱいに書かれていて、素晴らしい講演だったのを思い返します。
けれども、この講演の後の質問の時間に、あるおばあさんがその息子のお嫁さんについて質問されたのに対して、信田さんはかなり冷たいと感じられる返答をされて、そのおばあさんがだいぶんがっかりされたような感じになったことがありました。それを感じたので、私はそのすぐ後の休憩時間にそのおばあさんのところに行って少しフォローすることを言って安心してもらいました。後日、その近くにいた人が私に、私の言葉で周りにいた何人もの人がほっとする感じだったと伝えてくれました。それで私は信田さんのことを少し批判的に見るようになりました。
ところが、その後に読んだ論文の中で、信田さんは、(一般的にセラピスト(カウンセラー)には中立的な立場で客観的に見ることが大事とされているけれど)「中立であるということは苦しんでいる人に対してその人を支配している親や世間の立場に立つことである。中立ということはあり得ず、自分は誰の立場に立つのかを意識しなければならない」と主張されていて、さらに信田さんの他の本も読んで、私は信田さんに尊敬の念を持つようになりました。上述の冷淡さのようなものは、たくさんの相談を受けてこられた経験から体得されてきた、援助の上で必要なものなのだと理解したのです。どこまでも温かく受け止めるだけでは自立していくことを支援できず、突き放すことも大切になるのです。(ついセミナーの報告からはずれた、私自身の思いを書いてしまいました。)
その2回目のセミナーの後半は体験談だったのですが、家族の方はお達者くらぶの家族ミーティングに来られていた中から3人(一人はお父さんでした)に話していただいたのだけれど、本人についてはまだとてもお達者くらぶメンバーに話してもらえる状態ではありませんでした。それで、当時毎回本人ミーティングの司会に来ていただいていたNABAの方に生き延びて今に到った体験を話していただきました。いずれも、200人近く入る光が丘会館会議室がほぼいっぱいに埋まっていた参加者の心を打ちました。
セミナーの歴史:3回目のセミナー
三回目のセミナーは5年後に飛び、2001年5月に行われました。
1992年秋のお達者くらぶ創設以来、ミーティングの雰囲気はしだいに変化していき、スタッフの異動・入れ替わりもあって、私達はさまざまな試行錯誤を繰り返していたのですが、参加者数は創設から5年経った1997年から98年にかけての冬頃がピークで本人ミーティングでも20人を超した(家族の方は30人に達した)ことが何回かあった後、急速にどんどんと減少してきていて、その3年後には本人ミーティングは参加者たいてい4人以下、冬のひどい天気の日だったとはいえたった2人しか集まらなかったこともありました。
しかし、事務局やお達者くらぶだより編集の私のところに寄せられた手紙には、「ミーティングには行かなくなったけれどお達者くらぶは心のふるさとのように感じている」とか、「お達者くらぶだよりが届くたびにまだちゃんとミーティングがあるのだと安心する」、といった言葉が寄せられていましたから、お達者くらぶの役割は終わったとは思えませんでした。
それでスタッフはお達者くらぶをこれからどうしていくかを繰り返し真剣に討議して、ミーティングの性格を変える(例えば、教育的な内容を強める、カリスマ的な人に出席してもらって引きつける、など)という案も出ました。しかし、摂食障害に苦しむ人が減っているということは絶対になくてその逆だろうし、まずこの会の存在を知ってもらうための宣伝が必要だろう、そのためには公開のセミナーを企画してそれをさまざまなところを通じて広告してもらおう、ということになって行われたのがこの3回目のセミナーだったのです。
このセミナーの最大の特徴は、基調講演および本人・家族の体験談のすべてをお達者くらぶ自身から出すことができたことだと思います。基調講演は私(香山)と、その年に4年制の新しい学部開設のためにメンタルヘルスセンター所長(教授)として福島学院短大に移られたばかりの星野仁彦先生が担当し、それぞれ「なぜ私達は食べることに溺れるのか」、および「精神科から見た摂食障害」というテーマで45分ずつくらい話しました。(後で書いていただいたアンケートではどちらも好評で、もっと長い時間をかけて聴きたいという声もありました。)しかし何よりも、体験談をしてくれる人がお達者くらぶの中から出たことが、そこまで重ねてきた歴史の重要性を感じさせてくれました。
家族の人はまだしも、本人の人にたくさんの知らない人たちの前で(中には知っている人もいるかもしれないところで)話してもらうというのはたいへんなことです。そのままの自分を受け入れてもらえる仲間の中で話すのではないからものすごい勇気がいりますし、話すことでその人は新たな生きる力を得ていくのだけれど、話すことで今までと違った傷を負ってしまうことだってあり得ます。それでこの話してもらう人をお願いすることは、頼む方のこちらにも熟慮だけでなくかなりの覚悟がいる作業です。このときは福島県外で働いている人に手紙を書いて話してみませんかと尋ねたところ、「怖いけれど、話してみたいという気持ちも強い。心が揺れるけれど、引き受ける。」と言っていただけました。
そのように強い覚悟でもって話していただいたのですが、いざたくさんの人たち(このときは光が丘会館の大会議室に入りきらないくらいの、約230人の参加者でした)の前に立ってみると、涙があふれて言葉が出てこない状態になりました。そこからぽつりぽつりと言葉を絞り出して、ご両親も来ておられるその前でお母さんに対する満たされなかった思いを語り、「それでも私はお母さんが大好きです」と話したときにはたくさんの人たちが涙を流して聴いていました。(そのご両親は、遠方なのでときどきしか来れないけれど、お達者くらぶのミーティングに来られて娘さんのことを理解され始めていました。)
そのあとに話した家族の方は、「今の方は自分の娘に代わって話してくれたのだとしか思えなかった、話してくれて本当にありがとう」と、涙を抑えながら感謝の言葉を言われました。たくさんの人たちがそれに頷いていました。そのようにたくさんの人に深い感動を残した体験談だったのですが、それでもその本人の人はやっぱり大きく揺さぶられ、その後何週間か、私のところに揺れる苦しさを直接に言葉にして、あるいはある行動を止められなくなったことで伝えてきて、私は賞賛と感謝と申し訳なさの複雑に入り交じった気持ちでサポートさせてもらいました。その時期を経た後は、その経験は生きる力に育っているのだと思っています。
そのセミナー後の3年間
このセミナーの後、本人・家族とも新たな参加者が増えて、その人たちが現在の中心になって、毎回ちょうど良いくらいのミーティングになって落ち着いたと思います。どちらも繰り返して参加する人が増え、仲間意識を持てるようになって、仲間に会いたいために参加する人たちが多くなったように感じます。特に本人ミーティングは、自助グループによくあると思われる、うんと先を行く回復者の人がいてその人と話したいために集まるような会とは全く違う、仲間どうしで和気あいあいと盛り上がるような雰囲気なのだろうと(私は本人ミーティングには出たことがないけれど)想像しています。
そのミーティングの雰囲気は、スタッフがどのようなミーティングにしようと意図的に引っ張るのではなく、自然にそうなって行ったのだからそれでいいのだと思います。その中から、例えば昨年、クリスマスパーティーを本人たちがやりたい、やろうと言い出してやったように、ただ与えられた機会があるから参加しているだけでなく、自ら考え提言するような人たちが出てきているのもスタッフとしてうれしく思っています。そのようになったのには、以前よりメンバーの年齢が高くなってきていて、それだけ摂食障害についても自分についてもしっかりと見ることのできる人たちが増えたためだろうと思いますが、そこにお達者くらぶの10年以上の歴史の積み重ねも少しは役立ってきているのだと感じます。
今後もミーティングの意味合いはまた変わっていくだろうと思いますが、それもまたどのような会にしてやろうと意図するよりも、流れに任せる方がよいのだろうとも思います。もしその変化した姿が今の参加者に合わないものだったとしても、合わないと感じた人たちは必要なら自分たち自身の会を別に作っていく、そのくらいの力は持ってきているでしょう。(このことはまた後に書きます。)
今回のセミナーの計画
今回のセミナーも、体験を話してくれる人をお達者くらぶのメンバーから出てもらえたら・・という気持ちも強かったのだけれど、ちょうどこのセミナーを計画する頃に私の知り合いでかなり遠方だけれど福島に行ってもいいと言ってくれた人がいたので、その人に体験談をお願いすることにしました。前回はかなり欲張ったたくさんのことを計画して時間がきゅうくつになってしまったこともあって、今回は基調講演と体験談1人ずつにして、その後に質問も含めたフリートークの時間を十分におくなどの余裕を持たせた計画を立てました。
基調講演はまた私(香山)が行うことにしました。それは、体験談に遠方の人を招くので基調講演にも誰かを招いたら旅費や謝礼の負担が大きくなりすぎることもありますが、最近私は養護の先生方の勉強会や保健福祉事務所主催の講演会などたくさんの講演を頼まれていろいろなところで話していて、それを私の本拠地と思っているお達者くらぶで話しておかないと申し訳ないという気持ちもあったからです。前回と全く同じ話をするのではちょっと・・と思って、今回は「現代社会の象徴としての摂食障害:引きずり続ける思春期」という題名で、思春期を表に出した話にしました。
第4回目になる今回のセミナーで今までとくらべて一番大きな変化は、本人メンバーの中から、お達者くらぶ主催なのだから、スタッフだけでなく自分たちもかかわりたいという声が出てきたことです。そして、全体の司会を2人の人が引き受けてくれました。これは、体験談と同じく、摂食障害の本人という姿を公に見せることですから、すごく勇気のいることです。次回からは、もうスタッフが行うセミナーではなく、最初の企画の段階からスタッフとメンバーが(家族も)一緒になって考え、実施していくようになっていくかもしれないと、うれしい予想を持っています。
今回のセミナーの様子
今回の参加者(スタッフを除いた参加費をいただいた方)は109人でした。たくさんの人が集まりましたね、と感想を言ってくれた人が何人もいたのですが、その頃に実習に来ていた医大の学生諸君に手伝ってもらって会場を準備した私としては、ちょっと拍子抜けした感じもありました。というのは、前回のセミナーには同じ会場に入りきらないくらいの人が集まり、今回はそれくらい集まっても大丈夫なようにと用意していたのに、前回のちょうど半分くらいの参加者数だったからです。しかし、実際に前に立って講演してみると、余り多すぎて端っこの方の人の顔が見えないということのない、ちょうどよいくらいの人数だったと感じました。
それでも、この参加者の減少はなぜなのか、今後のために明らかにしておかなければなりません。事前の宣伝は一応前回と同じようにしました。学校関係には、県の教育庁を通じて県下のすべての学校に案内を回しましたし(1050枚のプリントを用意してくれと言われて持っていきました)、各地の保健所(保健福祉事務所)や精神保健福祉センター、精神科のあるすべての病院にはカラープリントしたポスターをお願いの手紙を添えて送りました。(同じポスターを福島大学、福島学院大学、桜の聖母短大には貼ってもらったのですが、県下の他の大学や看護学校にも送るべきだったかとあとで思いました。)
しかし、新聞社やテレビ局への働きかけが足りなかったかなと、この点については反省しています。もちろん案内はしたのですが、直接の取材に来てくれたのは事前には1社、当日も2社だけだったのは、このセミナーの意義や私達の熱意をもっとしっかりと伝えなければならなかったのだと思います。今後のセミナーやさまざまな活動のためによく心に留めておきたいと思います。
本人メンバー2人が担当してくれた司会は見事なものでした。司会だけでなく、最初に5−10分でお達者くらぶの紹介をしてもらい、講演者や体験を話してくれる人の紹介もしてもらったのですが、それぞれに話すことや2人の分担がきちんと準備されていて、特に上がったりすることもなく、しっかりと進行役を果たしてくれました。ふだん話している仲間ではない人たちがたくさんいる前でこれだけのことができたのは、すごい成長を果たしてきたのだと大きな感慨を持ちました。
フリートークの時間の司会だけは、質問の場合はそれを誰に振るかを判断しなければならないなどかなり難しいかもしれないと思われたので、スタッフの渡辺厚先生が担当しました。この時間にたっぷり30分くらい使って、何人もの人が手を挙げてくれたのですが、多くは自分の状況を話しての質問でした。それらには星野仁彦先生と私のどちらか、あるいは両方が司会者の指名で答えました。
出席者のうち摂食障害本人はたぶん1/5くらいだと思われますし、そこで立って自分のことを話すのはものすごい勇気のいることですから、自分はどんな状態でどう考えているというような本人の発言はほとんどないだろうと想像してしていたのですが、前回に体験談をしてくれた人が今回も参加していて、勇気を振り絞って手を挙げて発言してくれたのには感激しました。その発言が終わったら自然に拍手が起こりましたが、それは彼女の言葉で励まされた人、また彼女を励ましたかった人がたくさんいたのだと思います。
前回まではセミナーの日には毎月のミーティングは行わなかったのですが、今回、セミナー終了後にメンバー限定で1時間くらいのミーティングを試みてみました。しかし、セミナーでもうだいぶん疲れていたりお腹がいっぱいになっていたからでしょう、参加者は本人、家族ともふだんよりずっと少なく、中途半端な雰囲気で終わった感じもあって、これはあまり良い計画ではなかったと思います。ミーティングで話したい人が2ヶ月開けてしまうよりと思ったのですが、それならセミナーをミーティングの日ではない日に行うべきかもしれません。次回からの教訓にしたいと思います。
基調講演や体験談などの内容は非常によかったとたくさんの人に評価してもらえました。これについては後にアンケート結果を中心にして書きます。
セミナーを終えて
スタッフはそれぞれの仕事に忙しい中で、ふだんのミーティングを大切にして、はずせない予定の重ならないかぎり出てきているのですが、セミナーの準備のように時間のかかる仕事は、実はなかなかたいへんでした。それでもそれなりのノーハウを積み重ねてきているし、情報を必要としている人たちはたくさんいると思われるので、また今後も行わなければならないと思います。その時には、上にも書きましたようにメンバーの人たちも一緒になって、真の意味で「お達者くらぶ主催」のものにできればいいなと思っています。
前回のセミナーの後には参加者が増えたので、今回のセミナーでまたミーティングの参加者が増えるだろうと思っていました。しかし、6月のミーテイングにはこれほどたくさんの人が来られるとは予想していませんでした。本人ミーティングの方は15人で、ふだんでも10人を越えたことがありましたから、増えたとはいえふつうどおりにできましたが、家族の方は40人と、過去の一番多かった時をはるかに越える人数が集まり、ゼミナール室に入りきらなくなってしまいました。前回のセミナーに今回の2倍の人が集まったあとでも家族ミーティングは増加して25人でしたので、この40人という人数には全く驚いてしまいました。
この日は特に事情が重なってスタッフが手薄だったこともあって、どうしようか気が動転する感じもあったのですが、迷っている暇もなく、このままでは一人ずつの発言の時間も得られないし、急遽、グループを何度も来られているベテラン組と初めてあるいはそれに近い人たちに分けて、ベテラン組の人たちにはすぐ近くの実習室に移ってもらいました。数回くらい来ている人には、自分でどちらに行くかを判断してもらいました。
このようにグループを2つに分けることは、以前にも毎回の参加者が30人くらいになったときに何回か試みたことがあります。その時は、机を全部外に出してしまってイスだけを同じ部屋の中で2つの輪にして行いましたが、今回はゼミナール室の中にとても2つの輪を作れないくらいの人数でした。すぐ近くに私が責任を持っている実習室があって、その点はラッキーだったのですが。
しかし、家族ミーティングの一番良いところは、初めて来られた人たちに何度も来られている人たちの話すことを聴いてもらえること、そして何度も来ている人たちには初めて来られた人たちが話すことを聴いて自分たちのたどってきた道を振り返ってもらえることだと思う、それがこのように2つのグループに分けたのでは得られません。実際、今回の初めての人たちのグループの中にすでに数回参加されている方が3人混じっておられて、3人だけでもその方たちの話は初めての人たちに大切なものを伝えられたのではないかと感じます。
ベテラン組の人でも初めての人でも、こんなミーティングでは来ても意味がないと感じる人も多いでしょうから、自然に適当なところに落ち着いていくのかもしれませんが(実際、前回のセミナーの後では3ヶ月くらいでセミナー以前との中間くらいのところに落ち着いていきました)、それでも今後同じようなことがあったときにはどうするか、スタッフの力が試されているところでもあると思います。7月のミーティングまでによく考えておきます。
本人でも家族でも、今まで楽しく来ていたのに、人数が増えたり新しい人たちが入って雰囲気が変わって、ミーティングが面白くなくて行きたくなくなった人が増えたらどうするか、ということについては、ぜひともその人たちで自分たちのミーティングを始めていただければと思います。ミーティングというから構えてしまうけれど、月一・ドタキャンありの、本人ならお茶会、家族なら飲み会と思えばいいのではないでしょうか。自分たちだけでは・・と思われるなら、誘っていただければスタッフがそこに加わることも可能ではないかと思います(私でよければ都合のつくかぎり出席させていただきますし、月一くらいなら何とか都合をつけたいと思います)。それもまた新たな発展になるかもしれません。
アンケート結果に見るセミナーの姿
統計に見る参加者の立場、性別、年齢など
集まったアンケートはちょうど60枚で、半数以上の方に出していただけました。ありがとうございました。
アンケートを出していただいた方の立場別の人数は、次のとおりでした。
本人10人、家族・親戚20人、医療関係者10人、教育関係者18人、その他2人
医療関係者の中には福祉関係および学生も含みます。なぜかわかりやすい数字になったのですが、家族・親戚が本人のちょうど2倍だったのは、前回も全く同じでした。前回は本人、医療関係、教育関係がほとんど同じ人数だったのとくらべると、今回は教育関係者が多いことが目立ちます。これは、各学校には教育庁を通じて確実に宣伝が行き届いたのに、マスコミへの宣伝が足りなかったためにその他の人たちが減ったためだろうと思います。
この60人には女性が圧倒的に多かったのは、摂食障害ゆえに当然かもしれません。男性は全体で8人、内訳は本人1人、家族3人、医療関係2人、教育関係2人でした。前回は家族の3割近くが男性だったのとくらべると、その分だけ男性が少なくなっています。また、前回は教育関係が全員女性だったのに、今回2人だけとは言え男性が来られていたのは社会の理解が進み出しているからだと思いたいのですが、どうでしょうか。ちなみにその2人は50歳代の方でした。
年齢は、本人は10歳代は1人だけ、多くは20歳代で6人、30歳代はいなくて、40歳代が3人でした。家族・親戚は40−50歳代がほとんどで、60歳代が2人と、ほとんどは母親や父親だと思われます。ただ、20歳代の方が2人おられて、どちらも女性でしたから、姉妹の方だろうと思われます。医療関係者では、半数は20歳代で(学生諸君が多かったのでしょう)それ以外は30−60歳代に均等に散らばっていました。教育関係者では、40歳代の人が2人だけと少なかったけれど、20歳代、30歳代、50歳代がほとんど同数でした。
ちょっと面白い、というより不思議だったのは参加者(といってもアンケートを書いていただけた方だけしかわからないのですが)の住んでおられるところです。医療関係者は全員中通り北部、教育関係者も会津3人以外は中通り北部と中部というように来やすいところの人たちが来られていて、家族も半分は中通り北部(あとは中部・南部・会津が同じくらい)だったのに、本人は40代の男性1人だけが中通り北部だったけれど、女性はほとんどが浜通りと会津の方たちでそれ以外にも中通り南部と県外1人ずつと、いずれも遠方から来られていたことでした。この違いに意味があるのかどうかよくわかりませんが。
各プログラムの感想
アンケートでは基調講演、体験談、フリートークのそれぞれについて、1)よかった、2)ふつう、3)ものたりなかった、4)期待はずれだった、の4段階で評価してもらいました。全体として、非常に良かったと評価してもらえたと言えそうで、企画・実行した私達としてはうれしく感じています。どのプログラムについても、どの立場の人たちも1−3人がふつうと評価していますが、ものたりなかったと感じた人は体験談について本人2人+家族2人およびフリートークについて本人1人+医療関係者1人だけ、期待はずれだったという評価は全くなく、どのプログラムについても圧倒的に多くの人たちは良かったと評価してくれました。
もう少し詳しく、あるプログラムについてのある立場の人の評価を数字で見ますと、フリートークについては良かったと評価した人は本人だけは半数にとどまりました。(本人以外のどの立場の人たちも80%以上が良かったと評価したのですが。)基調講演、体験談については、どの立場の人たちも一番低かった場合でも2/3以上の人たちが良かったと評価してくれました。
どういうところが良かったか、ものたりなかったかを具体的に書いていただいたことについては次号にまとめたいと思いますが、体験談についてものたりなかったという少数の意見だけ少しここに書いておくと、幼い頃や家族との関わりについてもっと聞きたかったということと、穏やかに話されたのですさまじさやつらさが伝わらなかったということの2つに分かれます。後者については、しかし、淡々と話されるのでよけいにつらさが伝わったという意見の方が多く聞かれました。どんな話が聞かれるのかについてのあらかじめの期待度が人によってだいぶん異なっているのだろうと思います。
というわけで、具体的に書いていただいた感想には皆様にもお伝えしたいものがたくさんあるのですが、ここまでのところでだいたいスペースがいっぱいになったので、次号にさせていただきます。
セミナーに参加されなかった方々に: 資料が残っています
今回のセミナーでは資料をたくさん作りました。前回は購入した紙がすべて一束250枚になっているためにちょうど250部の資料を作ったのですが、今回、医大の中で事務などに使う用紙がすべてA4サイズになったためB4の用紙が大量にあまったのを無料で手に入れたために、そんな一束の枚数にこだわらずかなりたくさん作りました。
その資料には、基調講演の原稿全体+付録(親の仕事という内容です)、推薦できる本の紹介、お達者くらぶ本人のメッセージ(寄せ書き)とNABAからのメッセージ(これも寄せ書き)、NABAおよび日本摂食障害ネットワークの紹介などが掲載されています。
まだかなりの部数が残っていますので、ご希望の方には送らせていただきます。(送料は、次にミーティングに来られたときに120円余分に払っていただければいいのですが、なかなか来られない人は気にされなくてもかまいません。)遠慮なく香山まで申し出てください。
福島お達者くらぶの連絡先
福島お達者くらぶは会長や代表者をおいていません。明確な事務局もおいておらず、スタッフがそれぞれの状況に応じて分担してミーティングやその他の活動の運営を行っています。(その運営の形は自助グループ的だとも言えそうです。)しかし、連絡先だけはきちんと明示しておかなければ困ります。現在、連絡先は次のとおり香山の所にしています。
960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座 香山雪彦
電話(直通):024-547-1134 FAX:024-548-2571 メイル:y-kayama@fmu.ac.jp
連絡はなるべく手紙かメイルでいただけたらと思いますが、お達者くらぶやミーティングについての問い合わせなどは遠慮なく電話していただいてけっこうです。初めてで様子がわからない方もどうぞ電話してください。香山は会議や講義で不在になっていることもあるので、一回でつながらなくてもめげずに何度もかけてください。夕方5時以後も、9時くらいまでいると思います。(もちろん不在のこともありますが。)
ただし、個々の問題についての相談には応じられません。それは、全く同じように見える人でも、例えば抱き留めてあげるのか、逆に突き放してあげる方がよいのかなど、人によっても、その人の時期によっても、全く違った対応が必要になることが多く、それは長い時間をかけて何度も何度もお話を聞かないと判断できないことで、電話では責任ある対応ができないからです。お達者くらぶは相談の場所ではないことは、ミーティングについても同じです。ご理解下さい。
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