〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第31号 2004年 4月 1日 発行
 
お達者くらぶだより第31号をお届けします。
 1月には寒い日が続き、2月には厳冬とは思えない暖かい日も多かったけれどやっぱりまだ冬だった、3月にはまた寒い日と暖かい日が交互に来た、そんな冬が終わって、この原稿を書いている3月中頃の日曜日はもう春と思える暖かさです(風はまだちょっと冷たいけれど)。このお達者くらぶだよりが届くころには花も咲き出していることと思います。冬の間には心も縮こまって苦しい思いを持っていた人がおられたとしたら、その心も開いていってほしいなと思いながら書いています。
 この号では、この下に書きますように5月に予定している公開のセミナーを紹介します。
 また、初めてのことですが、他の会の会報に出ていた記事を転載させていただきました。あゆみの会という大阪を中心にした会の会報からですが、その経緯などを紹介する記事に書きましたように、私達の福島の会が他の地方の人たちと交流できるようになったのもうれしいことです。
 
福島お達者くらぶ主催 第4回 摂食障害セミナー
 
 5月のミーティングの日(5月8日)には、通常のミーティングは休みにして、公開のセミナーを開催します。時間はミーティングと同じ2時から(5時くらいまで)、場所は福島県立医大の光が丘会館(看護学部のとなりの小さい建物)です。参加費は資料代と飲み物を含めて500円の予定です。ただし、家族で参加したときには、2人目から割引になります。次のようなプログラムを予定しています。
 
☆プログラム1 基調講演 香山雪彦
        「現代社会の象徴としての摂食障害:引きずり続ける思春期」
 
☆プログラム2 体験談 (自分の体験を話してくれる本人の方をお呼びしています)
 
☆質問や自由な発言の時間
 
 その後に本人、家族とも、少し雑談の時間を設けることも考えています(これはお達者くらぶメンバー限定です)。基調講演も、体験談も、ふだんのミーティングと違った話を聞けると思いますので、できたら家族そろって来てください。
 
摂食障害セミナーについて                 香山雪彦
 福島お達者くらぶ主催のセミナーとしては、1992年11月に発足した時の記念のセミナーから数えて第4回目になります。それから不定期に開催してきたのですが、その第1回の時も第2回の時も、基調講演や本人の体験談などは外から人をお呼びして開催しました(家族の体験談だけはお達者くらぶメンバーの家族の方に話していただけました。)。しかし、ちょうど3年前の第3回の時は、そのすべてをお達者くらぶ内部から出すことができて、それなりにお達者くらぶも歴史を重ねてきたことを実感することができました。
 そのセミナーで感じたことは、必要な人に必要な情報が届いていないという情報の欠如があり、正しい情報を求めている人たちがたくさんいるのだなぁということです。公開セミナー開催の広告を新聞やTVのメディアだけでなく、保健所や病院、学校を通じて流したのですが、只見から時間をかけてこられた人もおられたなど、私達の予想をはるかに越えてたくさんの方々が聴きに来られ、200人は十分に入る会議室が廊下もいっぱいになるくらいにあふれてしまいました。私達スタッフは、あらためて情報発信という責任も持っていることを感じました。
 情報という点でいうと、インターネットを使えばさまざまな情報が瞬時に手に入る時代です。しかし、インターネットは基本的に「見せたいものだけを見せ、見たいものだけを見る」メディアです。まがい物の情報もいっぱいあふれていて、中には明らかに詐欺と言わなければならないものもあります。摂食障害について、刑事事件になっているものもあることを知っておられる方も多いと思います。そんな中で、私達は「正しい」情報を発信して行かねばなりません。
 それでは、「正しい」情報とは何でしょうか。それは(これを書いている私を含めて)医療の側で勉強している人間が提供するものとは必ずしも言えないと私は考えています。摂食障害の公的な研究グループを率いている人が書いた本を読んでも、この人にかかったのでは(軽い人は何とかいいだろうけれど)深く傷ついた心をかかえて苦しんでいる人は決して救われないだろうと感じることもありました。(もちろん素晴らしい本がたくさんあるのですが。)
 「正しい」情報とは、あくまでも本人の人たちが発信するものだと私は思います。しかし、今まさに嵐の中にいて苦しんでいる人は何が何かわからずにもがくばかりで言葉にはできないことが多いだろうし、ようやく言葉にできだしても自分の身の回りを見ることに精一杯でしょう。そのような言葉をつなぎ合わせたり並べ替えたりして、少しだけ普遍性を持たせた言葉して発信する、私は今回のセミナー講演でそのような話をさせていただきたいと思っています。
 
あゆみの会
 大阪の「あゆみの会」という、かなり古くからある摂食障害家族の会をご存じでしょうか。摂食障害フェスティバル(お達者くらぶからも参加して、お達者くらぶだよりにも報告しました)を開催する日本摂食障害ネットワークの中心になっておられる生野照子先生が家族の勉強会として始められ、今は本人たちのグループミーティングも行われています。
その会報を編集しておられる方から、「おしゃべりタイム」という本人向けの会報に<自助グループ紹介します!>という欄を作る、その第1弾として福島お達者くらぶを紹介したいので、そのホームページのことを記載してよいですか、という問い合わせが来ました。一応スタッフで相談しましたが、しっかりとした歴史のある会ですから問題なくOKで、印刷されたその会報が2月終わり頃に私たちのところにも届きました。それは3月のミーティングのときに参加していた本人の人たちに見てもらいました。
その「おしゃべりタイム」と一緒に家族の会の方の「あゆみ」という会報も送られてきて、その中に、あゆみの会・学習会で話された心療内科医の町田英世先生の講演記録が掲載されていました。この記事はお達者くらぶメンバーの方々にもぜひ読ませてあげたい、読んでもらいたいと感じるものでしたので、すぐに編集者の方と町田先生の両方に手紙(といっても電子メール)を書いて転載させていただけないかとお願いしたところ、快く了承していただけました。次ページから載せるのがそれです。
 
摂食障害治療を通して学んだもの
まちだクリニック 院長 町田英世
(第73回 あゆみの会・学習会 講演記録より)
 
 本日は私が心身症治療を通して学んだ「色々なものの捉え方」について、参考資料(当日配布・一部本誌にも転載)を使いながら、お話ししたいと思います。
 
<心身症って何?>
心身症とは読んで字のごとく、心と体(身)の両方が関わっている病気です。そもそもどんな病気にも心と体は少なからず関係していますので、本来はとても広い病気に当てはまると言えるでしょう。しかし心身症を主に治療している心療内科では、ストレスによって何らかの身体症状を出されている方を専門に診ています。ストレスで胃潰瘍になった、ぜんそくが出てきた、痩せてしまった・・・等の症状を訴えられる患者さんが対象です。とはいえ医学が進歩する中で、以前まではストレスが原因で潰瘍になったと思われていた方の何割かはヘリコバクター・ピロリ菌が原因であることが分かり、除菌剤の投与のみで症状が取れる方もおられます。その方々にとっては、これまでストレス・ストレスと悩んでいたことがストレスとなっていたのかもしれません。この様に医学が進歩するにつれ、これまでストレスが原因と考えられていた病気でも、新たな原因が発見される可能性を秘めています。心療内科のあり方もこうした発見に伴い、変化していくでしょう。しかし「身体症状がある」という基本スタンスは変わらないと思います。
 
<モノの見方とは?>
 心身症の患者さんは何らかの身体症状を出しているとお話ししましたが、この表(省略)に出ている心身症の患者さんの症状を、癌患者さんに対して悪い部分(癌)を摘出するのと同様に、単に取ってしまえばそれでハッピーなのでしょうか。私はその答えを考える時には病気を多面的に捉えていく必要があると思っています。しかしいきなり病気を多面的に見ていきましょうと提案しても、なかなか難しいもの。そこで本日はまず始めに、多面的な見方の出来る図形や実験を通して、皆さんと共に考えていきたいと思います。まずは下記の2枚の絵をご覧下さい。丸い円と長方形が描かれています。丸い円は球の一面を、長方形は直方体の一面をそれぞれ描いたモノだという見方も出来るでしょう。しかしこれら2枚の図形を少し異なった視点から見ていくと、実は円柱という全く別の図形が見えてくる可能性もあるのです。
 また左の絵を見て下さい。お花が挿してあるので花瓶に見えたという方もおられるでしょうが、「いやいや2人の人が向き合っている様子が見えたよ」と言われる方もおられるでしょう。つまり同じ図形を見ていても、その図形を見る角度、または見る人によって、見え方は異なってくるものなのです。
 次にネズミを使ったストレスの実験を2つ紹介いたしましょう。まず1つ目はストレス状況にさらされたネズミと、ストレスを全く受けずに食べたいだけ食べて育てられたネズミ、どちらが長生きするかという実験です。結果は実はどちらも短命で、中くらいのストレスを与えられたネズミが最も長生きすることが分かりました。2つ目はストレスに強いネズミとストレスに弱いネズミを半分ずつ同じ場所で飼育した時、どちらのネズミが長生きするかという実験です。単純に考えるとストレスに強いネズミがストレスに弱いネズミを追いやってしまうように思われがちですが、何度同じ実験を行っても、結果はストレスに強いネズミと弱いネズミはほぼ五分五分のまま成長し続けるということが分かりました。これらの実験はストレスが一概に悪いモノだとは言えないということを示唆しています。確かにストレスは人間を弱くする面もあるでしょう。しかし人間を強くする面もあるのです。現在、心身症に悩んでいる人たちにとっては、とにかく症状から逃れたいと思っているかもしれません。それはある意味、当然なのだと思います。ですが私はただ逃れたいだけではない、何か大切な要素がそこにはあるのではないかと思うのです。
 
<人生の波>
 病気の話からは少しそれてしまいますが、多面的なモノの見方という続きとして、人生の波についても少し考えてみたいと思います。まずは下記のエピソードを2つ、お読み下さい。
人生の波1
ダイエーの王監督は、東京の下町のラーメン屋に育った。高校受験のときの話であるが、彼は絶対受かると思って受けた高校受験に失敗しショックだった。しかし、野球選手で世界のホームラン王になってからのインタビューで次のように答えたという。「もしも、あの高校に受かっていたら、今頃はラーメン屋の主人をやっていたと思うよ。あの高校には野球部がなかったからね。」彼は、ショックの中で別の高校に行くことになったのだが、そのおかげで野球の才能を開花させた。
 
人生の波2
阪神の前星野監督は、高校を卒業して野球選手の夢がかなって巨人から一位指名推薦の内定をもらっていた。でも、指名当日になると、詳しい事情が不明のまま、巨人から指名の連絡がなかった。彼は、そのことに大きなショックを受けた。しかし彼は、後ほど次のように語っている。「あの時、絶対に巨人を見返してやると思ったんだ。」そして、中日の巨人キラーの投手として活躍し、その後には阪神の優勝さえも導いた。
 
 「人生の波1」のエピソードを読んで皆さんはどう思われましたか?「王監督はラーメン屋をやらなくて良かった」という思われた方。あの王監督ならば、ラーメン屋の主人になっていても、凄いラーメン王になっていたかも知れないと思われた方。様々だと思います。私自身はこの両監督のエピソードを通して、人生には波があるんだということ。その時苦悩したことでも長い目で見ると良かったと思える事もあるんだということを強く感じました。そんな風に考えると、病気の症状も人生の波と捉えることは出来ないでしょうか。ここではある心療内科医の波について紹介したいと思います。実はこれは私自身のことなのですが…私ははっきりとした病気の原因が分からないまま、治療法を模索していました。そしてこうしたストレスに関連した経験が引き金となり、心療内科医になることを志しました。今にして思うと、何度もトイレに行っていた症状は対人関係の緊張を緩和させるためにも役立っていたとも考えられます。また医師という職業を選択する際にも、私にとっては必要な症状だったのだといえるでしょう。
 
ある心療内科医の波
ある心療内科医の学生時代、過敏性腸症候群と対人恐怖ぎみとなって困っていた。彼は、いろいろな手段をもって治ることを模索した。数多くの医者にも受診した。しかし、思うようには改善しないため、こうなったら医者となって科学的に治していこうと考えるようになった。その後、自らと同じ病気や心身症で悩む人を治すことになったのだが、「治る」とはどういうことか悩むようになった。実際に自らの症状も波があって、治るというには至らないままであった。ただ、その度に初心を思い出すことはできた。
 
 さて、私の場合と同様、これといった原因は分からないままに症状が持続しているという方も大勢おられると思います。心身症はストレスが関わっている病気だと言われても、そもそもストレスが全くないという人など居らず、誰にでも多かれ少なかれあるものでしょう。確かに病気の原因がはっきり分かっていると言って来院される患者さんもおられますが、症状の原因がはっきりしないケースでは、その人の話を聞きながらストレスが病気(症状)とどう関わっているのか、内省していく手順が大切であると思っています。その中には原因を教えて欲しくて病院へ来たのに、医者が明言をしてくれないことに不満を感じられる患者さんもおられるでしょう。しかし先程の胃潰瘍の話のように、たとえば、ストレスで潰瘍になっているのか、潰瘍であると悩んでいることがストレスとなっているのか、ストレスに関することは不明確な場合が多いため、ここはやはり慎重に見極めていく必要があると思うのです。
 
<もう一度、心身症って何?>
 これまで多面的なモノの見方についてお話しをしてまいりました。その上で心身症が治るとはどういうことなのか、再び考えてみたいと思います。例えば肩こり。余談ですが肩こりの文化は外国には少なく、これは日本特有の身体症状だということ、ご存じでしたか?私はこの文化的要素の濃い肩こりも一種の心身症だと思っています。症状を取るという点では鎮静剤の投与が効果的です。しかし心療内科に来院された患者さんに対し、単に鎮静剤を投与すればそれで良いのかというと、必ずしもそうではないことが多いようです。鎮静剤のお陰で肩が楽になって、ますます仕事をバリバリこなすようになった患者さんが、後になって鎮静剤の飲み過ぎで胃潰瘍になり血を吐いてしまったということになれば、何のための鎮静剤か分からないからです。確かに仕事をバリバリやりたいという気持ちも分かってあげたいのですが、肩こりがあるお陰で仕事をセーブできていた部分が無くなってしまうというリスクにも目を向ける必要があるでしょう。仕事が大変なように感じられたとき、私はよく「本当に痛みを取ってしまっても大丈夫ですか?」と尋ねます。そもそも心療内科に受診しようと思われる患者さんですから「先生のおっしゃられる意味はよく分かります」と理解を示される患者さんもいて、その方達の話をよくよく聞いていくと「実は上司が厳しく、本当は仕事を休みたいが休めない」「最近は肩こりがひどくなってくると、パニックになってしまう」といった訴えが出てきたりします。そうなってくると問題はもはや肩こりではなくなり、むしろ仕事の進め方や上司との関係改善についての対策が必要となってくるでしょう。心身症は、癌などの身体疾患のように単に悪い部分を取ってしまえば治るといった捉え方ではうまくいかない場合もしばしばあります。
<良くなるってどういうこと?>
 一般的に良くなるというのはどういうことなのでしょうか。大抵の方は波を描きながらも次第に元気になり、上昇していく線を描かれると思います。私も少し前まではそう信じておりました。しかし最近は少し違う気がしています。先程の両監督のエピソードからも言えるように、人生には波があり、ある一点のみを見て一概に良いとか悪いとか言うことは出来ないと思い始めたからです。
そしてどうやら人生の波の中には社会的に認知されているモノもあるようで、更年期障害がその良い例でしょう。50歳くらいの女性が顔のほてりや肩こりを訴えて受診されても、医者が「更年期障害かもしれませんね」と診断するだけで「先生、安心しました」と納得されたというエピソードはこの事をよく物語っています。症状が良くなったり悪くなったり、また別の新たな症状が出てきたりするのは、そもそも人生には波があるからだと考えてみては如何でしょうか。
例えば私の過敏性腸症候群を“人生の波”で捉えてみます。今は皆さんの前でこうしてお話が出来るぐらいですから、この症状については随分改善されたと思っています。しかし今は年代に応じた肩こりや腰痛といった症状が出ています。私は自らの経験を通して、人生とはこんな風に波があるものだと思うのです。
 次に関西医科大学で行われた興味深い実験を一つ、紹介したいと思います。胃の調子と電気信号との関係を調べた実験です。胃は生体が起こした電気信号を受け、働いています。これは胃の調子の良い人と悪い人とで何か違いはあるのだろうか。胃に電極をつけ、受信する電気信号の違いを調べました。皆さんの中には胃の調子の悪い人の方が電気信号は過剰に出ているというイメージを持たれた方もおられると思います。しかし結果は右記のグラフの通りで、イメージとは全く逆のものでした。胃の調子の良い人の方が電気信号にばらつきがあり、胃の調子の悪い人の電気信号は少なく、結果としてばらつきの少ないグラフを描いていたのです。一体この結果は何を物語っているのでしょうか?この結果から推測されるのは、胃の調子の良い人ほど柔軟に対応できる可能性を秘めているのではないか。冷たいモノが入ってきてもパッと対応し、パッと元に戻るといった幅広い対処能力があるのではないかということです。
更には人生の波において、たとえ波があってもピュッと修正のきく人は立ち直りが早く、心の病気になりにくいという解釈を、生体の電気信号の中で見出せたような気がしたのです。
 
<多面的なモノの見方と治療>
 これまで多面的なモノの見方をいくつか紹介してきました。次はその上で私が診察の場で取り入れている工夫などについて、お話ししたいと思います。例えば「細かいことをやたら気にする」という性質。これは否定的な意味で捉えがちです。その方は神経質すぎるのかもしれないし、気が小さいのかもしれません。あるいは病気なのかもしれません。しかし見方を変えると、その方は繊細なのかもしれませんし、より配慮の出来る方なのかもしれません。あるいは何事にも慎重な方なのかもしれないのです。パソコンのマイクロソフト社の創始者であるビル・ゲイツさんは強迫症だという話を聞きました。彼はやたら物事を気にされるそうです。しかしだからこそ持ち合わせた繊細さで、彼は世界一の大金持ちになれたのかもしれません。また例えば過食症の患者さんが訴える過食行動。ここには「治りたい自分」と「過食してホッとする自分」という二面性が見受けられることがしばしばです。そこで仮に「治りたい自分」という一面に沿って治療をしたとしましょう。過食行動の無くなったその患者さんは「お陰で過食が取れてハッピーなような気がします‥・が、ホッと出来る自分が無くなりました」と言われるかもしれません。確かに病気は簡単に取れるモノであるならば、取れた方が良いと思います。しかし病気だからこそ、他人を思いやれるのかもしれませんし、病気が辛いからこそ、健康でいようとするのかもしれません。病気が除去しにくい性質のモノであるならば、病気じゃない自分を大きくするよう働きかければ効率的なのではないかと思うのです。
 
<悪循環とモノの見方>
 前述の通り、病気になって見えてくる事もある訳で、私は病気が一概に悪いとは言えないような気がしています。とは言え患者さんは病気が辛いからこそ病院へ来られている訳で、私の言うことを「分かりました」と容易に同意出来ないのはある意味、当然でしょう。しかしながら病気の辛さばかりに目を向けてしまうのはお薦めできません。辛いばかりだと気持ちに余裕が持てなくなり、柔軟な対応力が損なわれてしまうからです。
先程の波で言えば、幅の狭い状態に陥っていると言えるでしょう。この状態で最も問題なのは、今まで出来ていた事も出来なくなってしまうということ。治ろうとしている自分、過食しながらも仕事に行けている自分、拒食でありながらも友人付き合いが出来ている自分などが長引く悪循環状態で見えにくくなってしまうことだと思っています。私は悪循環の説明を患者さんにする際、上記のような絵をよく描きます。右の方が悪循環状態。これでは良い部分(・点)が見えにくくなっていることがお分かり頂けると思います。この状況を改善するには悪循環を断ち切り、良くできている部分(・点)を少しでも見つけやすくしていくことが課題だと思っています。たとえば、その策の一つとして心理士によるカウンセリング、医者であれば薬の投与が、それぞれ手段の一つだとお考え下さい。しかし、必ずしも治療機関にかかる必要はありません。自分自身で悪循環を断ち切れるようになることが最終目標だからです。「過食してホッとした自分に気が付く」「散歩して気分転換をする」等は自分自身で悪循環を減らせている瞬間です。これが上手くいくと波の幅が広がり、色々なモノの見方も出来てくるのではないかと思うのです。
 それでは悪循環が断ち切られていく例を一つ挙げてみましょう。これはある過食症の方の物語です。下に挙げられた患者さんの訴えだけを聞いていると、良いことが全くないように思われるでしょう。しかしその方と更に会話を続けると、一日中過食をして落ち込んでいると言いつつも、親友と食事している時は忘れていられる自分が居て、最近では何も手に付かないと言いつつも、出かけると少し気分の良い自分が居る。また過食がなければ何でも出来ると思うと言いつつも、過食してホッとしている自分が居ることが分かってきます。こうした会話は本人も気が付かないうちに悪循環が断ち切られている瞬間なのです。
 
 
    ある過食症の方の物語           違ったものの見方
  (主訴は落ち込み、過食)        (患者さんとの対話から)
 
   一日中、過食と落ち込み       親友と食事してるときは忘れていられる
 最近では仕事も手に付かない       出かけると少し気分がいいことがある
元気で過食がなければ何でもできると思う  過食すると気分がほっとすることがある
 
 
 これまでの医療はガン細胞を摘出するなど、悪い部分を取り出す発想で発展してきたように思います。しかしこれからはそれだけでは医学が完結しないようになってきているのではないでしょうか。実際、アメリカなどではガン細胞でも保存しながら自己治癒力を引き出していこうとする代替医療や補完医療が大流行です。あまりに流行るのも行き過ぎかもしれませんが、代替・補完医療のように患者さんの中で既に出来ている部分(自己治癒力)を引き出していくという考え方はこれからの医療により必要だと思っています。病気で大変だって何だって人間は底力があると思えますし、生きている限り、自己治癒力、解決能力、変化する能力があると私は考えているからです。
 
 
福島お達者くらぶの連絡先
 すでにお伝えしているように、福島県立医科大学病院の精神科ナースステーションに置いていた事務局は、看護婦さんたちの異動などがあって移さなければならなくなりました。事務はスタッフが手分けして担当していますが、連絡先は次のとおり香山の所です。
 
960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座 香山雪彦
電話: 024-547-1134    メイル: y-kayama@fmu.ac.jp
 
お達者くらぶやミーティングについての問い合わせなどは遠慮なく電話していただいてよいのですが、個々の問題についての相談には応じられません。それは、全く同じように見える人でも、例えば抱き留めてあげるのか、逆に突き放してあげる方がよいのかなど、人によっても、その人の時期によっても、全く違った対応が必要になることが多く、それは長い時間をかけて何度も何度もお話を聞かないと判断できないことで、電話では責任ある対応ができないからです。ご理解下さい。