〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第30号 2004年
1月 1日 発行
お達者くらぶだより第30号をお届けします。
明けましておめでとうございます。(と書けるよう、お正月に到着するようにこれを用意しました。)今年はみんな、過食や拒食が止まるというよりも、ともかくも楽に生きられるようになる年になることを祈っています。
この号は、寄せられた原稿や手紙がなく、全部編集者(香山)が書いた自助グループなどを考えた原稿で埋めました。できることならいろいろな人に書いてもらった原稿を載せたいので、どんなことでも書いて送ってください。
クリスマスパーティーがありました
この前の12月のミーティングでは、クリスマスパーティーが行われました。昔は毎年12月にパーティーをやっていたのですが、夏の宿泊ミーティングも含めてスタッフが用意するそのような行事には息苦しさがあるのか、だんだん参加者が減っていき、何年か前に中止になってしまっていたので、今ミーティングに来ている人たちには経験した人はいません。しかし、今回それを復活させたのではなく、本人たちが「やろうよ」と言い出したのです。
昔のパーティーは本人も家族も一緒でしたが、今回は本人たちが前月のミーティングの時に相談したところ自分たちだけでやりたいという声の方が多かったとのことで、本人たちだけのものでした。全部自分たちで準備して行われ、スタッフはほとんど何も手伝うことがありませんでした。ふだんはただのイスと机だけの部屋に飾り付けもあって、いかにもパーティーという雰囲気がありました。そのきらきらときれいな飾り付けなどは100円ショップで買ってきたもので、サンタの服まで100円だったというのには驚きました。
家族の方が何もしないというのは寂しいので、ちょっとした飾り付けとマドレーヌやクッキーなどが用意されて、やっぱり少し華やいだ雰囲気がありました。こちらは、いつもは4時半近くまでかかるみんなの話を少し早い目に切り上げて、あとは適当に雑談するだけでしたが、みんなが帰り始めようとしたところで本人たちの方から聖歌隊がやってきて、「聖しこの夜」を歌ってくれました。
本人たちの方は、用意されていたケーキなんかを食べるのも忘れてみんな楽しく時間が過ぎたということです。一斉にクラッカーがなったのは、この日初めて参加した人が4時半からのアルバイトのために少し早く帰らなければならないのをみんなで送り出したのだということでした。ケーキなどはみんな喜んで持って帰ったそうです。
このようなことが、スタッフが考えるのではなく、自分たちで行われるようになったということに、(前号で紹介したフェスティバルでのグループ紹介を本人たちが見事にやったことも合わせ)お達者くらぶも11年の歴史を積んできた中で参加している人たちが、人は変わっても全体として、成長してきたのだなと感じました(そしてたぶん、それを見守っているスタッフも成長させてもらっています)。
NABA 第1回摂食障害のつどい全国大会の報告 香山雪彦
昨夏、一番暑い頃の8月10日(日曜)に、NABAが各地のグループに呼びかけて全国大会を行いました。福島お達者くらぶにも参加しないかという案内があったので、とりあえず駆けつけて参加して来た、そのことを報告します。(NABAは日本拒食症・過食症協会Nippon Anorexia Bulimia Associationという、東京を中心に頑張って活動している自助団体です。)
その夏には、その直前の7月27日(日曜)に大阪で摂食障害フェスティバルがありました。(そのことは前号に報告しました。)その会場で「8月10日にNABAが全国ネットを立ち上げるらしい」とうわさ話で聞きましたが、その時はどういうことなのかよくわかりませんでした。私はそのフェスティバルの前に数日間、私の職業上の専門分野の大きな学会が名古屋であったし、フェスティバルの次の日は兵庫教育大学が主催する研修会での講義を頼まれていて、そんな丸1週間の出張から帰ってくるとNABA全国大会のファックスが届いていました。
スタッフ以外ではご存じの方も少なくなったかもしれませんが、福島お達者くらぶは発足の時にNABAから大きな支援を受けました。立ち上げに際してスタッフが東京に行ってミーティングの様子を見学させてもらいましたし、最初の数年間は毎月どなたかNABAスタッフの方が来てくれて本人ミーティングの司会をしてくれていました。その後、もらっていた助成金が尽きてしまって東京から来てもらうことが難しくなってしまいましたが、今でも本人ミーティングはステップや平安の祈りなどNABAの精神を残して続けているのです。(具体的なミーティングのやり方などは試行錯誤を繰り返した末に今の形になっているのですが。)
そんなわけですから、NABAが何かやろうとして福島お達者くらぶに参加を呼びかけているなら、何としても誰かは行かねばならないと思って、ともかくも行きますと返事しました。東京(会場は新宿から近い代々木公園の国立オリンピック記念青少年総合センターの国際会議室という立派なところでした)は近いし、福島からなら日帰りでいけるスケジュール(10時半から16時半まで)になっていましたから、行きたい人にはみんな行って欲しいと思ったのですが、何しろみんなに知らせる時間を持てず、8月のミーティングの時には伝えたのですが何しろそのすぐ次の日のことで、参加したいと思った人がいても夏休みの予定など決まっていただろうし、ちょっと申し訳ありませんでした。
さて、その全国大会に集まってきたのはNABA自体を含めて21団体でした。その中で本人だけの純粋な形の自助グループが10団体、運営スタッフがいて本人も家族も集まっているのが2団体(お達者くらぶはこれに入ります)、家族の会が4団体、摂食障害以外の人達も集まる会が5団体でした。会場では、その各グループ1人が輪になったテーブルに座り、そのまわりにたくさんのいすが置かれて参加者が自由に座るようになっていました。そんな座り方だったので参加者が何人くらいだったのかわかりにくかったのですが、200人以上は参加していたでしょうか。
10時半から始まった午前中の「グループ名乗りあげ!?」と名づけられていたプログラムでは、その各グループ1人が自分たちのグループを紹介しました。お達者くらぶからは、連絡のついた本人メンバーが一人来れるなら来ることになっていたのですが列車に乗り遅れたみたいで、香山がテーブルにつきました。ただ一人の男性で、ちょっと恥ずかしかったのですが。
そこで自分たちを紹介したのは次のグループです。
(摂食障害本人の自助グループ)
アリスの会(北海道) 札幌の摂食障害本人で女性を自認している人の会。7−8年前からやっていて、19歳から46歳までの人が来ている。
香川NABA(香川) 5−6年前からやっていて、地元の人よりも岡山、広島、山陰など遠方の人が目立つ。
かなりあしょっぷ(京都・滋賀) (フェスティバルにも来ていたので、前号に紹介しました。)言いっぱなしでなく、雑談会みたいにやっている。
釧路KABA(北海道) 休会中ということで、発表した人は札幌在住中とのこと。20℃以下の所から東京に着いたら34℃、このまま帰ろうかと思った。
神戸NABA(兵庫) フェスティバルに来ていたのと同じ人が出て、月2回のミーティングをしていることなどを話した。(前号に紹介)
名古屋NABA(愛知) ミーティングを月4回行っているが、女性のみのクローズドとしているとのこと。
NABA(東京) 4月から公式のホームページを立ち上げたが、そこに掲示板はない。NABAにエネルギーを使ってたどり着いてほしいから。
パインの会(石川) 紹介の時、後にいた3人と一緒に「翼をください」を歌った、元気のいい人たちだった。
E.D.Labo(徳島・大阪・福井) 福井の人が紹介。大阪NABAにつながった人が立ち上げ、インターネットを積極的に利用している。
新潟NABA(新潟) プログラムには入っていなかったが、来ることができた。新潟県立精神医療センターのミーティングから発展した。(その世話をした中垣内先生も来られていた。)
(それ以外のグループ)
のびの会(神奈川) 国立久里浜病院から発展して、さまざまな活動をしている。フェスティバルにも来ていて、前号に紹介。
マーサウの会(山梨) 甲府の家族の会。フェスティバルにも来ていて前号に紹介。(その時にグループ紹介をされた大河原先生も来られていた。)
横浜・親の会(神奈川)毎週ミーティングをしていたが、落ちついてきたので月2回にする。
やどかり(東京) NABAメンバーの家族の会から発展。北海道、九州四国からも参加していて、全国にメッセージを発信したい。
わたりがに(埼玉) 「やどかり」に行っていた人が所沢に「ざりがに」を作り、そこに行っていた人が秩父に「わたりがに」を作った。
光(栃木) 摂食障害と醜形恐怖の人の会で、女性クローズドでやっている。始まって1年くらい。
JACA(東京) Japan Adult Children Association 原宿相談所に集まっていたアダルトチャイルド、ひきこもりの人たちの会。1000人を超えるメンバーがいたが、ACブームが終わって減少している。運営スタッフに苦労している。
JUST(東京) Japan Union of Survivors of Trauma 斎藤学先生を理事長とするNPO法人。クローズド、オープンのさまざまなミーティングやその他の事業を行っている。
NAC(東京) Not Alone Club 町田市を中心に、全国に100人くらいの会員がいたTeen’s Postから年齢が上の人たちの会が分かれた。
リカバリーループ(大阪) お達者くらぶにも案内が来たことがあるママネット(これはクローズドだった)から分かれたオープンの組織。回復者は社会復帰に忙しく、運営難の状態とのこと。
そんなことで午前中は終わってみんな適当にお昼ご飯を食べたあと、午後はあらかじめ指名されていた本人および家族の人たち数人からのメッセージで始まりました。お達者くらぶのセミナーや摂食障害フェスティバルのシンポジウムでの本人の体験談では、1人が20分くらいとか、かなり長くそれぞれに経験してきたことや思っていることを話すのと同じようなものかと思っていたら、みんな数分くらいで、これはその後の「会場全体分かち合い」で、話したいと思う人が手をあげて話すのと同じようなものでした。
その「分かち合い」では、最初はなかなか手をあげる人は多くなかったけれど、だんだん増えていって、後半は何人もが同時に手をあげて順番を待たなければならない状態でした。その最後の方になればなるほど、だんだんと重い話が多くなっていった感じでした。その人たちは、その重大さ故になかなか話す決意をできなかったのが、みんなが話すのでその覚悟が固まっていったのだろうと思います。そんなたくさんの人たちの話をみんな共感しながら聞いていたのだけれど、最後にはもうお腹いっぱいという感じになった人が多かったみたいです。そんな状態に到ったところで、最後にみんなで平安の祈りを読み上げて終わりました。
あらためて自助グループを考える
この全国集会の前にあった摂食障害フェスティバルで紹介されたグループの状況とも併せてみると、人が集まらなくて休会中というところがいくつかあり、また、摂食障害の人たちだけでない大きな組織でも運営スタッフに苦労しているということなどが印象に残りました。そのような話は他のところでも聞いています。背景となる人口の少ない地方都市でのグループの維持の難しさは以前から感じていましたが、それだけでなく大都会でも運営の人材が大きな問題となっているのだとはっきり聞いたのは今回が初めてでした。それだけ本音を話せる会だったのでしょう。
しかし、そんな中でもみんな頑張ってやっているのだと感じました。さらに、私は地方都市の状況も変わってきていることを感じるようになりました。休会中と紹介されたグループもあったけれど、最近立ち上がった会でもこれは続いていくだろうと感じるところもたくさんあるし、何よりも、そんな会を支援しようとする社会的な雰囲気ができて来つつあるのを感じるのです。例えば、前号でグループを作りたいと一人で考えている状態だと紹介したセルフヘルプグループin松本はついに9月に立ち上げられましたが、長野県のいろいろな自助グループをまとめて紹介しているホームページに書かれた記事を見ると、それはかなりの苦労もあって頑張って立ち上げられたのだけれど、会場は公的な施設をわずか300円であっさりと借りることができたということで、行政側の理解も進んでいるみたいなのです。
福島県でも、摂食障害フェスティバルの時に関西OA(Overeaters Anonymous無名の過食者の会:AA無名のアルコール症者の会で始まった12ステップを中心とする自助グループの過食バージョン)の人から郡山でもOAミーティングがあると聞き、それは初耳だったので調べてみると、昨年暮れからずっと毎月2−3回のミーティングを続けているということでした。(そのミーティングの日時や場所の案内は、インターネットが使えるなら郡山の大島クリニックのホームページからたどれますし、ヤフーなどで「郡山 自助グループ」、あるいは「福島県 自助グループ」で検索をかけると簡単に見つかります。)その場所も中央公民館となっていて、そのような公的な場所をコンスタントに借りることが昔よりずっと容易になっているのだと思います。(数年前までは、このような集まりにコンスタントに同じ場所を使わせてもらおうとすれば、どこかのキリスト教会などを借りることしかなかったように思います。)
大島クリニックのホームページに案内の出ている自助グループのミーティングはOA以外にもたくさんあって、断酒会とAA、AAの家族の会であるアラノンのように歴史のあるものももちろん出ていますが、それ以外にNA(Narcotics Anonymous無名の薬物依存者の会)、ACA(Adult Children Anonymous無名のアダルトチルドレンの会)、GA(Gamblers Anonymous無名のギャンブル依存者の会)およびその家族の会(Gam-Anonギャマノン)などが掲載されており、それらは少なくとも月2回開かれているようです。それらも集まる人数はあまり多くなくて何とかつぶさずに続けられるようにと苦労しているものもあるようですが、それでも中心になる人たちが燃え尽きてまもなくつぶれたり休会になったりするのではなく続いていけるように、社会の状況が整いつつあるのだろうと感じるのです。公的な施設が使いやすくなっているのはその反映でしょう。
摂食障害に関しては、NABAやOAのように本人達の会はあるし、今回紹介したように家族の会もところどころにあるのだけれど、不思議なことに本人と家族の両方がいつも並行して集まれる会はあまりありません。福島お達者くらぶはその点でユニークな活動を行っているということができます。お達者くらぶのミーティングに出ている娘さんがお母さんやお父さんにも出てほしいと言って両親もミーティングに来るようになったり、ミーティングに出たお母さんがおだやかな顔で帰ってきたのを見て娘さんが自分も行ってみようと思ったりすることを聞いたりしますし、また一緒に出てくる車の中でふだんとは違う話ができたり違った姿を見ることができることもあるようです。この特徴は今後も行かしていければと思います。
自助グループについてさらに考えること
ともかくも、自助グループに対する理解は、本人や家族だけでなく、一般の社会の中でも進んできていることは間違いないでしょう。
ただ、自助グループの重要性は理解しても、そのグループに何を求めるのかは人によってさまざまです。最近、ある回復者といってよい人から聞いた話ですが、地方都市の家族の会に招かれて話す機会を持ったとき、質問はひたすら(彼女自身の表現なのですが)「即効性のある正しい解決法」に集中したそうです。正解なんてないのだし、あったとしても人によってみんな違うものだろうし、ましてや即効性のある方法なんてないからこんなに苦しんでいるんだのに、やっぱりそれを求めてミーティングに来る人が多いのでしょう。一人だけそこに来ていた本人の人も「どうしたら他の人の食べる量や体重が気にならずにすむか」という答をしつこく求めたそうです。
ミーティングの目的は解決法を求めることではないのだと、私には強く感じられます。例えば、福島お達者くらぶの家族ミーティングで、ある人が、参加するようになってだいぶんたった頃に、「最初はどうしたらいいか教えてもらいたくて来ていたのだけれど、そのうち、ここで話したら気持ちがなぜかちょっと軽くなって落ちつくみたいで、そのために、子どものためよりも自分のために来るようになってきた・・・」と話された時、まわりでたくさんの人がうなずいていました。それがミーティングだと、私もうれしく思いました。
ともかくもそのように、参加することで、仲間と出会え、それまで自分の中で封印してきたことを話せて自分が楽になる、さらには自分にも居場所があるのだと感じ、しだいに自分も生きていていいのだとも感じられるようになる、それが自助グループの意味でしょう。摂食障害の本人達なら、集まることでそれが自然にできるようになるのだろうと思います。
しかし、摂食障害の娘さんの親には(こう言うと失礼かもしれませんが)ものすごく強い人たちがおられることがあります。その人たちが集まる家族のグループでは、その強さに対抗できてグループの意味を本来のところにとどめておける力のある人が必要なのかもしれません。それをグループの人に求めると、その人が燃え尽きてグループ自体が続けられなくなってしまいかねません。そのため、家族グループには専門職のアドバイザリースタッフがいる方がやりやすいかもしれません。それを自助グループと呼ぶかどうかは別にしての話ですが。
福島お達者くらぶは、ボランティアのような形でかかわっている医師・看護師・心理士などのスタッフが運営にあたっていますから、自助グループではありません。本人のミーティングの方は、スタッフはいっさい口を出さず、自助グループに近い雰囲気を持っていると思います。一方、家族ミーティングの方は医師のスタッフが司会して、受けとめる役をしたり、必要な場合には少し教育的な発言もします。ここ数年間はずっと家族ミーティングの方が参加者も多くて隆盛で、これはスタッフの存在でグループが安定していられるためかもしれません。(しかし最近、本人たちのミーティングも活発になってきて非常に楽しそうで、その中からいろいろな提言なども出てくるようになりました。)
この福島お達者くらぶも試行錯誤、紆余曲折の活動の歴史を持っていて、それを私は3年前に学会で報告しました。そのときはちょうど参加者が減少し続けていて、スタッフはみんなお達者くらぶをどのようにしていこうか、議論を重ねていたときでした。私はその発表で、「自助グループの中核となる自立して暮らしている女性たちが少ない地方都市での摂食障害の自助グループは維持が難しい」と考察しました。実際にその頃、地方都市でのいくつものグループがつぶれたり、休会したりするのを聞いていました。私の知っていた方は、頑張っていたグループを参加者が少ないために閉じた後、一人で燃え尽きるように亡くなられたという痛ましいことも聞きました。
しかし、このたった3年で状況は確実に変わりつつあることは、たくさんの町でいろいろな雰囲気の自助グループが作られ続いていくようになっている、福島県でも郡山市でOAなどのミーティングが続けられるようになっていると、上に書いたとおりです。
これには、郡山市では公民館を簡単な手続きで使わせてくれるようになったことに象徴されるように、社会の理解も少しずつ進んできていることもあるのだと思います。公民館がこのように使えるようになった直接のきっかけは、あるグループが公民館長の前で実際にミーティングやって見せて理解してもらったということで、自助グループの人たちが非常に頑張った結果なのではあるのですが、過食症などについての一般的な理解も少しずつは進んできているのだと思います。すぐ隣の福島市では公民館は今だに使用者全員の名前を書かないと使えないというふうに遅れているところもありますが、頑張れば変化させていける芽は確実に育っているのだと思います。
しかし、このような動向を読めず、自助グループの意味を認めない医師はまだまだたくさんいるのが残念です。その医師たちは患者を抱え込む傾向があります。それは自分が治してやるのだというパターナリズムから脱しきれず、時代の変化を読めていないのではないかと思います。
この自助活動がもっと展開していって、自助グループでもただおしゃべりして仲間に出会えることを目的にする会や12ステップを守っていこうとする会、さらには勉強会を兼ねるものなど、いろいろな会がどの地方にも並行して存在し、その時の自分に合ったところに参加できるようになるのが理想なのではないかと私は考えます。
それに近い形じゃないかと最近感じた例があります。2年くらい前に広島で“abひろしま”というグループが世話をするPSW(精神保健福祉士)の人(学会の時にお会いして話したのですが、穏やかなお母さんのような雰囲気の方でした)を中心に立ち上がったのですが、そこに参加していた人が自分たちで“OAひろしま”をつい最近(2003年12月)新たに立ち上げ、その記念のオープンミーティング(非常に熱気あふれる会だったそうです)に講師として上に書いたPSWの人が招かれて特別講演をされたようで、この2つのグループはお互いに協力しながらやっていこうとしているみたいなのです。
ともかくも、自分たちだけで運営する完全な自助グループだけでなく、私たちの福島お達者くらぶのように運営スタッフがいて気楽に参加できる会もあっていいのだと思います。自分の苦しみを言葉にすることができていない段階の人には、完全な自助グループは、言葉を操ることのできる先を行く人にただまぶしさのようなものを感じて、かえって自分の評価を下げることになるかもしれません。それをうまく受けとめることを中核的な人がしてくれればいいのだけれど、それを期待された人はまたつらいことになります。そこでは専門職のスタッフが参加しているグループも意味を持つでしょう。実際に、私自身が司会している家族の会では、何度も来ている人たちが大笑いしながら話したりしているのに、初めてきた人たちは涙が流れるだけで何も話せない状態にいることが多い、そのギャップを埋めることのできる人がいないと初めての人は繰り返して参加できるようにならないでしょう。それがスタッフの役目だと思っています。
ネットワーク構築の模索
そのように状況は前進していると感じますが、しかし、まだ大きな問題が横たわっています。例えば、前述の回復者の方が招かれた地方都市の家族会の人は(そこに来ていた本人の人も)、その町には本人の自助グループは存在しないと思っていたようなのですが、そこには、どのくらいの活動をしているのかはわからないけれど、大都市も含めた他の都市のグループと連動して活動している自助グループがありました。私自身も、昨年の暮れ頃から活動していた郡山OAの存在をこの夏まで知りませんでした。このように、必要な人に情報が行き渡らないのを、これからどうしていくかが大きな問題でしょう。
私はいろいろな地方に住んできたので、遠方の友人から摂食障害の適当な診療機関や自助グループについての問い合わせを受けることがありますが、答えられなくて申し訳ない思いをすることがよくあります。それゆえ、そのような情報について全国のネットワークを作れないかと念願してきました。
それに応えようとする動きも、小規模ですが始まってはいます。例えば、前号で報告した日本摂食障害ネットワークがそれです。この会は摂食障害フェスティバルを毎年行って今年で3回になりました。専門家主導の会ですが、プログラム委員会に自助グループの人も入れるなど、さまざまな立場の人が集まれるようにと考えられていて、参加者がだんだん増えて今年は4−500人になりました。この3年間は大阪でのフェスティバル開催でしたが、来年は東京で行われる予定になっています。
私は身の自由さを利用してそのような集まりの案内があればどこへでも出かけていくことにしているのですが、このような集まりが発展していったとしてもまだ大きな問題があるのを感じます。例えば、その日本摂食障害ネットワークに参加してフェスティバルに集まってくる人たちの中で、いわゆる「専門家」と言われる人たちは心療内科系の医師が多く(それもこの組織の中心になっておられる方に近い人たちが中心で)、精神科関係は少ないし、心理関係も、私がよく知らないからかもしれませんが、ほとんどいないのではないかと思われます。福祉関係も、各地でグループの世話などに関係している人たちだけのように思われます。
私は医学の世界の人たちのことは多少ならずわかりますが、みんなプライドの固まりで、違った流派の人たちが企画し主催するような会には出て行かない傾向が強くあります。福島お達者くらぶが大学内の会場で開いた前回の公開セミナーにだって、大学病院の精神科医は誰も参加していませんでした。心理の分野も、臨床心理士以外にもいろいろな学会がいろいろな資格を認定したりして混乱しており、お互いに相容れない状態みたいです。そのような専門家たちに任せていたのでは、必要な情報にすぐにアクセスできるようなネットワークは決して構築できないでしょう。可能性があるのは、摂食障害の本人たちや家族の人たちが個人単位でもグループ単位でも全国からたくさん集まってきて、専門家たちが情報を求めてそこにアクセスして来ざるを得ないような、そのような組織なり催しなりができあがっていくことしかないのではないでしょうか。
それゆえ、この号に報告したようにNABAがはじめての「摂食障害のつどい全国大会」を各地の自助グループ(およびそれに準じるグループ)に呼びかけて行った、そのような活動に敬意を表するのですが、しかし自助グループはみんなそれぞれの活動を維持するのにせいいっぱいの状態だと思われ、その人たちにやり方の違うグループや家族の会、一部いわゆる専門家なども含んだようなネットワーク構築の中心になってもらうのは無理でしょう。組織作り(と、金集め)に長けた専門家が、そのノウハウを提供するけれど自分のやり方や考え方はひとまず捨てて、中身をすべて摂食障害本人たちにまかせてグループも人も集められる組織を作り、催しを開催する、それが唯一可能な方法ではないかと思うのですが、日本摂食障害ネットワークも将来そのような意味合いを強めていけばいいなと、私個人としては考えています。
付け足しですが、なぜ私がお達者くらぶにいるのかについて
私は最近、本職と全く違うことなのに、ちょっとしたいきさつから過食嘔吐などに苦しむ人たちにかかわるようになった、10数年の経験の中で考えてきたことを、養護の先生たちの勉強会など、いろいろなところで話させてもらうことが多くなりました。
そこで話すことのほとんどの部分は、しかし、私が自分で考えたことではないのです。ミーティングで、あるいは直接にかかわった人から聴かせてもらってきたことを、ただ、少し整理して並べ直しただけです。その本当の姿を、苦しさをかかえる人たちに早くから接することになる養護の先生たち、あるいはもっと直接に生活を共にする家族の人たちに伝えたいという思いで講演を引き受けています。その苦しさを思春期になる前に理解してもらえたら、何年も何年も過食嘔吐に苦しむことになるようにこじれずにすむのではないかと思うのです。私は単なる伝道の使徒で、根本のメッセージを発している神様は私が話を聞かせてもらってきた本人の人達です。
もともと私は非常におしゃべりで、そのようなところで話すのは全然苦痛でないし、話すことが好きなのです。しかし、なぜか摂食障害の人たちの話ならいくらでも聴けると感じることが多いのが自分で不思議です。私はその苦しんでいる人たちを救ってあげたいと考えてかかわっているのではなく、ただ私の心がその人たちと自然になじみ、自然に受け入れることができるように感じるのです。その(私が勝手に仲間と感じている)人たちが少しでも楽に生きられるようになることを願っています。
福島お達者くらぶの連絡先
すでにお伝えしたように、福島県立医科大学病院の精神科ナースステーションに置いていた事務局は、看護婦さんたちの異動などがあって移さなければならなくなりました。事務はスタッフが手分けして担当しますが、連絡先は次のとおり香山の所です。
香山雪彦 960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座
電話: 024-547-1134 メイル: y-kayama@fmu.ac.jp