〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第29号 2003年
10月 1日 発行
お達者くらぶだより第29号をお届けします。
この号では、7月最後の日曜日に行われた日本摂食障害ネットワーク主催の摂食障害フェスティバル(今年で第3回です)の報告が中心になっています。このフェスティバルの開催は2ヶ月くらい前から伝えていたので、今回は本人・家族何人かが大阪まで行って参加しました。その人たちに印象記を書いてもらえますかと尋ねたら、書きます!と答えてもらえ、この号に載せることができました。
そのフェスティバルに相次いでもう一つ、NABAが第1回摂食障害のつどい全国大会という集まりを東京で行い、お達者くらぶにも参加しませんかという案内が来ました。このNABA全国大会は急に決まったもののようでみんなに連絡する時間がなく、とりあえず私(香山)と近くにいて連絡のついた1人が参加してきましたが、これについては次号で報告したいと思います。
この号では他に、ミーティングに来ていたのはもうずいぶん前のことになる幸子さんがお達者くらぶ事務局に寄せてくれた手紙を(もちろん許可を得て)載せています。
摂食障害フェスティバル報告 香山雪彦
今年の摂食障害フェスティバルは7月27日、暑い盛りの大阪で行われました。これで第3回で、この3回はすべて大阪で行われたのですが、それはこのフェスティバルを主催する日本摂食障害ネットワークという組織が、その中心になっている生野照子先生(大阪市立大学病院の小児科で摂食障害に古くから取り組まれ、現在は神戸女学院大学の教授をされています)をはじめ大阪を中心に活動されている人達を中心に作られたためです。(詳しくは昨年のお達者くらぶだより第25号を見てください。)
しかし、大阪だけの組織ではなくて全国のいろいろなところからの参加があり、その範囲も広がっています。そういうこともあって、来年は国立精神神経センター(千葉県市川市)の先生たちが中心となって東京(あるいはその近辺)で行われることになりました。東京なら、福島からはもっと気軽に参加できるでしょう。福島お達者くらぶは団体として日本摂食障害ネットワークに参加していますので、行きたい人は当日の参加費(今年は3000円でした)だけで参加できます。
会場は大阪城のすぐ北にあるドーンセンター(大阪府立女性総合センターの愛称で、ドーンというのはdawn夜明け・曙のことと思います)で、このあとに書きますポスター展示の部屋の窓からは間近に天守閣が見えました。(写真を見てください。)
今年の参加者の数は、参加費を払って参加した人が384人と、昨年の230人くらいだったのよりも大幅に増えました。会場が昨年よりも大きかったのでぎっしりという感じにはなりませんでしたが、ボランティアのスタッフを合わせると500人くらいの人達が集まったことになりました。今年は2ヶ月くらい前からこんな催しがありますよと知らせておいたこともあって、お達者くらぶからも本人・家族それぞれ何人かが参加できました。
フェスティバルの内容・プログラム
今年のフェスティバルのプログラムを作る実行委員会には、医師などの専門家以外に、自助グループの本人たちも加わっていました。これは今後の発展を考えると大きな意味を持つことだったかと思います。
今年のプログラムも基本的には昨年と同じような構成になっていました。主会場では3つのシンポジウムが行われ、それ以外にいくつもの部屋が設けられていて、いろいろなグループがポスターを展示していたり(福島お達者くらぶも出しました)、アロマセラピーの部屋、ゴスペルの部屋、ダンスセラピーの部屋、オルゴールの部屋、気功の部屋などが開かれました。(ポスターは1日中の展示でしたが、それ以外は3つの部屋で2時間ずつ行われました。)
それ以外に今年初めて行われた試みもいくつかありました。これも2時間でしたが、「本人のおしゃべりルーム」と「家族のおしゃべりルーム」が置かれて、それぞれその部屋の世話人となる人を中心に、仲間と話したい人達が集まれるようになっていました。(私は当然参加できませんから、どんな様子だったかはわからないのですが。)また、相談コーナーという試みも行われました。相談といっても1人10分ずつと決められていて深い相談にはならないのですが、前もって依頼されていた医師、心理士、ソーシャルワーカー、栄養士、グループ関係者それぞれ2−3人が1時間ずつ(だから1人で6人くらい)担当しました。申し込んだ人はどんな職種の人に相談したいかを書くと、その時間を指定されるようになっていました。私もこのコーナーを担当しました。
もう一つ新しい試みだったのは、「グループ活動報告」でした。これは前もって申し込んでいたグループが昼休みの主会場でそれぞれのグループの活動状況や考えていることを発表するものです。募集の時は1グループ2−3分の予定と書かれていましたが、言いたいことが多くてもっと長くかかったグループもたくさんありました。福島お達者くらぶを含めて11グループが発表しました。どんなグループがあったかは後に紹介します。
シンポジウムの様子
今年行われたシンポジウムは次の3つです。
@「回復とは」
A「本人・家族による回復のメッセージ」
B「海外での現状」
私は今年はいろいろと動き回っていたり、昨年までに知り合いになった人達とつい話し込んだりしていて、シンポジウムはところどころしか聴けなかったので、これらのシンポジウムがどんな様子でどんな話があったのか、残念ながら詳しいことは書けません。(この後に掲載する印象記の中で少し書いてくれています。)
午前中の最初のシンポジウムは3人の専門職(医師、臨床心理学教授、精神保健福祉士)の人たちが話されました。その1人の医師は古く1980年代のはじめから摂食障害(当時は拒食症が中心でした)についての啓蒙書を出版されたりして有名だった鈴木裕也先生(埼玉社会保険病院・内科)でした。私はずいぶん昔、摂食障害について勉強し始めた最初の時期にこの方の本を読んだことがあったのですが、「摂食障害は結婚して子供を産み、幸せな家庭を築き上げた時点で治ったと言える病気である」と書いておられました。私はその考えは違っているのではないかと感じるようになっていて、それから20年ほど経って鈴木先生の考えがどうなっているか知りたくてこの発表だけは聴きたかったのですが、これも聴けませんでした。後でその発表を聴いていた人から聞いたところでは、その考え方は全然変わっていないみたいで、それに対して会場から批判を含んだ質問が出ていたということです。
2番目のシンポジウムは本人と家族の人の体験発表でした。発表する予定になっていた本人が1人ドタキャンになったそうで、参加していた関西OA(OAとはOvereaters
Anonymousの略で、AA:Alcoholics
Anonymous無名のアルコール依存者の会で始まった12ステップを中心にする自助グループの過食バージョンです)の人が急にたのまれて話しました。私は相談コーナーの担当と重なってその話を聞けなかったのですが、この人とはなぜか親しくなって、帰ってきてから何度も長いメイルを交わすようになり、私が知らなかったような捉え方・考え方をいっぱい教えてもらいました。それはいつかこの会報に書くこともあるかと思います。
最後のシンポジウムでは、外国生活の経験のある本人の人も話されたのですが、中心は生野照子先生がイギリスの状況を説明されたことでした。イギリスでは摂食障害の全国的な組織があり、そこでは治療施設や自助グループの情報が集まっているだけでなく、援助職を目指す人の指導や自助グループの立ち上げの手伝いなども行っているということで、このフェスティバルを主催している日本摂食障害ネットワークもまだまだだいぶん先の将来のことだけれどそのような組織になれればいいなと思って立ち上げられたのです。私もその考えに賛同しているのですが、今の日本では、専門職の人たちはその所属学会や流派(例えば医学vs心理学、医学の中でも精神科vs心療内科、心理学の中も四分五裂の状態)が違うと同じ土俵には上がってこないし、そんな人たちが必要な情報を求めて集まってくることができるとしたら、自助グループなど本人や家族の人たちがこのフェスティバルのようなところに集まってきてその組織が力をつけてくるほかないのではないかと感じていて、質問の時間に手をあげてそのことを話したら、拍手が起こりました。
集まってきた自助グループ
活動報告をしたのは、次のグループです。
(発表順ですが、この順序がどのように決まったのかは知りません。)
1.
Kobe NABA 東京のNABAとは協力関係にある別組織だということです。第1,3土曜の月2回ミーティングをしているそうです。実に存在感のある恰幅のいい女性が報告されました。
2.
あゆみの会 生野照子先生が中心になって始めた家族の会で、年4回の学習会から始まって、(よく聞き取れなかったのですが)今は毎週、あるいは毎月のおしゃべり会もしているみたいです。また、本人の会もあるようになったみたいです。
3.
マーサウの会 甲府(山梨県)で4年前から始まった家族の会で、平日の夜に月2回、休まないことをもっとうにミーティングをしているそうです。マーサウとは北米インディアンの守護神の名前だそうで、世話をしている医師が報告されました。
4.
Eサークル 男性2人と女性1人が発表しましたが、2年くらい前から毎月第1金曜に大阪(この会場だったドーンセンター)、第3金曜に京田辺市でミーティングを持っているとのことです。(どちらも1時から4時まで。)女性は「居場所ができた」と話されていました。
5.
ポコ・ア・ポコ 千葉県の市川市で月1回(土曜)ミーティングを持っている、国立精神神経センター病院の勉強グループが発展した家族のグループということですが、報告したのはそのミーティングに参加しているという本人の人でした。
6.
かなりあしょっぷ 京都と滋賀で月に2回ずつのミーテイングを開いている、大学生が中心のように感じられるグループで、それぞれから2人ずつの4人が思うことを話しました。このグループの人が今回のフェスティバルの実行委員会に入っていました。
7.
のびの会 日本で一番古くからアルコール医療を手がけ、摂食障害にも積極的に取り組んでいる横浜の国立久里浜病院から立ち上がったグループで、さまざまな試行錯誤を経て現在はボランティアのスタッフが運営にあたって、本人、家族のミーティング以外にも作業所や様々な活動をしています。
8.
いるかの会 愛媛で活動していたけれど、年輩の人と発表した人の2人が中心になっていた、その年輩の人がやめ、発表した人も岡山の大学に行って、人数が集まらなくなって休会中とのことです。
9.
福島お達者くらぶ この発表の様子は次に書きます。
10. ビッグブックを使った12ステップグループ ものすごく強い存在感の黒服の人が出てきて、昨日から活動している、ミーティングはやっていなくて(12ステップの)メッセージを伝える活動をする、摂食障害は死ぬ病気だ、だけど食べ吐きの人生はイヤだ、回復する気があるかは本人の問題だ、と話していました。
11. セルフヘルプグループ in 松本 東京出身の大学生の人が、いろいろなミーティングに参加して来たけれど松本にもグループを作りたいと、まだ一人で考えている状態だということです。
以上の中で、かなりあしょっぷ、Eサークル、ポコ・ア・ポコ、Kobe NABA、あゆみの会、ビッグブックを使った12ステップグループと福島お達者くらぶはポスターも掲示しました。ポスターの部屋ではそれ以外に関西OA(大阪近辺のどこかで毎週ミーティングを開いています)と、大阪・徳島・福井でミーティングを持っているE.D.Labo、そして自助グループではなくカウンセラーでしたがMei’s Staffというところがポスターを掲示し、資料を置いていました。ポスターは実にさまざまで、配付するための資料と同じものをパネルにただ貼っただけのものから、派手にメッセージを大きく書きだしたものもありました。
福島お達者くらぶは・・
福島お達者くらぶはポスターを出しましたし、活動報告もしました。
ポスターは、昨年のフェスティバルの時にいろいろなグループのポスター展示があるのを見て、今年もポスターの部屋を作ると聞いた時にお達者くらぶも出してみないかと本人ミーティングで提案したら、ぜひやろうと盛り上がって作ったものです。お達者くらぶが出したポスターは7月のミーティングの時に集まっていた本人の人たちが80×110 cmの大きな色画用紙(ピンク)2枚にみんな思い思いのメッセージを書いたもので、そのまわりをいろんな色のお花紙で作った花で飾って、その大きさも目立つことも他のポスターを圧倒していました。(次のページの写真を見てください。色印刷ができないので申し訳ないですが。)
また、ポスターのところには本人向けと家族向けのお達者くらぶの手帳を積み上げて置いて、自由に持っていってもらいました。この手帳を、昨年のようにみんなで手作りしたのではたいへんなので、印刷に出しました。少部数では高くつくので500部ずつ印刷しましたが、このくらい作ると手作りするコピー代とかわらない値段になりました。この印刷代(や、それ以外の活動費)を出せるように、現在大学に研究費を申請中です。(新しい手帳をほしい人は申し出て下さい。)
活動報告については、いざというときは私がやればいいと思って申し込んでおいたのですが、当日、福島から参加した本人2人にやってみないかと言ったところ、即座に引き受けてくれました(実にあっさりと、尻込みすることなく引き受けてくれたことだけでも私は感動しました)。そして2人で何百人かの前の演壇に堂々と立って、1人が質問しもう1人がそれに答えるという掛け合い漫才みたいにしてお達者くらぶのことを紹介しました。そんな形の発表をしたところは他になく、私もびっくりして、本当に感激して聴いていましたが、後でたくさんの人にものすごくいい発表だったとほめられた、りっぱなものでした。終わってから尋ねてみると、2人でトイレで3回練習したのだけれど演壇では脚が震えたということでしたが、みんないつの間にかこんなに成長していたのだと、お達者くらぶメンバーの人たちに対する思いを新たにしました。
大阪の摂食障害セミナーに参加して さくら姉
私は、今回初めての参加でした。大阪へ行く本当の楽しみは、母や、お達者で知り合った一番大好きな友人と友人の母と会うことでした。そのため、セミナーのことは2の次で、大阪で何をしようかとか、そのようなことばかり考えていました。しかし、会場へ行ってみると、アロマテラピーや、相談や、運動、オルゴールなど、さまざまなものがあり、セミナーの話ばかりではないということに安心しました。
会場では、摂食障害について、深く携わっている多くの先生方、カウンセラー、ボランティアの方々がいました。摂食障害者は話を聞くだけの立場ではなく、そのセミナーに質問や感想で参加できました。多くのお偉い先生がいる中、自分の気持ちをぶちまけている方もいました。正に、心の中の問題を、皆で何とか力になろうとしている方々ばかりで、本当に、自分だけじゃないのだという気持ちと、皆同じ悩みがあるのだということが暗黙の了解で分かることができました。同じ摂食障害者同志が話しをすることもできました。いろいろな人がいました。そして、多くの家族や関係する人々が参加していました。勇気がでました。安心しました。心から来て良かったと思いました。
この病に薬(完全に治る)はありません。しかし、心の薬を皆で感じることができる。そう思います。同じ悩み、同じ傷、同情ではなく互いに高め支え助け合っていると思います。それは高め合えるから、支えることができる人がいるから、助けてくれる友人や家族や先生方がいるから。今回の参加にとても意義と意味を感じました。来年もぜひ参加したい。友人達と、母と。一緒に楽しみながら。
教えていただいた香山先生に心から感謝します。そして、母にも、毎日、大好きですと言いたい。ありがとう。どうか、参加してみようかと思ってくれる友人が1人でもいることを。
摂食障害フェスティバルで残ったこと R.O.
七月二十七日に大阪で第三回目の摂食障害フェスティバルが開かれることをお達者クラブで知り、四ヶ月顔をみていない娘はどうしているのか会いたかったので、軽い気持ちで参加しました。
フェスティバルを否定したり、何がなんでも解決法を見つけだそうなどとの大それた目的もなく、ただあまりの期待をもたず会場にI親子と向かいました。広い会場には、ひしめく程とは言えませんが、それなりに参加者がいましたが、最初、まわりをみわたすことははばかられて、壇上の三先生方のお話をききいるのでせいいっぱいでした。
現状としては、
摂食障害は私の娘だけではないことを再認識させられたこと、
こんなに時間のかかる病気に真剣に取り組んでくださっている専門家が限られていること、
はっきりとした特効薬はないこと、
症状をとると次から次へといろいろなことが出てくるなど、
本の中でよく書かれていることが、現実的に目の前で音(声)として、動作(生きている)として、ああ〜〜!と実感させられました。
主会場での専門家を交えての障害者とのトークは正に真剣で迫力がありました。
主会場の他にはアロマセラピー・家族や本人のおしゃべりルーム・音楽・ダンス・気功などの各室があり、何でも良いから回復にむけてとり入れて行こうという積極的な雰囲気が感じられました。
私の最も強く印象に残った言葉は
回復でなく、成長ということばがふさわしいのではというある専門家のことばと、
盲目の人の詩で、私の前でなく 後でもなく 私の横にいてくださいという内容の詩に涙がとまりませんでした。
この横にいることが、私にとって、現在進行中の難かしさです。
フェスティバルには大勢のボランティアスタッフ(特に若い女性)がかかわっておられ、頭の下がる思いでした。
また是非参加してみたいと思っております。
フェスティバルに参加してきました さち
こんにちは。過食症4年目のさちです。7月27日に大阪で行われた摂食障害フェスティバルに参加してきました。私は高校2年の時から過食の症状が始まり、修学旅行に行くことが出来なかったので、京都見物もかねて行ってきました。症状が酷い頃は家からも出られなかった私が4日間も遊んでこれた事や、友達と食事を出来るようになったりと、自分の中では、少しずつだけれど良くなっていると思います。
私がこのフェスティバルに参加したいと思ったのは、どんな人達が来るんだろう、他のグループ活動ではどんなミーティングを行っているんだろうという興味があったからです。1人でもグループを立ち上げようとしている人や、ミーティングの中で何か1つの題材を決め話し合うというグループもありました。私が個人的に話をした人達は、何か人より強いパワーを持っていて、日常生活と過食を共にして生活しているという、外面からは全く摂食障害とはわからない人でした。
今は、私も学校と過食をコントロールしながら生活できるようになったけれど、4年前の自分は、食べ物の事が頭から離れず、学校に行く事が出来なかったり、家のお菓子を全部食べたり、自分だけがおかしい、友達もいなくなってしまったり、普通に生きる事が出来ないんだろうと思っていました。そんな時、お達者クラブなどのミーティングに参加し、同じ症状の仲間が出来、人に話せない悩みなど打ち合けたり、励ましてもらったりと、今は精神的に楽です。
始めは、参加する事に抵抗がありました。自分自身が過食症という事を認めたくなくて、親以外に知られてはいけない、知られたくないという思いでいっぱいでした。今は、家族が私の病気の事をほんとうに理解してくれています。ここまでくるには時間がかかりました。過食嘔吐には波があって、生きる事に嫌になる事もあるけれど、あまり焦らずに、ありのままの自分で生きていこうと思います。
過食嘔吐は辞めたいけれど、今の自分には必要な事だから、共存して明るく付き合って行こうと思います。
またフェスティバルのような物があれば参加してみたいと思います。
フェスティバルに参加して来ました じゅんこ
福島お達者くらぶの皆様、いつも私たち親子を温かく見守って下さってありがとうございます。
過日、大阪で行われた第3回摂食障害フェスティバルに参加して来ました。娘は高校2年生の時から摂食障害になった為、行けなかった京都方面への修学旅行のやり直しを重ねての参加でした。それから、香山先生よりプログラムを見せて頂いた時、「本人・家族による回復のメッセージ」という所にひかれて、ぜひ行ってみたいと思いました。
当日、会場に行ってみると多勢のスタッフの方がいらしてびっくりしました。
プログラム「回復とは」で発表されたソーシャルワーカーの三好先生は、「始めの頃、摂食障害の人は、お金を使う、トイレを一人じめにする、汚しても掃除しない、学校は休む、服サイズ(7, 9, 11, 13号)はたくさん持っている、大抵の親はうちの子はいい子なのにと話されるが何がいい子なの、悪い子に見えた。かかわり合っているうちに、もっと別なところが見えてきた。」と話していました。私もずーっと「娘はいい子なのに何で何で」と症状にだけ囚われて、「こんな子じゃなかったのに」といつもいつも不安でした。三好先生が「悪い子に見えた」と話された時、なぜかフッーと気持ちが楽になりました。娘が小さい頃、「よくできたね、がんばったね」とほめる時も、現状よりももっとできるよとどこかにプレッシャーをかけていたこと、そして負の感情を出してきた時にも、素直に受け入れることができなかったこと、娘が「どうせお母さんに言ったって」とシグナルを送っていたのに、側にいて「そうか、そうね」とゆっくり話しを聞いていなかったことに気づかされました。
午後の「本人・家族による回復のメッセージ」を聞いて、淡々と発表された親子さんが印象的でした。もっと本根、その時の気持ちを聞きたいと思っていたので、何か拍子抜けした感じがしました。でも日が経つにつれ、私たちと同じような辛いこと、やりきれない思いなど、大きな山を二つも三つも越えての回復….. 感慨深いものがありました。大勢の前で発表してくれてありがとうと、感謝の気持ちで一杯になりました。
今回グループ紹介で発表なさった2人の摂食障害者本人とお話しすることができました。その1人の方が紹介の中で「食べて吐くのはおかしい」と言い切ったパワーには驚きました。2人ともいろんなことを乗り越えただけあって、自分というものをしっかりと持っている素敵な女性の方でした。
今回参加して、親子だけで悩んでいるよりも同じ仲間の方たちと話し合える場が必要だと、つくづく思いました。私たち親子も、お達者くらぶで素敵なOさん親子に出会えました。今回も一緒に娘の修学旅行のやり直しに付き合って頂きました。そしてOさんから娘に一生忘れられないやさしい言葉をいただきました。(涙が出るほどうれしかった。)ほんとうに充実した楽しい4日間でした。大阪では香山先生、Nさんに大変お世話になり、グループ紹介に娘も参加させて頂き、ステキな思い出ができて喜んでいます。ありがとうございました。
摂食障害になって4年め、娘からいろんなことを教わりました。そして、お達者くらぶのミーティングに参加するようになってから、今まで気づかなかった、娘のやさしさ、強さを発見できるようになりました。始めの頃のモヤモヤしてどうしたらいいのか、泣いていた頃がうそのようです。
今は、悪い子でもいいよ、大好きだよ、今のままで十分だよと思えるようになりました。
最後に、今まで支えて下さった方々、ほんとうにありがとうございました。
自分を振り返って 幸子
私は中学一年生の時、やり方の知らないダイエットを始めました。今思えば、それが摂食障害の始まりです。そして中学二年になり、当時バレー部にいた私は、副部長になり、そして彼氏ができました。そして、そこから女の嫉妬といういじめが始まり、つらい生活が始まりました。
学校が好きだった私ですが、だんだん休みがちになり、母からの暴力、そして父から母への暴力で、家に帰りたくなくなりました。それでも行く場所はなく、ある日、手首を切り自殺をはかりました。
それから私は登校拒否になり、高校へは入れたものの、二年で退学してしまいました。すぐアルバイトを始めたものの、三ヶ月でやめ、それからも転々とアルバイトをしていましたが、摂食障害である私へのまわりからの態度と自分で自分を責め続けることから起こる過食嘔吐は治りませんでした。
ですが、頑張るからと無理やりたのんだ東京でのエレクトーンの学校へかよう一人暮らしの生活から、食べなくては身が持たないという考えがふと浮かび、太ったことも事実ですが、頭も体も働くようになり、病院へ行かなかった分、別の病気にはなりましたが、とりあえず約一年過ごしてこれました。それから数年たち、その間、過食嘔吐という症状は、やはり家庭からと周りからのストレス、そしてやせたいと思う願望から、週に二、三回はありました。
しかし、ある頃から、自分に無理せずにできることは何だろうと考え始め、自分の好きな仕事なら続くのではと思い、介護の道へ行こうと考えてヘルパーの資格を取りました。そして、仕事を始めたとたんに、症状はぴたりと止まり、生活できるようになりました。
そんな中、6月末頃に父が死にました。私の手を握って、苦しんで苦しんで死んでいきました。あんなに憎んでいた父なのに、私は、悲しくて涙が止まりませんでした。お父さんは、私には、とてもいいお父さんになってくれていました。私が病気になり、自分から治そうと思っている私に父は、何も言わず、ずっとやさしくしてくれました。母は言いました。「お父さんを変えたのは幸子だ」と・・・。
これからは、母を助け、自分も無理せず、生きていこうと思います。お達者くらぶにはだいぶん行っていないので、私のことを書いてみました。みなさんがどう思われるかは今の私にはわかりませんが、スタッフのみなさん、お世話になりました。いろいろと心づかい、ありがとうございました。今度ミーティングに行くのは、症状がまた始まった時でしょうか。ではまた。
福島お達者くらぶの連絡先
前号でもお伝えしたように、福島県立医科大学病院の精神科ナースステーションに置いていた事務局は、看護婦さんたちの異動などがあって移さなければならなくなりました。事務はスタッフが手分けして担当しますが、連絡先は次のとおり香山の所とします。
香山雪彦 960-1295福島市光が丘1番地 福島県立医科大学医学部 生理学第二講座
電話: 024-547-1134 メイル: y-kayama@fmu.ac.jp
お達者くらぶやミーティングについての問い合わせなどは遠慮なく電話していただいてよいのですが、個々の問題についての相談には応じられません。同じように見える人でも全く違った対応が必要になることが多く、責任ある対応ができないからです。ご理解下さい。