〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第28号 2003年 7月 1日 発行
お達者くらぶだより第28号をお届けします。
お達者くらぶの創設以来ずっと、常に事務局の中心的な存在として活動してこられた看護師の七海賀代子さんがついに病棟を異動になり、精神科ナースステーションに置いていた事務局には佐藤尚子さんだけしかいないことになりました。その佐藤さんにも異動の可能性があり、それで事務局(連絡先)をこの会報の編集を行っている香山の所に移すことになりました。その連絡先などは最後のページを見てください。
この号には、創設当時からの第1期生というべきメンバーのmmmさん(今までも不思議なペンネームを使われてきましたが、今回もよくわからない名前ですね)、いつ頃から参加されていたのか記憶が定かではないのだけれど(すみません)もうミーティングに来られなくなって数年になる美由紀さん、ごく最近参加されるようになった由美さんなど、いろいろな人からの手紙を載せることができました。編集者としては非常にうれしいです。
この中でmmmさんの手紙はe-mailで編集者あてに送られてきたものですが、専門病院で看護師として働いておられて、本人と援助者の間で揺れ動くような思いをお達者くらぶのみんなにも読んでもらえたらと感じ、ここに載せることをOKしてもらいました。美由紀さんの手紙も編集者あてに書かれたものですが(美由紀さんが働いておられるところで全く偶然に出会ったら、その後手紙をもらいました)、家族の方たちへのメッセージも含まれているし、ぜひ載せさせていただくことをお願いしました。由美さんの手紙は最初から摂食障害の子供を持つ親の皆さんに読んでもらえるようにお達者くらぶだよりに載せてもらえればと書かれたもので、自分が今に到る中での親とのかかわりを自分自身で確かめるように、繰り返し書いておられます。
前号では、会津での講演会のアンケートに書かれていたことをこの号に報告しますと書きましたが、お手紙などでいっぱいになったのでまた先に送らせてもらいます。
摂食障害フェスティバルが今年も行われます
日本摂食障害ネットワークという組織が主催して行われる摂食障害フェスティバルについては、昨年9月末に発行したお達者くらぶだよりで報告させてもらいました。その摂食障害フェスティバルが、今年も大阪で行われることになりました。日時と場所は次のとおりです。
日時 2003年 7月27日(日曜) 10時20分から 18時まで
場所 ドーンセンター(大阪府立女性総合センター)
参加したい人は当日会場に行けばいいのですが(参加費は3000円です)、会場などがわからない人は、お達者くらぶスタッフの香山まで連絡してください。本当は日本摂食障害ネットワークの事務局に尋ねるのがよいのですが、残念ながらこの事務局の電話が非常につながりにくいのです。
今年のフェスティバルのプログラムの概要を紹介しますが、このプログラムを作った実行委員会に、今年は医師や心理・福祉関係など援助職の人たち以外に本人達も入っているのが特徴です。とは言っても、基本的なプログラム構成は昨年のフェスティバルとそんなに大きくは変わっていません。
中心になるのは3つのシンポジウムです。
午前中には「回復とは」というシンポジウムが行われ、発表者は援助職の人です。
午後1番のシンポジウムは「本人・家族による回復のメッセージ」となっていて、昨年と同じように、当日になるまでどのような人が出てこられるのかわかりません。
最後のシンポジウムは「海外での現状」と題されていて、主催者である日本摂食障害ネットワークの中心になっておられる生野照子先生以外に、たぶん本人を含む自助グループ関係者も発表するみたいです。
それ以外の会場で行われる催しには、昨年と同じくアロマセラピー・レフレクソロジー、気功、カラーセラピー、ダンスセラピー、オルゴールセラピー、ゴスペルなどの部屋が設けられます。昨年なかったこととしては、「本人のおしゃべりルーム」、「家族のおしゃべりルーム」というのが2時間開かれることになっています。また、相談コーナーが設けられ、医師、栄養士、ソーシャルワーカー、グループ関係者などによる簡単な相談を受け付けるというのも新しい試みです。
さらに、主会場で昼休みに「グループの活動報告」を1グループ2−3分で行うということです。さらにまた、これは昨年もあったのですが、グループ(個人でもよい)が思い思いのことを書いたポスターを展示する部屋が用意されます。これらの活動報告とポスターの両方に、福島お達者くらぶとして参加したいと申し込んであります。ポスターを出してみないかと5月の本人ミーティングで尋ねたところやろうやろうということになったのです。7月のミーティングの時に紙といろんな色の筆記用具を用意しておきますので、本人の人たちに自由に作ってもらおうということにしています。活動報告の方は参加案内が来て初めてわかったことで、とりあえず申し込みをして、できたら誰か本人の人に話してもらえたらと思うのですが、名乗り出る人がいなかったらスタッフの方でやろうと思っています。
このフェスティバルがどんな様子だったかは、また次のお達者くらぶだよりで報告させていただきます。
創設10周年パーティーに出席して考えたこと mmm
先生、こんにちは。
お達者くらぶだよりが届き、またふと急に思い立ってメールしてみました。
さっそくですが、ずいぶん前に伝え忘れた大切な気持ちがあります。
お達者くらぶ創立記念パーティーでのことです。
「まみ」先生から何らかのお便りが先に届いているかもしれませんが、創立当時からのメンバーにとって、あの場所での再会は感無量の思いがありました。創立当時のスタッフの皆さん、家族の皆さんとの再会も、輪をかけて感激してしまいました・・・
嬉しかったです。楽しい、感激した時間でした。
プレッシャーにはならない、すごく良い励みやパワーをもらえました。
"みんなあの時、あんなに真剣に深刻に症状にはまって苦しかったのに、今はそれぞれの生き方で楽しく、「いい」加減にやっているんだ、たいしたもんだ!やっていけるんんだ!"みたいな勇気。
一方で、今真っ只中、渦中にいるメンバーに、この思いをどんな風に表現したら「伝わる」か、考えていました。
でも・・・「渦中の本人」というのは、実際聞く耳をもてる余裕がないのが現状で、「伝えよう」「わかってもらおう」なんていう、おせっかいな私の一人焦りの感情論は、本人を煽ってしまうことになるだけだ・・・という気持ちもあって特に大きなアクションも起こさず、そしてこうした心の迷いを先生にメールしよう、しよう・・と思ったまま、もう何ヶ月も過ぎてしまっていたのです・・・
またそろそろミーティングに行ってみようと思ってます。
伝えたいことがあるのと同時に、みんなの苦しさを知りたい気持ちもあります。
それと・・・
最近感じていることは、「本人グループ」に『回復者です』みたいなツラ、もしくは「ベテランです」みたいな顔をして入っていくのも、なんとなくその場の空気が乱れるような気がしていて、もしくはそういう人には「カリスマ性」みたいなまなざしが集まってしまうような気がして、それもどうか・・と考えてしまいます。
「カリスマ」もしくは「ベテラン」「回復者」にもそれなりの威圧みたいなものを感じる人は感じ取ってしまうと思うのです。
それと、私は今むしろ「家族」に対して、「本人として体験したこと」を伝えていく事の有効性みたいなものを感じています。
家族の計り知れない恐怖心や、引き起こる様々な症状、将来に対しての不安等に『大丈夫!』と優しく後押し出来る力になれるかもしれないな・・・とも感じているのですが、この辺・・・先生はどのように思われますか??
時々・・「お達者くらぶ」のことを思い出してはこんなこと・・熱く思い返したりしてるんですよねぇ・・・
おかしいですねぇ・・・
新学期が始まって、先生はさぞお忙しい毎日をお過ごしのことでしょう・・・
私にとっても、この4月からはとんでもない急展開な出来事が重なってストレスフルな毎日です。
このメールはひとつの「逃避」かもしれませんね・・・
4月から、老人精神科病棟に異動になりました。しかもいきなり管理職異動!になりました。病棟体質を若い視点で改革するのが狙いだそうです。
驚きを飛び越えて、毎日笑ってやり過ごすしかない日々です。
ストレスで摂食障害が再燃、悪化すること間違いなし!と思っていた矢先、「蕁麻疹」に襲われました。
ストレス反応の出し方が少し「大人」になりましたよねぇ!!!
いや・・過食、嘔吐の方が大人かなぁ・・でも「生命の危機」に直面しちゃいますか
らねぇ・・・「蕁麻疹」は生命危機には至りませんもんねぇ・・
今度はBPD(編集注:境界性人格障害)や摂食障害が短期入院して回転している急性期開放病棟で、学会なんかも出てじっくり取り組もう!!なんて夢を抱いていた所だったので「老人精神科」には面食らいました・・・
4月に入職してきた人の中に、アディクション病棟でのキャリアの長い人などがいて、最近摂食障害なんかについてアレコレ話しては「患者会」みたいなものの在り方なんかで盛り上がり、大いに刺激されています・・
またまた長い長いメールになりました。また思い立ったらメールします。
その前に思い立ったらミーティングに出たいと思います。
まとまらなくなりました・・では・・。
最近考える事 美由紀
私は相変わらず毎日を過ごしています。
お達者くらぶも、もう数年顔を出してないな〜と思っています。
私自身、何が何で、どうして今に至っているのか、正直、分かりません。
ただ、現在の仕事によって私が変わっていったような気がします。
今の仕事はアルバイトから始めた、本当に遊び感覚の仕事でした。
だから、これが本業になるとは思ってもみませんでした。(当時は…)
もう今年で5年目に入ります。
そんなところで考える事ですが、決して私自身が回復者ということではなく、ただ、少し見方、考え方を変えるだけで、楽になるように思えます。
現在も多少症状はありますが、それと共に生活をし、また、あまりこだわらなくなったのは実際の所です。
症状一つだけを取り上げるとすれば、おどろく程、減っています。
ただそれには、仕事をしているという環境の問題もあるし、自分のこだわり、考え方が変わった中では、やはり、お付き合いしている人がいたからだと思うのです。私はその人によって、人生とは大げさですが、人と接することの楽しさを知りました。この4年の中で別れもありましたが、決して自分にとってマイナスにはなってなかったような気がします。
(現在も、好きな人はいますよ?)
ここに、私には大きな問題があります。
仕事と結婚の選択、というのは大げさかもしれませんが、
私にはもう(31才)そんなことを言ってる年ではないけど、今は仕事をやりたいです。欲を言えば、店長までは進みたいと思ってます。
だから、結婚となると、今のこの不規則な生活もムリですし、
私自身、結婚となれば、きちんと相手に合った生活をしたいと願っているからです。わがままで勝手なこともわかっている、欲張りなのもわかっているんですけどね。
先日この件で父親から「お前も幸せになってほしい」という言葉がメールで来ました。
幸せ?って、結婚だけじゃないし、人それぞれ幸せに求めること、幸せと感じることは違うと思うんです。
決して私、今、幸せじゃないと思ってないし、それは親にとっての幸せなんだろうと思うのです。
父と母の気持ちも分かります。
ただ、今、私は結婚より仕事をしたいのです。
もう少し、したいから…。
結婚をしたくないわけじゃないです。ゆくゆくは結婚して生活をしたいと思っています。
私ね、一人暮らしをしたいと思ってるのですが…。
親はね、まだ子離れしてないせいか…。
きっとかんたんに「いいよ」ては言わないでしょうが…。
私の問題はこんな所ですね。
お達者便りは読ませて頂いてますよ。
私の10年前は最高超ひどかったと思ってます。
正確には15才、高1年のダイエットから始まったのですから…。
今から15年前ですよ?。
でも今、とっても感じることは、あの頃は、あの頃の症状は自分にとって無駄ではなかったって。
あの頃がなかったら、今、こんなに人一倍感じられること、喜びや悲しみ苦しみ楽しさ、全てを、こんなにすばらしい物として受けいれられてはなかったと思うのです。当時は親に心配かけようと、ナイフを手にとって部屋にこもったこと、家をとびだして心配かけようとしたり、死のうとしたりしてましたよ。
病院に行って点てきをうけて落ちつかせたり、全て事実ですヨ。
あれはなんだったのか? 前にも書いたように、決して回復者としての意見ではありません。なかまへの意見です。「治ったよ!」じゃなく、「ラくになったよ!」ですかね。こわくて今一歩を進めない子がいると思いますが、無理して進まなくてもいいと思います。きっと時期が来ます。その日までは全て自分のことを受け入れてみましょうよ。自分があせってはダメです。常にマイペース?。
そしてお父さん、お母さんの方々へ
私も自分の両親に大迷惑をかけた子供の一人です。
とりあえず、心配なのは分かりますが、「見守ってあげて下さい」
ホッとくのではなく、見守っていくのです。
又、それが見捨てられていると勘違いするお子さんもいると思いますが、
それは、また何も言われなくなったさみしさから、心配してないんだろうと不安になってしまうのです。
だから、そうじゃなく、必要以外は言わないのです。
特に、摂食て、たべ吐きをしている親は死んでしまうんじゃないか?って思ってしまうことでしょう。
大丈夫です。自分自身でそれは分かってると思うのです。
限界が…、これ以上は…っていうのが。 だけど食べようとするけど、こわいという"かっとう"なのです。
そっと見守ってあげて下さい。
またうちの両親も顔出したいなと言ってます。
その時はよろしくお願いします。
今、私は、家の父と母はすごいな〜って思います。
というか、感謝をしています。
そして、迷惑かけてごめんなさい…と心より思ってます。
毎日の生活の中には、ついついけんかになったりしますけど、
多分、それ以前に、父と母が一番苦しんでいたことも今はきちんと理解してます。
この手紙を通して、ありがとうございました。と、一言、言わせてください。
摂食障害の子供を持つ親の皆さんへ 会津若松 由美
私は摂食障害(過食嘔吐、拒食、下剤乱用)になって20年経ちます。原因(編集者注:原因というよりはきっかけでしょうね)はダイエットです。私は昭和57年に東京の会社に入ってからすぐ摂食障害になりました。会社ではいじめがあったり、人間関係はひどいし、仕事は毎日2〜3時間、ひどい時は5時間位残業、休日の出勤もあり、ストレスがすごくたまりました。寮に帰ってから、ストレス発散のためお菓子とかやけ食いしてました。
そんなある日、男性社員に太ったねと言われました。私は体重を計る習慣がなかったので、太ったと言われ体重を計ったら、10 kgも太っていました。びっくりしました。ショックでした。ダイエットしてやせなくてはと思いました。
でも会社でストレスがたまると食べずにいられません。そんな時ある本を読んで吐けばやせるという事を知りました。そこで私は食べて吐く事にしました。それが摂食障害になるキッカケです。体重はおもしろいように減っていきました。気がついた時には35 kg位(身長162 cm)になっていました。
この頃になると"やせ願望""肥満恐怖"におちいって、35 kgより少しでも増えるとパニックを起こすようになりました。会社では皆にやせたねと言われる様になって、そうするとうれしくて、もう太れないと思うようになりました。
その頃の私の生活は本当にひどいものでした。はずかしい話ですが、食べ物、万引きとかもしました。社員食堂では大盛りをたのんで吐き、仕事中も時々更衣室で食べて吐き、寮に帰ってからも過食して吐きました。残飯あさりまでしました。夜も遅くまで過食しては吐き、朝も早起きして会社に行く前に過食嘔吐です。ほとんど寝ないでいるので仕事中眠くなり、ロッカー室でねたりしてました。
会社では、私がやせて心配してくれた人もいたけど、相変わらずいじめなどは続きました。でも私は誰にも悩みを相談しませんでした。なぜなら、子供の頃から常に我慢をたたきこまれていたからです。反抗期もありませんでした。
私の母は再婚です。新しい父はとても厳しい人でした。何かすると、すぐビンタ、冬、外に立たされたり、板場に正座させられたり。とにかく怖い義父だったので、家ではいつもビクビクしていました。
妹は再婚の時赤ちゃんだったので、義父を本当の父と思ってなついていたのですが、私はなつかなかったのでかわいくなかったのかな。妹が悪さをしても、それはおねえちゃんのまねをしているからだという理由で、いくら説明しても私がおこられました。もうどうせ何を言っても聞いてもらえないんだと思った私は、大人になっても自分の意見を言えない性格、我慢する性格になってしまったのです。
それで会社で辛い思いしても誰にも相談できず、トイレで泣き、ストレスを過食でおさえる様になってしまったのです。私がやせて心配してくれる人も少しはいたので、このままやせていれば私にも気をかけてくれる人もできるんだと思った私は、ずっとやせていようと思いました。
私は長い間、母に病気の事、言えませんでした。食べて吐くなんていう異常な行動を母に言えませんでした。でも入院する事になってしまったので、もう秘密にはできなくなりました。私の病気を知って、母はビックリした様です。その頃はまだ摂食障害はメジャーな病気でなかったので、母は何が何だかわからない様子でした。私も、説明するの、うまくできなかったので、摂食障害関係の本を買って母に読んでもらいました。でも母はなかなか理解できないようでした。
私が病気であるという事がわかってから、母は東京と会津を往復して、私の面倒を見てくれました。でもそれもたいへんだから、私は平成11年、会津に帰ってきました。
摂食障害は「心の病」です。ストレスとかがなくならなければ治りません。でも母は私の心ではなく体だけ心配して、とにかく私に食べさせようと必死でした。「食べなさい」「吐くな」私にとってはそれはすごいプレッシャーでした。それがまたストレスになって、過食嘔吐になってしまいました。
そして平成12年、自殺未遂で入院。もうその頃は摂食障害になって15年以上経っていて、病気も慢性化していました。その頃もまだ母はとにかく私に食べさせよう、吐かせないよう、必死でした。
でも少しずつ、病気の事を理解してくれるようになってきました。Dr.にこれは「心の病」なんだという事を言われて、少し私に対する見方を変えるようになったようでした。
でもやっぱり、やせている私を見て、心配のせいかとにかく太らせようと必死でした。とにかく"食べろ"です。平成13年に退院したのですが、その頃もまだ私の心を治すより、体を良くしようという態度でした。辛かったです。
でも、食べるのを強制しないで、と言いたかったけど、"よい子"の私は言えませんでした。"やせて何かメリットあるのか"と言われても、"太るの怖い""やせたい"と言えませんでした。子供の頃から我慢をうえつけられた私は、母に本当の気持ち、言えませんでした。
でもそのうち、母もだんだん変わってきました。Dr.の話を聞いたり、テレビで摂食障害の番組見たりしているうちに、私の気持ち、理解してくれるようになりました。今では"お母さんはおまえが過食嘔吐しようがやせようが気にしないよ"と言ってくれます。そしたら私も気持ちが楽になって、前よりプレッシャーを感じなくなって、過食が減りました。やめる事はできてないけど、明るく過食するようになりました。不思議なもので、母が過食を認めてくれたら、かえって良くなりました。
今では何でも話せるようになりました。お母さんは、今では、自分の再婚が原因だったのかなと言います。子供の頃の環境が悪かったのかなと言います。今は母にそんな風に思わせている自分が情無くて、早く良くなりたいと思うようになりました。過食嘔吐はやめられないけど、とにかく入院する位にはやせない様にしようと思えるようになりました。
この病気は家族病かなと思います。親が子供のストレスを理解してくれたら、お互い楽になれるのかな。ここまで何年もかかったけど、今、母とはすごくいい関係になりました。病気になって一ついい事があります。私が病気でも元気でも、私に対する母の愛情は同じだとわかった事です。本当に母は私を大切に思ってるんだと気がついた事です。今では母もすっかり摂食障害者の親であることが板についた感じです。
私、食費かかるから、生活保護では間に合いません。そんなときSOSを出すと、母が援助してくれます。申し訳けないと思います。私が過食我慢できれば、お金かからないのに、ごめんなさい。私のわがまま病のせいで、お金出させて情無いですといいます。そうすると、母は病気なんだから仕方ないでしょう、と言ってくれます。それどころか、パンとか、いっぱい買ってきてくれます。私がそれ、食べても吐いてしまうとわかっているのに・・・。
人間て不思議ですね。母に"食べろ""吐くな"と言われていた頃は逆にひどかった。母からのプレッシャーでストレスになって過食嘔吐ひどかった。でも、今、母が変わって、病気なんだから仕方ないでしょう、自分でコントロールできない病気だし、脳の機能もおかしいんだから。なってしまったものは仕方ないし、これからがんばって治せばいいんだからと言われるようになってから、逆に過食、減りました。私があまのじゃくなのかな。
家族の皆さん、どうか、過食嘔吐しても無理にやめさせないで下さい。過食嘔吐は心がSOS出してるんです。それを言葉で表現できないから、過食嘔吐してしまうんです。過食嘔吐で何とか心のバランスを取っているのです。私達は、好きで親を心配させたくないんです。本当は良くなって、親を安心させたい、でもそれができない事がストレスになって過食するという、悪いサイクルにはまっているのです。
私は子供の頃から母とは仲良しです。そして、私が病気になってから会話が増えて、ますます仲良しになりました。母が私の病気を受け入れてくれたら、私も自分の病気に対して悲観的にならなくなりました。もちろん100%ではありませんが。20年目にしてやっとですよ。ついこの間まで、こんな病気で死にたいと思ってたけど、今は、こんなに私を愛してくれる母のためにも元気にならなくてはと思います。もう自殺未遂なんて絶対やりません。とにかく入院しなくてもよい体重はキープしようと思います。
私の場合、自分が病気だとわかるまで何年も経っていたし、症状が慢性化してしまっているので、治るのむずかしいと思います。でも、私の"肥満恐怖""やせ願望"がなくなれば治ると思います。その日が来るのはいつになるかわからないけど、のんびり待つつもりです。今は、子供の頃、母に甘えられなかった分、甘えている時期なのかもしれません。遅い反抗期を、今、やっているのかなと思います。
とにかく、この病気は親がどーんと構えて、病気を認めて受け入れてくれる方が、私達本人は楽になります。きっと悩みとかストレスとかで摂食障害になってしまうのだから、なるべく会話を増やして、何がストレスなのか、親と本人がお互いに理解できたら、病気、少しは良くなるのかなと思います。
この病気は本当にめんどうな病気ですが、時間はかかると思うけど、治る病気だと思います。長い目で、親に見守ってほしいなぁと思います。本人も苦しいんですから。好きでやってるわけではないんですから。私達本人は、人よりちょっとデリケートなだけなんです。傷つきやすいだけなんです。辛いってわがまま言えないから、食べ物に頼ってしまうんです。そこのところ、わかって下さい。
お達者くらぶ事務局(連絡先)
この会報の最初に書きましたように、お達者くらぶの事務局(というより連絡先)を移さなければならなくなりました。
新しい連絡先は福島県立医科大学(960-1295福島市光が丘1番地)生理学第二講座 香山です。(今年の春から電話番号が変わりました。024-547-1134です。)香山は昼の間は講義や会議で不在になることも多いので、連絡が必要な時には1回でつながらなくてもめげないで、何度もかけてみてください。夕方5時以後も9時くらいまでいることが多いと思います。
ただし、お達者くらぶやそのミーティングについての問い合わせなどは遠慮なくかけていただいてよいのですが、個々の問題についての相談には応じられません。それは、同じように見える人でも、例えば抱きとめてあげるべきなのか突き放してあげるべきなのかなど、全く違った対応が必要になることが多くて、電話ではとても責任ある対応が不可能だからです。ご理解ください。
福島お達者くらぶは、拒食症・過食症などの摂食障害に苦しむ人たちの会です。こんなことを言ったらおかしいと思われるんじゃないかというような心配なしに心の中を吐き出し、同じ苦しさをかかえる人たちがたくさんいる、自分だけじゃないと知って安心し、そこで友達、仲間を得るためのミーティングを中心に活動しています。それは治療のための会ではありません。何の束縛もない、ふらっと行ってみようかなと思ったときに行ける集まりです。
家族のミーティングも行っています。こちらには医師のスタッフが出席し、とまどっているようなときにはそれはこういう意味ですよといった発言をすることもありますが、基本的にはこちらも、他では言えない苦しい事情を吐き出して楽になり、同じように苦しみ、それを乗り越えようとしている仲間の存在に励まされる会です。