〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第25号 2002年 9月 30日 発行
お達者くらぶだより第25号をお届けします。
前号では「若い人たちへのメッセージ」と名づけた手帳の内容をはさみ込みました。それに続いてこの号では「家族の方へのメッセージ」をつける予定にしていました。ところが、もらった手紙やいろいろな情報がたくさん載ることになって、ページがいっぱいになってしまいましたので、それは次号に送らせていただきたいと思います。
特にこの号ではつい最近大阪で行われた「摂食障害フェスティバル」の報告をしたいと思って、その記事を書き出したらついつい関連することを書いて長くなってしまいました。また、本人としてそのフェスティバルに参加してきたのぞみさんが印象記を寄稿してくれました。それはスタッフの私(香山)の眼では絶対に感じ取れない、本人だけが感じ取れる、本当に貴重なものだと読ませてもらった私は感動しました。フェスティバルがどんな会だったか、雰囲気がよく伝わるのではないかと思います。
前号を読んで Youko M.
今回、福島お達者くらぶ手帳を作成された経緯を読んで、これまでの道のりの結晶を形にされたことは、とても大きな意味があるように思いました。10年間という長い年月の中で関わりあった様々な人々や出来事から生み出された賜物ではないでしょうか。何よりも、この世界のどこかにこんなにも親身になって、大きな手を広げて受け止めようとしてくれる誰かがいてくれる場がある!ということが、かけがえのない励みになるのではと思います。
しかしながら、私自身でいえば残念なことに、まだ仲間・・という響きに抵抗感があり、自分の内面や他人の思いを共有するのは難しいです。
どこかに、他人を拒むところがあり、表面的にはお付き合いできても、心の中まで立ち入らせない強力なバリケードを外すことができないのです。哀しいことであるようにも思いますが、そんな風に生きていくことが私には楽ですので、あまり問題に感じません。ただ、これはあくまで自分の立場に立った考え方であり、他人を受け入れてあげられないというのは、冷たい部分であると自覚しています。やはり人との関係が恐ろしいのでしょうね。
紹介されていた村上龍氏の「最後の家族」は、とても興味を覚え購入しようと思っています。私の胸に響いたのは、弁護士が秀樹の心の内面を掘り起こしていく部分です。「他人を救いたいという欲求は、支配したいという欲求と実は同じなんです。そういう人は、他人を救うことで、自分も救われようとします。でも、その人自身が、心の奥深いところで、自分は救われるはずがないと思っている場合が多い。その思いは、他人への依存へつながっていきます。」という台詞はまさに等身大の自分を見ているような気がしました。そして極めつけは、一人で生きていけるようになること、それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです・・という箇所です。私は、自分が少しづつではあるけれど、強くなっているような気がしていました。しかし同時に、実はものすごく依存しているのも実感しています。それがたまらなく怖くて、嫌でときに断ち切りたい思いに駆られることがあります。でも、どうしてもできない。それは、まだ自分の足で立って歩いていく自信がないからだと認めざるを得ない事実です。こんな風に、強がって安定を保っている私は、自分の内面に触れるとたまらなく・・胸が押しつぶされそうになります。自分自身との葛藤のなかでいつの日か打ち勝つことができるでしょうか。私はあまりに弱い人間なのだと認めることは苦しいですね・・・。
(Youkoさんに:自分に冷たい部分があるという自覚は、多分、まだ心に余裕がないためであることが大きいのではないでしょうか。今は、自分のことだけに関わっていて何も悪くない、それは冷たいということとは無関係のことだろうと思います。)
摂食障害フェスティバル(第2回)の報告 香山雪彦
摂食障害フェスティバルと名づけられた催しが9月15日(日曜)に大阪で行われ、お達者くらぶのスタッフを代表して香山が参加してきましたので、そこで見たり聞いたりしたことを報告したいと思います。
日本摂食障害ネットワークについて
この催しの中心になっているのは日本摂食障害ネットワークという組織です。この組織は、昨年夏の一番暑いころに、古くから大阪で摂食障害の治療にかかわって来られた生野照子先生の呼びかけに応じて集まった人たちで立ち上げられたもので、そのときの小規模な集まりをとりあえず第1回の摂食障害フェスティバルとして始まりました。(生野照子先生は摂食障害を数多く引き受ける治療者としては珍しい小児科の医師で、大阪市立大学病院で長く診療にあたっておられましたが、現在は神戸女学院大学という関西では非常によく知られた女子大学の先生をされています。)
生野照子先生がどういう人たちに呼びかけられたのかは知らないのですが、福島お達者くらぶには、NABAが出している本などに出ている摂食障害者のグループにはできるだけ呼びかけたという、その一つとして案内が来ました。それで誰か参加してみるかをスタッフの中で話し合ったのですが、夏休みのことで、私はそのころ京都に一人で住んでいた母親のところに休暇をとって一度は行かなければならなかった、それに合わせて私が出席することになりました。
脱線して、摂食障害医療の体制について
私は医師としての資格を持っていますが、実際に医師として働いたのは麻酔科とICUだけで、それ以外の経験はありません。だから、精神科、心療内科ほか、どんな診療科や学会からも自由な立場から摂食障害の治療の状況を眺められます。そんな私から見ると、摂食障害やその他の嗜癖・依存を扱っていることを標榜している医師たちは、診療科や活動の拠点となる学会が違うと、病気の捉え方が異なるのは多少しかたないとしても、その間の交流がきわめて乏しく、お互いに相容れようとしないように感じられます。それどころか、個々の医師たちも往々にしてそれぞれカリスマのようになって、近い場所にいてもお互いに意見を交換してよりよい医療のために切磋琢磨するような雰囲気が感じられないこともよくあるみたいです。
それは医師だけでなく、心理学関係の人たちを中心にカウンセラー・セラピストとして活動している人たちでも同じで、臨床心理士認定の中心になっている心理臨床学会以外にもさまざまな資格を認定しているたくさんの学会があって対立し、特別の資格がなくてもカウンセリングに当たることができることもあって、収拾のつかない状態とさえ感じることもあります。心理学と医学の関係も、もちろんそれぞれの病院や診療所ではお互いに協力して治療にあたっているところはたくさんありますが、全体としては旧文部省と旧厚生省の対立にまで至っているのではないかと疑ってしまうくらいです。
摂食障害ネットワークのことに戻って
そんな状況の中で私は、なんとか医師もセラピストも、もちろん摂食障害の本人たちもその家族も、日本のどこにはどのような考え方でどのような治療を行っているところがあるかという情報が得られるネットワークができないものかと願ってきました。私は西日本で医師や研究者として活動していた年月も長かったので、よく遠方の友人からどこか適当な医師や病院を紹介してくれないかと頼まれるのですが、個人的にごく少数の人を知っているだけで全く知らない地域も多く、非常に困ってきたからです。
また、その地方の自助グループについての情報を尋ねられることもよくあるのですが、それにもほとんど応えられていません。
医師たちは自尊心が強すぎるくらい強いし意地っ張りだし自分たちの流派を守りたがる人が非常に多いことを知っている私は、そんな状態を打ち破って、学閥などにとらわれずに関係する人たちみんなに呼びかけ、結集させることのできるのは、本人たちのグループだけではないかと思っています。しかし、まだまだ自分たちが生き延びるだけでも精一杯のことが多く、グループを維持するのも経済的に苦しい状況を切り抜けなければならない本人たちに、それを期待するのは重荷に過ぎるでしょう。いずれはそうなってほしい、それができるのはあなたたちしかないのだと、強く思っているのですが。
そんなところに日本摂食障害ネットワークという組織を立ち上げたい、それに参加しないか、という案内が来たのです。これがどんな人たちが集まるどんな組織なのか、どんなことを目指しているのか、全くわからなかったのですが、ともかく行って見なければわからないし、呼びかけ人がその名前をしたって大阪に行った福島医大の卒業生がいたことがある生野照子先生だったので、昨年、とりあえず様子を見に行きました。
昨年のフェスティバル
その昨年の集まりは、正直なところ、かなりがっかりするものでした。集まったのは、医師では心療内科関係の人たちが中心で、広い分野の人が集まっているとは言えませんでした。グループとして参加していたのも生野先生の関係していたところだけのようなものでしたし、本人の人たちもNABAなどからも様子を見に来られていましたが、そのような当事者を会の運営の中心的な位置におこうとするような姿勢は見られませんでした。
しかし、生野先生は、当面は専門家主導でやらざるを得ないけれど、本人、家族の会を誘って(吸収するのではなく)それぞれの会の特徴を生かしたまま、それを大事に育てながら、意見交換を行える場になるような、そんなネットワーク作りをしたいと言われました。モデルになるのはイギリスの摂食障害協会という組織で、これは全国的なネットワークを作って、情報交換、知識の普及、社会の啓発、リーダーとなれる人の育成などの活動をしているそうです。そして、方針として、ゆっくりとやって行きたい、できることを実行しながら一歩一歩進んで行きたい、ということでした。それはまさに私の考えているところでしたから、このネットワーク作りに参加したいと考えました。
その時は本人や家族のグループへの働きかけ方にはかなり満足できないところがありましたが、それは今後、たとえば本人のグループ、家族のグループ、専門家のグループが日と場所を合わせてそれぞれがフォーラムやワークショップを計画、参加者はそのどれに出てみてもいいことにするようなことを考えてみたりすればどうかと考えています。というようなことで今年、私は大阪付近の知り合いに、とりあえず行ってみませんかと誘ったりしました。
今年のフェスティバルへの誘い
今年の夏前になって、生野先生から、今年の9月15日に第2回の摂食障害フェスティバルを計画していて、その中で「私たちの自助グループ」というシンポジウムを行いたいと考えているが、福島お達者くらぶもシンポジストとして発表してもらえないかという連絡が入りました。その前日がお達者くらぶのミーティングの日だという問題がありましたが、それはミーティングが終わってすぐに飛び出したら、何とか間に合います。それで、スタッフとも相談して、協力したいと考えたのですが、問題に感じるところがありました。その点を次のようなメイル(e-mail)で生野先生に問いかけました。
この段階で気になることが一つあります。それは、シンポジストとして名前の挙がっているグループは、NABA以外はいずれも完全な自助グループとは言えない、医療側の人間がスタッフとして関わっているグループであることです。
私達はこの点をかなり厳密に考えていて、福島お達者くらぶを自助グループと名のっていません。私達のミーティングのうち、本人のグループについては、毎回司会者をその時の参加者の中から決めた後は話し合いの中にスタッフは加わらないことにしていて、自助グループにかなり近い形になっていますが、それでも自助グループとは違うし、家族の会の方は明らかにスタッフが司会して受け止める役をしていますから、治療グループとは違うけれども、自助グループとも明らかに違います。このようなグループを自助グループと名づけると、本人達だけで頑張っている本当の自助グループは決してよい気分にならないのではないでしょうか。
自助活動のあり方に関しては、東京、大阪といった大都市およびその周辺と、福島県のような地方圏(田舎)では非常に違った状況にあります。私達のあたりでは少数の本人達が頑張っても、自助グループの活動を維持していくことは非常に困難であるのが現状です。それゆえ、私たちの会のように、医療側の人間が運営の手助けをする会しか継続できていないのですが(この継続性が大切だと私は思っています)、それでもこれは自助グループと名のるわけにはいかないと思っています。
このシンポジウムに参加するにあたっては、福島お達者くらぶとしては現在のところではスタッフ(医師か看護婦)がシンポジストにならざるを得ないと思いますが、その私達が「私達のグループ」と名のるわけにはいかないと強く感じています。それで提案なのですが、このシンポジウムの題名は、「私達の考える自助活動」あるいは「私達の自助活動の経験」というようなものに変えることはいかがでしょうか。
以上、私の提案として書かせていただきます。このように勝手に意見を述べると収拾がつかなくなるかもしれませんが、ご考慮に入れていただければ幸いです。
それに対して、生野先生からはすぐにメイルで次のような返事が返ってきました。(パソコンでe-mailを連絡手段に使うようになって、本当に速くて便利になりました。)
とても大切なご指摘を、ありがとうございました。先生のご意見を伺えて、本当に良かったと思います。題名は訂正したく思います。先生のお書きくださったご意見は、ぜひぜひ当日ご発言いただいますよう、お願い申し上げます。医療側リードでやらざるを得ない状況、しかしこの重要点をどのように乗り切ればいいのかは、我が国だけではない問題点だと思っています。シンポではこの点を取り上げたいと存じますので、ぜひ、いろいろご意見をお聞かせくださいますようお願い致します。
この返事をもらって、私は心がずいぶん軽くなったのを覚えています。それで、最終的に参加することを決めました。そのシンポジウムの題名は「私たちの自助活動」ということになりました。ほかの発表者は「のびの会」(アルコール依存の治療の中心的な存在であった国立久里浜病院の関係グループです)、「南彦根クリニック」(精神科医のクリニックですが、患者・家族グループを母体にしたNPO法人により設立された精神障害者共同作業所を持っています)、「あゆみの会」(生野先生が働きかけて、早くから活動している摂食障害の家族の会です)と「NABA」でした。
今年のフェスティバルの内容など
今年のフェスティバルでは、福島お達者くらぶの参加したシンポジウムのほかに2つのシンポジウムと、オルゴール演奏、ゴスペル合唱、アロマセラピー、ダンスセラピー、気功、などがそれぞれの専門家によって行われ、また、いろいろなグループのポスター発表や書籍販売などもありました。
会場は大阪の真ん中あたりにある「たかつガーデン」と書いてあったので、結婚式場みたいなところかと思っていたら、大阪府の教育会館という公共の施設でした。(もっとも、学校の先生たちはここで結婚式をすることも多いみたいです。)どうしても会場費の関係で公共の施設しか使えないのですが、メインの会場が8階、あとの小さな部屋での企画が2階および地下1階と離れていたのはちょっと不便でした。アロマセラピーの部屋なんかは、そこで実際に試してもらえたので、希望者がずらっと並んでいたということです。グループのポスター発表の部屋では、ほんの数人だけでやっているようなグループなんかも思い思いの手書きのポスター(模造紙)を貼っていて、なかなか楽しそうで、来年からはお達者くらぶも出せたらいいなと思いました。
3つ組まれていたシンポジウムの最初は「セルフヘルプって何だろう」で、ここでは精神科や心療内科の医師たちがセルフヘルプの概念や自分たちのグループの紹介をしていました。ここでは、こんなものもセルフヘルプに含むのか(それは治療グループなのではないか)、という思いがしたりしました。私が話した最後のシンポジウムでもいろいろなグループの活動が紹介され、それらのグループについては次の項で紹介します。
2番目のシンポジウムは「摂食障害を生きる」という題名で、これはシンポジウムというよりも、お達者くらぶの摂食障害セミナーで行われた本人・家族の体験談に、その本人が最後に出会うことができたカウンセラー(その人自身が摂食障害の経験者だった)の話を加えたようなものでした。本人は、15年間全くの拒食に苦しんだ人でした。(家族はそのお母さんでした。)小学校の担任の先生(女性)からねちねちといやみを言われたり失敗をクラスでの笑いものにされたりといういじめを受け、決定的だったのは生理を笑いものにされたことだった、それを話すのに10年以上もかかってしまったのだと話されていました。医師からは成熟拒否、愛情不足などと決めつけられ、父からは「忘れろ」と、臨床心理士は聞いてくれたが「いつまでもそんなことにこだわって・・」と言われた、しかし最後に出会ったカウンセラーの人がただ「つらかったね」と受け入れてくれたことから回復が始まったということです。その話の中には心に残る言葉がたくさんありましたが、それは(シンポジウムで印象に残った言葉と一緒に)項を改めて紹介したいと思います。
いろいろなグループ
このフェスティバルは朝の9時半から夕方の6時半過ぎまで、実にびっしりとプログラムが組まれていて(私はその後、日本摂食障害ネットワークの運営委員会にも出ました)相当に疲れましたが、一番印象に残っているのは、実にいろいろなグループがあるなぁということです。シンポジウムで紹介されたものはほんの一部分で、昼休みにもともとの予定にはなかったので知らなかった人も多かったと思われるグループ代表者の会合が行われたのに集まった小さいものも含めて、こんなグループがあったと紹介してみたいと思います。
・ NABA (これは完全な自助グループです。紹介しなくても知っていると思います。)
・のびの会(横浜の昔からアルコール依存治療で有名な久里浜病院のグループ。作業所や
さまざまな活動をしているが、運営にはボランティアスタッフが入っている。)
・ あゆみの会(これは大阪で生野先生が立ち上げた家族の会で、3ヶ月ごとに勉強会や話
合いの会を持っている。会員から世話人を決めているが、なり手が少ないとのこと。)
・E.D.Labo(ホームページから立ち上がった大阪のグループ)
・Eサークル(昨年くらいに立ち上がった大阪の本人のグループ)
・カナリヤショップ(立ち上がったばかりの京都・滋賀の本人の会)
・いかるがグループ(奈良の家族の会)
・バンビの会(福井の家族の会)
・つくしの会(家族の会ですが、どこか言われませんでした)
そのほか、代表者会には、京都の家族の会(京大病院の医師が世話をしていたが、その医師が引退してどうしようかと考えている)、東京の本人のグループ、富山の本人のグループ、長崎の本人のグループなど、グループ名を聞き取れなかった自分たちだけの集まりのような小さい会が出席していました。
また、国立精神神経センターの伊藤順一郎先生が紹介していたのは、心理教育を中心にしたグループ治療の7−8回のコースが終わったあとに、そのたびに自分たちで集まるグループを作るように助言しているということで、それで次々にできているたぶん数人から10人くらいのグループです。セルフヘルプグループを立ち上げるにはエネルギーが必要で、そこをちょっとだけ支援するみたいなのですが、それぞれのグループがどれくらい続いてどうなるのかは話されませんでした。
今回、大きな自助グループとしてはOA(Over-eaters Anonymous:無名の過食者たち)関係者は全く来ていませんでした。OA関西は大阪を基盤にかなり活発に活動していると思うのですが、たぶん自分たちの活動に高い誇りを持っていて医療側主導の会には出ないのだと思います。このような人たちがどれくらい参加してくれるようになるかが、ネットワークの発展に大きく関係してくるのだろうと思いますが、どうしても肌が合わないものがあるのは致し方ないのかもしれません。
シンポジウムなどが終わったあとに、小さいグループやこれからグループを組みたいと考えている本人の人たちに残ってもらって、グループつくりやお互いの交流をやってみようじゃないかという、楽しそうな会がしばらく行われていたのが印象的でした。(くどうクリニックの町田英世先生という方がファシリテイターのような役をされていました。)
あらためてお達者くらぶのことを
そんなふうにいろいろな会があることを知って、改めてお達者くらぶのことも考えました。10年続いてきたことは先駆的な試みをしっかりと続けてきたのだとあらためてわかりましたが、それとともに、本人と家族の両方が参加し、どちらのミーティングも対等に行われている会は他にほとんどないことが強く印象に残りました。シンポジウムのなかで、グループのある人が言っていたこととして「グループが続いていくには核になる人の存在が大きい、その人が新しく来る人を大事にすること・・」という言葉が紹介されていましたが、核になる人はミーティングを休むことはできなかったりしてまた新たな苦しさを抱えることにもなります。今のお達者くらぶがそのような人がいないままに続けて来られているのはスタッフグループの役割に負うのだろうけれど、それだけスタッフが自分の立場と役割をしっかりと理解していくことが大切なのだろうと、強く心に刻みました。
心に残った言葉
今回のフェスティバルでいろいろな人の話を聞いていて、いくつも心に残った言葉がありました。この報告の最後に、そのいくつかを紹介したいと思います。
『サポートとよけいなお世話の間で葛藤している。』(精神神経センター伊藤順一郎先生の言葉)
『専門家はいつも評価の眼が入るような気がする』(伊藤先生が伝えたある本人の言葉)
『人の物語のあり方にそった援助のみが有効』(コミュニケーションケアセンター吉川悟氏の言葉)
『必ず治る、と私は思う。けど、一人で太刀打ちできるものではない』(体験談の本人の言葉)
『決めつけてほしくない』(同上、医師たちからやせ願望、成熟拒否、愛情不足などと言われて)
『10年も治療しながら治らない、これは本人の言うことを聞くほかない』(その母親の言葉)
『人間は変われる。その力を信じてあげる』(そのカウンセリングをした小池明子さんの言葉)
『原因よりも、背後にあるつらさ、苦しさ、さみしさに気づいていくこと』(同上)
『治してあげようなんて思っていない、一緒に生きていこうよと思っている』(同上)
フェスティバルに参加して のぞみ
お達者くらぶメンバーの皆さん、こんにちは。
過食症の、のぞみです。
私は、9月15日に大阪で開かれた、"摂食障害者フェスティバル"に、摂食障害者本人として、参加してきました。
私自身、お達者に来るようになって、まだ半年程です。一人で悩んでいた頃、自分はすごく、すごく異常なんだって思っていたけれど、お達者で仲間に出会えて、とても楽になりました。仲間の存在が、とても心強いと感じています。
だから、できるのならもっともっと、いろんな仲間と出会ってみたい、もっと自分の世界を広げていきたい、そのためには、自分から求めていかなくちゃ…そんな気持ちから、ぜひフェスティバルに参加してみたいと思えたのです。
今回はそこで私が感じたことの幾つかを、皆さんにお伝えしたいと思います。
まず私は、その会場にいる人たちから、なんと言うか、底知れぬパワーみたいなものを感じました。
多分それは、本人達の、生きようとするパワーであり、家族の、心から救われたいと願うパワーであり、また援助者達の熱意であり…。
とにかく、みんな懸命でした。
みんなが助け合い、分かち合い、ぶつかり合って、真剣に自分自身や、人や、社会と向き合おうとしていました。そして、もがき苦しみながらも、前へ進もうとしている様に感じられました。
自分自身のことで精一杯な私にとって、そこで感じたパワーは、大きな刺激でした。
改めて、私も前に進んでいきたい…そう強く感じました。
また、今回私は、お達者以外の様々なグループ活動について知ることができました。
そして、このお達者くらぶが、当たり前に存在しているものではないんだ、ということに改めて気付かされたのです。
この会がこの田舎で10年も続いているその裏には、スタッフの方々の、熱意とか、努力とか、工夫とかが存在していたんだ…と。
そしてそれが、本当にすごいことなんだと、今私には感じられます。
心から、ずっとずっと、このお達者が続いていけばいいなあ、と思えます。
食べ吐きや、自分自身の心の奥底と向き合い始めたばかりの私が、えらそうな事はいえないけれど、病気である私たちが、この暗闇から抜け出すためには、自分ひとりの力では絶対に無理だと私には思えます。
こうした、分かち合いの場とそこで得る仲間、または家族や援助者の存在…それに頼ることを良しとして、自分に許してあげる勇気を持つことが、回復への大きな一歩ではないでしょうか。
人を信じて、頼るというのは、すごく、すごく怖いけれど。
でも、少なくとも私にとっては、この病気との戦いが、たった一人の孤独な戦いではなくなりました。
こうして周りを見渡せば、救いの手がたくさん出ていることや、多くの仲間がいることに気が付いたからです。
私たちはいつだって、何処に居たって、分かち合うことも、つながることも可能だし、すべての人にそれが許されているのではないか、と私には今思えてなりません。
そんなことに気付いただけでも、今回フェスティバルに参加してみて、ほんとうに良かったと、心からそう感じています。
今回私が感じたのは、そんなところです。
では皆さん、10月のお達者でまたお会いしましょうね。
ホームページを作りました
何人かのメンバーの人たちにだいぶん前から、お達者くらぶもホームページを作りませんかと言われていました。そこで、このたび、ホームページを立ち上げてみました。目下のところそこに書きこんだ内容は、最近ミーティングに来た人や希望者に渡している「若い人たちへのメッセージ」と「家族の方へのメッセージ」という手帳に書き込んだものとほとんど同じです。このお達者くらぶだよりができたら、それもそのまま載せようかと思っています。
しかし、いろんなホームページによくあるように、読んだ人が書き込めるようなページは作っていません。スタッフのほうで、その管理をできるだけの余裕を持っていないからです。それで、どんな事でも考えたり感じたりしたことをお達者くらぶあてに寄せていただけるときは、今までどおり事務局あて、または編集担当の香山あての手紙などでお願いしたいと思います。
ホームページのアドレスはhttp://www.ipc.fukushima-u.ac.jp/~e100/otassya-home.htmです。こんな長いアドレスをタイプするのはたいへんですし、とても覚えきれないでしょう。そんなときにはYahooなどの検索エンジンを使えばいいのですが、「福島お達者くらぶ」で検索したときにホームページがまだ出てこないエンジンもあります。そこでうまく出てこないようなら、「福島県立医科大学」のホームページを開いて(これはどんなエンジンでも出てきます)、その表紙ページ(最初に出てくるページではJapaneseかEnglishかを選ぶようになっているので日本語を選んだら出てきます)にある「医療福祉関連リンク」をクリックすると、そこにいくつかの団体に並んで福島お達者くらぶがあるので、それをクリックしてください。
これからもこのホームページを充実させていきたいのですが、どんなものにしていったらよいか、意見を寄せていただけたらありがたく思います。
お達者くらぶ10周年記念パーティーを行います
福島お達者くらぶが1992年の11月に発足してからちょうど10年になります。その記念の11月のミーティングの日に、ミーティング終了後にパーティーを開きます。いわば、同窓会です。この会報と一緒にその案内と出席希望を尋ねる手紙が送られていますので、最近はミーティングにくる必要のなくなった昔のメンバーの人たちには(家族も)、昔の仲間と話せるめったにない機会ですから、ぜひとも参加してもらえればと思っています。昔のスタッフの人たちも出席してくれることになっていますし。
詳しくは同封の手紙を見てもらえればと思いますが、日時は11月9日の4時30分から、場所は医大の中の光が丘会館、会費は3000円です。
10月のミーティング(家族)は30分遅れて始まります
10月のミーティングは定例どおり第2土曜日の10月12日に行われます。その開始時刻なのですが、本人グループのミーティングは通常どおりの2時からですが、家族ミーティングは30分遅くなって、2時30分から始めます。
実はこの日、日本栄養・食糧学会東北支部と日本食品科学工学会東北支部いう2つの団体が合同で、福島県立医科大学を会場にして学術講演会を開きます。その特別講演の講演者として香山が招かれて、それが2時半まであるのです。
その特別講演は次のような時間と題名で行われますが、参加費無料の一般公開で行われるということなので、もしよければちょっと早い目に来て聴いてください。(ただし、昨年の5月に行った摂食障害セミナーのときの基調講演とほぼ同じ内容です。)
日時: 10月12日(土) 13時40分−14時30分
場所: 福島県立医科大学講堂(ミーティングの部屋から下に見える丸い建物)
題名: 食べる・食べない・太る・やせる ―なぜ私たちは食べることにおぼれるのか―
演者: 香山雪彦
お達者くらぶ事務局(連絡先)
事務局は福島県立医科大学(960-1295福島市光が丘1番地、電話024-548-2111)付属病院精神科病棟ナースステイション(電話内線3435)の七海、佐藤(尚子)です。看護婦さんたちは勤務が不規則で、この事務局に連絡がつきにくいことも多いと思いますが、その時は生理学第二講座 香山(内線2130)に連絡してください。ただし、お達者くらぶやそのミーティングについての問い合わせなどは遠慮なくかけていただいてよいのですが、個々の問題についての相談には応じられません。それは、電話ではとても責任ある対応が不可能だからです。ご理解ください。