〈〈〈〈〈福島お達者くらぶだより〉〉〉〉〉
第24号 2002年 6月 30日 発行
 
お達者くらぶだより第24号をお届けします。
この号では、お達者くらぶの手帳を作ったのを紹介します。
 以前のこの会報に紹介しましたが、NABAがNABA NOTEという自分たちの手帳を持っているように、福島お達者くらぶでも自分たちの手帳を持てたらいいなという希望が出ました。それで、そんなものができないかどうかスタッフで考えてみました。今年はお達者くらぶ創設からちょうど10年になる年なのでいくつかの記念事業をやりたい、その一つとして手帳も考えてみようではないかとも考えたのです。
 しかし、いざ作ろうとするといろいろと難しいことがありました。まず、その手帳に何を載せるか、誰がそこに載せる文章を書くか、といったことが大問題です。誰かともかくも書いてみませんか、と言っても、なかなか誰も書けないものです。そこで、とりあえずたたき台になるものを私(この会報の編集をしている香山)が書いてみました。
 まず最初にお達者くらぶの紹介などを書こうと思って、「お達者くらぶはどんな会?」、「お達者くらぶ事務局(連絡先)について」、「お達者くらぶの活動内容」、「ミーティングの様子と約束」、「ミーティング室への道筋」といったことを書きました。しかしこれでは数ページにしかならず、これに、ミーティングに来た人たちに何かを書きとめてもらえるような白ページをたくさんつければ手帳の形にはなるけれども、それではあまりに内容が貧弱で恥ずかしいと思い、NABA NOTEにある「平安の祈り」、「拒食・過食症者が回復し、成長するための10ステップ」、「回復に向けての助言」といったような、心に届くような言葉を自分たちの言葉で作って載せられないかと考えました。
 そこで、「摂食障害に苦しむ人に」という短い文章を書いてみました。しかし、私はもともときわめて散文的な人間で、ひたすら言葉をだらだらとつないでいくような文章を書く人間です。私には、心に浮かぶ観念を、絞りつくした一つの文にすることは不可能でした。それでも何とか削りに削って、A6版の手帳の1ページに(読みやすいように大きな字で)1つの主題をまとめ、それをその1からその10まで10ページにわたって連ねたものができました。それが最初にたたき台としてできて、昨年秋にスタッフや何人かの本人の人達に見てもらった「福島お達者くらぶ手帳」案ver. 1.0です。
 その中の「摂食障害に苦しむ人に」は、障害という言葉は使わないでほしいという意見が出て標題を「拒食や過食に苦しむ人に」と変えたし、その中に書いた文章も過食に苦しんでいる当の人達を中心に何人もの人達に読んでもらって意見を聞いて、ver. 2.0、ver. 2.1、ver. 2.2…と次々と書き換えていって、ver. 3.1というべき現在の最終案まで到達しました。もらった意見には両方とも採用すると矛盾が起こるようなお互いに異なった意見もありましたし、どうしても私としては違う考え方を持っているものもありましたから、その全部を採用したわけではありません。しかし、なるほどこういう言い方ができるか、と、大いに膝をたたいたことも多く、意見を寄せてもらったことに本当に感謝しています。
 そのように中身も変わっていったのですが、一番大きく変わったのはこの手帳の目的です。これはスタッフの話し合いで出たことですが、「お達者くらぶ手帳」と名のるのには、このver. 1.0のたたき台は不適当だという声が出ました。その一番の理由は、「『お達者くらぶ手帳』というのはあくまでも本人の声としての文章が書かれるべきものであろう、しかしここに書かれているのはどう見ても本人のものではなく、スタッフや援助者の側からの声である」ということです。それは、文章を書いたのが私である以上、どうしようもないことかもしれません。
 しかし、それでこの手帳の意味が全くないというわけではありません。これはこれで意味がある。そこで本当の「福島お達者くらぶ手帳」は将来メンバーの中からその力のある人が出てくるまでおあずけにしておくことにして、これは「福島お達者くらぶ スタッフからのメッセージ」というように名前を変えて、拒食や過食に苦しんでいるけれどもどこにもつながっていない人を見たときに、こんな会がありますよと誘うような目的にも使えるものとして作ったらどうか、ということになりました。外来を受診してきた人に渡してもいいし、電話でミーティングについて問い合わせてきた人達に封筒に入れて郵送してもいいでしょう。
 それなら、拒食・過食の本人の人用だけでなく、家族の人用のものもほしくなりました。本人の人達にかける言葉と、家族の人達にかける言葉は、必然的に違っていますから。それで、最終的に2つの手帳を作りました。
  『若い人達へのメッセージ』 と 『家族の方へのメッセージ』 の2つです。
どちらもA6版20ページ、表紙だけは少し厚い紙にして、すべてコピーで作るために1部50円くらいでできます。これはもちろん印刷業者に出すとはるかに高くなるから、すべて自分たちでコピーし、自分たちで裁断して綴じるのです。5月と6月のミーティングの後に、何人もの人達に協力してもらって作りました。ミーティングに来られた方には渡していますが、来られない方で希望される方には送らせていただきますので、事務局までその旨をご連絡下さい。無料で送らせていただきます。自分たちで作ったので、各ページの端などが不揃いなのはしかたありません。きれいにしたい人には、自分で金の物差しを当て、カッターナイフで端っこを切り落としてもらいたいと思っています。
 この号には、その手帳のうち、「拒食や過食に苦しむ人達に」の部分を載せたいと思います。(ページ順になっていないのは、切り取ってうまく重ねると手帳のようになるようにしたためです。)「家族の方に」は次号に載せます。
この手帳は、今後もまだまだ進化させていきたいと思いますから、皆様ももっとこう言うべきと思うところがあったら、ぜひ連絡してください。また、こんなものなら自分たち自身のものを作りたいと考える人がいたら、ノウハウや資金は提供しますから、ぜひともやってみて下さい。
 
「最後の家族」(村上 龍 著 幻冬舎)を読んで        香山雪彦
 この本は昨年の夏に執筆されて10月に発行されたのですが、リストラ、引きこもり、DVといったまさに私たちを取り囲む現代の問題を主題として織り込んだ小説です。(DVというのはdomestic violenceの略で、文字通りの意味は家庭内暴力ですが、女性に対する夫などパートナーの暴力を言うことは広く知られるようになりました。)著者の村上龍氏はたくさんの専門家の人たちに取材してこの本を書きましたが、結論として言いたいことは、『自立した親しい人の存在だけが人を救うことができる』ということです。
 物語は2001年10月のある日からその年のクリスマスイブまでのある家族の、そこに起こる出来事を、家族を構成する4人のメンバーの独白を連ねて、それぞれの立場から見た姿として追っていきます。家族は次のような構成です。
秀吉(父49歳):この物語の進行中に倒産することになる機械部品会社の営業部次長。
昭子(母42歳):ふつうの主婦。29歳の大工とメイルやりとりや食事の交際をしている。
秀樹(息子):志望大学に入れず、1浪して入った大学をやめて1年半引きこもり中。
知美(娘):進学高校3年。引きこもり経験者の宝石デザイナー(28歳)と交際を始めた。
 秀吉は家族・家庭を大事にして、夕食はみんなを待たせてでも一緒にとるというルールを作り、朝も必ず自分で淹れたコーヒーをみんなに飲ませていました。結果的に、父親として自分の価値観で家族を支配していたのです。
 昭子は、交際している男とは、息子のことでカウンセリングを受けに通っていた精神科のクリニックで、そこの改修に来ていたことで知り合いました。性的な関係は目下のところありませんが、その男は身の丈にあった考え方、生き方をする健康な若者で、会って話すと心が楽になるのを感じます。昭子はそのクリニック以外に、引きこもりの親の会などにも通っていて、物語の終わりの方で、夫が家を出て世話をする必要もなくなったし、夫と息子の間のショックアブソーバーの役目が無くなって気が抜けた寂しさを感じた昭子は、いろいろお金もかかるからパートで働こうと考えていると親の会の相談員に話したところ、相談者が増えて活動を広げるためのNPOの申請をしようとしていたその会の世話人から手伝ってくれないかという申し出を受けました。しゃべり続けるばかりのお母さんたちも多い中で、昭子は人の話しを聞くのが上手だからというのがその理由でした。それを受けて、心理学やカウンセリングの講習を受けていく中で、心にたまっていたことを系統立てて理解することができた昭子は、自分の生きる道を見つけていきます。
 秀樹が引きこもりになったのは、しかたなしに入った大学で、想いをかけた女子学生にうち明けたところ、からかいに近い扱いを受けたことからです。しかし、昭子には、彼が浪人中に夜食としてラーメンを持っていって、憔悴して不機嫌そうなので思わず「頑張ってね」と声をかけたら、「これ以上なにを頑張れというんだよ」とラーメンを床にたたきつけた、その夜から変わったように思われます。
 秀樹は2階の自分の部屋のすべての窓に黒い紙を貼っていたのに、ある日10 cmの丸い穴をあけ、そこにカメラの望遠レンズをつけました。それを覗いていて、金持ちの御曹司の夫婦という隣の家で奥さんが夫に殴られるのを見てしまい、思わずシャッターを押しました。フィルムを現像に出しに、真夜中に久しぶりに外に出てコンビニに行って、そこで、暗くて何も写っていなかったのに対してもっと感度のいいフィルムの説明をしてくれた男の店員とふつうの会話ができたことに安堵しました。
 帰りにふと隣の塀を乗り越えて庭に忍び込んだら、奥さんが裸でうずくまって震えていました。着ていたジャンパーをかけて何か話しかけようとしたときにその家の主人が出てきたので逃げて帰りました。翌日、その隣家の主人がジャンパーを持ってきたのを受け取った秀吉が2階に上がってきて、とがめるように話すのともみ合いになって、突き飛ばしたら秀吉は階段から落ちて意識を失い、救急車を呼ぶ事態になりました。幸い意識はすぐに回復し、けがも腕の捻挫ですんだのだけれども、昭子は、カウンセリングなどで聞いていたことから、夫は家を出なければならないと考え、そのように勧めました。秀吉も、了解しがたい思いも残りながらも、それに同意、とりあえずビジネスホテルに2−3日泊まり、その間に単身者用の安いアパートを探してそこに1人で暮らすことになりました。
 秀吉がそこでの一人での生活に慣れてきた頃に、会社が倒産して解雇されることがわかりました。行き詰まってしまった秀吉は何気なく腕にカッターナイフをあててすーっと引きました。血がにじむのを見て、自分はいま死のうとしていたのかと意識したとたん、以前、手首にナイフを当て「死んでやる」と叫んだ秀樹に、「死ねるものなら死んでみろ」と怒鳴ったらすぐに手首を切ったのを思いだして、はじめて息子のかかえていた苦しさ、辛さに思い当たることができました。「あいつにちゃんと謝らなければいけない。」
 秀樹は父に対する複雑な思いをかかえる一方で、本を買ったりインターネットで調べたりしてDVのことを勉強しました。隣の奥さんを救う方法を模索したのです。そこで知った女性相談センターや福祉事務所、さらには警察などの公的な機関に電話して尋ねたりもするようになって、とにかくその奥さんに援助組織などの連絡先を伝える必要があることがわかりました。その機会を得るためにはどうしたらよいか、とりあえず隣の奥さんや主人の行動パターンを探るために昼夜逆転の生活をやめました。その結果、ふだん全く外に姿を見せない奥さんが門のところまで出てくるのは、たぶん暴力のあった次の日にその主人が贈る花束が届くときだけであることがわかりました。そこで、逃げたくなる気持ちを奮い立たせて、花屋になりすまして援助組織の連絡先のメモを渡しました。
 秀樹にそれ以上できることは何もなくなってしまったのだけれど、落ちつけない秀樹は相談役の女性弁護士に(有料で)時間をとってもらって話すことにしました。その弁護士に、「そんなにひどく殴られてなぜ逃げないんだとみんな言うけれど、DVの被害者にはその家以外での生活をイメージするのは簡単じゃない、出ていくという概念を持つこと自体が非常に難しい、DVは本人に逃げる意思がなければ何もできないのだ」と言われてもまだ納得できないところのある秀樹に、その弁護士は言います。
「あなたの中には、彼女を救い出して、彼女と一緒に時間を過ごしたいという欲求はありませんか?」
この人にはすべてを見抜かれている、ごまかしはきかないと感じた秀樹は答えます。
「そういう欲求は、あります。」
そうすると弁護士は意外そうな表情をしながらも続けます。
「そうした場合、あなたはいずれ彼女に暴力をふるうようになります。女性を救いたいというのは、DVの第一歩なのです。それは相手を対等な人間と見ていないからです。彼女はかわいそうな人だ、ぼくが救ってあげなければならない、ぼくがいないとあの人は生きていけない。そんなふうに思うのは、人を支配したい欲求があるからです。その欲求が、ぼくがいないと生きていけないくせに、あいつのあの態度はなんだ、というふうに変わるのは時間の問題です。」
「他人を救いたいという欲求は、支配したいという欲求と、実は同じです。そういう欲求を持つ人は、その人自身も深く傷ついていることが多いんです。そういう人は、相手を救うことで、救われようとします。でも、その人自身が、心の深いところで、自分は救われるはずがないと思っている場合が多い。その思いは他人への依存につながっていきます。」
これらの言葉が、絡まり合っていた秀樹の意識の迷路に切り込んで、ずっと隠していたものが暴かれてしまい、裸にされてしまって、いつの間にか涙を流していることに気づいた秀樹に、弁護士はさらに意外なことをいいます。
「あなたは、誰かに救われたことがあるでしょう?救われたことがないと思っている人は、あなたみたいに、正直にはなれないんですよ。必ず否定しますし、嘘をつきます。」
秀樹には母親の顔が浮かびました。「母親が精神科医やカウンセラーに通うようになって、それがなぜなのかわからないが、気持ちが楽になった」と伝えました。特に彼を救うための何かをしたわけではない、ただ干渉しなくなっただけなのだけれども。
「おかあさんは、そうしているうちに自立したんじゃないでしょうか。親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです。」
 その弁護士の言葉に、秀樹は一人で生きることを強く決意し、弁護士になるための勉強を始めます。知美は交際している男がイタリアに勉強に行くのに一緒に来ないかと誘われ、漠然と大学に行くことにしていた、その目的の曖昧さに思い当たって、一緒に行くことにして、前から興味のあった家具の勉強をすることにします。昭子も自分の道を見つけています。クリスマスイブに久しぶりに家族が集まることになって、解雇され、この家も売らざるをえないことを伝えなければならない苦しい気持ちをかかえて家に帰ってきた秀吉は、みんなが自分の生き方を見つけて明るいことに驚きます。秀吉も故郷に帰って小さい喫茶店を開くことにします。みんながばらばらに生きることになったけれど、知美が帰国したときにみんなで開店前のその店に来たのを、「もうお客さんかい」と尋ねる工事の人に、「おれの、家族なんだよ」と秀吉がうれしそうに言うところで小説は終わりでした。
 村上龍氏自身があとがきに次のように書いています。「この小説は、救う・救われるという人間関係を疑うところから出発している。誰かを救うことで自分も救われる、というような常識がこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。そういった考え方は自立を阻害する場合がある。」
この小説が歴史に残るものかどうかは全くわかりません。あまりに同時代性が強いから、残らない可能性が強いかもしれません。しかし、いまの瞬間に生きる私たちに、自分が自立しなければならないのだという、重要なメッセージを伝えてくれていると思います。(TVドラマになったバージョンがどんなものだったか、観た人は誰か教えてください。)
 
 
【お達者くらぶだよりのこの号は、ここから後にホームページに別に掲載している「拒食や過食に苦しむ人に」というメッセージを載せたため、このホームページ上で読める内容はふだんの号より短くなっています。】