≡福島お達者くらぶだより≡
2026年 4月 1日発行 通算 第119号
春になりました。今年の冬、ここ福島市では雪はうっすらと覆っただけですんだけれど、吾妻山から吹き下ろす風の冷たい日が多かった、その冬は過ぎました。世界の情勢は混沌としているけれど、この新しい年度をみんな新たな気持ちで日々の生活に取り組んでいって、と思います。
大震災から15年:その時、その後、お達者くらぶは
お達者くらぶのミーティングに参加している(これまで参加してきた)皆様にとっては、忘れようにも忘れられないだろう、あの大震災と福島第一原発の事故から15年が経ちました。まだ幼児だった本人ミーティングの一番若いメンバーでも強烈な記憶になっているでしょう。たくさんの方々が亡くなりました。テレビに流れた津波の映像は恐怖で見ることができない方々もおられます。
故郷を離れての避難が必要だった人たちはお達者くらぶのメンバーにもおられます。家は無事だった人でも、大震災直後は食べ物も手に入らず(特に生鮮野菜やミルクには苦労しました)ガソリンを手に入れるために非常な苦労をしたことも忘れられない思い出でしょう。電気・ガス・水道が止まったところも多かったし。
お達者くらぶは、この大震災・放射能汚染で落ち着けずにいる人も多いだろうと、直後からミーティングを開き続けました。大震災の翌日がミーティングの日で、さすがその日はスタッフ2人は来たものの参加者はゼロでしたが、4月には本人と家族一人ずつの参加があり(夫婦でした)、5月からはそれまでと変わらないミーティングになっていきました。
当時はミーティングに福島県立医大の医学部校舎5階の隣り合った二つのゼミナール室を使わせてもらっていました。ところがこの大震災・原発事故のあと、福島県の医師不足への特例として福島県立医大の学生定員が(それまで一学年80人だったものが)130人まで増やされて、このゼミナール室が学生の実習などで使われてしまうことが多くなったため、ミーティングは8号館(看護学部棟)に移りました。そこは快適な部屋でした。
これを書いている私(香山)はその大震災直後に福島県立医大の定年退職でした。その3月末日までの3週間ほど、すべての業務を停止した医大で毎日行われていた病院集会に出席、長崎大学から駆けつけてくれた放射能障害の専門家の先生たちから、福島市の濃度では健康に全く影響ないことを聴いて、揺らぐことなく福島にとどまったのでした。
私はその退職後、福島学院大学の教授に就任しました(福祉学部で、浜通りからの全町村避難の人たちへの支援活動にも本気でかかわって、そこでの見聞を論文にして残しました)。その大学の駅前キャンパスで平日の夜に本人ミーティングを行うことにした頃があったのですが、参加者が少なく、第二土曜日の家族との並行ミーティングに戻しました。
私はその大学と兼務で精神科病院にも勤めるようになって(週に3〜4日は大学で、2日は病院に)、初めて(摂食障害と引きこもりに特化して)外来診療を行うことになりました。(大学は教員も学生も大事にしない経営者と大げんかして5年で辞めました。)
それとともに、それまでお達者くらぶの事務局を創設当初から担当していた先生が身を引かれて、私が事務局を引き継ぐことになりました。デジタル関係は苦手なのですが、3ヶ月ごとのホームページ更新などの作業を続けていまず。
そのミーティングが大きく変わらざるを得なくなったのは6年前のコロナ禍です。この年の3月に政府によって集会などの自粛が命じられ、4月に入ったところで突如、医大の事務局から予約していた部屋の使用禁止が告げられました。職員や学生たちも厳しい体調管理の報告をしてやっと入ることができることになったので、お達者くらぶ参加者のように外部の人間の入室は不可能になったのです。4月はもう連絡のしようがなかったので、参加してきた人たちを8号館の玄関先で待っていて、みんなでグランドの方に移動しました。その北斜面の一面の満開の桜の中の階段に座ってのミーティングでした(参加者は多くなかったので、本人・家族合同ミーティングでした)。
5月には医大の構内に入ることも制限されたし、代わりの会場はどこもなかったので、やむを得ず休会としました。1992年にミーティングを始めて以来、ただ一度のミーティングなしの月となりました。
そこで蓬萊学習センターを使わせてもらおうと考えました(福島市の学習センターというのは他の町では公民館です)。そこなら医大のすぐ近くで、場所や道順を理解してもらいやすいでしょう。幸い、古いけれど旧館1階の隣り合った2つの教室を使わせてもらえることになりました。
そしてありがたいことに、管理する福島市の教育委員会にお達者くらぶの意義を認めてもらって使用料が(冷暖房費も含めて)無料になっています(有料のままだと、夏・冬は4000円ですから、これは本当にありがたいです)。第2講義室のエアコンが壊れて、冬は灯油ヒーターが使えるけれど真夏は使用禁止になって別の部屋に移らなければならないという不便はあるけれど、これくらいは我慢しなければならないだろうと思います(お達者くらぶでエアコンを寄付しますと申し出たのですが、福島市は認めてくれませんでした)。
そのようなことで、その年の6月以来、今も変わることなく蓬萊学習センターで毎月のミーティングを続けていますので、安心して参加していただければと思います。