福島お達者くらぶだより

 2025 7 1日発行 通算 116

 

この号にはお達者くらぶのホームページを読んだ人からいただいた手紙(メール)を載せます。もちろんその許可をいただいたのですが、お名前はペンネームとし住んでいる町をぼやかしたこと以外は原文のままです。このように読んでもらえるのは、ここまで活動してきて、本当に幸せです。

 今、拒食や過食で苦しみの最中にいる人たちも、生き延びていればこの方のようになれる、そして人と心を交わすことができるようになる、そんなことを示してくださいました。

 

ホームページの記事が心に響いて 

はじめまして。hiromiと申します。福島からは遠くの町に暮らしています。

先日、福島お達者くらぶのホームページにあった記事(「拒食・過食の人たちが伝えようとしていること、その人たちに伝えたいこと」)を読んで、とても心に響いたので思わずお便りしたくなりました。

 

私自身、12歳から拒食症が始まり、2年半ほどで骨と皮になった後、ある日突然、過食症になり、そこから30半ばまで続きました。

今は40も過ぎましたが、症状は落ち着いています。

振り返ると私は、子供の時に摂食障害になり、育った環境がかなり田舎だったこともあり、家族も含め周りにこの病気についての理解者がいなかったこと、それが長く続いたことが一番精神的にとても辛かったことだったと今になって理解が起きています。

そんな自分への理解もなかった当時の心の傷は、大人になっても、ひとりでなんとかしなければと、誰にも相談もできない現実を作り、ただ必死に生きていました。

 

今やっと落ち着いて、自分の内側と向き合えるようになって、少しずつ当時の自分自身への理解が深まってきているところです。

そんな時にこの記事に出会ったのです。

 

そこに書かれていた言葉の一つひとつが、まるで時空を超えて、今の私だけでなく、摂食障害で苦しんでいた過去の私にも、まっすぐに届いてくるように感じました。

 

子どもの頃、誰にもうまく伝えられなかった痛みや、理解されなかった苦しみが、この文章から、理解してもらえたような癒しとなり、また、理解と共に、真摯に深いところを見ようとしてくれる方がこの世界にひとりでも存在してくださっている、、ということが何よりも救いに感じました。

 

その癒しと喜びは私の心の中の小さな私にも確実に届きました。

と同時に、自分が当時苦しかった時に、こんな風に、症状の先にある深いところを理解してくれる存在を知れていたら、どれほど救われたか、そして人生も変わっていただろうと思わずにいられませんでした。

 

今、ようやく私自身が自分の過去を理解しようと向き合えるようになってきた中で、この言葉は、大きな光になりました。

この言葉に出会えて、今後の私の生きる力になると感じています。

 

まだ私もプロセスの中にいて、心のことを深くみていくことは、大変な作業でもありますが、少しずつでも恐れや苦しみの奥にある、自分の内側にある本当の愛や強さに触れることの大切さを感じています。

そして、私もひとりで向き合うだけでなく、人が安心して苦しみや孤独、怒り、哀しみ、を語り合え、お互いにありのままでいることができる場、仲間に出会えたらいいなと思っています。

また、そんな場がこの世界にたくさん増えるといいなと思うようになりました。

 

文章を通してこの出会いに、心からの喜びと癒しと、そして感謝をお伝えしたくてメッセージを書かせていただきました。

本当にありがとうございました。