≡福島お達者くらぶだより≡
2025年 4月 1日発行 通算 第115号
あの日本海側の各地、福島県でも会津では記録づくめの大雪だった冬は忘れられてしまったように、春になりました。お達者くらぶのメンバーにも新しい門出を迎えられた方もおられるでしょうか。ともかくも、新しい年度が始まります。新たな気持ちでの出発になればと思います。
この号ではトラウマ(心の傷)に苦しむ人たちの治療にかかわってきたパイオニア的な精神科医であるベッセル・ヴァン・デア・コーク氏の本を紹介します。(トラウマという言葉は、本来は「外傷」という外科の用語でしたが、今は心の傷の意味で使われることが一般的になりました。)
「身体はトラウマを記録する」
アメリカでは1970年代にベトナム戦争からの帰還兵たちにアルコールやギャンブル依存などの様々な生きづらさに苦しむ人たちが増えたことから、心的外傷後ストレス障害(PTSD)が精神障害の新しい分野として認められるようになりました。ヴァン・デア・コーク氏はその人たちに取り組んで、ただ医療として治療しようとするだけでなく、その人たちの心に分け入り、真剣に受け止めようとしてきました。
その彼が様々な治療経験をまとめたぶ厚い本の中から、私(香山)が感動して読んだ部分のいくつかを書き抜き、その言葉に感じたことを書き加えます。
「トラウマを癒やす仕事を可能にしているものは一つしかない。それは畏敬の念だ。患者が虐待に耐え、それから回復への道のりにはつきものの魂の闇夜にも耐えることを可能にした、生存へのひたむきな努力に対する畏敬の念なのだ。」
この「畏」(おそれ)は「恐」や「怖」ではなく、「おそれながら申し上げます」という際のかしこまる「おそれ」です。私は摂食障害、引きこもりやPTSDに苦しむ人たちの診療に当たっているのですが、その人たちが心に抱えてしまっている苦しみの中で何とかここまで生きてきたことに強い敬意を持っています。その苦しさを暴力やいじめで外に向かって晴らすのではなく、自分で引き受けて耐えてきた人たちですから。
「私は周りの人に何か悪いことが起こると、本能的に全部自分のせいにします。それが道理にかなっていないことは百も承知していますし、そんなふうに感じる自分が本当に馬鹿だと思うのですが、どうしてもそう感じてしまうんです。もっと道理をわきまえるように先生が説得しようとすると、私はなおさら寂しくて孤独に感じるだけで、私という人間がありのままの自分でいるのがどんな感じなのか、世界中の誰一人として決して理解してくれないだろうという思いが裏付けられることになります。」
これは子どもの頃に虐待を受けて育った人の言葉です。悪いことはすべて自分のせいだと考えてしまうようになるのです。それでも、信頼できる人からそのように不合理な思考や行動を認識することを学ぶのは、回復への第一歩として役に立ちます。だから、まずはその言葉が確かなものと受け取ってもらえるように、その人の苦しさを受け止め、寄り添って、信頼を得ていくことが必要なのだと思っています
「セラピストは、今あなたがしているようなことをなぜして、考えているようなことをなぜ考えるのかを、じっくりと時間をかけて探り当てようするだろうか。セラピーは協働の過程であり、あなたという人間を一緒に探求する作業なのだ。」
はい、私は摂食障害などに苦しむ人たちとかかわって、その人たちに少しでも楽に生きられるようになって欲しいと願って診療に取り組んでいますが、そのためには、なぜそんな苦しさを抱えることになったのかを一緒に解きほぐし、それでは何ができるかも一緒に考えていきたいと思っています。
「そのセラピストと一緒にいて、基本的に安心できるだろうか。その人はあるがままの自分でいることも、同じ人間として、あなたと一緒にいることも心地よく感じているだろうか。」
苦しさを抱えてここまで生きて人が自分のことを正直に話してくれるとき、私はその人の心に共感して、自分も心を投げ出して受け止めたいと思っています。