≡福島お達者くらぶだより≡
2024年 10月 1日発行 通算 第113号
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われてきました。しかし今年は「猛暑も彼岸まで」のような感じでしたが、それが急に終わって秋になりました。皆様はその夏を何とか生き延びられたことと思います。
この号では、脳の無意識の領域に刻み込まれた意識には上らない記憶について考えたいと思います。
無意識の領域に押し込められた記憶
記憶の神経機構などの研究でノーベル賞を受賞したエリック・カンデルという神経科学者は、精神科医として出発して途中から研究に転じたのですが、「脳科学で解く心の病」という本の中でつぎのように書いています。
「芸術などの創造性は、部分的には、脳内の抑制が緩和され、脳内の無意識の領域で新しい連想がつくりだされることによって生まれる。その結果、しばしば大きな喜びや強い興奮がもたらされる。創造的な活動をするときには、我々はみな無意識の世界に頼っている。」そのようにカンデルは無意識の脳活動を重要なものとして肯定的に捉えています。
しかし、「無意識! 健康的であれ病的であれ、あらゆる行動や知覚、思考、記憶、感情、そして意思決定において、我々は無意識に頼っている。」とも述べていて、無意識の働きには肯定的なものだけでなく「病的」なものもあることにも触れています。
摂食障害など、うまく生きていくには不適切な状態にとらわれてしまっている人たちを見ていると、その無意識の病的な部分がはるかに大きな作用を持って現実の生活を支配し、行動化させていると考えざるを得ないことが多々あります。無意識の領域に押し込められた記憶がさまざまな苦しい心の状態や行動を起こしていると考えられるのです。
脳のどこかに刻み込まれたけれど強い衝撃による解離性健忘で最初から意識に上らない記憶、あるいはフロイトが言うように抑圧されて意識に上らなくなった記憶が、さまざまな形の解離性の障害や依存症の状態、強迫性障害、また境界性パーソナリティ障害など、多様な状態の苦しさを引き起こしていることが、時間をかけて話しを聴いているとわかってくることがよくあるのです。重症の人では、そのすべての症状を持っている人もいます。
そのような場合は、無意識に頼っているのではなく、無意識に支配されていると言わざるを得ません。無意識の領域に押し込められた心の傷となった記憶による支配によって多様な症状が引き起こされているのです。
その治療は、その記憶を切れ切れに残っている部分から何とかたどり、つなぎ合わせて言語化することによって、無意識の領域から意識のレベルに持ち出してきて、その意識の力で無意識の支配を脱していくしかないと考えます。その意識から消されている人生の中での体験・記憶を意識に持ち出し言語化するのは一人では難しいですが、医師やカウンセラー、そして同じ問題を生き延びた先輩に手伝ってもらえば、何とか可能になるでしょう。
そのようにして、自分が無意識の領域に押し込められていた記憶に支配されていたことを理解することによって、納得し安心する人がいます。
しかし、そうすると脳の中で意識の世界と無意識の世界の闘いが起こってしまうために、よけいに深く苦しんでしまう人たちの方が多いでしょう。自分がなぜ苦しく、それをどうすればよいのか理解している意識の部分と、それまでどおりの生き方をさせようとする無意識の領域の闘いが起こって、よけいに苦しいのです。
その闘いに勝って楽になって行くには、自分はここにいてよい場所があり、どんな自分でも受け容れてくれる人がいるという、安心を積み重ねていくほかないです。そのような安心の場所と人を得て、この闘いの状態を通り過ぎないと本当の回復はないと考えます。
それには長い時間がかかりますが、何とか頑張って生き延びていけば、その闘いが沈静化していって、「生きていてよかった」と言える日が来ます。それは証明のしようがありませんが、そのように言っている人たちがたくさんいるのです。
その苦しんでいる人に少しでも楽に生きられるようになったほしいと願って手を差しだそうとしている周りにいる人たちには、その長く苦しい闘いに付きあっていくだけの忍耐力を持ってもらえればと思います。しっかりと支えてくれる人がいるという安心感があれば、時間はかかるけれど、必ず回復の道を進んでいってくれますから。