≡福島お達者くらぶだより≡
2023年 7月
1日発行 通算 第112号
今年は6月中から真夏の日々があったりしましたが、遅れていた梅雨に入って、雨は、気温はどうなるでしょうか。いずれにしても、しばらく過ごしにくい日々が続くかと思います。皆様、体調に気を配って過ごしてください。
摂食障害の人たちにどのように接するか(続き)
前号で考えてきたように摂食障害にも様々な状態の人がいて、拒食や過食に苦しんでいる人たちにかかわる場合、どの状態にいるのかを把握する必要があります。その上で、それぞれの立場での対応を考えます。
治療者としてその人たちにかかわる場合は、その苦しさや不安がどこから生じてきているのかを洞察し、その不安の源を苦しんでいる人たち自身に理解していってもらうことが必要だと考えます。それを理解すると、自分がなぜ苦しんできたかの由来がわかって安心する人がいます。しかし逆に、それで新たな苦しさを抱えてしまう人たちもいて、それに粘り強い対応が必要になります。そのことについては、また次号で考えます。
家族など直接の関係者なら、苦しんでいるのはどういう状態なのか、何故なのか、そしてどう対応するのが適切かは、例えば福島お達者くらぶの家族ミーティングに繰り返し参加していると、同じように苦しんでいる他の人たちの言葉からひらめくように、自然に理解できていくことが多いです。
では、苦しんでいる人の周りにいる一般の人たちの場合はどう対応するべきでしょうか。ガリガリに痩せた人なら想像がつくかも知れませんが、ふつうは摂食障害に苦しんでいるのかどうかを見抜くのは難しいですし、摂食障害とわかった人に対してでも、前号に書いたようにどのような状態にいるかを見抜いて対応を決めていくのは難しいと言わざるを得ません。ただ見守っていてあげるのがよいか、それともその人は手をさしのべてほしいと思っているのかは、相当に深く話を聴かせてもらって初めてわかることかと思いますが、その話を聴かせてもらえるようになることが難しいのです。
それでも、周りにいる人たちには、その人が何か苦しさを抱えているらしいことは見抜いてあげてほしい。そして、そこは安心できる場所である雰囲気を作ってあげて、頑張りすぎなくてもそこにいていいし、ちゃんと一緒にいてあげることなどを伝えることができれば、と思います。
その上で、その周りの人がどのくらい苦しさを抱えた人を受け止める力を持っている人なのかによって対応は変わってくるでしょう。そのような場合の対応を勉強している人たちなら、積極的に手を差しだしてあげて欲しい。しかしそういう立場でない人の場合、受け止めたいのがいくら大好きな人でも、手を差し出すと共依存に陥って、双方が不幸になっていきかねません。
苦しんでいる人の苦しみが深い、あるいは複雑な事情を抱えているらしいなど、自分で受け止めるのは困難だと思えば、心配していることを伝え、何とか援助者のところにつないであげる手伝いをしてもらえればと思います。中学生や高校生で、大事な友人が食べ吐きやリストカットなどで苦しんでいることを知って何とか助けてあげたいと思った場合、その人たちには「自分自身がまだ自分の生きる道を探っている状態のあなたには助けてあげるのは難しいです、養護の先生やこの先生ならと思う先生につないであげればと思います、一緒について行ってあげたりして」と伝えたいです(友達と2人で飛び降りたりするところまで追い込まれないように)。
社会人なら、状況を知ってそうな人に尋ねたりネットで適切と思えるところを探すなどして、医師やカウンセラーへの紹介でしょうか(その適切なところを見つけるのが難しいのが大きな問題なのですが)。
以上のように、前号の最初に書いた「摂食障害の人たちに対し、一般の生徒・学生、職場の人はどのように接することが大切か」というメディア関係の人からの問いについては、摂食障害と言ってもさまざまな状態の人たちがいて、どのように接すべきか共通して言える答えはない、と言わざるを得ません。
いずれにしても周りの人たちには、摂食障害に苦しむ人たちは決しておかしい人たちではない、それどころか、この社会に漂う不安感をふつうの人よりも敏感に感じ取る鋭い感受性を持ったすぐれた人であるゆえに苦しんでいる人であることを理解してほしい。そして不安を(例えばいじめや暴力で外に向けて出して解消することをよしとせず)自分に向けて自分の体で引き受けている誠実な性格の人なのだと理解してもらえればと思います。そして、異常なおかしな人だと変な眼で見ず、ふつうに接してあげるようにしてもらえればと思います。