≡福島お達者くらぶだより≡
2023年 4月
1日発行 通算 第111号
今年の冬は暖冬でスキー場に雪がなかったりしたのに、本格的に春が始まるべき頃になって寒かったり雪だったりして何だか落ち着かないまま、やっと春になって新しい年度が始まります。新しい生活への不安を抱えている人たちもおられるかと思います。いずれにしても、うまく滑り出せるようにと念じています。
ともあれ、お達者くらぶだよりの新しい号を送ります。
摂食障害の人たちにどのように接するか
あるメディア関係の人から取材を受けたとき、「摂食障害の人たちに対し、一般の生徒・学生、職場の人はどのように接することが大切か」という問いを投げかけられました。それは答えるのに相当に困難な問題です。どう答えるべきか、何とか考えました。
摂食障害で、例えば「神経性やせ症」の人は、美人とされる痩せた体が自分の存在(プライド)を保つのに必要だと刷り込まれていて、生き延びるために痩せようとするのと、無意識のうちにその体で「心配してほしい」と自分が苦しんでいることを伝えようとしていることが、複雑にからんでいます。その人たちでも、ダイエットが少し行きすぎているだけの人と、それが生命の危険を生じているくらいに進んでしまっている人では、共通して健康への懸念があるとしても、対応は違うものにせざるを得ません。
前者は、周りの人たちに「きれいになったね」と言われたり、言われなくても体重が減っていくことで、自分を認められない自己評価の低さをカバーしているかも知れません。そのプライドを傷つけないように気を配りながら、痩せることでしか自分を表現できないことを理解してあげ、そうしなくても大丈夫、ちゃんとそばにいることを伝えるのがよいかと思います。
重症な後者の人には、特に家族やその人をとても大切に思っている人は、なぜ自分の命を賭けなければならない状況になっているかを考慮した上で、「大切なあなたには一緒に生きていてほしい」という思いを必死に伝える必要があると考えています。
過食の人たちでも、徹底的な嘔吐などで低体重を維持している人たちは「神経性やせ症」に含まれて、上に書いたのと同じです。過食の人たちで標準体重あるいはそれ以上の人たちは「神経性過食症」と分類されますが、心に根付いているやせ願望に苦しんでいるのが「神経性」と名の付く由来です。
その「神経性過食症」ですぐには生命には危険のない人たちには、「やせ症」の人たちとは異なった対応が必要です。神経性過食症の人には過食・嘔吐を繰り返す人(あるいは大量の下剤をのむ人)と、そういった排出行為をしないために肥満になっている人がいますが、いずれにしても食べる行為を無意識のうちに不安を生き延びる手段としていると同時に、異常なほど食べることによって苦しさを訴えている意味とが複雑に絡み合っていて、人によってその割合が異なっていると感じます(何年も続けているうちに、それをしないと気持ちが悪くて単なる習慣になっていることも混じってきますが)。
特に食べ吐きでふつうの体重を保っている人には、誰に対しても食べ吐きを秘密にしている人が多いですが(そうしながらも無意識のうちにわざとわかるようにしている人もいます)、そのことがまた苦しさを強くします。だから付き合っている人だけには伝えている人もいます(その場合でも、なかなか本当の姿は見せられないことも多いかと思います)。
その人たちには(食べたものだけでなく)心にかかえている苦しさを何とか吐き出して、楽になってもらいたいのですが、下手に人に伝えるとよけいに傷つくことも多く、福島お達者くらぶや他の自助グループのような場所を利用してほしいと思います。今はネットでもそのようなサイトがありますが、ネットにはいろいろなところがあり、合う合わないだけでなく、逆に傷つくこともあります。
ただ、過食でもやせ願望のない単なる過食性障害の人は、自分の状態をどのくらい理解しているか、また自己評価がどのくらいの状態か(「神経性」の人たちのように低くて自分を認められないのか)を考える必要があるかと思いますが、上に述べてきたのと少し異なった、アルコール依存の人たちと同じような対応が必要になる場合もあるかも知れません。
そのように摂食障害にも様々な状態の人がいるのですが、その人たちにどのように接するべきか、もう少し考えたいのですが、続きは次号でと思います。