≡福島お達者くらぶだより≡
2023年 4月
1日発行 通算 第107号
新しい年度が始まりました。この春はいろいろな意味から一つの年月を振り返ってみる季節かもしれません。
高校生、大学生たち若い人たちにとっては、新型コロナウイルスのパンデミックで最初の緊急事態宣言が出てから3年が経ったことが振り返られるでしょうか。まともに授業がなくなって、Zoomといったウェブでの授業やレポート提出という、それまでになかった形を求められることが増えました。
特に非常事態宣言が出た直後に入学した人たちは、入学式のないままに学生生活が始まって3年になり、マスク生活のまま高校を卒業したり、まともに対面授業のないまま就職活動を始めなければならない大学生の人たちは、どのような思いで振り返るでしょうか。
もう少し長い時間を見てみると、私たち福島県にいる人間にとっては、あの大震災から十二支の一回りという、生活が大きく振り回された年月です。そこにコロナ禍が加わって、生活ががらっと変わってしまった人たちも多いのではないかと思います。
ともかくも、みんな新しいLifeへと踏み出していってください(Lifeは生命、生活、人生の全体を包括した言葉です)。
アドバイスについて
このコロナ禍の3年のように、私たちの生活は身体的な状況も、精神的な状況も、あるいは社会的な状況も、大きく振り回されています。そのような中で苦しんでいる人たちには、なんとかしてあげたいと思う人は多いでしょう。
特に困っている人たちへの対応を仕事とする援助職の人たちは、なんとかしてあげなければならない、何か役立つことを言ってあげなければ、と思うことが多いかと思います。そこで、何とかアドバイスしようとするでしょう。
そのような援助職だけでなく、たとえば自分の身近なところにアルコールやギャンブルの依存、あるいは拒食症や過食症から抜け出せないでいる人がいると、その周りにいる家族や親しい友人たちも、その苦しんでいる人を何とか支援してあげたい、何とか救ってあげようと、どうしなさいとアドバイスしようとすることも多いかと思います。特に自分自身がそのような苦しさを生き延びてきた人たちは、どうすればいいと自分の経験を基にアドバイスすることも多いでしょうか。
そのように手を差し伸べる人たち、特に援助職者に理解していただきたいことがあります。それは、「どうしなさい」あるいは「どうしたらいいよ」ということを教えてあげる、すなわちアドバイスすることが重要なのではないことです。いくら理詰めに諭しても、本人だってそんなことはわかっていても止められないのが依存症で、どうすべきだなんて、本人の方がずっとよく知っていることが多い。それができれば依存なんかに陥るような苦労はしていません。
そして、そのようなアドバイスは「あなたは間違っている」というメッセージですから、相手を傷つけかねません。
さらに、アドバイスは上から目線での言葉ですから、相手をコントロール・支配しようとしていると受け取られがちです。不安に揺れている人たちは自分の存在の危機を感じていますから、アドバイスを受けることがさらに人に支配されて自分を失うことになる危険を無意識に感じて、強い拒否感を持つことが多いのです。だからガードを堅くしてしまい、心を本当には開いてくれなくなります。
それは子どもでも同じで、たとえばいじめられている子どもたちは、指導しようとする先生には本当のことを言いません。
受け入れてもらえるのは、同じ高さの目線に立った人の言葉だけです。この言葉は単に象徴的な意味だけでなく、たとえば子どもやベッドに寝ている人に対しては、しゃがんで眼を同じ高さにして話す必要があります。
その目線から苦しさに対する共感を持ってやさしさのこもった言葉がかけられたときにのみ、その言葉が心に浸み込んでいきます。そのようにアドバイスではなく、何よりも大事なのは、まわりの人たちが苦しんでいる人の不安を受け止めてあげ、その苦しさに共感してあげることです。(その共感は共依存へとつながり危険もありますが、共依存についてはまたいつか書きます。)
とは言え、明確にアドバイスが求められている場合もあります。そんな時はどうしたらいいでしょうか。
その時は、一緒に考えてあげる。「こうしなさい」「こうすればいい」ではなく、「こんなことはどうだろうか」と投げかけ、それは難しければまた別のことを考えて投げかける、それでもダメなら解決はとりあえず先送りする。それでは何の解決にもならないのではなく、そうやって生き延びながら、少しずつ進んでいくことが大事だと思います。そのように話を聴き、一緒に考えてくれる人の存在が、とりあえずその場を生き延びる力になっていきますから。
私はそのように考えています。