≡福島お達者くらぶだより≡
2023年 1月
1日発行 通算 第106号
明けましておめでとうございます。
昨年は、新型コロナウイルス感染症が3年目に入っても収まらず、そこにウクライナに端を発した騒動で、心穏やかならぬまま暮れた1年でした。今年は少しでも落ち着いた年になればと願います。その新年、人をどのように愛するか から摂食障害を考えたいと思います。
並んで同じものを眺めて心を通わせる愛か、正面から見つめ合い触れあって確かめる愛か
北山修という精神科医を若い人たちは知らないかと思います。しかし70歳以上のいわゆる団塊の世代の人たちなら、精神科医としては知らなくても、50年ほど前に「帰ってきた酔っ払い」という歌で一世を風靡し、「あの素晴らしい愛をもう一度」などの歌で有名だったザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだったと言えばうなずくでしょう。
そのフォークソング・グループで作詞を担当した北山修氏ですが、彼の精神科医としてのあり方には私(香山)は批判があるのですが、そのことはさておき、感銘を受けた話です。
彼は日本人が古くから持っていた「愛」の姿を知ろうとしたのでしょう、古い浮世絵を調べました。
そこで、2万枚近くの浮世絵を調べたところ、約450組の母子(はは・こ)の姿があったのですが、そこには同じ対象を共に眺める母子が頻繁に登場することがわかった、とのことです。一つの対象を共に眺める二人は、それを一緒に眺めて、それについて語り合いながら、それによって通じ合い、精神的な「和」を含んで、親子の結びつきを確かなものにしてきたのだろう、と述べています。
そのように「美しいもの」を共有しながら愛でるのは親子だけでなく、恋人や友人同士でも同じで、私たちは昔からお花見、花火、月見など同じものを一緒に眺めて心を通わせ、愛を育んできました。
その日本人と違って、ヨーロッパ系の人たちは、人を愛するとき、正面を向いて見つめ合い、キスやハグで触れあうことで確かめようとする、と私は感じています。(私は2年あまりのアメリカ留学から帰る時に、空港で大男のボスに抱きしめられて、一瞬たじろぎました。)
愛していることを伝える時の言葉も直接的で、“I love you”と言います。昔、同僚だった女性にフランス人の男性から送られてきた手紙を見せてもらったことがあったのですが、恥ずかしいくらいに直接的な愛の言葉がこれでもか、これでもかと並べられていました。
それに対して私たち日本人はその思いを、見つめ合うのでなく、並んで同じものを共に眺めながら、触れあうにしても、横に並んで歩きながら手をつなぐ、あるいは恋人をもう少し引き寄せたいときには、やはり並んでそっと背中から腰に手を回したりすることが多い、と私も思います。
その時に思いを交わすのも、間接的な言葉で愛を確かめる。たとえば「月がきれいだね」といった言葉で相手への愛の思いを伝える、と夏目漱石は言ったとのことです。
しかし、これは私の考えることですが、結婚を意識する男女が最終的にそれに踏み切るためには、並んで歩くだけでなく、きちんと向き合わなければならない時が来るでしょう。それは私たち(特に私のような高齢の)日本人にはなかなか苦手で、私も夜の公園で並んでブランコに乗っているときにその話を出したのでした。
それは高齢者だけでなく、今は結婚前の(あるいは結婚に結びつかない)性的な関係が多くなっていると思う若い人たちでも決して簡単ではなく、プロポーズには何か儀式のような状況の設定を必要としているのかも知れません。だから、クリスマスイブ、バレンタインデー、あるいは誕生日などの記念日が大事にされるのだろうし、ふだん使うことのない高級レストランや一流ホテルの場をセットしたりするのかと思います。ラーメン屋でのプロポーズはバカにされるでしょう。
そのような日本人の「愛」の姿を頭に置いて、摂食障害に苦しむ人たちのことを考えたいと思います。
摂食障害に苦しむ人たちは、何とかそれを止めたいと思っても、その衝動を止める方法はなく、時間はかかるけれど、なぜそんなことをしてしまうのかを明らかにしていくことが必要でしょう。そこで、その苦しさがどのようにして生じてきたのか尋ねていくと、子ども時代の親子関係のあり方にたどり着くことが多々あります。
その場合、(あからさまな虐待の場合は別にしてですが)親も子も、お互いに愛していても、正面から向き合うのではなく、並んで同じ方向を見ている。けれど、その方向の先にあるものが少しずれてしまっているのだ、と感じます。
見ているのはどちらも「未来」の方向で、具体的には、その先にある「幸せ」です。自分の幸せだけでなく、相手の幸せも考えてしまう。
しかし、その見ている「幸せ」の姿が違ってしまっている。
その違っているものを相手にも見させようとする、特に力の強い方の親が弱い立場の子どもにそれを求めてしまうと子どもは苦しくなってしまう、ということが多いのではないかと感じています。
だとすると、どうすれば親も子も楽になっていくでしょうか。
それは、その時にそれぞれが持っている思い・未来の幸せの姿を、お互いに正面から見つめ合って伝えることではないかと思います。
しかし、見つめ合うと、感情が吹き出してくるでしょう。その感情を何とか抑えて、平静に伝えるべきことを表現できるでしょうか。それは難しく、つい涙を流しながら怒りをぶつけることになってしまいがちです。
そうすると、決定的に決別しなければならない状況が生まれることもあります。その場合は、別れる、子どもからすれば親を捨てる、その方が幸せになれることもあります。
しかし、ふつうは、そうやって、愛する人、大切な人との衝突は避けたいと思うでしょう。そうすると、どうしてよいかわからなくなって、立ちすくんでしまうことになるでしょう。その感情をどのように処理し表現してよいかわからず、困惑してしまうでしょう。
ではその時にどうすればよいでしょうか。
私は、その時の思いを、まずは言葉にして手紙で伝えることにするのがよいと考えます。そうすれば、正面から向き合う状況を作れるようになっていくのではないかと思うのです。
その際、拒否されないように、最初に相手に対する思いやりや感謝の言葉を(たとえ半分以上うそでもいいから)添えた上で、自分の本当の思いを書くことが大事かと思っています。「私はお母さんが大好きなのだけれど、あのとき言われたあの言葉が心の中で今だに渦巻いて苦しい。それを外に出しておかないと、お母さんと良い関係を作れないから、聞いてほしい」といったふうに、です。(私は長年生きてきた知恵として、そのような時にどのような言葉が適当か考えてあげたり、手紙の下書きや添削をしてあげたりすることもあります。)
そのようにして正面から向き合えば、たとえ見ている未来の方向の幸せの姿は違っているとしても、心は通じているのだと了解できるでしょう。そうして、お互いの思いを相手に押しつけずに、それぞれの人生を歩めるようになるのではないかと思います。