≡福島お達者くらぶだより≡
2022年 7月
1日発行 通算 第104号
7月、8月のミーティングについて
ミーティングに使わせてもらっている蓬莱学習センターは、本来は一団体には一部屋しか貸さないのだそうで、当初はその部屋で家族ミーティングを行い、本人ミーティングはその外の軒下で行いました(それなりに快適でした)。しかし、お達者くらぶの活動の意義を認められて、寒くなった頃からは例外的に2部屋を使わせてもらえるようになりました。
ところが、本人ミーティングの部屋のエアコンが壊れて、型が古く、修理できないとのこと、暑くなると熱中症の危険から部屋の使用は認められず、7月は梅雨寒の日になればと部屋を予約しているのですが、早くも梅雨が明けたので、外の軒下になると思われます。8月もやはり軒下にせざるを得ないでしょう。7月・8月だけ、ご了解ください。
人の「性」について
お達者くらぶの本人ミーティングの参加者には、男性もいるのですが、女性が多いのは、摂食障害に苦しむ人は女性の方がずっと多いから当然でしょう。しかし、その参加者の中には、自分は女性であると自認しながらも、その「性」のあり方に簡単に割り切れない思いを持っている人たちもいます。例えば・・・
両親や祖父母(特にその家族の中で力を持っている人)が男の子を期待していたのに女の子だった、それでその期待に添うように男の子のように振る舞って生きようとしてきたけれど、大人の女性になったことが苦しさの基になっている。
昔ながらの男性中心の家族観の中で、父親や祖父がしっかりしていなくて、母親や祖母が男勝りに家を切り盛りしていたのを見ていて、自分もそのようにならなければならないと思いながら、そうはなれない自分をダメな人間と見てしまっている。
父親のDVで泣いていた母親を見ていて、男のように強くなって守ってあげなければいけないと思っていた、その一方であんなに泣く女にはなりたくないとも思っていた、そんなふうにして女性としてどのように生きればいいのか、どこかしら違和感を持っている。
さらには、お達者くらぶに参加した人の中には、性同一性障害と診断された人たちもいました。
ある人は長く苦しみ続けたけれど、決意して性別適合手術を受け、男性として生活するようになりました。
またある人は自分は男性だと自認して、男の子の服装で「僕は・・・」と話していたけれど、「きらいな部分いやな部分を女の自分に押しつけて、男の自分を作って逃げているのだろうか。女の自分を否定され続けたために男の自分が生じたのかと考えることもある。『僕』は『私』を守るために生まれた、『私』で生きるのが苦しかったから。」と自分を直視するようになり、性的な彷徨の末に完全な女性に戻って結婚、子どもを産みました。
そのように、自分の「性」をめぐって様々に揺れ動く人たちがたくさんいます。そこで、「性」はどのようなものなのかを解説しておきたいと思います。
人の性は単純に男性・女性に分類できるものではなく、特に人間の「性」は次の表の5つの要素の組合せであって、そのどのような組合せもあることを理解する必要があります。
人の性別は5つの要因の組合せ
1.生物学的性 : 性腺が卵巣か精巣か
2.見かけ上の体の性 : 主に外生殖器の形
3.脳の性 : 性サイクル(月経)を起こす内分泌のコントロール
4.性同一性(性自認) :自分をどちらの性と感じているか
5.性的指向 : 性交の相手にどちらを好むか
上に書いたように、この5つのどのような組み合わせもあるのですが、さらに複雑なのは、それぞれの要素が男と女に完全に二分できない中間的な場合もあることです。例えば、卵巣と精巣の組織の両方を持つ人がいます。精巣を持っていて生物学的には男性なのだけれど、分泌される男性ホルモンが受容体の変異によって作用できないために、外生殖器が女性形になって、女性として育てられた人もいます。脳の性は胎児期に男性ホルモンが作用するかどうかで決まりますが、それが形成する性サイクルが何かの加減で典型的にならないこともあります。
そして、性同一性については、近年、生物学的性と性自認が一致しない人たちがいることが広く認められるようになっています。そのように生物学的性に合わない意識を持った人は、長く「性同一性障害」(gender
identity disorder)として、「障害」すなわち正常でない存在として扱われてきました。そのため、その人たちは自分が異常な人間なのかと苦しみ、さらには差別されたりいじめられたり、あるいは心の内を隠して生きる苦しさを抱えてきた人たちが多かったのです。(なお、この性自認については、英語では生物学的な性を意味するsexではなく、社会的・文化的な性を示すgenderという用語を使います。)
精神医学的には、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)では第4版(DSM-IV)まではそのように分類されていたのですが、しかし現在の第5版(DSM-5)ではその言葉を排し、性的違和(gender dysphoria)と定義しなおしています。
性的指向も、性自認とは関係なく決まりますし、どちらの性の人も同じように受け入れる両性指向の人もいます。
そのように、「性」というものは様々な要素の組み合わせでできており、さまざまな種類の性的に典型的な男性・女性でない状態の人たちを合わせると、今までは「障害」とされてきた人たちは決して稀な存在(sexual minority)ではないことがわかってきました(今までは自分で抑え込んだり隠したりしていたためにごく少数とみられていましたが、少なく見積もっても人口の20%くらいになるという説もあります)。それゆえ、それぞれ個人の特性に過ぎないという考え方がしだいに広がってきて、LGBT(Lesbian, Gay, Bisexual,
Transsexual)としてあるがままの存在を認めようという運動が展開されています。
この言葉に関しては、「LGB」は性指向に関する言葉で、性自認に関する「T」とは別種のものであり、さらにはこの4つに含まれない「I」(intersex= hermaphroditism:精巣と卵巣の両方の組織を持つ)、「A」(asexual:異性・同性のどちらにも性愛を感じない)、「Q」(questioning:どの性別にも当てはまらないがどのカテゴリーにも所属意識を感じない)なども含め、さらには一般的な性意識を持つ人たちも含めた、すべての人に関わる広い概念としてSOGI(sexual orientation &
gender identity)という言葉も提唱されるようになっています。
以上のように、「性」にはさまざまな姿があり、さらには最初に紹介したようにどちらの性とはっきり自認していても複雑な内面をかかえている人も多くいて、それぞれの人によってその人に独特なものです。どのような人も差別されることなく、その人として受け入れられる、誰もが生きやすい社会になるようにと願っています。