≡福島お達者くらぶだより≡
2021年 10月 2日発行 通算 第101号
この福島お達者くらぶだよりも第2世紀に入りました。お達者くらぶはちゃんと活動を続けていることをお伝えするためにも、この会報を続けていきたいと思います。
今年の夏には感染者が今までで最大に増えたコロナ禍で、お達者くらぶのミーティングが行われている福島市に9月にはまん延防止の重点措置が発令されてしまいました。9月のミーティングの部屋はその発令の前に予約していたので使わせてもらえたのですが、10月の予約は10月1日になってからとされて(部屋は毎月そのたびに予約が必要なのです)、そのためにこの号の発行がいつもの月初めの1日でなく2日に持ち越しになりました(ホームページの更新も10月2日なりました)。
その10月のミーティングも無事に予約できました。10月からの寒い季節は2部屋を使わせてもらえることになり、本人と家族が隣り合った部屋でのミーティングになります。
福島県精神保健福祉センターが定期的に開催している「アディクションスタッフミーティング」(依存症にかかわる組織の人たちの意見交換会)の最近の集まりで、香山は摂食障害の自助活動の状況について話しました。その中で話したことを皆様にもお伝えしておきたいと思います。
自助活動が社会を動かす力となるために(香山雪彦)
近年、アルコール、薬物、ギャンブル、さらには引きこもりなどの問題については行政の取り組みが変化してきました。法的な整備が行われたり、厚生労働省から各地方の保健福祉センターなどにそのような問題への取り組みについての指令が送られたりしているのです。それには、単に問題の大きさだけでなく、自助団体や家族会の全国組織の活動による行政などへの働きかけの力が大きかったと考えられます。
しかし、摂食障害には、そのような全国組織がありません。摂食障害の自助的な活動では、全国にいろいろなグループが活動していますが、それぞれ独立性が強いと感じられるのです。自助グループで育った人たちが各地に関連のグループを広げて連携して活動している例はあるのですが、全国のグループがみんなで集まろうとする動きにはなっていません。
実は2000年から9年間、「摂食障害フェスティバル」というイベントがあって、そこが自助活動の全国的な集まりにもなりそうでした。そのイベントは、医療・心理・福祉などの専門家も自助グループの人たちもどこにも属さない人たちも、みんなで集まろうという目的で行われました。関西が中心の活動でしたが、そこには全国のいろいろな自助グループの代表者が集まってきていたのです。
そのフェスティバルが活動費用の問題などで続けることができなくなったとき、私(香山)はその運動の種を残せないかと、日本摂食障害学会の学術集会の際に当事者も集まれる会の開催を呼びかけました。専門職者の集まりである学会の主催者もそれを認めて部屋を無償で使わせてくれ(それならお金をかけなくても実施できます)、当事者と援助職者が一緒に集まれる場所になりました。しかし、自助グループの人たちが独立した活動であることを求めたと感じられ(私にはそのように感じられました)、この学会の際の集まりは3年ほどで消滅しました。
上述のフェスティバルのようないろいろな立場の人たちを巻き込んだ活動を引き継ぐことも含んで、日本摂食障害協会が設立されました。援助職者の学術団体である日本摂食障害学会や、その働きかけで実現した摂食障害全国支援センターと拠点病院(国立精神神経センター内と全国4カ所の病院)では実施しにくい、社会的な活動を目指した組織です。今は(活動資金の問題もあるのでしょう)全国各地での講演会や(これはコロナ禍で難しくなっています)“やせ”を求められるアスリートや指導者へのキャンペーンなど、援助側の視点の活動が多いのですが。
この協会の中に「自助グループ部会」のような部門を立ち上げて、そこに全国の当事者の人たちが集まってこれるようにならないか、と私は望んでいます。その積極的な推進に動いて行くには、私はどうしても専門職者と見られてしまうし、それを越えて働きかけて受け入れてもらえるだけの人望はないし、それに歳をとりすぎてしまいました(その上に、私はお金の必要な活動、特にそのためにお金を集めたり稼いできたりすることが苦手です)。
この日本摂食障害協会の設立に最も力を尽くして、残念ながらこの協会の本格的な活動を見ずに亡くなった、前理事長・生野照子先生は、自助活動に強い思いを持っておられました(たぶん日本で最初の自助的な活動グループである家族会を大阪で立ち上げられましたし、前述の摂食障害フェスティバルの中心でした)。誰か、その生野先生の自助活動にかける思いを引き継いでいただければ、と思っています。摂食障害本人で自分たちのために積極的に活動したいと考えている方や自助グループの代表者の方々、それぞれの思惑を越えて、そのように集まっていくことはいかがでしょうか。