リュージュ(龍樹)の伝言

第31回:青森で見えてきた東北の底力

2013/09/15

 青森は懐かしい街だ。父方の祖父は、旧西津軽郡森田村(現つがる市)のリンゴ農家の出身である。彼のその後の人生は、進行胃癌で当時県立病院の内科医長だった息子(私の父親)を頼って福島県会津若松へやって来て、私が6歳の時に私たち家族に看取られて息を引き取るまで、北海道と大陸の旧満州を駆け巡る、真に波瀾万丈の人生だったと聞いている。

 

 私の父親は旧制弘前高等学校の卒業で、当時下宿をしていた通称「弘前のおばさん」とは家族ぐるみの付き合いが現在も続いている。そんなことから、私もかつて弘前大学医学部を受験したことがある。結局北海道大学へ行くことになったが、弘前で降りしきる雪の中を受験に行って、「弘前のおばさん」に駅で立ち食いそばをご馳走になったことは今も覚えている。

 

 そして、北海道札幌市での医学生時代、実家のある神奈川県横須賀市までの往復は、当時まだ青函連絡船に乗らなければならなかった。長期休暇になるといつも、24時間かかる旅に備えて自分で3食分の弁当を作って行ったものだ。冬休みと春休みには、まさに「津軽海峡冬景色」の旅だ。3時間50分の船旅を雑魚寝の2等船室で過ごし、そこで聴いたさまざまな行きずりの人々との会話のいくつかは、不思議なことに今でも覚えている。そこでいくつかの人生を学んだとも言える。

 

 そんな青森を久しぶりに訪ねた。前回のブログに書いた、台風が近づく長崎訪問の直後である。青森駅では、学生の頃に何度も乗船した青函連絡船「十和田丸」が今や陸に固定されて博物館になっているのには驚いた。光陰矢の如し。

 

 青森では日本プライマリ・ケア連合学会東北ブロック支部の第3回学術集会が開かれていた。「連携で開く東北の医療の未来」のテーマで、学術集会長の大役を務めた津軽保健生協 健正黒石診療所の坂戸慶一郎所長の周到なご準備により、素晴らしいフォーラムとなった。

 

 私もパネリストのひとりに加えてもらったシンポジウムでは、地域でプライマリ・ケアを支える多職種からの発表は素晴らしく、しかもパネリストのほとんどが青森県内の地域で活躍されていることに感嘆した。 私は『後期研修プログラムの連携で東北の未来を拓こう』と題して、教育リソースの共有、東北ブロックとしてのフォーラム、指導医講習会、模擬CSA(Clinical Skills Assessment)テストの共催、合同リクルート活動、共同研究などを提案した。

 

 懇親会での後期研修プログラム紹介も感動的だった。いつの間にか、東北ブロックにも16のプログラムが立ち上がり、今回「顔の見えるネットワークづくり」を求めて多くのプログラムから仲間が集まり、大変な盛り上がりだった。まだ後期研修医がいないプログラムも、初めての後期研修医が研修を修了して専門医合格第1号になったプログラムも、ベテラン・プログラムも、みんな分け隔てなく交流した。青森で水揚げされた新鮮なネタと美味しい東北の地酒を振る舞う寿司居酒屋での2次会がさらに盛り上がったことは言うまでもない。おそらく、すでに様々な形でFacebookなどで語られていることだろう。

 

 第2日目の分科会「家庭医後期研修プログラム責任者と指導医の集い」では、当講座の助手 菅家智史君の好調なリードで、私たちの連携の未来予想図を考えていった。多くのアイデアが、これから具体的なプロジェクトになっていくことが期待される。

 

 東北ブロックは広大な面積を抱える。加えて東日本大震災が各地域に残した大きな傷がある。でも、優れた人財が各地で卓越した能力を発揮していることが今回確認されたことは、大きな収穫だった。今まで点として活動して来たこれらの拠点が、東北ブロック全体としてネットワークを形成していく時に、大きなエネルギーとなることが予感された。

 

 このネットワーク化こそが東北ブロックに欠けていたものだ。各地で比較的独立して集積されてきたソーシャルキャピタルを東北地方全体として束ねて蓄積していくこと、それが私たち東北ブロックでプライマリ・ケアを志向する者たちのこれからのミッションである。



リュージュ(龍樹)の伝言
カテゴリ
見学・実習希望
勉強会開催予定
フェイスブック公式ページ

pagetop