リュージュ(龍樹)の伝言

第45回 アスパラガス

2015/06/06

 今年も北海道十勝の更別村からグリーンアスパラガスを送っていただいた。瑞々しい緑色、ハリのある太い茎。たくさんのアスパラは、それが育つ北の大地の懐かしい風景まで想像させてくれる。日高山脈を遥かに眺めながら行き来した十勝平野…。

 

 医局の秘書さんやファカルティーへ少しずつお裾分けして、さあ残った自宅分のアスパラを今年はどうやって食べようかと、しばし楽しい思いを巡らす。

 

 アスパラ料理はバラエティに富んでいるが、どれも大好きだ。アスパラを主役にするなら、ベーコン巻き、肉巻き、天ぷら、フライ、から揚げ、フリッター、鉄板焼、グリル、ボイル、そしてそのまま(生)。他の料理とのコラボなら、クリームシチュー、カレー、グラタン、ピザ、パスタ、サラダ、中華炒め物各種。軽くフリッターにしたアスパラをラーメンや蕎麦のトッピングするのもグッドだ。

 

 いずれにしても火を通す時間は短めにして、歯ごたえある食感を楽しむのが私の好み。シチューや炒め物に入れる時も、他の食材を十分調理した後で、アスパラを最後に投入してさっと食べる。

 

 このアスパラの産地、十勝の更別村は、2001年、北海道家庭医療学センターが当時の本拠地・室蘭市の外に初めて診療・教育サイトを立ち上げた地である。それまで大学などからのアルバイトの医師が頻繁に交代していた(ある時は無医村時代もあった)村で唯一の医療機関である国民健康保険診療所が、今や全国から家庭医に興味ある学生・研修医が見学・研修にやってくる家庭医の診療・教育拠点の日本のモデルとしての役割を果たしている。

 

 物語の始まりは鮮やかな出会いから始まった。日本での家庭医養成の最初にして最大の仕掛人とも言える日鋼記念病院の西村昭男理事長に呼ばれて、診療所の将来と村民の健康に不安を持つ安村豊治村長と村瀬泰伸診療所事務長(いずれも当時)と北海道家庭医療学センター所長だった私は面会した。不思議なことに「この人たちとなら夢は夢のまま終わらない」という思いが直ちに私に生まれ、それが確信に変わるのにそれほど時間はかからなかった。理事長からの教えで「現場に行って、現物を見て、現実的に考える」という三現主義を良しとしていたので、私はすぐに更別村へ向かった。

 

 大学時代から通算15年以上を北海道で過ごしていたのに、十勝平野の真ん中へ行くのは初めてだった。広大な大地にまっすぐに続く道路。光が大空と織りなす「北海道の背骨」日高山脈の遠景は、シンフォニーを「見ている」ようで見飽ることがなかった。更別村に到着し、役場の人たち、議員さんたち、診療所の人たちに会い、膝を交えて話し続け、気がつくとお互いの夢を語り合っていた。

 

 もちろん、その夢を実現するには多くの困難を克服しなければならなかった。当時「学徒動員」と揶揄されたように、家庭医療学専門医コースの研修をまだ修了していない4年目と3年目の研修医を常勤医として派遣しなければならなかった。「なぜ今更別へ行かなければならないのですか。もっと室蘭を充実させてからでないと北海道家庭医療学センターは空中分解してしまいますよ」というのが当時の研修医たちの意見だった。正論だ。でも私は、「このチャンスは今しかない。ぜひ行って欲しい」とお願いした。

 

 この時に更別村へ「学徒動員」の初陣を飾った山田康介先生が、研修を修了した後で、専門医・指導医になって以降現在までずっと更別村国保診療所の所長であり続けていることは、多くのセレンディピティーの賜物かもしれない。きっかけを作れたことに私は満足しているが、その後の診療所の発展と村民の信頼を得ていった過程は、彼の能力と努力、そして更別村の人たちの理解と支援に負うところが大である。みなさんに心から感謝しています。どうもありがとう!

 

 当講座と北海道家庭医療学センターは、それぞれ月例で開催している専攻医向けの勉強会Family Medicine Resident Forum(通称FaMReFファムレフ)を今年から毎年7月に共同開催することになった。1年ごとに北海道と福島とで交代にホストを務めて開催する。第1回は北海道で、開催地は更別村になった。

 

 さて今年のアスパラ料理は、(減塩!)ベーコンを贅沢にもアスパラ1本に螺旋状に巻きつけてグリルにした「アスパラベーコン1本巻き」を何本も作った。ジューシー、かつしっかりした歯ごたえのあるアスパラを楽しみつつ、十勝平野の春の風の香りを思い出しては、今夏更別村を訪問する日を待ち遠しく思っている。



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