リュージュ(龍樹)の伝言

第58回:西村昭男先生を偲ぶ

2018/04/08

 三月四日に西村昭男先生は逝かれた。享年八十七歳。

 西村昭男先生の訃報に接し、大きな驚きと喪失感が続いている。追悼文を書かずにはいられない。

 

 西村昭男先生がプライマリ・ケアを専門とする家庭医を育成するチャンスを私に下さったことは、いくら感謝しても感謝しきれるものではない。1996年の北海道家庭医療学センターの設立から始まる北海道での家庭医育成の歴史は、2006年からは草場鉄周理事長へ受け継がれ、私は福島県立医科大学に移り、大学嫌いだった西村昭男先生が最後には福島行きを許して下さったご恩に報いるために「地域を基盤とした家庭医育成を大学と県も巻き込んで進める」というミッションを進めてきた。幸い家庭医育成の流れは少しずつではあっても大きくなり、2006年から日本家庭医療学会が、そして2010年からは日本プライマリ・ケア連合学会が認定する家庭医療専門医制度として発展した。2018年度から導入された日本専門医機構の新専門医制度にも19ある基本領域専門医の1つとして総合診療専門医という名称で加えられた。今後さらに全国で取り組みが進んでいくだろう。

 

 「家庭医療とは何で、なぜ必要なのか」、今でもまだ多くの人たちが良く理解しているとは言えない日本の状況である。だから当然、22年前にスタートした家庭医育成事業のこれまでの歩みは決して順風満帆ではなかった。そんな厳しい道を行く私にとって、最初の10年間を西村昭男先生と共に進めたことが、どれほど力強い支えだったことか。先見の明を持って、頑固に道理にこだわり、勇気を持って正しいことをする。そのために現場に行って現物を見て現実的に考える。西村昭男先生はご自身の行動で私にこう教え続けて下さった。

 

 西村昭男先生との出会いは、私が医師1年目だった1985年1月、家庭医を目指しつつ母校北大の小児科医として研修をしていた私が、市中の病院への新人医師異動第一号として2月からの勤務先である室蘭市の日鋼記念病院に挨拶に行った時まで遡る。ちょうど医局の新年会があってその席に連れて行かれた。当時病院には医師が20人ぐらいしかいなくて、小料理屋の二階で何人かずつ車座になって酒を飲んでいた。どうしても背中から接近しなければならない格好で、小児科医長が当時院長で外科医だった西村昭男先生の背中に声をかけて私を紹介した。西村昭男先生は胡座をかいたままぐるりと振り向いて、正座している私をじっと斜め下から睨んだ。しばらく間があってから「待っていた」と低い声でおっしゃった。33年経ってもこのシーンを覚えているから不思議だ。ちょっと黒澤明の『赤ひげ』で加山雄三演ずる若い医師、安本登が三船敏郎の「赤ひげ」こと新出去定に最初に挨拶するシーンに似ている。赤ひげも安本をしばらく睨んだ後で「お前は今日から見習いとしてここ(小石川養生所)に詰める」と言った。

 

 日鋼記念病院にはその時は2年間お世話になり、私は家庭医になる道を進んで行った。しかし、人生の出会いや縁というものは不思議な力を持っていて(西村昭男先生は「セレンディピティー」という言葉がお好きだった)、その後10年近く経って、西村昭男先生と再会することになった。私がカナダで家庭医療専門医のレジデンシーを終えて帰国してからだ。確か旧日本プライマリ・ケア学会年次大会の会場だったと思う。西村昭男先生は、当時からプライマリ・ケアに関心を持たれていて、「日本の常識は世界の非常識」と言って、大学病院や大病院の専門医療を偏重する日本の医療に問題意識を持たれていて、「一緒に家庭医を育てないか」と提案された。

 

 強力な後ろ支えを得て日本で本格的に家庭医を育成できることは、私にとって大きな喜びだった。でも一方で、北海道家庭医療学センターのさまざまなプロジェクトや提案を隔週で私が法人の会議へ協議事項として提出し、当時理事長であった西村昭男先生から承認をもらうことはある意味戦いだった。「その提案に真の先見性があるのか、理にかなっているか、日本の医療のために正しいことなのか、現場へは行ったのか、自分の目でそれを確かめたのか、実際にやっていけるのか」こうした質問に答えることができるようにかなり周到に準備をしたつもりでも、私の考えがまだまだ及ばず、もう一度考え直して提案しなさいと差し戻しになったことは10回や20回ではなかった。

 

 でも、そうした厳しさがなかったら、北海道家庭医療学センターが発展することはなかっただろうし、私が福島で進めてきた家庭医育成の取り組みもなかっただろう。

 

 よく訓練された世界標準の家庭医を育成することが日本の医療改革にとって最も大事なことの一つであるとの信念を持ち続けるだけでなく、その事業を一貫して身を挺して支援し続けた西村昭男先生は、真に日本の家庭医療、プライマリ・ケアにとっての大恩人だ。日本の医療界を牽引していると言われる人たちの中に、西村昭男先生のような骨太な志と実践力を持つ医療人が少なくなってしまったことを憂いても仕方ないのかもしれないが、これからも(せめてもう少しだけでも)西村昭男先生に睨みをきかせていただきたかったとの思いを禁じ得ない。

 

 ・・・・・

 

 否、西村昭男先生はもっと高いところへ行ってさらに睨みをきかせているのかもしれないですね。これからも重要な意思決定をしなければならないところでは、西村昭男先生ならどうしただろうか、と私は問うことにします。

 

 西村昭男先生への感謝の気持ちは言葉に尽くすことができませんが、今はこのぐらいにします。ご家族ご関係者の皆様へ衷心からのお悔やみを述べますとともに西村昭男先生のご冥福をお祈りいたします。



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