リュージュ(龍樹)の伝言

第59回:安心して総合診療専門医を志望してほしい!

2019/09/30

 ものを書くスタイルは人それぞれだ。私はものを書くときにエネルギーを集中させるスタイルだ。書くときに多くを考える。それは苦痛ではない。考えて書き、書いて考える、そのリズムやひらめきを楽しんでいると言える。人生の中でけっこう大事な時間だ。一方でSNSへのタイムリーな反応は不得意である。さまざまなコンテクストを意識して「他にも考えることがあるのではないか」と慎重になるあまり、即反応することを躊躇してしまう。そのうちに別の人が同じ内容の反応をしてしまったのを見て、結局「まあいいか」と断念してしまうことの何と多いことか。

 

 私のスタイルだと書く時間を確保するのが悩みの種となる。言い訳に聞こえるが、今年の5月におかげさまで無事かつ盛会に(同時開催の国内大会を含めて参加者6千人超)京都で開催することができた世界家庭医機構(WONCA)アジア太平洋地域学術総会の1年余にわたる準備・運営(副大会長と学術プログラム委員長を務めた)、会期中の自分の発表やワークショップの主宰・座長など、そして学術総会後の残務と学術総会での発表に関連する研究論文の執筆、などなどが立て続けに押し寄せていて、この『リュージュの伝言』に書きたいテーマがあってもその「楽しい時間」を確保する余裕がなかった。

 

 ところが、悠長にそんなことも言っていられないことになった。悩ましい問題が起きたのだ。

 

 先週金曜日の午後、いつものように福島県内の地域にある当講座の家庭医療・総合診療の診療・教育の拠点の1つへ行って外来診療の教育を始めようとしたら、家庭医・総合診療専門医を目指す専攻医の1人が、私に会うなり切羽詰まった表情でこう言った。

「家庭医療科がなくなるんですか?地域・家庭医療学講座が廃止されるって、学生や研修医が言ってました。本当なんですか?」

 

 我が耳を疑ったが、話を総合すると、どうもそのような噂が流れているようだ。特にそのことで将来のキャリアとして総合診療専門医を考えている学生や研修医が少なからず動揺しているようだ。そういう人たちへ、私から明確に、「それは根も葉もない噂であり、安心して総合診療専門医を志望してほしい!」と伝えることがこの文章の目的である。 

 

 確かに教授の任期には期限(定年)がある。私の場合はあと3.5年だ。でも、それを機に新専門医制度の19ある基本領域の1つを専門とする講座がなくなるということはあり得ない。プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)を専門とする総合診療専門医(海外では家庭医と呼ばれる)を地域を基盤として育成する取り組みを全国の大学医学部に先駆けて着手した福島県立医科大学においてはなおさらである。今年で14年目となる当講座の取り組みは、厚生労働省科学研究報告書にも「総合診療が地域医療における専門性や他職種連携等に与える効果についての研究」で包括的な事例として報告されている。医療を社会の中でより学際的に捉える公益財団法人医療科学研究所の医研シンポジウム2018「総合診療専門医-期待と課題-」にも招待され、当講座の多彩な取り組みは医療科学研究所の学術誌『医療と社会』に論文として掲載されている。

https://www.jstage.jst.go.jp/a、rticle/iken/29/1/29_29-045/_article/-char/ja/

 

 「アルマ・アタ宣言」40周年にあたる昨年10月にWHOとUNICEFが主催したPHCについての国際会議で採択された「アスタナ宣言」でも、総合診療専門医を含むPHCの専門職を地域を基盤として育成することは4大目標の1つである。我が国でも「経済財政運営と改革の基本方針2019」いわゆる「骨太の方針」に、「総合診療専門研修を受けた専門医の数について議論しつつ、総合診療医の養成を促進するなどプライマリ・ケアへの対応を強化する」と明記されている(p.61、ここでのプライマリ・ケアはPHCと同じ意味)。

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2019/2019_basicpolicies_ja.pdf

 

 このようにグローバルにもナショナルにも重要な政策になっているPHCの整備を福島県内の地域で実践するのが当講座の重要なミッションである。当講座には大学にも地域の診療・教育の拠点(現在7ヶ所)にも、PHCと家庭医療・総合診療の専門性を理解しそれを実践できる優秀な指導医たちが活躍している。その動きを止めることはできない。だから、医学生・研修医のみんなには、ぜひ安心して総合診療専門医を志望してほしい! 

 

 蛇足ながら、このような噂が総合診療専門医に対する新しい形のネガティブ・キャンペーンではないことを願っている。風評被害もそうだが、悪い噂は自然発生的なものと故意に流布されるものが混在して雪だるま式に大きくなっていく。故意の噂は、姑息だが強力に人心を惑わす策略として人類の歴史で繰り返されてきただけにタチが悪い。

 

 先日のNHKニュースで、今年2月に亡くなられた日本文学研究者ドナルド・キーン氏を追悼する集会が米国ニューヨークにあるコロンビア大学で開かれたことが報じられていた。そこで(あまり知られていないことだが)生前キーン氏が「日本人に寛容さが失われてきた」ことを米国の同僚に嘆いていたというエピソードが紹介された。キーン氏が「日本の文化が好きです」と言えば日本人は喜ぶが、彼のコメントが日本の社会への疑問や健全な批判に及ぶと「外国人に何がわかるんだ」と言われる。自分が信ずることを日本人として発言したいと願い彼は日本国籍を取得さえしたのだが、それでもなお不寛容な日本人は現れ続けたのだろう。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190928/k10012103121000.html

 

 「寛容さを失った日本人」のモデルは、医学医療における新しい分野の出現や発展を歓迎しない一部の医療人・アカデミアにも重なる。そのような人たちには、医療は誰のものなのかを今一度問い直してほしい。



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