リュージュ(龍樹)の伝言

第64回:「新しい生活様式」としてのテーブルマナー

2020/08/30

 コロナ禍でのソーシャル・ディスタンシングの目安として、世界でも日本でも多くの機関が1〜2メートルを推奨している。この「2メートル規則」の根拠となっている研究が実は時代遅れで、溶連菌など昔から知られた微生物を使って過度に単純化された実験で得られたエビデンスによるものだという。COVID-19の原因となるSARS-CoV-2ウイルスについて多様な環境の要素を考慮した場合には8メートルまでのソーシャル・ディスタンシングが必要になるのではないか、と考えさせる英国オックスフォード大学のGP(家庭医・総合診療医)の研究グループによる分析が、8月25日BMJに出版されて物議を醸している。

https://www.bmj.com/content/370/bmj.m3223

 

 早くも8月27日に、BBCのレポーターがインタビューして「8メートルのソーシャル・ディスタンシングなんて無理じゃないですか」と質問すると、著者らは「私たちは現在知りうる最良のエビデンスを示したまで。ルールを作るのは政策で、それはまた別の話」という趣旨の回答をしていた(同日のBBC Global News Podcast速報版)。これはもっともなことで、evidence-based policy makingで必ずしも「エビデンス=正しい政策」ではないことは、EBMで必ずしも「エビデンス=正しい医療」ではないことと同様である。

 

 エビデンスは参考にするが、その時の社会状況で適用可能な政策を考えて、導入するかの意思決定をするのは政治家の役割である。かつて私も編集に関わっていたEBMを支援するツール『Clinical Evidence』(BMJ Publishing Group)で私たちが使ったキャッチコピーは、“We supply the evidence. You make the decisions.”だった。今のコロナ禍の日本で、科学的エビデンスを示した専門家が責められて、政策を導入してそのアウトカムに責任を持つべき政治家が責任の所在を曖昧にしていることは残念なことだ。

 

 8月17日発行のJAMAにResearch Letterとして掲載された研究短報が目を引いた(実際にはJAMAのポッドキャストで最初に聴いて知った)。インド第4の都市チェンナイ(人口700万人)で、在宅ケアに従事する保健医療スタッフを対象にフェイスシールド導入前後でのSARS-CoV-2感染率を比較している。いずれもスタッフは通常のPPE(サージカルマスク、手袋、靴カバー)をして、マスクは常時装着し、手指のアルコール消毒とソーシャル・ディスタンシングを守った。結果は、フェイスシールド導入前はスタッフ62人中12人(19%)がSARS-CoV-2に感染したが、フェイスシールド導入後では未感染のスタッフ50人中感染者はいなかった。導入前の彼らの在宅ケアの対象は5,880家庭の31,164人(222人がPCR陽性)、導入後のケアの対象は18,228家庭の118,428人(2,682人がPCR陽性)だった。短報であるため研究方法などの詳細は不明だが、驚くべきフェイスシールドの効果である。

https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2769693?resultClick=24

 

 実は、上記2つの研究が発表される少し前から、私はフェイスシールドを装着してどのぐらい飲食が自由にできるかを知るための(個人的な)実験を始めたところだった。コロナ禍であっても、人の移動はこれから確実に増えていく。移動中に水やコーヒーを飲むこともあるし、対面で飲食する機会も出てくるだろう。そこではマスクを外す。あまりに無防備ではないか!それならば、不特定の人前でマスクを外さなければならない時にはフェイスシールドを装着したら良いのではないか。とりあえず自分でフェイスシールドをしながら飲食ができるか試してみよう!と考えたのだ。さっそく、普通に市販されているフェイスシールド(1個180円。最近は若干値上がりした)を10個購入して実験を開始した。上記の2つの研究結果も、この個人的実験をする私を後押ししてくれるものだと感じている。

 

 実験と言っても、自分でフェイスシールドをして飲んだり食べたりしてみるだけの単純なものだ。やってみると、数日の練習(慣れを含む)は必要であるが、フェイスシールドをしていてもかなり飲食できることがわかった。まずありがたいことに、箸を使えばかなり自由に何でも食べることができると分かった。スプーン(液体は除く)とフォークは若干難しいが、それでも口へ向けて進入させる角度を工夫すれば何とかなる。コーヒーカップもワイングラスも、フェイスシールドと顔の間に入れてしまうことで問題なく飲める。飲む時に頭を後屈させることがコツだ。難関と思われた味噌汁もラーメンも、数回の練習後には熱いうちに美味しく食べることができるようになった。今のフェイスシールドがほとんど曇らないことは嬉しい発見だった。いまだに困難なのは、スプーンでスープなど液体を食べる時である。まあ、テーブルマナーを無視して器を手に持たせてもらえば、こぼさずいただけるのだが。

 

 テーブルマナーと言えば、このコロナ禍における「新しい生活様式」としてのテーブルマナーはこれからどうなっていくのだろう、と考えてしまう。どうやって食べるかというテーブルマナーの基本が「食事を共にする人たちへの思いやり」であるならば、感染予防に留意してフェイスシールドをしながら食べることはこれから基本中の基本になるのではないか。今回、試しに実験に出かけた数件のホテルとレストランでは、私がフェイスシールドをして飲食しているとまだ周囲から奇異な目で見られたが、それが今後「新しい生活様式」として市民権を得ることを期待している。市中のレストランやカフェや居酒屋でも、来店者へのサービスとしてお店の名前やロゴマーク入りのフェイスシールドを提供する日が来るのではないだろうか。おしゃれなフェイスシールドが出回るかもしれない。マスクの時のように市販のフェイスシールドの価格が吊り上がらないことを願いたい。



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