拒食・過食の人達が伝えようとしていること、その人達に伝えたいこと

福島お達者くらぶスタッフ 香山雪彦

 

 

内容(目次)

はじめに 私はなぜ(何を)話すのか

拒食症と過食症

行動への依存という捉え方

不安という時代の空気

子ども時代の不安の蓄積

言葉にできない不安の表現

システムとしての家族と、その中で生じる自己評価の低さ

独立戦争の中の思春期:優れた人ゆえに

苦しさの世代連鎖と、親の仕事

拒食・過食の意味の再確認:生き延びるために

あたたかい心の触れあいしかない:言葉を、物語を!

まとめとして:どのように受け止めるか

 

 

はじめに:私は何故(何を)話すのか

 私は東北地方の大震災の直後に定年退職するまで医科大学の教師をしていましたが、その時の所属は生理学という部門で、それが本来の専門でした。生理学というのは、人間を機械として見て、体やそれぞれの臓器がどのように働いているか、それがどのように調節されているかを追求する学問分野です。その前に8年間、医師として働いていましたが、その時も麻酔科や集中治療室という、まさに人間を機械として、それが壊れないように、どのようにその状態を維持するかに心を配る部門にいました。

 しかし、今日話させていただくのはそんなこととは全く逆に、人間を機械としてみたのでは何も解決しないような、心の奥底をのぞくようなことと言えます。生理学者である私がなぜそんなことに関わるようになったかと言いますと、教えていた学年にいたひどい過食症の学生に支援を頼まれたことがあり、その学生と深く関わって、人の心とは何と奥深いものか、と言うより、何と怖ろしいものかと思い知らされ、打ちのめされたからです。人間は40年ほども生きると、世の中とか人間とかがわかったようなつもりになっていた、そんな自信めいたものを、彼女によって根底からうち砕かれました。

そこから自分でも勉強したのですが、それよりも摂食障害に苦しむ人たちとその家族のグループに20年以上も運営スタッフとして関わってきたことで深く勉強させてもらいました。そのグループの「福島お達者くらぶ」という老人くらぶのような名前は若いメンバーたちが付けたものですが、精神科の医師や看護師の有志によって創設され、私達スタッフが世話をしていますから自助グループではありません。しかし1990年代前半から続いている会というのは東京や大阪といった大都会以外にはほとんどなく、それなりに頑張ってきたのだと思っています。

 福島お達者くらぶで私は家族ミーティングの司会をしたり、会報の編集をしたりしていますが、今日は、そのミーティングや自分の大学の学生の深く関わってきた人達から教えてもらってきたこと、そこで考えたことを話させていただきたいと思います。

 

拒食症と過食症

さて、我々人間は調理法や味付けを発明して、食べ物がおいしくなりました。特に砂糖という甘味料をふんだんに使える現代人にとって、食べることは快楽であり、普通の人は食べることに快感ないしは安心感くらいは持つでしょう。強いストレスの中で生きざるを得ない現代人は、無意識のうちに食べることの快楽をストレス解消に使ったりしますから、つい食べ過ぎて糖尿病や動脈硬化といった生活習慣病に陥りがちです。

しかし、まず最初にわかっていただきたいのは、過食症の人たちの食べるという行動は、今から言っていきますように、普通の人たちが快楽のために、あるいはそこまで行かなくても生命維持のために食べる、というのと全く違ったものであることです。

同じように、拒食症の人が食べないのも、普通の人が美しくなるためにダイエットするというのと全く性質の違った行動です。拒食症の人たちは食べることの快感・安心感を拒否してしか生きられない、それもそれを言葉にして訴えることができない、本人もはっきりと意識できていない事情があって、その心の底にあるものを、自分の命を懸けたような拒食という行動でしか訴えられないのです。

過食症の人たちも心の中は拒食症の人と同じですが、拒食の人たちとは逆に異常にたくさん食べるという行動をとるのは、食べている時だけその行動が不安を忘れさせてくれるために止められなくなるのです。ある女性は「私は今、生きているのが怖いんです。次に息を吸わなければならないと思うと、それさえも怖い。その怖さは食べ物を詰め込むことでしかやり過ごせないんです。」と言っていました。

拒食症の時は、脳の摂食中枢はもう麻痺して働かなくなっているので空腹感に悩まされることもなく、自分が理想とするほっそりとした体型に近づいていきますから、周囲の心配をよそに本人は元気で、栄養失調で動けなくなる直前まで過剰なくらいに動き回る人もいます。(ちなみに、なぜこんながりがりの体型を理想と思い描くのかは、やせた人を美人とする傾向の強いメディアが創り上げた文化の影響は大きいのだろうけれど、それだけでは説明できないし、ふっくらした大人の女性になっていく成長の拒否などとも言うけれど、それでは説明できない人たちも多くて、私としてもいろいろ考えることはありますが、時間の関係でこれ以上触れずに謎のままおいておきます。)

しかし、一転して過食症になると、それは食べたくて食べているのではなく、ただ不安が起こす衝動に突き動かされて食べるのですが、食べるとどうしても体重は増えて理想の体型からはずれる(あるいはそれを恐れる)ために、食べることがより強い罪悪感を伴って落ち込み、拒食の人よりもはるかに強い苦しみの中にのたうち回ります。それから逃れるためにも食べることしかなく、指でのどを刺激して戻すことを覚えると、食べ吐きはセットになって、疲れて動けなくなるまで繰り返されることになります。

私達の世代には忘れられない歌声を聞かせてくれたカレン・カーペンターは中枢性催吐剤まで使うようになり、それで電解質バランスが狂って、ある日突然心臓が止まったと聞きました。私もそのようにして突然亡くなった人を身近に見ています。血液中のカリウムイオン濃度が低下するのが直接の原因です。過食・嘔吐が激しい人は、どうか病院に行ってカリウムイオンのチェックだけはしてください。

 

行動への依存

このように、快楽であるべきものが不安を一瞬忘れるためだけの行動に転化されてしまって、そのためによけいに苦しくなるという点では、この異常な過食という行動はアルコール依存の人たちがアルコールを飲むことや薬物依存の人たちが麻薬・覚醒剤などに溺れることと共通するところがあります。アルコール依存の人がアルコールを飲むというのは、酔って気分がよくなるのを楽しむために飲むのでは全くなくて、今の苦しさや不安や恐怖やムシャクシャする気分を忘れるために飲むのであって、だから強い酒を一気にあおります。アルコール以外の薬物だって、この点では同じでしょう。

さらには、薬物でなくても、ギャンブルから抜け出せなくなるのも同じです。それはギャンブルの興奮やスリルを楽しんでいるのではありません。馬が走っている間だけ、パチンコの玉が踊っている間だけ、この世の煩わしいこともすべてを忘れることができる、しかし生活はよけいに苦しくなって不安は増し、それ故によけいにそこから離れられなくなって溺れていき、それに依存してしまうことになるのです。

そのように、依存というのは、本来は快楽であったり、利益を与えるはずのものが、そのときのつらさや不安を忘れるための行動に転化されてしまって、そのためによけいに苦しくなってますます離れられなくなるものです。そのような依存を起こしている状態をアディクション、日本語では嗜癖と呼びます。

しかし、同じ嗜癖でも、拒食・過食はアルコールや覚醒剤と大きく違っているところがあると、私は感じています。アルコールは飲めば酩酊して、面倒なことをしばらく忘れさせてくれます。覚醒剤なら一瞬にしてそうなります。薬剤でなくても、ギャンブルは非常に大きな興奮を起こして、それが面倒を隠してくれます。すなわち、それによって現実から逃げていると言える面があるでしょう。

しかし、生命の危険を賭けなければいけない拒食、吐くという苦しさに耐えなければいけない過食、さらには実際に痛みに耐えなければいけないリストカットなどは、それによって襲いかかってくる不安に満ちた現実と闘っているのだ、その場の不安を生き延びるための行動だけれど、ただ逃げているのとは違うと、私は深く関わった人たちを見ていて感じます。その人たちを見ていて、私は傷ましさと同時に、そうしてでも生きようとする、その勇気に対する称賛の思いも持っています。

実は、私もパソコンのゲームから離れられなくなったことがありました。人生に行き詰まりを感じ、これからどう生きるかの選択に迷っていた頃でした。ゲームが終わって「もう一度やりますか?」と質問が出たら、自分の意志とは関係なくYesを押してしまっていました。最後は目が血走ってきてもやめられないときさえある。やればやるほど苦しくなることはわかっているのにやめられない。自分でこれはもう嗜癖行動だと思っても、それでもやめられない。なぜこんなことになるのでしょうか。

ただ、私のゲームは本当の依存と言えるものではありません。なぜなら、そうやって一日が過ぎても、最後に「まあ、いいか。明日頑張ろう。」と、情けない思いであっても自分に言ったからです。そう言えなくて自分を責めてしまう、そうやってどんどん追い詰めてしまうのが本当の依存です。私はいい加減な人間で、そこまで自分を追い詰めることができなかったから、のうのうと生き延びられてきた、それを恥ずかしく思います。

 

不安という時代の空気

いずれにしても、このような行動に依存してしまうことになる、その根元にあるものは「不安」であると私は思っています。農家の息子は農業を継ぎ、商家の息子は商売を継ぐ、女の子たちはお母さんと同じように嫁に行き子どもを産んでお母さんになる、といった生き方に何の疑問も感じなかった時代には、例えば過食症はありませんでした。今は、農業を継いでも、それだけで食べていくのはかなり困難です。商売も、いくら町の一等地の老舗だって、大資本が郊外に大きな店を作ったらおしまいです。

 ふつうのサラリーマンの息子も、父親と同じように生きることは難しい時代になってしまいました。父親は会社員になったとき、大部分の人は終身雇用であり、それゆえ少し努力すれば誰もが中産階級になれました。親は、自分たちが生きてきたように、そのような安定した暮らしを子供にもと望むでしょう。しかし、その日本のシステムはあっという間に崩れ去りました。今は会社に就職しても、その会社がいつつぶれるかわからず、定年までの数十年も存続するのは奇跡かもしれません。それどころか正社員になること自体が難しく、派遣などの非正規労働にしか就けない人も多い。

そのような中では自分の未来を描くことは難しく、そこで心を癒してくれる温かい人間関係を得られない人は自暴自棄になって、世の中に対する復讐の思いを込めて、人を道連れにして自分の人生を終わらせてやろうと考えてしまうことだってあります。それが最も象徴的に現れたのが2008年6月の秋葉原無差別殺傷事件です。

女の子にとっての状況はもっとつらいかもしれません。女だって自立して生きるべきだという考え方が一般的になり、テレビドラマも理想的な女性として、仕事を持ってはつらつと生きるキャリアウーマンに対する憧れをかき立てます。その一方で、やっぱり女はかわいくなくちゃとか、女は子どもを持って一人前だなどと言う男たちは相変わらず多い。特に政治や経済の中枢で力を握っている男たちほどそうです。男女共同参画社会推進の責任者である厚生労働大臣が「女は子供を産む機械」と発言したことがあるような状態です。若い男たちだってそんな都合のよい女性を求めます。女の子たちはそんな二重の縛りに苦しみます。素直に母親と同じように結婚して子供を産めるとは思えません。

そのように、今、若い人たちにとっては父親も母親も人生のモデルになりにくい、大きな変革の時代です。そして、立て前上では自由が拡大され、メディアは新しいものを次々と宣伝するから欲望はふくらませられるけれど、その欲望を自分の能力が保証してくれるかどうか全くわからない、そんな中でどう生きるべきか、どころか、どうなら何とか生きられるのかという不安をかかえて現代の人は生きざるをえないのです。

バブルの時代はただ眼をつぶって突っ走っていたら何とかなりました。倒れたって、また立ち上がって走り出せたのです。しかしバブルがはじけて以来、この不安は誰の目にも明確になってきました。経済は立ち直り、景気は好調だと言われていた小泉時代だって、その好調さは経済格差の拡大で維持され、時代の空気からこの不安感が消える様子はなかったのに、2008年秋のリーマンショックの経済危機でこの不安はまた一気に増大してしまいました。今年の大震災・原発事故がそれに拍車をかけています。

 

子ども時代の不安の蓄積

大人たちはその不安を言葉にして発することによってある程度解消することができます。アルコールやカラオケだってあります。他にも方法はあって、私の友人の商社マンは、若い独身の頃、イライラした気分がたまると、わざと酔っぱらって街で弱そうな男に喧嘩をふっかけて殴る、と言っていました。繁華街でやりますから警察が来ますが、酔っぱらいのケンカにいちいちかかわっておられず、留置所に一晩泊められれば翌朝には釈放で、彼はそのためにネクタイやシャツの替えを持っていっていましたから、確信犯です。

そのように、大人はそれぞれに合う生き延びるための手段を持てます。しかし、子どもたちはそんな不安を何とか処理する手段としての言葉や行動力を持っていません。若い親たちが不安をかかえていると、その不安は必ず小さい子どもたちに敏感に伝わりますが、子どもたちがその不安を心にかかえながらも無事に生きていけるのは、母親、父親というしっかり守ってくれる信頼できる存在を持っているからです。

例えばお母さんが2−3歳の子どもと公園に遊びに行った時をイメージしてみてください。その頃の子どもは好奇心が強いから面白そうなものを見つけるとたたたっと走り出し、ふと不安になって振り返ってお母さんの存在を確かめる、そこににこっとほほえんでくれるお母さんを見つければ、それはあなたをちゃんと見てますよという合図だから、子供はまた安心して走り出す、そのようにして子どもは育っていきます。

しかし、例えばお母さんが、子どもができたからやむを得ず仕事をやめたけれど、自分はおしめを洗う毎日なのに夫は仕事だ付き合いだと言って毎日午前様、その中で誰の支援もなく孤独に思うようになってくれない子育てに苦しんでいたり、あるいは同居している舅・姑にいびられているけど夫は全く自分の味方になってくれないなど、絶望感や怒りを抱えていたりして、その時に子どもにほほえんであげられなかったらどうでしょうか。私はそんなお母さんを責められません。しかし、そのように、心にかかえたことを言語化して処理できない子どもの時にしっかり守ってくれる存在を持てなかったとしたら、人はかかえた不安をひたすら心の中に蓄えていかざるを得ないでしょう。

 

言葉にできない不安の表現

そして、そんなふうに育てば、どのような場合には人を信頼してよいか勉強できなかったことによって、成長して言語能力は発達した後も、その蓄えられた不安を言葉にして人に伝えることに心は自分でストップをかけ、その結果としてそれを体や行動で表現せざるを得なくなったものが、心身症やこの拒食・過食といった行動への依存でないだろうかと私は考えています。

小学生なら身体的な病気に逃げ込みます。例えば、不登校の子供が登校時刻におなかが痛くなるのは、本当に痛いのです。決して仮病(医学的には詐病と言います)ではありません。それが仮病でないことを私はアルツハイマー病が進行し始めて感情が子供返りした母親で知らされました。母は一人暮らしが難しくなって、私の妹、母にすると実の娘と暮らすようになりました。ところが、母−娘というのは遠慮がなくてしょっちゅう衝突する。そうすると母は「もう私はこんなところで暮らしていられない」と荷物をまとめるのですが、次の朝、出て行こうとする時間になるとみごとに腹痛や腰痛が出るのです。腹痛の時には実際に下痢をする、だから本当に腸が動いていて痛いのです。

脱線しますが、その母親について少し追加しますと、妹の方が燃え尽きて体を壊し、7年前から母は私たちのところに来ました。私たちはその母をそのまま受け入れたら母親は不安も怒りもほとんど出すことはなくなってきて、今はよい施設に入所できて、私は日曜ごとにゆっくり話しに行っていますが、安心して穏やかに暮らしています。ありのままを受け入れることは、過食の人達に教えてもらってきたことで初めてできたことです。後でまた話しますが、私は「ああしなさい、こうしなさい」と伝える、あるいは無言でも「こうしてほしいなぁ」という思いを極めて感受性の高い人たちに感じ取らせることでコントロールしようとすることが、その人たちを縛り付け、不安にするのだということを深く勉強させてもらったのです。

話を戻します。蓄積した不安は、中学生くらいになると、腹痛のような自律神経症状ではなく、脳が関係して過呼吸症候群などを起こすことが多くなります。しかし、知的レベルが高くなるほど、そのような身体的な症状に逃げられなくなって、行動で示す他なくなることが多いのだと私は感じています。いわゆる非行の中にはこの不安の表現であるものもあると感じますし、お母さんたちを反社会的な行動で悲しませたくないという思いが強ければ、女の子たちは拒食・過食にしか行くところがないのだと、私は考えます。

 

システムとしての家族と、その中で生じる自己評価の低さ

こんなふうに言うと、直接に子どもに接する役目を負うことの多いお母さんたちは、自分が悪かったのだとひたすら自分を責めることがあります。しかし、お母さんが自分で責任を背負い込んでも何もよくなりません。子どもはお母さんをそんな苦しい状態に追い込んでいる自分自身を責めていることが多いからです。そして、それよりも何よりも、悪いのは決して母親だけではないのです。母親をそのような状態に追い込んでいるまわりの家族、その両親など、家族全体を考えなければなりません。まだまだ男社会が続いている状況では、父親が母親をそのような状態に追い込んでいることも多いと感じます。

だから私はお母さんを責めることはできません。お母さんだって否応なくそんな状態に追い込まれて苦しんでいるのですから。そんな周りの事情を考えようともせず、「母親の育て方が悪い」などと言って、さらにお母さんを苦しめる医者がいるのも困ったものです。そんな医者は、子供の苦しさの本当の由来を理解できていないのです。

とにかく、家族を一つのシステムと考えた時、過食症などの行動への依存は子どもの頃の家族システムの異常状態がもっとも大きな要因となって作られるものであると考えられます。どのような異常がこれを作るかは、両親の不和や離婚、特に虐待などの暴力の介在、子どもに対する過剰な厳しさ、兄弟姉妹の間の差別、過剰な期待など、家族によってすべて違っています。強すぎる愛情も問題で、その愛情が、自分から離れていくようなら知らないわよとただ引き寄せたり、お父さんと別れたいのだけれど…ちゃんのために我慢するわねと言ったり、(もっとよく見られるのは)親が考える道にレールを引いて子供が自由に生きることを許さないものであるとしたら、やっぱり子どもを縛ります。いずれの場合も、子供が守られるべき時に守られていない、甘えさせてもらうべき時に甘えさせてもらえていないことが大元のところにあります。

このように、心に不安が蓄積するのは、百まで続く三つ子の魂という、2−3才の最初の(無意識な)独立の衝動が生じた頃の育ち方が一番大きく関係しています。そのころから少しずつ弱くなりながら思春期までに、自分がここにいていいのだという感覚を得られるように育ててもらえたかどうかで決まってきます。それも、家の跡取りだからとか、言うことを聞いた、おりこうさんにしたからとか、あるいは美人だからとか成績がよいからといった、理由や条件があるからではなく、ただあなたがそこにいるからということで守られかわいがられる必要があるのです。無条件に世話をうけ甘えさせてもらえる時期を持てないと、人は自分を褒めてあげられない、自分の存在を自分できちんと認められないようになります。私達はそのような状態を「自己評価が低い」と表現します。そうなると思春期以後、強烈な不安に襲われるのです。

 

独立戦争の中の思春期:優れた人ゆえに

 そのような中には小さな子どものころはひたすらよい子だった人たちもいます。しかしそれは、育ってきた中で蓄積された不安がその人の存在をおびやかし、そのためひたすら自分の願望を殺し、よい子として振る舞って受け入れてもらわなければ生きていけなかったからです。その人たちが思春期になって様々な問題行動を起こし、あんなよい子が何故?と思われてしまうことがあるのですが、それらの行動は、それまでが本当の自分を殺してしか生きて来れなかったのであって、思春期の独立の衝動がそれまでの従属の生き方に異議を唱えさせ、その結果やっと自分を主張し始めた独立戦争なのです。

そのような自己評価が低い人たちは、自分の考えは信用できないし、それゆえ他人の評価を異常なくらい気にするけれど、親をはじめとする他人も信頼できなくなってしまっていますから、いきおい具体的な数字で出てくるものに頼る他はなくなってしまいます。中学、高校時代には試験の成績がこの数字を与えてくれる人もいます。しかし、成績なんて大学に入ったり、ましてや社会に出たりしたら何の頼りにもならなくなり、そこで容姿を評価されがちな女性に体重とか食べ物のカロリーとかいった数字が評価を与えてくれると摂食障害につながります。ある本には、リストカットして出血量がある量以上ないと満足できない人のことが書かれていて、心が痛みました。

 この自己評価の低さということが、過食といった行動への依存でも、アルコールをはじめとする薬物への依存でも、依存へと駆り立てていく最も大きな要因だと考えられます。みんなが認める天才的なすばらしい能力を持っている人たちでも、この自己評価の低さが心の奥底に根を張ってしまっていたために、何かへの依存へと駆り立てられていった人たちがたくさんいます。例えば前述のカレン・カーペンターでも、また、アルコール依存症の人たちの平均寿命といわれている52歳の前後でなくなった有名人の名前を挙げてみても、いかに人々にもてはやされても、どうしようもなく持つことになってしまった自己評価の低さゆえに生じた不安がいかに大きいものかわかります。

 そんな思春期の不安定な時期に、人は「霧に包まれた谷にかかっている一本橋をわたっている」と表現できます。恵まれた状況にいて広い橋を何も迷わずにわたりきってしまった人は、その後、そんな危険なことがあったことも気づくことのないまま一生を送ります。しかし、つらい状況を抱えて狭い橋を渡る人はなかなか怖く、特に眼のいい人は霧の下に谷底が見えてしまう。そうしたら、とたんに足がすくんで、進むもならず退くもならず、身動きできなくなってしまいます。

 そんなふうに、この思春期の、さあ今から独立して大人になっていこうとするときに動けなくなって、その苦しさをさまざまな病気や適切でない行動で示すようになる人というのは、ちょっと前までは普通の人には見えにくいものも見てしまう眼、すなわちきわめて鋭い感受性を持った、非常に優れた能力を持った人たちでした。その人たちが感じ取ったものは変わりゆく社会に流れる不安だったのですが、その不安という時代の空気が濃くなり、今は鈍感さを嘆かざるを得ない私を含めて普通の人にまで見えるようになってきて、過食症はふつうの人たちにも増えてきています。しかし、優れた能力を持っている人ほど苦しみも深いと感じられます。それも、そんなものをごまかして生きることだってできるのに、それをよしとせず誠実に生きようとする人ほど苦しみます。

 このことをぜひとも理解してください。過食などに苦しむ人は、決しておかしい人なのではなく、優れている故に他の人なら見過ごす不安を感じ取り、誠実に生きようとする故に苦しみを深くする、優れた人たちなのです。

 

苦しさの世代連鎖と親の3つの仕事

このような自己評価の低い人たちが抱える苦しさ・生きづらさは世代を越えて受け継がれていきやすいことを知ってください。例えば、虐待されて育った子どもは、親になると自分も子どもを虐待するようになりやすいことは良く知られるようになっています。そんな世代連鎖を、親か子どもか、誰かが知って、断ち切らなければなりません。

母親の方から断ち切るためには、母親が家族のために生きるのではなく、自分のために生きて、自分自身が幸せにならなければなりません。三世代同居の家でお母さんが姑さん達にいじめられてつらい目に遭っている、その母親の代わりに子どもが過食などの症状を出していることもよくあるのですが、そのような場合には特にそうです。しかし、そんな母親は、自分の幸せなんて考えたこともない人たちが多くて、それがなかなか難しいのです。その娘さんの出している過食という症状は「うちの家はおかしいよ、もっとみんなが幸せになろうよ」というメッセージなのですが、それを理解し始めたあるお母さんからの手紙には「この前、娘と一緒に映画を見ました。映画館で映画を見るのは生まれて初めてでした。私は今、娘に手を引かれて、初めて青春を味わっています」とありました。

しかし、親の世代は50も生きて、もう変われない人達も多い。その時に子どもの方から断ち切るためには強力な支援者が必要です。成人した子どもなら、親にわかってもらうという幻想を捨てて、自分の人生を生きればいいのだけれど、これも支援者や仲間がいなければできません。しかし、そのような人が得られたとしても、娘にとって母親を捨てることはきわめて難しいのです。実際、母から離れるために日本を離れた人もいます。

そのような苦しみを抱えるようなことにならないように、子どものころに安心を感じて成長してもらいたい。それが家族の場であり、親がその場を作って欲しい。そこで親の仕事ということを考えてみたいと思います。親の仕事は次の3つだと私は考えます。

              1.子どもを愛し、守る仕事

              2.子どもに社会の掟を教える仕事

              3.子どもと別れる仕事

 子どもを愛する仕事というのはわかりやすいでしょう。2−3歳の性格が形成される一番重要な時期にこれがないと、子どもは自己評価が低くなってしまって、すなわち自分を愛せなくなって、思春期以降にその苦しさが吹き出してくる、という話を今までしてきました。この仕事は子どもを抱きとめるという、母子関係に見られるべったりと密着した、感覚の世界のことです。言葉はいりません。

 しかし、何があってもすべて受け入れるという密着関係が、その時期を過ぎて学童期にかかっても続いたらどうなるでしょうか。その子どもたちには万能感が生じます。しかし、社会の中で生きていくためには、その万能感はあるところで適当に摘み取られなければなりません。それはべったりと密着した感覚の世界から、言葉と掟の世界へと導いてやることで、これが2番目の仕事です。昔はそれは子ども同士の遊びの中で自然に行われていましたし、近所のおじさん・おばさん達もしていましたが、それらがあまり機能しなくなり、親の仕事という意味合いが強くなりました。

 その仕事のためには、甘い包容から切り離してやらなければならない。その切るという仕事は、抱くという母親の仕事に対して、父親の仕事です。子どもに嫌われたくなくて、物わかりのよい父をやっているばかりでは、親の仕事を手抜きしていることになります。

 ただし、ここで必要なのは「父なるもの」であって、実際の父親とは限りません。多くの母子世帯では母親が「母なるもの」と平行してこの「父なるもの」の仕事もしています。しかし、実際に父親がいてもいなくても、「父なるもの」がいない場合、子どもはそれを探しに外に出ます。すなわち、自分の振る舞いにストップをかけ、時には自分を罰してくれるものを求めて世の中をさまよいます。いわゆる非行とはこの「父探し」のことである場合も多いと思います。ある過食の女性は、万引で2回目に捕まったときに、1回目に取り調べた警察官が飛んできて「お前、またやったのか」とビンタを張られ、父親に殴られたこともなかったから衝撃だったけれど、そのビンタに愛情を感じたと言っていました。

 この2番目の仕事は3番目の「子どもと別れる仕事」へと続いていきます。子どもはやがて独立した一人の人に育っていくべき存在です。そのためにはまず親と子どものあいだに境界線が引けなければならない。それを教えるのは親の仕事なのですが、子どもを親の付属物や所有物と考えていたり、ましてや子どもの存在を頼りに生きていたりしたら、それはきわめて難しいことになります。地域社会が崩壊して頼るものは家族しかなくなったこの時代では、この仕事は非常に難しくなっていると感じます。

 子どもは手放してやらなければならないのです。そして、子どもは親と違う独立した別の存在ということをきちんと意識して、子どもの持ち味でもって生きさせてやらなければならない。しかし、子供はなかなか自分の持ち味で生きさせてもらえず、親の考える生き方を強制されます。「子どもの幸せを願わない親はいない」とよく言われますが、それは違っていて、子どもを憎む親、逆に親を憎む子どもは、知識階級の人たちにだってまちがいなくいます。とは言え、大多数の人は自分の子どもを愛し、その幸せを望むでしょう。しかし、そのあまり、自分の考える幸せを押しつけ、その枠にはめようとする人もたくさんいます。子どもの持ち味で生きさせてやる、そして子どもを手放してやるということがどれだけ難しいことかと思わされます。

 霧に包まれた谷に架かる橋の話を思い出してください。この橋を無事わたりきるのに必要なものは、自分が踏み出す足がしっかりと固まった地面につく感覚でしょう。その安心感は親や教師が歩く方向を示してやったり、あるいは手を引いてやったりしても得られません。いかに方向がわかったって、足元がふわふわ、ゆらゆらしていたのでは怖くて歩けず、そこにしゃがみ込みたくなるでしょう。

 その安心感は、育ってきた中で親がしっかりと見守り、愛してくれていたことでしか得られないものです。しかし、いくら愛していても、その愛が子どもを縛るものだったら、独立の衝動を持つ思春期の子どもたちはその縛りから自由になろうと身をよじり、足を踏み外して落ちてしまうことにもなります。その時に谷底が見えてしまう鋭い感覚を持った人はそれもならず、立ちすくむだけになるでしょう。

 今日話させていただいたように、たとえば過食という「症状」は、そんな不安を言葉にできないまま抱えていることを訴えるものです。いわゆる非行だってそうでしょう。親も、周りの大人も、その訴えを聞く耳を持たなければなりません。聞いてくれる耳があり、それが自分を決して裏切らないものだとわかれば、人はその不安の源となるものを言葉にして語ることができるようになって、そんな行動で訴える必要はなくなります。

 とにかく、今、親を含めて大人たちに必要なものは、そんなふうに子どもたちが出している症状によって投げかけている訴えを聴く耳と、その大元にある不安を見抜く眼を持つこと、そして、それを受け止め、決して裏切らない姿勢です。

 そのためには大人も自分の不安と向かい合わなければならない。例えば子どもの幸せのためにレールを引いてその上を歩ませてやりたいと考えるのは、実は子どもをコントロールしたい、もう少し強くいえば支配したいのであり、そのコントロール欲求は自分の不安から出てくるものだと私は指摘したい。そして今、その自分の不安に気づき、ごまかさずにそれに向かい合う勇気が、大人にこそ求められているのだと強調したいと思います。

 

拒食・過食の意味の再確認:生き延びるために

 もう一度拒食・過食の話に戻ります。最初にも触れたように、拒食や過食といった行動には2つの意味があります。一つは、自分の苦しさや言葉にできない心の奥深くに隠された思いを訴えるためです。このことは後でもう一度少し違った角度から考えます。

 もう一つは恐怖に襲われ続ける中でも何とか生き延びるためです。生きている中で不安や苦しさに襲われたとき、人は生き延びるために、誰でもいろいろなことをします。虐待やいじめといった、人を傷つけることで生き延びる人もいます。暴力まで行かなくても、子どもを自分が思うような道で生きさせようとコントロールすることだって、親が自分の不安を処理するためです。(ついでに言うと、若い人たちが付き合っている人の携帯の着信記録やメイルを見て、これは誰!これは消して!と追求したりするのも、自分の不安ゆえのコントロール欲求です。)ギャンブルだってクレジットカードでの買い物だって、それに溺れてしまうことになり得るのは、それが今の不安を忘れるために使われるからです。そんなことに比べれば、食べることなんかは一番他の人を傷つけなくてすむ手段だと言えます。カラオケでマイクを離さずに歌いまくるのと変わるところはありません。

 過食が生き延びるためだというのはまだわかりやすいだろうけれど、拒食だって生き延びるためです。死ぬために拒食する人はいません。自分が誇りを持って生きるためにはやせた体が必要だと思い込んでしまっているために、生きるために拒食しているのです。

リストカットだってそうです。リストカットは、最初は自殺の目的でやることもあるけれど、1回か2回やればこれでは死なないということがわかります。それでも繰り返す人が多いのは、切って出血すれば周りの人たちが自分のために騒いでくれたり、少なくとも騒いでくれるかどうかを試せるし、あるいはまわりに迷惑ばかりかけている自分を罰するためということもありますが、そんなこともどうでもよくなって、ぼんやりと何で自分が生きているのか自分でもはっきりしなくなったようなときに、切れば、いくら慣れていても痛いし、赤い血が出るし、それを見て「ああ、自分も生きているのだ」と確認して、また生きられるから切るようになります。生きるためなのです。

そうやって、過食だってリストカットだって、生き延びるのに大きな力を持つ手段になるわけで、これで生き延びられればいいのです。過食なんかかまわない、腕に傷を付けたって全くかまわない。とにかく生き延びてください。生き延びてさえいれば、「生きていてよかった」と言える日が必ず来ます。それは証明のしようがありませんが、私は長くかかわってきた人から、経験として知っています。

これが私が訴えたかったことの一つです。とにかく生き延びてください。過食している、あるいは拒食している、それは生き延びるためです。そうやってでも生き延びてください。生き延びてさえいれば、生きていてよかったと思える日が必ず来ます。

ただし、一言追加しておくと、食べ吐きもリストカットも生き延びさせてくれる力が弱くなって行き、貯めていた薬の大量服用、すなわちオーバードーズが始まると、生き延びるのが難しくなってきます。そのような人が身近にいたら、ぜひ適切な人につないであげてください。どこにその適切な人がいるのか、見つけるのが難しいのが問題なのですが。

 

あたたかい心の触れあいしかない:言葉を、物語を!

 それでは、生き延びるためには何が必要でしょうか。私も医師として、薬を使います。しかし、薬はその時だけ心を少し楽にして、自分のことを見つめるほんの少しの余裕を作るだけで、その薬で心の傷が癒えるわけではありません。

結局、人の心を癒すことのできるのは、人と人とのあたたかい心の触れあいしかないと私は思うのです。心の傷をかかえても生きていけるようになるためには、そのようなあたたかい触れ合いによって、自分はここにいていい人間なのだ、ありのままの自分で受け入れられているのだ、と感じられる場所や人間関係を得て、それを積み重ねていく以外にありません。一回だけの経験で変われるほど人の心は柔なものではありません。しかし、それを何度も、何年も積み重ねていけば、絶対に変わっていける、それを私は保証します。

 それなら、そのあたたかい心の触れあいをどのようにして得るかということを話さなければなりません。

 そこで話しが少しずれますが、自殺者が年間3万人を超えて、減少の気配がありません。そのうち、中高年の自殺は圧倒的に男性に多い。なぜでしょうか。それは、例えば私たちの大学生のころには男の象徴のような三船敏郎という有名な俳優が出てきて「男は黙って**ビール」とビールビンをどんとテーブルにおくコマーシャルがあった、もうちょっと最近にも、やはり男のあこがれである高倉健が出てきて、ぼそっと「不器用ですから・・・」と言う、そんなコマーシャルに象徴されるように、男は昔からべらべらしゃべらないものだと刷り込まれてしまっていて、自分の苦しさを誰にも伝えられずに、黙って死を選ぶしかなくなるからです。

 一方、女性はだいたいにおいておしゃべりで、友達と1時間でも2時間でもしゃべり続け、そこで「そうだよね、そうだよね」と感情を共有してもらえるから、死なずにすみ、生きていけるのです。

 しかし、感情の共有よりももっと強く生きていく力になり得るのは物語の共有です。物語の共有とはどういうことでしょうか。例えば2005年に公開された「Always三丁目の夕日」という昭和30年代を描いた映画にあった場面ですが、売れない小説家が飲み屋の女の人に惚れて、想いを伝えるのに指輪を贈ろうとします。しかしお金がないから、指輪の箱だけ贈ります。「小説が売れたら中身を贈るから」という意味です。その女の人は箱を開けて中身がないのを見て、男に手を差し出し、「その指輪をはめてよ」と言います。そこで男は(本当はない)指輪をつまみ上げて、初めて女の人の手に触れてその指に指輪をはめてやる(ふりをする)、そうすると女の人はその仮想の指輪を電気にかざして「まあ、きれい」と言うのです。その二人には間違いなく一つの物語が共有されました。

そんな物語を共有してくれる人がいたら、人は生きていけます。感情の共有でもいいけれど、できたら物語を共有する人がほしい。それには、指輪の箱などに込めた思いは受け取ってもらえるとは限らず、「馬鹿にしないで」と突き返されるのが落ち、ふつうは言葉が必要です。しかし、その言葉というのは、「うざい」とか「きもい」といった、自分の気分を吐き出すためだけの言葉ではだめで、自分の心の中にあることを、たとえそれは切れ切れの思いでも、それをつなぎ合わせて物語として話さなければいけません。

 しかし、拒食・過食に苦しむ人たちにとって、その物語は生きてきた中で安心を得られずに傷ついてきた歴史ですから、自分で記憶から消して意識に上らないようにしているかもしれないし、記憶にはあってもそれが思い出されるたびによけいにつらくなるから、とても話せないことが多いでしょう。実際、親や親しい友人たちも「(あなたが悪かったんじゃないから)そんなことは忘れてしまいなさいよ」と言うことが多いでしょう。

しかし、私は強調するのですが、それは決して忘れてはいけないのです。逆に、きちんと言葉にしなければいけない。なぜなら、忘れる、すなわち記憶を蘇らせる手がかりを抑圧して思い出せないようになるのは大脳の左半球に貯蔵される言語にできる出来事の記憶だけであり、恐怖といった右半球に貯蔵される感情の記憶は残っていて、何かの拍子にその感情の記憶がよみがえったとき、なぜそんなに怖いのか説明できないために、よけいにわけのわからない激しい恐怖に襲われてしまうからです。

 それゆえ、抑圧されて切れ切れになっている記憶を呼び起こしてつなぎ合わせ、一つの物語として話さなければなりません。そのように言葉にすると、そのとき自分は悪くなかったのだ、そんな中でも自分は頑張って生きてきたのだと再解釈が可能になって、少しずつ生きやすくなっていきます。

私は最初に、拒食・過食は生き延びる手段であると同時に、自分の心の中にかかえた苦しさや言葉にできない思いを訴える手段だと言いました。しかし、そんな手段で訴えても、なぜそんなに苦しいのか、その不安の正体は何であり、なぜそんな不安をかかえることになったのかは絶対に伝わりません。親子なら、夫婦なら、彼氏・彼女なら、あるいは先生なら、言わなくてもわかってよ、というのは単なる甘えで、なぜそんなに不安なのかは、物語の言葉にして伝えないと絶対に伝わらないのです。その甘えは、親しい人間関係を壊すことになるだけです。

いずれにしても「こんな自分でもちゃんと受け入れてくれる人がいる、そこにいていい場所がある。」とわかってもらうことしかこの苦しさを抜け出す道はないと私は感じています。そのように安心できる場所で、心の中にあるさまざまな思いや切れ切れの思い出を言葉にしてつなぎ合わせ、一つのストーリーとして語ることができるようになれば、それまでの自分を縛ってきたがんじがらめの呪縛から少しずつ自由になっていけます。

人々の中にはそんな言葉を受け取ることのできない人もいますから、そんな人に伝えて自分が傷つくのが怖いし、伝えたらうざったいやつだと嫌われるのも怖いでしょうが、そんな人にこだわる限り決して幸せになれませんから、話しを聞いてくれる人かどうかを見極め、言葉が通じない人ならあきらめるためにも、言葉にしなければなりません。

そのように、心の中にあるさまざまな思いや切れ切れの思い出を言葉にしてつなぎ合わせ、一つの物語として語ることができるようになれば、それまでの自分を縛ってきたがんじがらめの呪縛から少しずつ自由になっていけます。それには、安心して話せる場所が必要です。家族がその場所になってほしいけど、それ以外にも、自助グループがまさにその場所です。そのように世の中にはその言葉をちゃんと受け取り、共感してくれる人が必ずいて、そこで言葉による共感から生まれるあたたかい心の触れあいだけが心を癒してくれます。今まさに苦しんでいる人たちには、そのような場所や人間関係を利用しながら、自分が傷ついてきた歴史の物語をしっかりと見つめる勇気と、その苦しさを言葉にする智恵と、それを受け取ってくれる人に伝える少しだけの勇気を持ってもらえたらと願います。

 

まとめとして : どのように受けとめるか

そろそろ話をまとめなければなりません。ここには摂食障害本人の方だけでなく、家族の方々もおられるだろうと思います。その人たちに、それでは苦しんでいる子どもさんたちをどう受け止めるか、私の考えるところを話させていただきたいと思います。

世界が複雑になり、いつも緊張していなければならないように不安が高まって、過食症などの新しい型の依存症は非常に増えています。この人たちの本当の病気は、人に気を遣うばかりで、本当の自分を出せない、自分が思っている本当のことを言えないことだ、と言うこともできます。本当に望んでいることを自分自身でわかっていないことも多くて、言葉では言えないから、過食みたいな行動、これは症状ということもできますが、そんな逆説的な行動で「私の方を向いて!」と訴えているのです。

みんな生きるのが下手で、心の中の本当の気持ちは「私を愛して。私もお母さんが大好きなの。」と言いたいのに、それが言えなくて過食でしか示せなかったり、やっと何か言えたとしても、つい口をついて出てくるのは「どうしてこんな私にした」とか「このくそ婆」とか、全く逆のものになってしまいます。ものを投げつけたり、家の中をむちゃくちゃに壊したりすることだってありますが、そんな人だって奥にある気持は同じで、「こんな私でも見捨てないでほしい、愛してほしい」のです。

 そして、自己評価の低い人たちは、みんな自分に自信がないから、いつでも見捨てられ不安を持っています。大切な人に見捨てられるのが怖い。しかし、それが逆の行動に出ます。私もかかわった人たちから激しい言葉の攻撃を何度も受けましたし、殴られたこともありますが、それはこんなことをしても手放さないか試す意味が強かったと思います。

 それらの言葉や行動は「決して私を離さないで」という信号ですから、私は決して「もう勝手にしなさい」なんて言いません。最初の頃は、「もう知らない、そんなに言うなら、もう勝手にしたら」と言いたい気持ちが起こったときに、それを言ったら負けだと抑えていたのですが、今はそんな気持ちを抑える必要がなくなりました。そんな言葉や行動は「私を見捨てないで。私は先生が大好きだから。」という言葉なのだと自然に思えるようになったからです。そんな言動を、特に怒りを持ってぶつけられると悲しいし、万引きが私を試すためだと感じられたときなど、どうしていいか困惑してしまいました。しかし、そんなふうにしか表現できない人が愛おしく感じられるときだってあります。

そのような人をどうすればよいのでしょうか。何よりも基本的なことは、不安を受けとめ、温かい心のつながりを回復させてあげることだと私は思っています。そんな人たちに、とにかく、人々の中には温かくつながることのできる人、信頼してもよい人もいることを教えてあげたい。しかし、その人たちの心には「他の人なんか信じない」という信念が根を張っていて、これはなかなかに困難です。何年もかかります。

みんな違う背景を持っているから絶対的な治療法はありません。同じような状態に見える人でも、あるいは一人の人でも時期によって、抱きとめてあげるのか、突き放してただ見守ってあげるのか、全く逆のことをするべき時もあって、長い時間をかけて話を聞いていかないと判断できない難しさがあります。しかし、必ずよくなります。ただ、その人の抱えている苦しさの原因の整理に時間はかかります。10年、20年と抱えてきた心は、そんなに簡単に変わるような柔なものではないからです。

 家族など、周りにいる方々には、その時間がかかることを認めて、何とか治してやらなければと焦り、そのために子どもにどうしなさいと指導、コントロールしようとするのではなく、たとえ食べ吐きしている姿は醜くても、その背後にある苦しさを理解してあげ、あるがままの姿で受け入れてあげていただければと思います。そして、子どもと言っても独立した一人の人として認め、たまたまかけがえのない親しい関係として一緒に暮らしているのだけれど、それはこの世界を一緒に生きていきたい人なのだと、本当に独立できるように育っていくまでただただ見守ってあげていただければと思います。