FUKUSHIMAいのちの最前線
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92研修医が,自主的に避難所での支援などにかかわっている状況だ。 今年度は,恒例の新研修医歓迎会はできなかった。代わりに病院幹部と新研修医による昼食会が4月1日に開かれ,震災時の経験を話し合った。福島医大出身の女性研修医は地元(福島県外)に戻るように以前は親に説得されていたが,震災後は「もう帰って来いとは言えなくなった。お世話になった福島で頑張れ」と励まされたエピソードをそこで披露したそうだ。 ただ,明るい話題ばかりではない。医学部では震災後,14人が入学を辞退した。研修医についても,福島医大病院では辞退がなかったものの,県全体でみると,74人の採用予定者のうち5人が県外の病院に変更している。* 5月6日,1か月遅れの入学式が福島医大で挙行された。入学者を前にした式辞を,菊地臣一氏(理事長/学長)は次のように結んだ。「君たちがこれから身につける白衣は,着る者に小さな覚悟を強います。白衣は君たちに誇りを持つこと,そして厳しさに耐えることを求めています。福島県立医科大学は,〈中略〉原発事故に対して国民や県民の健康を守っていくという新たな歴史的使命を負うことになりました。君たちの,そして福島県立医科大学の歴史に新たなページを書き足すのは,今ここにいる君たち自身なのです。わが国における未曾有の惨禍を受け止めて,君たちがどのようなページを書き足すのか,私たちは今から期待しております。無限の可能性を秘めた君たちの,今後の成長を期待しています」 最後に,白衣に“小さな覚悟”を強いられた研修医の声を紹介する。川島氏は,記事の冒頭に出てくるK氏と同一人物である。あの日始まった困難を乗り越え,彼らの研修は続いてゆく。大谷晃司氏(左)と横山斉氏。 震災後の自宅の部屋掃除が大変だったこと,朝4時に起きてガソリンスタンドで7時間並んでから病院に来たこと,病院から配布されるおにぎりと救急外来の看護師さんからの差し入れが嬉しかったこと,風呂に入れず体が臭かったこと,品薄のスーパーのレジで長蛇の列に並んだこと,皆で車に相乗りして自宅に帰ったこと……。今回の震災でたくさんのことを経験しました。被ばく問題がメディアで取り上げられるようになると,指導医の大谷先生から「避難してもいいし,残って一緒にやってくれてもいい。どうするかは自分で決めてくれ」と言われましたが,私も含めて大半の研修医はそのまま仕事を続けました。 約3週間,救急科に特化した特別編成で診療に従事しましたが,現在は病院全体が通常のローテーションに戻っています(救急科では,被ばく者が搬送されたときのためにシミュレーションやミーティングを現在も行っています)。放射線量は減少し,少しずつですが,福島も日常に戻りつつあります。被災県の病院はどこも大変ですが,もうやるしかありません。福島の研修医は,地震にも風評被害にも負けずに頑張っています。 私は震災時は実家(神奈川)におり,4月からは福島医大病院の研修医として働いています。当初は心配していた地元の友人や家族も,今では福島の現状を正しく理解し,研修生活を支えてくれています。 当院は県内で唯一,ドクターヘリでの患者搬送および被ばく患者除染が可能な病院です。原発での作業が長期化する今,災害発生時のシステム構築を,多職種で情報共有しながら進めています。また,避難所の人々のケアも重要です。私は「エコノミークラス症候群チーム」の活動に参加したのですが,検査陽性率の高さに驚くとともに,先行きへの不安に苦しむ方々から逆に温かい言葉をかけてもらったのが印象的でした。福島では,震災での物理的な被害に加え,風評被害によって医師不足にさらに拍車がかかるのではないかと懸念されています。日本の力を信じて,復興へと皆が一つになれるように願っています。頑張ろう,福島!災害医療支援を経験した研修医の声1年目研修医加藤 由理氏2年目研修医川島 一公氏そして研修は続いてゆく

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