FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線91学生ボランティア室に日々集まった。最初は,エレベーターが停止するなかでの物品の運搬など,病院側からの指示で活動を始めた。しばらくすると,学生自らが考え,動くようになる。例えば,同院では震災直後から断水していたが,学生側から大学への提案により,節水や節電を促すポスターを作成するに至った。 また,前述の圏外搬送においては,自衛隊のヘリコプターで一度に数十人の患者がグラウンドに運ばれて来た場合,そこから車椅子やストレッチャーに乗せて病院へ搬送するのに多くの人手が必要となる。ここでは学生が大いに活躍したという。放射線被ばくの不安との闘い やがて,放射線被ばくの健康リスクに関する情報が入り乱れるようになり,住民だけでなく医療従事者の間にも不安は広がった。学生ボランティア組織も,彼らの健康を守る観点から一度解散となる。 こうした事態に対し福島医大では,敷地内の放射線量を測定しリアルタイムで情報提供を行うとともに,大学教員や事務職,病院職員らが一堂に会する「全学ミーティング」を開催。多いときでは1日3回集合し,放射線の専門家によるレクチャーなどを通して関係者間の情報共有を図った。これには思わぬ副次的効果もあった。「病院スタッフはもちろんのこと,大学教員,事務職など全体に一体感が生まれた」(副院長・横山斉氏)のだ。例えば,圏外搬送患者の仮設ベッドは病院ロビーだけでは足りず,看護学部の実習用ベッドと実習室にマットを敷いて対応したが,そこでは看護教員が夜通し付き添うこともあった。また,患者搬送においては医学部の基礎系教員が学生を指揮したという。 徐々に放射線被ばくに関する情報が整理されるなか,「どうしても活動を続けたい」という学生の要望を受け,新たなボランティア組織も編成された。彼らが新たに担ったのは,避難所訪問だ。県内各所の避難所を巡ることによって,メディアで報道されている以上の悲惨な現状を目の当たりにすることになった。被災者一人ひとりと20-30分かけて話すなか,怒りや不安の感情もたくさん受け止めた。白衣が強いる「小さな覚悟」 「医師となって早く現場に出たい,とこれほど思ったことはない」。病院や避難所で活躍する医療者の姿に心を揺さぶられた学生ボランティアの言葉だ。指導医の大谷晃司氏は,「自分にできることを各自で考えてその結果も自分に返ってくるという,実習では得がたい経験を学生は積むことができた。また,多職種のチームワークがあって初めて医療が成り立つこともわかったのでは」と語る。また研修医も「日々たくましさを増して医師らしくなってきた」と,成長を実感している。 3月下旬ごろより災害医療支援は慢性期のステージに入り,福島医大の主な役割は高度医療緊急支援チーム(エコノミークラス症候群チーム,心のケアチーム等)による避難所での活動や,被災病院への医師派遣となっている。学生ボランティア組織は解散し初期研修も通常体制に戻るなか,一部の医学生・搬送中継のため病院前に列をなす自衛隊救急車と緊急消防援助隊救急車。仮設ベッドが並ぶ1階ロビー。搬送されてきた患者の容態を確認し,必要な処置を行い,転院搬送か入院加療かを判断する。避難所にて。「エコノミークラス症候群チーム」による,エコーを用いた深部静脈血栓症スクリーニング。

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