FUKUSHIMAいのちの最前線
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576単に医学だけの問題に閉じていないことです。社会や環境あるいは歴史ととても強く結びついた複雑な問題であって、人類が抱えている課題そのものとも言える内容でもあります。すなわち、現代の人類が直面している課題は、単一の学術分野だけで対応できる課題ではなく、その解決のためには、分野横断的で学際的な幅広い学術分野の知識や技術が必要です。広い視野を持たないと解決に導くことができない問題です。そういう意味でも学生にとっては、非常に幅広い学術分野の視点から一つの問題を見るような機会が与えられるのではないかと思います。菊地 そうですね。今回の東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故というのは、後世の歴史家はおそらく、文明のターニングポイントだと位置づけるのだろうと思います。そういう中にあって、本学は今、医療の最前線に立っているということだと思います。菊地 私たちはお互いもういい年ですが、もしも私たちが、これから本学に入学するという若者で、現在の状況にあったとしたら、どんな医療人になりたいと考えたでしょう。つまり「夢」。今の原発事故を踏まえて昔の若かったときに思いを馳せれば、このような文明のターニングポイントに臨んで自分はどんな医者になりたいと考えますか。山下 今も若いですよ!(笑)。若さと青春、そういう中で夢を育んで本学に入ったとしても、おそらくちょっと不安がよぎると思います。本当に大丈夫だろうかと。そして、もしゼロから医療を目指してゆくとすれば、病者のために自分を捨てきれるかと不安になると思います。つまり自己中心だったら、モノに囚われてしまって、新しいことや見えるモノもなかなか見えなくなってしまう。ですから、もし私自身が20歳前後に戻れるとすれば、常にゼロサム、無の境地で臨む、そういう青年時代に戻りたいと思います。そうすれば自然に見るべきものが見えてくると思いますし、その無心さが青春の特権でもあります。 「無私の努力」とは、医療人を目指す方に限らず、若者全般に共通する素晴らしさですけれど、よく「青臭い」と言いますが、青臭いということはすなわち大きく変わるポテンシャルを持っていることだと思うのです。だから、もし福島県立医科大学に入学したら私は、この地でどのような先輩がどのような医療人として生きているのか、目の前のお手本を探すと思います。良いお手本がたくさんいますよね。反面教師も含めてお手本です。今回福島に来てみて、会津の武士と同じ精神を持った先生がいっぱいいるなと思いました。こういう状況の中で腹を括って物事に対処する。そういう先輩を目指す、あるいは自分もそうなりたいと思って勉学できるようになればいいな、と思います。神谷 私は自らの学生時代を振り返ると非常に反省すべき点があったんですけれども(笑)──私が大学に入ったころは、頭の中には医学しかなかったと思います。しかし、医者というのは人間を診る仕事ですから、当然、社会とか、その人が背負っている多くのものを診るということが求められる職業です。いわゆる自然科学よりはもっと社会とか人間に触れる職業なのですが、その触れ方とか、あるいは社会との関わり方、社会に対する目の向け方というのは非常に少なかったのではないかと思います。ですから、もし本学で勉強する学生たちがこれから目指すとすれば、是非とも、医学だけでなく、もっと広く社会とか歴史とか、人間とは何ぞやといった哲学まで含めた幅広い学術の分野の勉学をしつつ、医学に特化してゆく、それをやってもらいたいですね。その中で医療人としての自分の立ち位置というものが、見えてくると思うのです。 一方で、医学というのは日進月歩で非常に高度な科学技術の世界でもありますので、是非ともその専門職としての科学や技術を極めてもらいたいとも思います。菊地 我々が従来持っている、あるいは県民の皆さんが見ている医師像とは大分違って、多面的で、かなり社会性を持った医師が求められているということになりますね。 今日は、福島県立医科大学が背負うことになった歴史的使命を改めて確認しあうような話し合いになったかと思います。若さをもって共に臨む医療人にとってのグラウンドゼロ「今、ここ」の精神を伝え続けてゆく福島の悲劇を奇跡に

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