FUKUSHIMAいのちの最前線
579/608

第5章次世代へ伝えるFUKUSHIMA いのちの最前線573菊地 原発事故は大変不幸な出来事でした。しかし、起きてしまった以上、今私たちには、この出来事、経験をいかに前向きにとらえていくかということが問われているのだと思います。 一番大事なことは、福島に住んでいる方々が、そして福島にあるこの県立医科大学の教職員や学生が、新たに背負ったこの歴史的使命にいかに立ち向かっていくかということでしょう。その意味で、これを天命と受け止めて、自らの手で、次の世代に対する財産として、さまざまなことを遺し伝えていくこと──それが福島県立医科大学に課せられた使命であり、果たしてゆく役割だと思っております。 先生方の震災及び原発事故に対するお考えはいかがでしょう。山下 私が菊地理事長からの電話を受けたのは、3月17日の夜でした。震災・原発事故を受けて、まさに医療人としてどう向き合うか、あるいはこの大変な国難の時期に広島・長崎の我々に何ができるかということで、仲間と一緒に福島に入らせていただきました。 最初に考えたことは、福島県立医科大学の役割は非常に大きい、もし、ここが崩壊したら福島県が崩壊してしまう、ということでした。震災に係る超急性期から急性期の対応、それがやっと終わったかと思ったら原発事故が起きました。震災の影響の渦中で診療に必要な水の確保もままならない、まさに心も折れそうという中で皆さんがんばっていました。そういう中で一緒に苦楽を共にできたことは、私にとっても非常に大きな経験でしたし、広島・長崎という看板を背負ってと大げさに言うつもりはないのですが、被爆地からの応援を受けて福島で一緒に仕事ができるという、医師としての責務と同時に、大きな喜びを感じました。 二つ目に、まったく不条理に無益無用の被ばくをしたという県民の皆さまの不安と怒り、さらに言うとその後の不信──こういうものを解決するために我々のノウハウをどう生かせるかということが常に念頭にありました。 そういう中でもまず守られるべきは福島の子どもたち、そして妊産婦ですから、初期のリスクコミュニケーションも大事なことでしたが、具体的な健康を見守る事業を早期に立ち上げたいと、昨年5月から準備し、6月下旬には県民健康管理調査事業をスタートさせることができました。このような中、「骨は全て拾いますから粉骨砕身尽力下さい」との菊地理事長からの有難いお言葉をいただき、7月に福島県立医科大学に移って参りました。神谷 日本は20世紀に、広島・長崎で原爆による被爆という非常に悲惨な経験をしました。その日本がまたしても、21世紀の初頭に福島第一原子力発電所事故を起こしたということは、我々としては非常に、慚愧に堪えない出来事だったと思います。そういう中で、先ほど山下先生も話されましたが、福島県民の皆さまにとっては自ら何の責任もないことで被ばくをされ、健康不安と共に健康被害を受ける可能性があることに対して、広島・長崎の今までの経験を福島県立医科大学 総合案内2012「鼎談」掲載歴史的使命と世界的責任を担いつつ理事長兼学長 菊地 臣一副学長 山下 俊一副学長 神谷 研二福島の悲劇を奇跡に 山下俊一副学長は長崎大学で、神谷研二副学長は広島大学で、それぞれ被ばく者の医療、研究等に長年携わってきた放射線医学の専門家である。昨年の東日本大震災を契機とした福島第一原子力発電所事故を受け、両氏を平成23年4月に本学の特命教授として招へいし、さらに同年7月15日にそれぞれ副学長に就任いただいた。震災、原発事故を受けて──福島県立医科大学の使命、果たすべき役割

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です