FUKUSHIMAいのちの最前線
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44 2011年3月11日㈮14時46分。地震発生時、臨床研究棟5階の耳鼻咽喉科学講座の私の部屋にいた。今までに感じたことのない横揺れで、書棚の本や書類がどんどん落ちてきた。書棚は倒れそうになったので押さえていた。ドアを開けて逃げ道を確保して廊下に出ると、となりの講座から水道管が破裂して水が流れ出る音がしていた。また別の方向から、ガスが漏れるようなシューという音が聞こえてきた。耳鼻咽喉科の研究室では水漏れやガス漏れがないようであった。揺れは5〜6分続いた。ビルが折れて倒れるような感覚であった。周囲にいた者とビルの外に出ることにした。1階まで降りて中庭からビルを見ると余震がくるたびに揺れているように見えた。 病院長室に直行した。病院長は不在でもう一人の副病院長がすでに来ていた。病院としてただちに災害対策本部(災害医療対策部)を設置した。場所は病院長に無断で病院長室とした。テレビがなかったので他の部屋からテレビを持ってきて配線をつないでもらった。テレビの情報が一番早い。病院経営課長、看護部長、大学施設主幹を中心に、まず、入院患者、外来患者、職員の安否と設備の被害状況について情報収拾を図った。大きな紙に一つずつ書いていった。外壁の亀裂、水漏れ、天井の破損、床のひび割れ、空調吹き出し口落下などが報告されたが、幸い人的被害はないことがわかった。エレベーターがストップしたが幸いエレベーター内に閉じこめられた人はいなかった。余震が続く中、入院患者は病室へ、外来患者は病院の外へ誘導した。入院患者で車いすやストレッチャーにのった人は、人手を集めて病室に運んだ。余震頻回のため、手術中の患者は中断できるところで終了指示し、夕方に無事全員退室した。15時46分、全館放送で、人的被害がないこと、大きな物的被害はないこと、ライフラインの状態、救急患者のトリアージの場所を知らせた。 18時30分、災害対策本部にて、副病院長3名、救急科医師、病院事務担当者で今後の対応についてミーティングを行った。電気、ガスは供給されていることを確認したが、上水道の供給停止の知らせが入った。21時30分から病院の各部署の責任者に集まってもらい全体ミーティングを開いた。ここでは被害状況、ライフラインの現況を報告し、当面の救急対応、各部署のバックアップ体制について意見を集めたうえで決定した。日が変わって午前0時から2回目の全体ミーティングを開いた。1次、2次、3次救急体制について、トリアージの場所と担当科を確認した。翌週の一般外来を閉じること、予定手術を止めること、日曜日の予定入院を止めることを確認した。この時点での連絡では福島第一原発、第二原発ともに水位は安定しており、すぐには放射能漏れの恐れはないとのことであった。本院は災害拠点病院であり、全国からDMAT(Disaster Medical Assistance Team)35チーム、約180名が集結してきたが、数日して岩手県や宮城県に移動した。大地震発生当日hyperacute phase災害医療対応超急性期「地震・津波・原発事故における災害医療:前線基地としての大学病院」福島県立医科大学附属病院副病院長 大森孝一(2011年6月9日 日本頭頸部癌学会「東日本大震災報告会」)より

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