FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線473これに対し、発災翌日、さらに看護師1名を調整本部へ派遣した。派遣者はこれまでの災害訓練において、本部ロジ業務に精通していた。その結果、活動を記録し、活動指針を整理する事で、救援班における医療活動の可視化がすすむようになった。さらに、保健所などと連帯し多面的な医療調整を行った、また、医療者の休憩が可能になった。この爆発事故により、被曝に関する情報提供と放射線スクリーニング体制の構築が強く求められた。しかし、我々医療班の被曝医療に関する知識は乏しく、チームはその機能を失いかけていた。医療調整体制は徐々に強化されたが、情報集約システムの欠如と、実働的な医療対応を行う医療チームがないことで、原発20km圏内の病院避難では医療搬送が行えず、搬送中の死亡という悲劇の一因になった。そんな中、1号機に続き、3号機の爆発が起こった。そこに、放射線被曝に精通する福井大学DMATが参入、さらに、放射線医学総合研修所(放医研)から、REMATが本部入りし、被曝対応は、無の状態から前進を始めた。ここにDMAT事務局チームが参入、カリスマ医師のリーダーシップにより、崩壊しかけた医療と行政の連携が再構築された。事務局ロジの参入は事務処理能力を向上させ、医療情報集約システムを確立させた。さらに、医療実働部隊としてDMATを再招集した。そして新たに災害医療と被曝医療の調整本部を立ち上げ、ここにDMATと放射線サーベイチームの融合が完成した。原発3号機 爆発

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