FUKUSHIMAいのちの最前線
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472特にロジスティックの重要性福島県立医科大学附属病院 救命救急センター佐藤めぐみ,渡部智恵子,小賀坂奈美,宮崎 博之,島田 二郎,田勢長一郎DMAT調整本部におけるチームとしての活動の重要性 福島県における東日本大震災は、地震、津波、原発事故、そして風評被害が重なった複合災害である。この中でも原発事故が引き起こした災害は多くの医療問題を引き起こした。 今回、我々は、福島県災害対策本部において、これらの医療問題の対応にあたったDMATの活動を検証したので報告する。震災当時の当院のDMAT隊員は総数13名、その内訳は医師6名、看護師5名、業務調整員2名。うち、統括講習修了者は2名、DMAT講習会インストラクターは医師・看護師それぞれ1名であった。福島県災害対策マニュアルには、災害発生初動期のDMATによる医療活動支援がうたわれている。しかし、災害対策本部内にDMATの受け入れをする部署はなく、消防や警察、自衛隊などとともに救援班が設置され、そこで医療問題が検討されていることを掴み、半ば強引に救援班の中に席を確保し、DMATの調整というよりは、県内全体の医療調整を始めた。このような人材構成の中、当院DMATに求められた役割は、スライドに示すごとく多岐にわたり、さらには、県庁災害対策本部への統括DMAT派遣も重要な役割であった。しかし、統括DMAT医師の院内業務は多忙を極め、苦渋の選択として、統括研修は未受講であったが行政に対し物言える救急科教授を県庁に派遣した。医療調整業務は多岐にわたり、派遣医師の孤軍奮闘も限界であった。そこで医師の追加派遣を行った。しかし、医療ニーズは増加の一途をたどり、調整をすればするほどさらに調整が増えるという悪循環に陥った。また、この時期に明らかになった原発の全電源喪失は、災害対策本部内の緊張を高め、医療者への要求は更にふえた。つまり、まだ人が足りなかった。

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