FUKUSHIMAいのちの最前線
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468原発事故発生後の福島医大における患者搬送の実際公立大学法人福島県立医科大学附属病院小賀坂 奈美 塚田 泰彦 渡部 智恵子2012年3月1日日本集団災害医学会(金沢) 2011年3月20日、災対本部の要請で院内スタッフが集まり、DMAT受け入れ準備と役割分担、収容ベッド確保、自衛隊と救急隊の流れの確認を行った。患者34名は、自衛隊のトラックで1台に3名ずつ担架で搬入された。DMATと院内スタッフが3名1組で患者2名を担当し、搬出トリアージを行った。24名は緊急消防援助隊の救急車で、6名は他県消防ヘリで新潟県へ搬送された。4名が搬送不可能とトリアージされ入院となった。院内での搬入搬出は計画通り行われたが、受け入れ先の新潟県では情報の混乱が見られた。 計画的な搬送が可能であったのは、災対本部との双方向の情報交換ができたことや院内スタッフで事前に詳細な打ち合わせを行ったこと、またDMAT、自衛隊、緊急消防援助隊との連携がスムーズであったためである。受け入れ先で混乱をきたしたのは、情報伝達に不備があったためである。入ってくる多くの情報を集約し適切に伝達することが必要である。◦福島医大は避難患者搬送の中継としての役割を果たした。◦新潟県、災対本部、院内スタッフ、DMAT、自衛隊、緊急消防援助隊等の連携で搬送が行われた。◦災害時に、多くの情報を集約し、適切に伝達できるシステムが必要である。はじめに 東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所事故において、30㎞圏内の病院の患者避難が必要になった。福島県災害対策本部(以後災対本部)は、県外への受け入れ要請、搬送計画と実施を行った。福島医大は患者搬送拠点・中継地点としての役割を担った。その一例としてDMATと連携で行った新潟県への患者搬送について報告する。活動の実際考察結語

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