FUKUSHIMAいのちの最前線
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438被災地の大学病院からの報告そして、地震直後は患者の安全確保と不安への対応を行いました。患者が一人になることのないように、また、緊急時にすぐに対応できるように、MFICUの患者を病棟へ移動し、病棟は、4部屋に患者を集中させて収容しました。また、病室では荷物が棚から落下しないように整理しました。患者もとても動揺していたので、子宮収縮などの身体症状と、不安や恐怖からくる精神症状に注意して観察しました。このことは、この先もずっと注意が必要でした。それから、家族との連絡がついたかどうかの確認、そして、地震後に帰室した術後の患者はストレッチャーでしばらく待機していただきました。また、スタッフの不安そうな言動や騒々しい雰囲気は患者を不安にさせますので、冷静沈着に行動するようにしました。次にスタッフの参集と安否確認についてですが、当院の災害マニュアルでは、震度5弱の地震発生時、全職員が参集することになっています。当病棟でも比較的病院の近くに住んでいるスタッフが5名かけつけてくれました。また、電話がつながらない中かろうじてつながった携帯メールで、病院に向かっているが道路の寸断により、う回路も混雑してたどり着けないなど、連絡してくれたスタッフもいました。このような状況のなかでも管理者として、夜遅くなってからでもスタッフの安否確認につとめました。そして、3月12日には早朝に半径10㎞圏内避難指示がだされ、さらに15:36に1号機の水素爆発があり、18:25には半径20㎞圏内避難指示がだされました。この日から、避難区域にある病院は、混乱のなか、患者の避難を行ったのです。そして14日、15日と原発の危険が続くなか、避難範囲の拡大とともに、当院への搬送妊産婦も多くなりました。病棟の患者が落ち着いたところで、今度は搬送患者の受け入れ準備を行いました。収容可能なベッド数、酸素が使用できるベッド数、保育器台数、新生児室の使用できる酸素配管数、新生児リネン、紙おむつなどを確認し、全スタッフに周知しました。また、救急外来での搬送患者の対応に多数のスタッフが必要になることを想定し、21時30分まで全スタッフの待機指示がありました。さらには、この日から数日間の夜勤待機者を確保し、休日にあたる、12日、13日のスタッフを増員しました。原発事故と避難指示などの政府の対応は資料を参照して下さい。(地震後の福島第一原子力発電所の事故およびそれに対する政府の対応は、第一・第二原発ともに自動停止し、19:03に緊急事態宣言、対策本部設置、21:23に半径3㎞圏内避難指示と半径10㎞圏内屋内退避指示が出されました。)

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