FUKUSHIMAいのちの最前線
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434福島第一原発に最も近い大学病院DMAT(災害派遣医療チーム)の支援を受けつつ不眠不休で被災者のトリアージと治療を行っている渦中です。 そうした中でも同院は、マニュアルに基づいて、事故直後速やかに緊急被ばく医療班を結成。放射線科教授を班長に、救急医、放射線科医、放射線技師、看護師など長崎大や広島大からの派遣者を含め十数人の陣容です。毎日午前10時に、メンバーが集まって多職種ミーティングを行っています。 外部との情報共有は、毎日午後3時からのWEB会議上で行います。同院、オフサイトセンター、第一原発免震重要棟(産業医科大学の医師が派遣されている)、Jヴィレッジメディカルセンター、放医研、広島大学、救急医学会の7ヵ所がWEB上で結ばれ、熱中症などを含めた傷病者の動向など本日の情報が共有されます。 午後3時に得た情報を踏まえ、翌朝10時に被ばく医療班の多職種が討議を重ねるという形が定着したのは3月後半。4月半ばには、研修を終えたばかりのがん放射線療法看護認定看護師(6月に認定取得)の上澤紀子さんが専従として同班に加わりました。 上澤さんは、放射線治療従事者に必要な医療被ばくと被ばく防護の知識はありますが、被ばく医療そのものについては、放医研の訓練に参加した経験がある程度。橋口さんら長崎大学チームのサポートが大きな支えになりました。 同院に搬送されるのは二次救急以上の患者であり、7月末現在まで実際に搬送された被ばく傷病者は11人です。 「幸い、今までの搬送数は多くはありませんが、今も福島原発の現場は動いています。いつ何時、どんな患者さんが発生するか分かりません。そこで長崎大学の橋口さんと当院の上澤を中心に体制づくりを急いでいます」(中嶋副院長) 2002年に作られた既存マニュアルは、東海村臨界事故のような少数の被ばく者に対する短期間の医療を想定したもので、今回のような大規模な原発災害を想定していません。そこで、さまざまな想定を行ってマニュアルを整備し、実際の訓練としてのシミュレーションを繰り返し、またそれをマニュアルに反映させています。 「実際の原発事故は初めてで、まだ誰にもわからないことが多い。だからこそ実際にやってみるシミュレーションの積み重ねが必要です」(橋口さん)「全体の流れに基づいた大きな訓練、また搬送・除染・処置のそれぞれの訓練を繰り返しています。毎回ビデオ撮影し、反省会を行って改善点を探っています」(上澤さん) 一方、被ばく医療棟が24時間対応できるように看護師が配置され、さらに院内に輪番で1番待機者、2番待機者を設けました。シミュレーションには待機者も参加します。橋口さんは看護師に向けて、線量計の使い方をはじめ放射線の基礎知識の勉強会もきめ細かく行いました。 「おかげで『放射線は怖い』ではなく、汚染を広げないように処置をする感覚は浸透したと思います。あとは、手袋や防護具を着て実際の手技を行う訓練を繰り返していくことで、どんな状態にも対応できるようになります」(上澤さん) 今後、原発事故が長期化する中で被ばく医療棟の人員は縮小します。目指すのは、いざというときには人員が集結し、たとえコアメンバーが揃わなくてもいつでも代替して運営できる体制づくりです。 7月末で長崎大学に戻る橋口さんは「中心となるメンバーが得意分野を持ち、それを周囲に浸透させていく環境ができて、安心しています。短期間によくここまでされたと思います」と話しています。 「風評被害にはいまだに悩まされる」という中嶋副院長は、「次の段階としては、正しい情報を発信していくのも大学病院の役割です。煽るようなことを言う人もいるので、過度に不安になっている県民もいます。加えて、これからどこまで続くのか分からない原発事故の影響に対して、県民全体の健康管理にも大学全体で関わっていきたいと思います」と締めくくりました。�(2011年7月8日・福島県立医科大学附属病院にて)シミュレーションを重ねて長期化する原発事故に備える緊急被ばく医療の訓練を指導する上澤さん(左)。院内から多数の看護師が参加して熱心に見学繰り返しシミュレーションを重ねることで、より迅速で的確な搬送・除染・処置を行うことができ、マニュアル整備にも活かされる。改善点を探るためビデオ撮影する長崎大学の橋口さん(右)

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