FUKUSHIMAいのちの最前線
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430スタッフの連携で乗り越えた地震・放射能汚染の二重被害 今回の震災を経験して、実験動物技術者に求められる素養について改めて考えてみた。それは、動物の異常の有無を瞬時に嗅ぎ分ける能力であり、そのような能力こそが動物施設の安全管理にもつながるはずである。 わが国ではよい意味での職人気質や職人文化の精神が古来より継承されてきた。いわゆる体で覚える職人的感覚である。動物の異常はもちろんのこと、設備の異常の有無を感じとる感覚(嗅覚)を日頃から研ぎ澄ませておくことも忘れてはならない。 さまざまな領域でガイドラインやマニュアルの整備が進められているが、マニュアル万能主義の弊害におちいる恐れもある。防災マニュアルは必要であるが、災害時には被害を最小限にするための臨機応変の対応も求められる。何よりもスタッフ(実験動物技術者)の防災意識の共有と専門的技術による連携作業が重要である。 「天災は、忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦)、「備えあれば憂いなし!」の格言は的を射ているとつくづく感じた。建物や設備の地震対策は、耐震性を高めることも重要であるが、それは財政面からもおのずと限界がある。保管スペースの都合で物品の備蓄量にも制約がある。動物施設の管理では、施設・設備等ハード面の長所と短所(強みや弱み)を熟知し、その弱みをソフト面で補うような対策や対応を考えておくことが必要である。謝辞:施設の教職員(若井淳、遊佐寿恵、丹冶静保、真仁田佳子、他臨時職員たち)および委託のジェー・エー・シー社員(長谷川久美子、山本裕子、竹達直起、塩谷朋子他)の皆様の使命感ある行動に敬意を表します。 地震・津波・原発事故という人類未曾有の災さいか禍に福島医大では、全学一丸となって使命遂行のために対処した。災害発生直後に防災計画に従って学内災害対策本部(本部長:理事長兼学長)が立ち上げられ、全学全職種ミーティング(学内代表者会議)が頻ひんぱん繁に開催された。このミーティングは、情報の共有と迅速な対応を図るためのものであり、提示された諸案件についてその場で対応策が議論され、直ちに決定される事項も多かった。 全学全職種ミーティングは、地震後4日間は9時、15時、21時の1日3回の開催、1週後から2週後までは、9時と15時の2回となり、その後3週以降には15時の1回の開催となった。さらに福島県自治会館内に設置された福島県災害対策本部(本部長:福島県知事)には、福島医大から調整医官として本学の医師数名が派遣され、県内医療情報収集と医療支援調整を担当した。 地震規模のわりには、幸いにも入院患者を含め学内関係者における人的被害がなかった。建物や設備等にも壊滅的被害はなかったものの、直後には気づかなかった設備の損傷や異常が日を追うごとに増えた。 学内では地震発生直後に、ただちに全学一斉非常放送により、全職員と来学者に対し冷静沈着な行動と安全な場所への避難が呼びかけられた。 附属病院は県内における災害拠点病院に指定されていることから、震災発生後、直ちに外来診療の停止と予定手術の中止、入院患者の調整退院を進め、病院医師のほか、研修医や学生も含めた全学関係者による救急重傷患者の受け入れ態勢が整えられた。 地震翌朝からDMAT(災害派遣医療支援チーム)が全国各地から到着しはじめ、最終的には計35チーム約180名が福島医大に集結した。倒壊家屋や太平洋沿岸部を襲った大津波による多数の外傷患者の搬送が想定されていたが、患者数は震災後3日間で計168名であった。学内におけるライフラインは、上水および中水の断水、都市ガスの停止、ボイラーの故障による蒸気および給湯の停止等であった(表3)。幸いにも、学内全域において停電には至らなかった。3月23日には福島県立医科大学のホームページに震災対応特設ページ(http://www.fmu.ac.jp/index_shinsai.php)が開設され、大学や附属病院の対応状況が掲載されるようになった。震災直後はミーティングを密に、福島医大における被災状況と対応

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