FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線417 東日本太平洋沖地震(2011.3.11,14:46,M9.0)の際,福島県内では震度6強を観測し,福島県立医科大学(以下福島医大と略。)のある福島市内で震度5強であり各所に被害をもたらした(写真1)。太平洋沿岸部を襲った大津波によって甚大な被害がもたらされた。そして,東京電力福島第一原子力発電所(以下「福島原発」と略。)での全電源破綻,炉心溶融,建屋爆発がつづけざまに発生し,広範囲な地域が放射能に汚染されてしまった。各地の測定ポイントでウランの核分裂によって生成される放射性ヨウ素(131Ⅰや133Ⅰ)が検出され,多くの住民が避難を余儀なくされた。 これらは歴史的複合災害といえよう。東日本大震災と福島原発事故の影響について,福島医大実験動物研究施設(以下,動物施設と略。)での体験と対応,防災対策の見直し等について報告する。 福島医大では地震規模の割には入院患者を含め学内関係者における人的被害がなかった。災害発生直後に,防災計画に従って学内災害対策本部が立ち上げられ,全学全職種ミーティング(学内代表者会議)が頻繁に開催された。このミーティングは,情報の共有と迅速な対応を図るためのものであり,関係部局から提起された諸案件についてその場で対応策が議論され,ただちに決定される事項も多かった。即決できない事案は担当者が指名された。看護学部および附属病院看護部では教職員が炊飯器と米を持ち寄り,即日から非常食の炊き出し態勢を整え,医療スタッフ,附属病院支援部門や大学各部門の当直者へ配給した。この態勢は,全国からの支援物資が到着し,円滑に供給されるまでのほぼ1週間継続された。 建物や設備等にも壊滅的被害はなかったが,直後には気づかなかった設備の損傷や異常が日を追うごとに増えた。ライフラインの状況は,上水および中水の断水,都市ガスの停止,ボイラー故障による蒸気・給湯の停止等であった。幸いにも,学内全域において停電には至らなかった。 動物施設は鉄筋コンクリート構造4階建(延面積2,601平方メートル)で1988年3月に竣工した。4階部分は機械室で換気装置,フィルターユニットや蒸気ヘッダー等が設置してある。1~3階(各階約648平方メートル)を飼育室や実験室として供用している。動物施設の南側に連結する形で増築する約700平方メートルの建屋(鉄筋コンクリート構造4階建)が3月16日に完成予定であった。この増築部分も被害を受けたため補修工事を余儀なくされ,大学への引き渡しが6月30日に延期された。 地震直後,4階機械室機器への配管継手部分の破損による3階天井数箇所からの漏水があり,応急処置を行った。その他の被害は,飼育架台類のズレ(写真2),一部の飼育室でのマウスケージの落下,保管固形飼料袋の散乱(写真3),実験器具類の破損,低温ガス滅菌装置のズレによる化粧パネルの一部脱落,大型高圧滅菌装置の一部故障,ケージ洗浄装置実験動物と環境 第39号 vol.20(1)〈2012年4月1日発行〉(日本実験動物環境研究会)掲載福島県立医科大学医学部附属実験動物研究施設 片平 清昭震災と原発事故から学ぶ防災対策2.福島医大の状況1.はじめに3.動物施設の被害写真1.4号国道(医大手前)の土砂崩れ(バスは医大行)

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