FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線405される場面は多い3)。4)ライフラインと復旧 本院のライフラインに関して電気,ガスには問題はなかったが,水道が8日間停止した。貯水槽の容量は700tであるが,通常の診療でほぼ1日分相当しかない。翌日から節水に努め,通常の外来診療や定期手術も中止し,入院患者もできるだけ退院していただいて通常の7割程度にし,各方面から1日100tあまりの給水をいただいたが,1週間目にはほぼ貯水量が底をつく状態であった。 震災後8日目に水道が復旧し,外来は予約外来から再開した。以後,通常の病院機能を回復するまでに約3週間を要した。この頃はガソリン不足が深刻となり,本院が郊外に立地していることもあり,職員の交通手段の確保にも苦慮した。また,患者も交通手段がなかったため,病院が再開してもすぐに患者数が震災前に戻るということはなく,徐々に通常診療に移行することができた。 1)緊急被曝医療 本院は二次被曝医療機関に指定されており,震災翌日から発生した原発事故に関連して被曝傷病者を受け入れた。本院に搬送された受傷者は8名であったが,いずれも被曝は高度ではなく,除染,創部の処置後に放射線医学研究所等に転院となった。その後も原発事故収束に向けての作業が遂行されており,本院でも除染傷病者発生に備えて24時間体制で待機し,大規模震災に備えてシミュレーションを行っているが,幸いなことに原発内,近隣の医療設備も整備され,除染を必要とする傷病者の発生はない。 2)避難患者の中継搬送 原発事故当日から周囲に避難指示が発令され,4日後には半径30㎞まで拡大された。退避圏内の医療機関には当時1,300名あまりの患者が入院しており,政府主導で避難が行われた。当初,患者は福島県西部に移送されたが,その収容能力も限界に達したため,その後は県外に移送されることになった。本院は,前述のように断水していたため多くの患者を受け入れることができず,県内・県外への移動中継点として機能した。自衛隊や消防などの救急車,ヘリコプター,バスなど(図3)を使用して数十人単位で搬送されて来る患者をいったん受け入れ,放射線スクリーニングを行うとともに,全身状態をチェックした。移送に耐えられないと判断される患者はそのまま入院させた(図4)。数日間で175名の患者を受け入れ,125名は期間の長短はあるが,入院の上,2.福島第一原子力発電所事故 と対応cab図3 避難患者の中継搬送a:自衛隊による患者の搬送b:救急車による患者の搬送。数十台の救急車により次々と患者が搬送されたc:ヘリコプターによる患者の搬送.グラウンドがヘリコプターの発着場所となり,患者の搬送を行った

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