FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線403 2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う巨大津波により,多くの人命が失われた。さらに,福島県では福島第一原子力発電所の事故により広範囲に及ぶ放射性物質の汚染に曝され,原発周囲の住民は避難を余儀なくされている。避難住民の中に当院ペインクリニッ外来に通院している患者も存在する。 本稿では,今回の災害における福島県立医科大学附属病院の状況・対応とともにペインクリック外来で実際に経験した診療上の問題点について述べる。 1)本院の概要と初動体制 福島県立医科大学附属病院は県内唯一の大学附属病院であり,病床数778床,30診療科を有する総合病院である。1日の平均入院患者は約630名,1日の平均外来患者数は約1,500名である(2010年度)1)。福島県立医科大学附属病院は福島県北中部に位置しており,福島第一原発から57㎞の距離にある。 今回の震災は平日の就業中に発生した大規模地震であり,近代日本では初めてのことであった。マグニチュードは9.0で,福島県内の震度は南部や東部太平洋岸で6強,本院のある北中部,西部で6弱であった2)。 震災当日の外来患者は1,345名で,入院患者は642名であった。震災発生時に院内に残っていた患者数は定かではないが,全員いったんは病院の正面玄関にあるロータリーに避難していただいた。患者の無事を確認した後,頻繁に強い余震が続くためすみやかに帰宅していただいた。入院患者は移動が困難な患者も多いため,手術中の患者を除いて,いったんそれぞれの病室に戻っていただき無事を確認した。外来やリハビリテーション部門(1~2階)に出ていた患者はエレベーターが停止したため(震度5以上で自動停止し,再稼働には安全点検を必要とする),担架で上層階に担ぎ上げる必要があった。また,心臓カテーテル検査(放射線部門は1階にある)を要 旨 2011年3月11日に東日本大震災が起こった。広範囲におよぶ大地震とその後の巨大津波により多くの人命が奪われた。さらに福島県では,大地震に引き続いて起こった東京電力福島第一原子力発電所の事故により数万人もの人々が,自宅は倒壊していないにもかかわらず避難を強いられており,今後の生活の見通しも立たない状況が続いている。放射性物質による汚染の問題が,直接的に慢性痛患者の状態を悪化させることはないが,生活環境の突然の変化は,ペインクリニックに通院している患者にも様々な問題を引き起こしている。ペインクリニック vol.33 №4〈2012.4〉(真興交易㈱医書出版部)掲載中川 雅之 佐藤 薫 五十洲 剛 村川 雅洋福島県立医科大学医学部麻酔科学講座東日本大震災と福島第一原子力発電所事故がペインクリニックの患者に与えた影響Key words:東日本大震災,原子力発電所事故,ペインクリニック〈Special Article〉Coping problems for patients with pain after earthquake disaster : Hanshin-Awaji and East Japan Great EarthquakeThe influence of the 2011 Great East Japan Earthquake and subsequent Fukushima Daiichi nuclear power plant accident on pain clinic patientsMasayuki Nakagawa, et alDepartment of Anesthesiology, Fukushima Medical University School of Medicineはじめに1.東日本大震災と対応

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