FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線387自動停止したため,本来の病棟である10階ではなく2階に降りざるをえなかった患者がおり,上層階に上げることが困難と判断されたため,同じ階でモニタリング機器が整備されている一類感染症施設に収容した. これらの初動は各部門の責任者の判断で行われ,看護部監理室に各部門の師長を通じて,それぞれの状況が報告された.同時に,大学理事長のもとに災害対策本部が病院長室に設置され,病院部門の情報を集約するとともに,指揮命令が発せられた. 2.手術中患者への対応 発災当時,本院の手術部には局所麻酔の患者も含めて,9名の患者が入室していた.揺れが大きかったため,手術を中断し,無影灯を術野からはずし,天井から多くの塵やほこりが落ちてきたため,術野や器械台にドレープをかけた.避難経路の確保のために,手術室の入口のドアと各部屋のドアは開放した(図1).空調機能は停止していたが,電気系統,医療ガスの供給に問題はなかった.また,電子カルテ用ディスプレイの一部は落下したが,生体情報モニターや麻酔器,電気メス類の機器に転倒・落下はなかった.その後,麻酔科部長のもとに指揮命令を統一し,移動に備えて薬剤とストレッチャー,バッグバルブマスク,循環作動薬,鎮静薬を部屋ごとに準備した.すぐに緊急の避難は行わなかったが,余震が頻回であったため,症例ごとに手術続行の是非を検討した.発災40分後の15時30分ごろ,それぞれの手術は中断できるところで終了するよう指示し,同じ階にある集中治療部に搬送した.発災後2時間の16時42分までに,全患者の手術部からの退出が完了した. 3.救急体制 災害対策本部から救急科医師を統括DMAT(Di­saster Medical Assistance Team:災害派遣医療チーム)に指名するとともに,各地にDMATの出動を要請した.院内では,病院玄関の受付ホール(図2-A),および隣接する看護学部の実習室(図2-B)に収容ベッドなどを準備し,救命救急センターに隣接する臨床講義棟前のホワイエでトリアージを行い,一次は整形外科外来,二次は内科総合外来,三次は救急センターで診療する体制を敷いた. 発災当日から35チーム,約180名のDMATに参集していただき,本院の医師(研修医を含む),学生ボランティアとともに診療にあたっていただいたが,3日間で来院した救急患者は168名で,入院を要する重症患者は30名であった. 手術部では5列分の手術室を準備し,それに対応できるだけの麻酔科医5名,手術部のスタッフ6名,臨床工学技士2名が24時間体制で待機したが,震災後10日間に行われた手術は,骨折整復や帝王切開など25症例であった. 4.ライフラインと復旧 本院のライフラインに関して電気,ガスには問題はなかったが,水道が8日間停止した.貯水槽の容量は700tであるが,通常の診療状態でほぼ1日分相当しかない.翌日から節水に努め,通常の外来診療や定時手術も中止し,入院患者もできるだけ退院していただいて通常の7割程度にし,各方面から1図1 地震発生後の手術室避難経路確保のため,各部屋の扉は開放した.図2 臨時の収容態勢A:玄関受付ホールに準備した臨時の収容ベッド.B:看護学部実習室に準備した臨時の収容設備.BA

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